災い転じて…やっぱり災い?
「無用だ」
「そう言わずに、職員の福利厚生の一環ですから」
「辞退する」
「衛生管理者として認めるわけには行きませんよ」
「ならば退職する」
「まあまあ、ヴィンセント」
リーブは渋る相手に問診票を押し付ける。
普通の職員は年1回だが、軍に所属している隊員たちは年2回の健康診断が義務付けられていた。
激務で体調を崩しやすい隊員たちへの、リーブの配慮である。
「一番危険な仕事をお願いしている貴方の健康管理を怠るわけにはいきませんからね」
健康診断を担当する医療セクションのナースたちから熱烈なリクエストがあったことなど、本人に知らせる必要はない。
温情あふれる上司の仮面を被り、リーブはぬけぬけと言ってのける。
ヴィンセントは驚異的な回復力を保ち、その生命力は不老不死に近い。果たしてその彼に「健康診断」など必要なのか。
「でも、カオスが抜けてからはポーションを使うことが増えたじゃありませんか」
抗議する彼にぴら、と今年度決算報告書を見せて、食えない局長は不敵に笑う。そこに書かれているのはヴィンセントの出張経費。
平気で野宿をし食事も必要としない分、武器弾薬やポーション、エーテルの欄の記入が目立つ。
「何故そんなに嫌がるんです?」
「…面倒に巻き込まれるのはごめんだ」
「大げさな。たかが健診じゃありませんか。駄々こねないでささっと受けてくださいよ」
リーブは有無を言わさずボールペンをヴィンセントの手に握らせた。
「まさか、注射の針が怖いというわけでもないでしょう?」
笑みを含んだ声で揶揄する局長を軽く睨み、ヴィンセントはため息をついて問診票に書き込み始めた。
…健診など恐ろしく久しぶりだ。
そう言えば、ニブルヘイムに派遣されていた頃も、年二回のチェックの時には本社に呼び戻されていたな。
現在気になること…肩こり?便秘?なし、だ。睡眠状態…最近悪夢は見なくなったな。近親者の病気?親父は頭痛持ちだったが、
あれは研究のしすぎだ。
最近受けた大きな手術…?
「リーブ」
途中でペンを止めてヴィンセントは呼びかけた。
「何です?」
「メタモルフォーゼの人体実験は、『最近受けた大きな手術』に入るのか」
無理やり健診を受けさせられることへの意趣返し。相手が困るであろうブラックな質問をわざとぶつけてやる。
はたしてリーブは2,3回瞬きし、咳払いをして真面目くさって答えた。
「…あなたの場合は20年以上前ですからね。『最近』には当らないんじゃないでしょうか」
「そうか」
タヌキめ、と口の中で呟いてヴィンセントは『なし』に丸をつけた。
健診会場に使われている大会議室はほどよく混んでいた。ヴィンセントは列の最後尾に並んで順番を待つ。
「ヴィンセントさん、あなたも受けるんですか?」
「ああ」
一緒に闘ったことのある隊員たちが、何故か嬉しそうに集まってくる。
「何だか嬉しいですよね。星を救った英雄も俺たちと同じなんだなあ」
「健診なんか、受けないのかと思ってました」
本当なら受けたくなかったがな、とヴィンセントは胸の中で返答する。
全員が手に蓋つきの紙コップを持って廊下に一列に並んでいるのは、なんとも間の抜けた風景だ。
「今年から腹周りも測るそうですよ」
「メタボ何とかっていうのが流行ってるそうです」
「俺たちには関係ないよな。いいもん食ってる偉いさんの病気だぜ」
「そう言えば、昔の神羅にいましたよね」
ヴィンセントも含めてその場に居合わせた全員が、治安維持部門統括と宇宙開発部門統括を思い浮かべた。
嫌いなものほど鮮明に思い出せるのは何故なのだろう。ガハハ、うひょ、という声まで正確に再現できそうだ。
「次の方どうぞ~」
「あ、呼ばれてますよ」
「ヴィンセントさん、どうぞ」
受付から呼ばわる声に、隊員たちが道を開ける。
周囲に気付かれないほど小さなため息をついて、ヴィンセントは会議室に入った。
「いらっしゃいませ~?」
受付職員及び健診担当のナースたちの満面の笑みが彼を迎える。
正確に測るからと服を脱がされて検査着を着せられ、身長、体重、体脂肪に骨密度と次々にデータを取られていく。
ちなみに視力は「5.0以上」。視力測定器の限界データを叩き出している。
聴力は測定不可。検査のための電子音を出す作動音を聞き取ってしまうため、判定がエラーになってしまうのだ。
『どうしても好きになれんな』
被検体として扱われる不愉快さに耐えながら、ヴィンセントは早く終わってくれることだけを望んでいた。
そんな彼の心中も知らずに、ナースたちは舞い上がっている。
カーテンが引かれた一角に案内され、ヴィンセントは測定のために検査着の上を脱がされた。
「あらまー。細いけど筋肉質ね~」
「着痩せするタイプなのね。脱いだ方が…ふっふっふっ」
「ちょっと、はしたない」
「せっかくだから、色々データを取らせてもらいましょ」
手に手にメジャーを持って取り囲む彼女たちに、ヴィンセントはたじろいだ。
「…測るのは腹囲だけだと聞いていたのだが」
「まあまあ、堅いこと言わないで」
「そうそう、手編みのセータープレゼントするかも知れないですし。ふっふっふっ」
その間にも、身体のあちこちにメジャーが巻きついては離れていく。
『…だから来たくはなかった。普通は服まで変えさせはしないだろうが』
これは立派にセクハラだと心の中で恨み言を並べ立てる。しかし、女性たちには断固とした態度に出られないのが彼の弱点だ。
一応は苦情申し立てしてみるのだが、適当にあしらわれて終わってしまう。
「…もういいだろう」
「いやいや、誤差を最小限にするためには、何度も測って平均値をとらなくちゃ」
「いや~ん、測り間違えちゃった。もう一度お願いしますね」
物理の実験でもあるまいしと思うがどうにもならない。狭いカーテンの中は目に見えないハートマークが乱舞している。
結局、ナースたちが満足するまで哀れな生贄は辛抱するしかないのだった。
「はい、お疲れ様でした。あとは採血とレントゲン撮影で終了です」
げっそりと消耗してカーテンから出てきたヴィンセントに、検査技師が愛想よく声をかけた。
指示された椅子に座って片腕を出した彼の視界に入ったのは、眼鏡をかけて長い黒髪をオールバックにした白衣の男。
『…嫌な男に似ているな』
十分不機嫌になっているヴィンセントの神経を、その男の外見は逆撫でした。
そうとも知らず、痩せぎすでどこか宝条に似た検査技師は、手際よく採血の準備を整えていく。その手元を眺めていたヴィンセント
の瞳が、切羽詰った色を浮かべ始める。
どこかで見たシチュエーション。そう、あれは神羅屋敷の地下でのことだ。
手術台に拘束され、もがく力も失った彼に哄笑と共に近づく男。
『実験を新しい段階に進めよう。第二の魔獣の覚醒を促すのだ』
宝条の手にした注射器には、紫色の液体が充填されており、キャップをとると針先からねっとりとした紫の雫が溢れてくる。
そこから視線を外すことのできないヴィンセントの表情には嫌悪と、これからわが身に起こる事への恐怖が浮かんでいる。
<止めろ…止めろ!……止めろ!!!>
拒絶の叫びを上げようにも、施された度重なる実験で声は既に枯れ果てていた。
『モルボルの毒を精製したものだ。お前の苦しみは新しい魔獣を生む陣痛とでも言おうか』
自分の中にガリアンビースト以外にも魔獣が棲みついていると言われ、ヴィンセントは戦慄する。抵抗する術などない。
腕にチューブが巻かれ、皮膚を消毒するアルコールの臭いが鼻をつく。
浮き上がった血管に毒のしたたる針先が近づいた。
『さあ、少しばかりちくっとするが、動くんじゃないぞ』
「さあ、少しちくっとしますが、動かないでくださいね」
その台詞は思い出したくない過去と完全に重なった。
針がぷすりと彼の皮膚を刺した瞬間、ヴィンセントの全身を金色の光が覆い猛々しい魔獣の唸り声が会議室に響き渡った。
「一体、何があったんですか?!」
「ただの健診ですよ。確かに嫌がってはいたのですが、これほどとは…」
WRO本部の廊下を局長と特別研究員が走る。目指すのは大会議室だ。
火災発生の警報がフロアに鳴り響き、武装したWROの部隊が廊下に待機している。
しかし、相手は変身したヴィンセントだ。無論攻撃などできないし、そもそも返り討ちにあうのが目に見えている。
「あっ!局長」
「局長~!」
やっとの思いで会議室から脱出した健診担当のスタッフが、よれよれになってリーブに駆け寄った。
埃と煤で白衣が真っ黒に汚れている。
「状況を報告してください」
「はい、あの、採血で針を刺したらヴィンセントさんが変身してしまって…」
自分で話しながらこの程度でリミットブレイクするのは変だと感じたらしく、スタッフのチーフが困惑した表情で口ごもる。
リーブは思わずルクレツィアを振り返った。
「…まさか、本当に彼は注射が苦手なんですか?」
「そんなはずはないと思うけど…」
ルクレツィアの言葉に一人のスタッフが進み出た。
「でも本当です!僕が針を刺したらいきなり…」
ガリアンに引っかかれでもしたのだろう、頬に大きな絆創膏をつけた検査技師を見て、ルクレツィアは片手で顔を覆った。
宝条そっくり。
この男に針を刺されて彼が暴れだした理由は、何となく分かる気がする。
「それだけですか?他に思い当たることはないですか」
冷静なリーブの声に、ナースたちが顔を見合わせておずおずと進み出た。
「あの、すみません…」
「やはり、あなたたちでしたか」
「ええ、あの、ちょっと身体測定に熱が入ってしまって…」
彼の抵抗を大勢で封じ込めて、あんなところとかこんなところとか、色々計測しましたとナースたちは報告する。
今度はリーブが片手で顔を覆った。
仕事熱心(?)な彼女たちの念入りな測定は、彼も身をもって知っている。他にもクラウドやシドがVIP待遇を受けていたが、ヴィン
セントは更に特別だったようだ。
集団セクハラにあったあげく、過去のトラウマを刺激された彼がリミットブレイクするのは責められない。
だが、このままではせっかく再建した本部がまた壊滅してしまう。
「ルクレツィア博士、お願いします」
「…はい」
ルクレツィアはカツンとヒールを鳴らして会議室の入り口に立った。
室内ではガリアンビーストが床に叩き落した注射器を丹念に踏みにじっている。
ルクレツィアはコホンと咳払いをしてから、思い切り息を吸い込んだ。
「ヴィンセントッ!!」
彼女の厳しい叱責の声は鞭のように魔獣を叩いた。
唸り声を上げて破壊行動に走っていたガリアンビーストが、ビクリとして動きを止める。
自分の声に魔獣が反応したのを確かめて、ルクレツィアはつかつかと室内に入っていく。その姿を認めた魔獣はまるで主人に叱られ
た犬のように背中を丸めてその場に這い蹲った。
「いい加減にしなさい!」
自分の二倍はあろうかという図体の大きな相手をルクレツィアは叱りつける。
ガリアンはますます姿勢を低くし、赦しを請うように彼女の顎をぺろぺろと舐めた。光が魔獣の輪郭を朧にし、次に現われたのは検査
着をまとってルクレツィアの前に片膝をついたヴィンセントの姿。
ガリアンの姿勢の名残でルクレツィアの顎に顔を寄せていた彼は、自分の姿勢に赤面して身体を引いた。
ほっと息を吐き出したルクレツィアの手が伸ばされ、彼の長い黒髪を優しく撫でる。
「もう。ホントに手がかかるんだから」
「…すまない」
怒りや戦闘意欲からではなく恐怖と嫌悪が引き金になって変身したヴィンセントは、彼女の姿を見て安心したのか珍しくそのまま
脱力した。
床に座り込んだ彼のそばに、ルクレツィアがそっと膝をつく。
「ところで、あなた何でこんなもの着ているの?」
「検査をするからと、服を取り上げられた」
「たかが健康診断で?」
「…私も妙だとは思ったのだが、正確に測るからと…」
ヴィンセントはカーテンの中での思い出したくない出来事をぼそぼそと報告する。
当事者にとっては災難だが、聞く側にとっては笑い話。彼に同情はするもののルクレツィアは可笑しくてたまらない。
「笑わないでくれ」
「ごめん。…でも……」
恨めしげに見上げるヴィンセントと小さく肩を震わせるルクレツィア。
その様子を見て頃よしと判断したリーブは隊員たちに室内の片付けを始めるよう命じ、二人のそばに歩み寄った。
「お二人とも、このようなところでは何ですので局長室へどうぞ」
「そうだな。ちょうど辞表を出そうかと思っていたところだ」
立ち上がりながらヴィンセントが不機嫌な声を出す。しかしリーブは動じない。
「まあそうおっしゃらずに」
「もう二度とごめんだ」
「そうですね。わかりました」
もともと健診などヴィンセントには無用のもの。今回も執拗な要請に根負けしたリーブが、一度くらいならいいだろうと安易に受けた
のが失敗の元だ。もっとも、理由はそれだけというわけでもなかった。
「でも、ポーションの使用が増えているのは少し心配しているのですよ。傷の回復が遅くなっているのではと」
隣に立つルクレツィアにちらりと視線を送る局長。あらぬ方向に話題がそれたのを感じてヴィンセントは警戒する。
ルクレツィアは首を傾げたが、すぐに科学者の表情になって右の拳で左の手の平をポンと打った。
「そういえば、カオスが抜けた後のあなたの状態をチェックしていなかったわ」
「え、あの、ルクレツィア…」
「確かに、ちゃんと細かく調べておかなくちゃ。あなたに何かあった時のためにね」
「………」
「大丈夫。他人には任せずに全部私が検査するから」
それならいいでしょ?嫌?と瞳を覗き込むルクレツィアに、ヴィンセントは途方にくれる。猟犬の群れから逃れたものの銃を構えた
猟師の目の前に飛び出してしまったようなものだ。
被検体扱いされるのは、正直言ってもう真っ平だった。手術台も魔晄ポッドも大嫌いだ。過去の苦痛と恐怖が甦ってくる環境に身を
おきたくはない。
だが、何かが違っているような気がするものの、彼女なりに彼の身を気遣うルクレツィアに抵抗するのは不可能だった。
「…嫌じゃない」
ぼそりと答えた彼に、ルクレツィアが華やかに微笑む。
会議室の片づけをしていた隊員たちは、二人の様子を見守っていたリーブがこっそり片手でガッツポーズをするのを見て、ひそか
に笑いあうのだった。
2008/2/24
syun
少し前になってしまいましたが、職場で健康診断があったのでネタにしてみました。SSの中の描写は捏造です。こんな健診があっ
たら大変です。そして、みんなが廊下で順番待ちの時に手に持っていたコップの中身はもちろんアレです。(笑)だって検査項目に
入っているのですから、ヴィンセントだってちゃんと採ってきたのでしょう。平凡な日常生活の描写なのですが、主役が彼というだけで
急に笑い話になってしまうのは何故なんでしょう(笑)。