湯たんぽ






 ディープグラウンドソルジャーの襲撃は、美しいカームの街に惨たらしい傷痕を残した。

しかし、ジュノンほどには住民を失わなかったカームの復興は早かった。
ありあわせの建築材料で修繕した家々が並ぶさまは、この街の人々の芯の強さを表しているようだ。

所々穴の開いている石畳の道を歩きながらヴィンセントはそっと安堵の息を吐き出した。



 星の加護により甦って間もなく、この街に気がかりを残している彼はカームを訪れていた。
かつて星痕症候群の人々を収容するテントが張られていた教会広場は真っ先に修復されたようだ。
彼とドラゴンフライヤーの死闘でつけられた銃痕や、石畳が焼け焦げた痕はそこここに残っているものの、救援物資の配給や
警備隊の仮本部などが設置されている。




 二年前に「死神」扱いされ街を追い出されたことのあるカームだが、WROとともに襲撃者を撃退した後、街の人々の彼に対する
態度は劇的な変化をみせた。


喜んで駆け寄ってくる子供たち、業火の中から救い出されたことを感謝する老人、照れくさそうに握手を求める若者。
相変わらず、黒革の戦闘服に擦り切れたマントと言う物騒ないでたちにも構わず、人々は彼を歓迎した。

 まさに「死神」であるカオスが身体から去り、過去の呪縛からも解き放たれたヴィンセントは、以前に比べて相当に柔らかい表情で
それに応じる。

以前の彼を知る仲間たちが見れば、こぞって冷やかしのネタにすることだろう。



 かつて彼を悪魔と罵った男のひとりは満面の笑顔でヴィンセントに挨拶し、その問いに答えて市場の方向を指差した。




「あら珍しい。鮭かい」
「アイシクルから届いたんだ。川を上る前に捕まえるから脂が乗っててうまいよ」
「うーん、でもデュアルホーンのバラ肉買っちゃったんだよねぇ」
「そっちは煮込みにでもしといて、今日は魚にしたらどうだい奥さん」


 エルミナと商いの駆け引き中だった店の主は、ゆっくりと近づいてきた長身の男に気付いて目を丸くした。

「…無事のようだな」

 記憶よりもかなり温和な重低音の声に、エルミナは勢いよく振り返った。
別れたあの日よりマントの擦り切れ具合がひどくなっているものの、穏やかな表情をした彼がそこに立っている。

「ヴィンセント・ヴァレンタイン!」

エルミナは買い物用のバスケットを放り出して彼に飛びついた。
卵の入ったバスケットが地面に落ちる寸前に受け止めたヴィンセントの頭を抱きしめ、まるで子供にするように優しく揺さぶる。

「何故もっと早く顔を見せないんだい。生きているとは聞いてたけど、心配するじゃないか」
「…すまない」

小柄なエルミナに抱え込まれて地面に片膝をつき手にはバスケットを持ったまま、ヴィンセントはとりあえず謝った。
しかし拘束はまだ解かれない。
彼女のエプロンからは卵と小麦粉とバター、それに複数のスパイスの香りがする。
血と硝煙の臭いに慣れきったヴィンセントの嗅覚は、それらを新鮮な感慨を持って受け止める。

「あんたが丈夫なのは知ってるけど、地下深くまで潜ったり怪物に体当たりしたっていうじゃないか。心配したよ」
「………」
「よかった。生きて帰ってきて。まさかあんたまであの子と同じになったらと…気が気じゃなかったよ…」

エルミナの声が涙声になる。
不自然な姿勢を強いられてふりほどくこともできず、ヴィンセントは黙ったまま目だけで空を見上げた。
周囲には市場に来ていた人々が集まり、微笑ましげに二人の様子を見守っている。
中にはうなづきながら目頭を押さえる婦人たちまでいた。

善良な人々の中で母親のような女性に抱きしめられる、大型ハンドガンをホルスターにぶち込みガントレットを装着した男。

ものすごく場違いだ。


ヴィンセントの視線が逃げ場を求めてさまよった。
気恥ずかしさに即刻この場を立ち去りたいのだが、首にはエルミナがぶら下がっている。



「奥さん、倅が白目むいてるぞ。放してやんな」

見かねた魚屋の主が声をかけ、ようやくヴィンセントは解放された。

「…無事を確認に来ただけだ。邪魔をしてすまない」

エプロンのポケットから出したハンカチで鼻をかむエルミナの足元にバスケットを置き、ヴィンセントは踵を返した。
そのマントがむずと掴まれる。

「ちょっとお待ち」

振り返ると、ハンカチをしまったエルミナが彼を睨んでいる。

「あんたはどうしてそう愛想がないんだい? せっかく来たんだから晩ご飯ぐらい食べていきなさい」

はいこれ持って、と有無を言わさずバスケットを押し付け、エルミナは魚屋に陽気に声をかける。

「鮭の切り身二つね。息子に食べさせるんだから大きいのを頼むよ」

よしきた、と応じる魚屋に呼応するように、酒を売っていた男がワインボトルを1本持ってきた。

「街の恩人に差し入れだ。魚料理なら白がいいだろ」

 市場に店を出していた者たちがざわめき、それならワインのお供にチーズを、デザートにリンゴをとヴィンセントの持っているバス
ケットの上に、これでもかと言わんばかりに積み上げる。

自分は食事を必要としないし、ここに長居をする気はないというヴィンセントの主張など誰も聞いてはいない。
 バスケットを両腕で抱え、崩れそうになる贈り物の山を肩と頬まで使って支える彼に、エルミナは勝ち誇ったように微笑んだ。

「それじゃ帰ろうか。落とさないようにしておくれよ」

否も応も、返事をしようとすれば荷物がなだれを起こす。
ヴィンセントにできるのは絶妙のバランス感覚を駆使して荷物を抱えながら、エルミナの後を追うことだけだ。
 カームの住人たちはこの上なく場違いな二人連れを、温かく見送ったのだった。





 WROが発足してから、エルミナ・ゲインズブールはVIPとして最優先保護対象になっている。
そのためカームの襲撃時にもいち早く隊員たちが駆けつけ、エルミナの住居のある一角は被害を免れていた。
 
 二年前、星痕症候群の人々を癒すために滞在した当時のままの家がヴィンセントを迎えた。
エルミナの心づくしの夕食は、サーモンステーキに温野菜サラダ。それに彼女が今朝焼いたばかりの手作りパン。
厚切りのブルーチーズとワインが前菜代わりに供された。


 無論食事だけで済むはずもなく、薄汚い格好を何とかしろとバスルームに追い払われ、洗濯するからと服を取り上げられる。
あげくのはてには服が乾かないので泊まっていけと、二年前にも使っていた寝室に放り込まれたヴィンセントだった。

古代種の末裔であるエアリスを何のためらいもなく慈しみ愛しんだ無敵の母性は、魔獣を身に宿す百戦錬磨の戦士をも屈服させる。
肝っ玉母さんの言いつけに背くことなど不可能に近い。



「今夜は冷えるからね。寒かったらクローゼットに毛布があるから使いなさい」

彼が野営に慣れていることなどエルミナの眼中にはない。
もはや無駄な抵抗をあきらめたヴィンセントは、従順にベッドにもぐりこんだ。


ふっくらと膨らんだ羽根布団は日なたの匂いがした。
足元にはフランネルでくるまれた湯たんぽがベッドをほっこりと温めていた。


一瞬、ヴィンセントは母親にまもられる子供になったかのような錯覚を覚える。

ゴールドソーサーやコスタ・デル・ソルの高級ホテルでも、これほどのもてなしは出来ないだろう。

硬質の口唇が寛いだ笑みを浮かべた。確かに野営に慣れてはいるが、柔らかいベッドはやはりありがたい。
素足にあたる湯たんぽの暖かさは、故郷のアイシクルエリアにいた頃の記憶を呼び覚ました。

 幼い息子が寒くないようにと、グリモアは暖炉で温めた石を布にくるんで彼のベッドに置いていた。
布越しにふれる湯たんぽは、愛情に満ちた父の大きな手を思い出させる。


ぬくもりを感じさせるのは、温度だけではなく人の心の温かさ。

『たまには、悪くない』

慎ましい幸福感を覚えながら、ヴィンセントは心地よい眠りの中へとすべり落ちていった。





初出 2008/11/25
加筆修正2009/6/12





寒くなってきたので湯たんぽを買ったらあったかくて嬉しかったのでSSにしてみました。もはや日記のようです。でも、いつも酷い目にあっているヴィン
さんもたまには甘やかされてもいいのではと、エルミナ母さんに登場してもらいました。年季の入った女傑に可愛がられて困惑している彼と言うのも
かなりおいしいシチュエーションだと思うのですが、いかがでしょうか(笑)






thanks.