忘れられない贈り物





 最後にネクタイを結んだのは、いったいどのくらい前になるだろうか。
ヴィンセントは、クローゼットの扉に取り付けられた大きな鏡の前で真新しいタイを首にかけながら思った。
その頃身につけていたのは総務部調査課の制服。濃紺のジップアップタイプのスーツに、平凡な色とデザインのネクタイ。
生地は丈夫で摩擦や衝撃に強く、ある意味防護服の役割も果たしていた。何の変哲もないように見えるネクタイも、必要時には拘束具
として使用に耐える強度を有する。職務上、なるべく人目につかないありふれた服装が求められた故のデザインだった。
 もっとも彼の場合、その端整な容姿から人目につかないというのは不可能であったが…。
 最後に制服を身につけた日の忌まわしい記憶を払拭するようにヴィンセントは小さく息を吐き出すと、ハンガーにかけられていた上着
に袖を通した。生地のなめらかさと軽さが、このスーツの上質さを雄弁に語っている。


 かつてミッドガルに本店を構えていたオーダーメイドの紳士服店が、エッジに仮店舗を構えたのは3ヶ月ほど前のこと。
 神羅上層部の御用達でもあったその店は、リーブの存在を知って抜け目なく営業の手を伸ばした。高級なスーツのみならず制服の
大量生産も可能なことを売り物に、まんまとWROを得意先に射止めている。裏情報で相手の資金源を突き止めている店にとって、神羅
なきあと見逃すことのできない大手の顧客がWROであった。

 自分のために予算を使うことをよしとしないリーブも、局長がそれなりの格好をしていないと士気に関わる、と幹部職員たちに説得され
服を新調している。

局長室でカタログを目にしたルクレツィアが、自分のラボにも寄らせて欲しいとリーブに依頼したのが、2週間まえのこと。
 何も知らずにいつも通りラボでルクレツィアを手伝っていたヴィンセントは、突然現れた店の者に引き渡され、有無を言わさず服を剥ぎ
取られて採寸され、カラーチャートをとられ、挙句の果てに「ここから先は内緒」と部屋から追い出されたのだった。

 察するに、コンピュータに取り込んだ彼のデータとカタログから似合うスーツの型をシミュレーションしていたと思われるが、ここまで
意図が明確なのに内緒も何もあったものではない。しかし、主人に「ヨシ」と言われるまでお座りして待つ犬のように、廊下で待ち続けた
ヴィンセントであった。



「ね、気に入った?」
寝室の扉がノックされ、ルクレツィアが期待と不安の半分ずつを表情にはりつかせて、部屋を覗きこむ。
鏡の前に立つスーツ姿の男を目にして、その顔は飛び切りの笑顔となった。
 ダークチャコールの上下に、アイシーグレーのシャツ。深紅と青と白の幾何学模様のネクタイが地味になりすぎるのを防いでいる。
袖口からのぞくカフスボタンはつやのあるオニキスに銀の模様をあしらったもの。

「…こんなに大層なプレゼントを貰ったのは、初めてだ」
「ふふ、たまにはいいじゃないの」
 満足げな笑みを浮かべて、ルクレツィアはヴィンセントを見上げる。
以前、ルーファウスも利用していたという店の腕は確かだった。上品な仕立てのスーツをまとったヴィンセントは、どこかの財閥の御曹司
と言っても通る風情である。深紅のマントを身につけ長髪をなびかせて戦場を馳せた戦士の面影は、微塵も残っていない。


 もっとも、旅の間の長髪に深紅のマントの姿は、まるで浮浪者のようだとルクレツィアを嘆かせた。彼女には、タークスの制服をきちんと
着込んだ端整なヴィンセントが強く印象に残っている。

それなのに、日ごろ目にしているのは黒革のバトルスーツかラフなカッターシャツ姿。彼の誕生日には、どうしてもちゃんとしたスーツを
着せなくては、とルクレツィアは決めていたのだった。


「ちょっと、くるっと回って見せて。よかった。ぴったりだわ。」
 あれだけしつこく採寸されたのだから当たり前だとは思うが、ヴィンセントは賢明に口にしない。何よりも、彼女の嬉しそうな笑顔に、
つられて微笑みすら浮かべてしまう。

「あなた、手足が長いから、既製品を贈るわけにいかなかったのよ」
ルクレツィアは白い指先でスーツの襟を直しながら微笑み、小さなケースを取り出した。
 中に入っていたのは純銀のネクタイピン。彼の瞳に合わせて小さいながら輝きを放つルビーがあしらわれている。
それを取り出すと彼女はヴィンセントのネクタイにとめた。

 タークス時代の発信機や盗聴器の仕込まれたものとは全く異なる、純粋な装飾品。シンプルなデザインのそれは、ネクタイの模様を
損なうことなくしっくりと馴染んだ。

「今日は、私にとっても特別な日よ」
そっとネクタイピンを撫でて、ルクレツィアはヴィンセントを見上げる。
「…生まれてきてくれて、ありがとう」

 優しい言葉に、日ごろ、仲間内では無表情で通っている男の顔が、無防備に感情を露呈した。
彼女に応えようとするが震える口唇は彼の意思に従わない。胸のうちに溢れる想いは言葉に変換できずに、質量と熱をいや増していく。
かつてどれほど望んでも手の届かないところにいた彼女が、自分をまるごと受け入れそばに寄り添っていてくれる。
再会してからの毎日は、ルクレツィアと過ごすその一分一秒がかけがえのない甘美な時間。長い贖罪の道のりの果てについに得られた
ものは、求め続けていた彼女の笑顔だった。

 ヴィンセントは一言も発することができないまま、想いのたけをこめてルクレツィアをそっと抱きしめる。
どんな高価な贈り物よりも彼女の存在そのものが、彼にとって最高のプレゼントであることは、間違いなかった。 






「危ないから、下がって下がって!」
「柵の扉、大丈夫ですかあ!?」
 バリケード用の柵を流用して作られた40メートル四方のスペースに、飛空艇ハイウインドUから降ろされたコンテナが横付けされた。
 艇の貨物を取り仕切る男は、右目の周りに青あざを作り、片腕に包帯を巻いた姿でシドに敬礼する。
「お預かりしましたモンスター一匹、確かにお届けしました」
「モンスターじゃねえ。チョコボだろ」
しれっと言ってのけるシドに男は怯えた様子で首を振った。
「ほんとのチョコボなら、コンテナなど不要であります!」

 彼の言葉を、複数の悲鳴と叫び声がさえぎった。開きかけた扉が内側から蹴り飛ばされ、ジョイント部分が外れて斜めにかしいでいる。
それにはさまれた仲間を助けようとした作業員が慌てて飛びのいた。壊れた扉を踏み台にして、コンテナから一羽のチョコボが飛び出し
たのだ。

もともと温和な性質のこの鳥にあるまじき攻撃的なかまえで、制止しようとした作業員を蹴倒し、強靭な脚で駆け回る。
 囲いの中にいた人々は、先を争って外へ逃げ出した。

「どうだ。手に負えそうか?」
 負傷した隊員が仲間に運ばれていくのを見送りながら、シドは人の悪いニヤニヤ笑いを浮かべた。急にそう言われても答えようがなく
ヴィンセントは無言でこの規格外のチョコボを見上げた。彼の隣では、チョコボにあまり接したことのないルクレツィアが茫然と目の前の
生き物を眺めている。

 普通の個体よりも一回り大きい堂々たる体躯を持つ、黄金色の羽根の海チョコボ。すばらしく発達した胸の筋肉とたくましい脚は、タフ
な走行に耐えることを示している。元の持ち主であるクラウドが彼の隣にならんで、チョコボに目をやった。

「引退したトウホウフハイの初仔だ。母の父はハイパーダンサー」
「お、良血じゃねえか」
「ああ。だが凝ったインブリードが裏目に出た。スピードとスタミナは申し分ないが、究極の気性難だ」
一時チョコボレースにはまり、出走チョコボを手がけた経験のあるクラウドが説明する。

 ゴールドソーサーでの全レース制覇を夢見て交配したチョコボは、とてもレースに出せるものではなかった。
競走心よりも闘争心が強く、下手をすると他のチョコボをつつき殺してしまう。調教をしようとしても、背中の鞍をむしりとり騎手の指示に
従わず暴走する。ゲート練習をすればゲートを蹴り壊すというありさま。

扱えるのは持ち主のクラウドだけで、預託しているチョコボファームでも音を上げ、引取りを要請してきたというわけだ。
「レースには使えないが、アウトドアにはむしろ向いている。調査の時にでも使ってくれ」
「そうそう。おめぇいつも徒歩でちんたらしてやがるから、ちょうどいいんじゃねえのか」

 仕事の合間に抜けてきたリーブがシャルアを伴って様子を見にやってきた。囲いの中を走り回り、バリケード用の柵に蹴りを入れ、
体当たりして脱走ルートを探すチョコボをみて、唸りながら髭を撫でる。

「これは、随分と元気なチョコボですね」
「局長、元気というよりは凶暴という方が近いと思うが」
「突然変異で、闘争心の強い亜種ができたのかしら」
ルクレツィアとシャルアが顔を見合わせた。科学者が二人揃うと、話題はやや異なる方向へ流れていく。
「あの、胸の羽毛が一部白っぽくなっているところは何だ?怪我のあとか?」
目ざといシャルアが柵の接続部分をしきりにつついているチョコボの異常に気付いた。クラウドが下を向き言いにくそうにぼそぼそ答える。
「…柵を破って逃亡した時、湿地帯でミドガルズオルムにケンカを売った。その時の傷の名残だ」

 これには、一同が唖然とした。チョコボが捕食者であるミドガルズオルムにわざわざ戦いを挑むなど、通常はありえない。
しかも相手の攻撃をかわし、片目をつついて潰したというから恐れ入る。フェンリルで追いついたクラウドが、大剣で大蛇を一刀両断した
時にも、全く恐れる様子はなかったそうだ。アウトドア用のチョコボには、環境の変化に適応し度胸があるという性質が要求されるが、
これはスケールが違いすぎた。

「それは…乗りこなすのは難しいかもしれませんねえ」
リーブの言葉に、どこか安心したようにヴィンセントが頷く。


「待って」
 今まで男たちの会話に加わらなかったティファが、前へ進み出た。
「ヴィンセント、お願い。この子を乗りこなせるのはあなたしかいないわ」
困惑の表情を浮かべるヴィンセントの腕をつかんで、ティファは更に言いつのる。
 チョコボの維持にはそれなりに経費がかかる。チョコボファームに預ければ、預託料、運動量、予防注射に爪切り代、健康診断料金に
飼葉代。レースに出走するならチョコボ協会に登録料を納めねばならない。しかも一年ごとに更新料が必要になる。
もっとも、この更新料はチョコボ協会のお偉方の横領が発覚してからは、いくらか安くはなったらしい。

病気になれば治療費がかかるし、季節ごとの羽の生え変わり時期には、トリミング代まで取られる。
 レースで勝てば、それらの経費を一気にまかなうだけの収入が得られるが、出られないとなるとただの無駄飯喰らいだ。
適性のないチョコボは、手頃な労働力として希望者に売り払われる。売れ残ったチョコボの終着駅は、皿の上。
つまり、食肉用として最後まで人間に貢献するのである。

「お肉になっちゃうなんてかわいそうだわ。 ヴィンセント、何とかしてあげられない?」
無責任に同情するルクレツィアの言葉に不幸な男はたじろいだ。その凶暴なチョコボに乗らねばならない彼はかわいそうではないのか。
しかし、強力な援軍を得たティファは更に続ける。

「カイみたいな元気のよすぎる子は、下手に野生に返せないの」
 元気がよすぎるというのは控えめすぎる表現で、これだけ凶暴なチョコボは野に放せない。害鳥として処分対象になるのが目に見えて
いる。適切な飼い主のもとで管理されるのが理想的だが、クラウドはデリバリーサービスの仕事が忙しくてチョコボにかまっていられなか
った。ティファも二人の孤児を抱えて店を切り盛りしている身である。バレットは油田探索で留守がち、ユフィは生き物の世話などするは
ずもなく、シドは飛空艇があるのでチョコボに興味はなし。

 カイと呼ばれる凶暴チョコボに対応できるだけの体力、運動能力があり、そこそこ世話ができるだけのヒマな男、ということで白羽の矢
が立ったのが、ヴィンセント・ヴァレンタインというわけだった。
飼育にかかる費用くらいはリーブが出すだろうというもくろみもあり、バースディプレゼントにかこつけて押し付けてしまえという話である。


「ヴィンセントがうまく手なずけてくれれば、二人乗りもできるわよ。カイは力があるから」
「本当? チョコボでトレッキング、やってみたかったのよ」
 海チョコボならカオスの泉まで行くのも簡単だし、ロケット村まで足を伸ばしてシエラにも会えるし、と、女二人は勝手に盛り上がって
いる。もはや断るタイミングを完全に逸したヴィンセントの両肩に、シドとクラウドの手がずっしりと置かれた。

「じゃ、そういうことで。頼んだぞ」
「まあ、頑張れよ」
 思わず救いを求めてWRO局長を見たヴィンセントだったが、口元を押し殺しきれない笑いに歪めながら、リーブは真面目くさって言う。
「こうなってはしかたありません。他ならぬヴィンセントの頼みです。チョコボの飼育代はこちらで何とかしますよ」
「私は何も頼んでな…」
「ありがとう、リーブ!」
「局長が許可してくれれば、もう何も心配ないわ」
 哀れな男の抗弁は、アルトとメゾソプラノの二重唱でかき消された。ため息をついたヴィンセントの肩を、無責任な元飼い主がなだめる
ようにぽんぽんと叩く。夕日色の瞳が恨めしげにクラウドを見た。

「チョコボの調教などやったことがないぞ」
「大丈夫だ。基本的な調教はできてる」

 クラウドは飼料などの入っている箱の中から手綱と頭絡を取り出し、羽根を膨らませて威嚇するチョコボを捕まえた。
元主人に対しても攻撃を仕掛けてくるカイに、容赦のないアッパーカットを食らわせる。

「鞍はないのか?」
「全部壊された」
しぶしぶ装具を付けさせたチョコボを引いて、クラウドが柵のそばまでやってくる。
「男ならうまく乗りこなしてみせな」
 これまた無責任なニヤニヤ笑いを張り付かせながら野次るシドを横目で睨みつけ、ヴィンセントは手綱を受け取った。
チョコボの碧い瞳が剣呑な輝きを帯びる。見知らぬ乗り手を襲ったくちばしの一撃をかわして、ヴィンセントは鳥の背中に飛び乗った。



 もうもうと上がる砂煙。激しい羽ばたきと足音にチョコボの金切り声が混ざる。
ヴィンセントを乗せたチョコボは、垂直に飛び上がり、前後左右に身体を揺らして振り落とそうとしてくる。脚が二本のチョコボは安定性が
悪い。特に頭を低く下げた時に、前方に放り出される危険性が大きかった。更に翼の動きは、乗り手の脚の位置の安定を邪魔する。

 猛ダッシュの直後の急停止。それでも乗り手が落ちないと見ると、片方の翼を地につけるほどに身体を傾け、そのまま何度も尻っ跳ね
を繰り返す。振動に負けて手綱が緩もうものなら、首を曲げて乗り手の足をつつこうとする。


「おい、ホントに調教したのかよ」

「ああ。だが最近乗っていない時期が長かったからな、かなり白紙に戻っている」
予想以上の壮絶なロデオに、シドとクラウドはひそひそと言葉を交わした。本人には言えない本当の話。
だが、二人の見解は「アイツなら何とかするだろう」という点で既に一致している。


 時ならぬ過激なショーに惹かれてWRO職員も集まってきていた。柵の周囲はすでに黒山の人だかり。
彼らは見たこともない凶暴なチョコボと、それと格闘する彼らのヒーローの姿に固唾をのんだ。我を忘れ柵から乗り出して見物していた
何人かは、暴れるチョコボの体当たりや蹴りの衝撃を受けて後方に転がっている。不運な者の中には打撲や脱臼などの怪我をしたもの
もいた。

 だが、人間離れした身体能力を持つヴィンセントは安定した騎乗姿勢を保っていた。上半身を起こし自分の重心をチョコボと一致させて
いるため、相手が暴れても騎座がぶれることがない。


「さすがだね」
「やるじゃねえか」
ティファが安堵のため息をつき、タバコを柵に押し付けてもみ消したシドが唸る。
「この分なら乗れそうじゃねえか」
「だが、乗り心地は、ひどく、悪いな」
シドの揶揄とも賞賛ともつかぬ言葉に、揺さぶられてぶつ切りになった言葉でヴィンセントが答える。
「柵に沿って、まっすぐ走らせてみろ」
 元の持ち主の指示でヴィンセントは手綱を持ち直し、下腿でチョコボの腹を圧迫して前進を命じた。抵抗するカイに何度も指示を繰り
返し、しまいには踵で蹴りをいれる。カイは渋々従い、暴れながらも柵に沿って走り始めた。

「大丈夫そうだな」
ようやく乗り手の指示を聞くようになったチョコボを見て、クラウドはまるきり白紙というわけでもないようだと安堵する。
ヴィンセントは仲間たちのそばでチョコボを止め、軽く首を叩いて愛撫するとその背から滑り降りた。暴れん坊は見事に乗りこなされ、
従順になったと誰もが思った、その時。


 突然雄叫びを上げてカイがヴィンセントに襲い掛かった。力強い脚で相手の胸を蹴り上げ、バランスを崩して柵にぶつかったところを
鋭いくちばしで攻撃する。咄嗟に顔面をかばった彼の左腕は深手を負い、丈夫な黒革のバトルスーツの一部が引き裂けた。

「ヴィンセント!」
「大丈夫か?!」
仲間たちの悲鳴と叫び声が上がる。
ヴィンセントは血の流れる左腕をそのままに、思わず右手を腰に伸ばした。しかし馴染んだ銃のグリップはそこにはない。
チョコボの試乗をするのに銃は不要だろうと部屋に置いてきたのだ。
 自分のうかつさを呪う暇もなく、強烈なタックルを受けてバリケードに叩きつけられる。次いで、胸に食い込む三本の爪。
動きを封じられたヴィンセントの顔面を狙って、チョコボは鋭いくちばしの一撃を加える。再びギャラリーの悲鳴が上がる。
「ヴィンセント!」
柵の一部が吹き飛んでできた隙間に、ルクレツィアは駆け寄った。
 間一髪、避けたヴィンセントの頬を掠めて、チョコボの凶悪な武器は地面に深い穴を穿っていた。白い頬に一筋、赤い流れが伝わる。
くちばしを引き抜いたチョコボは手の届くところにいる新たな標的を捕捉した。すでに足の下に踏み敷いている相手には興味を失ったよう
で、バリケードの隙間に向きなおり、高く威嚇の声を上げる。

 ルクレツィアにくちばしを向けるカイを見たヴィンセントの瞳が、金色に光った。

 柵を飛び越えてチョコボを押さえようとしたクラウドが見たものは、ガリアンビーストに首を銜えられたチョコボが地面に叩き伏せられて
いる姿だった。

他者に押さえつけられたのも初めてなら乗っていた人間が魔獣に変身するのも初めて。ミドガルズオルムを前にしても怖気づかなかった
カイは、恐慌状態に陥って脚と短い翼をばたつかせた。その喉にゆっくりと牙が食い込み、身体を強大な爪が押さえ込む。
魔獣の銀色のたてがみがゆれ、内臓に響くような低い唸り声が大きな口からもれた。

「おぉ、随分派手じゃねえか」
「…まあ、このくらいのお仕置きはしかたないよな」
シドの茶々に、クラウドは肩をすくめると柵にもたれて腕を組み、呑気に様子を見守るかまえ。
魔獣の唸り声は迫力を増し、怯えたチョコボの細い悲鳴があがった。

「ヴィンセント!」
たしなめるような女性の声に、ガリアンビーストがびくりとする。チョコボを押さえつけた体勢のまま、金色の瞳が声の主を恐る恐る盗み
見た。

 ルクレツィアが軽く腕を組み、呆れたように睨んでいる。上目使いにその表情を見ながら魔獣はゆっくりとチョコボを放し、跳ね起きた
カイは一目散に囲いの反対側まで逃げていった。それを見送ったガリアンビーストの全身が閃光に包まれ、黒革の服を身につけた長身
の男の姿に戻る。彼の変身能力を知ってはいても、目の前に魔獣が現れたことに動揺していたWRO職員たちも、ほっと息をついた。


「もう。これから色々なところに乗せていってもらうのに、喧嘩してどうするの」
「大丈夫だ。ケリはつける」
 その口調がやや言い訳じみて聞こえたのは仲間たちの気のせいだろうか。ケリじゃなくて仲直りでしょと彼女に訂正され、ヴィンセント
はゆっくりとチョコボに歩み寄った。

「…人に従うかステーキになるか、選べ」
低い声が静かに恫喝する。いや、そうじゃなくてという外野の声をよそに、ヴィンセントは続けた。
「乗用としてお前を譲り受けたが、私としては食用でもいっこうにかまわない。どうする?」
言葉はわからなくても相手から伝わってくる尋常ではない威圧感に圧倒され、チョコボは恐怖に羽根をふくらませる。

「……やべぇ、あいつ腹がへって気が立ってるな」

タバコのフィルター部分を噛み潰して、シドが唸る。クラウドが不安の陰りを表情に落としてシドを見やった。
「変身後は、いつもの3倍も4倍も食うってやつか?まさか、生きたまま?」
「おう、チョコボの反応によっちゃ、アタマからバリバリ…」
「ばかなこと言わないで!」
ここでも無責任に話をエスカレートさせるシドを、ティファが一喝する。柵の外でのうちわもめをよそに、内側では静かな対峙が続いて
いた。

 カイは囲いの中でヴィンセントから一番遠いところをうろうろしていたが、やがてゆっくりと歩み寄ってきた。頭を背中と水平にし両方の
翼をだらりと下げて服従の姿勢をとっている。上目遣いに相手をみやり、クウクウとご機嫌伺いをするような鳴き声を出すという豹変ぶり。
二匹の猛獣の間での順位付けが、ようやく決まったというわけだ。

 自分の前でおとなしく立ち止まったチョコボの手綱をヴィンセントが取った時、周囲に山と集まっていた野次馬たちから盛大な拍手
喝采が巻き起こった。







 その晩、幹部用食堂で開かれたささやかなバースディパーティ。例によってシドが持ち込んだ各地の珍味と、ティファとルクレツィアの
手料理がテーブルを飾った。良質の酒を好むヴィンセントのためにワインだけはリーブが奮発し、旅の仲間たちがにぎやかに宴を盛り上
げる。ヴィンセントはからかわれるのが嫌だと尻込みし、せっかく贈られたスーツを着ることはなく、いつものラフな服装のままだ。
小さなろうそくが54本も突き刺さっている哀れなバースディケーキがテーブルの上に放置されている以外は、常の宴会と大差はない。



「あー、くっそお、見たかったなあ。ヴィンちゃんとカイのバトル!」
 遅れて参加したユフィは、駆けつけ三杯とばかりにビールをあおってから、盛大に悔しがった。
「あの凶暴チョコボを馴らすなんざ、たいしたもんだぜ」
隣でバレットもうなづいている。
「バレットも、あのチョコボのことを知っているの?」
 テーブルに着いた面々にワインをサービスしていたルクレツィアがたずねる。神出鬼没のユフィはともかく、油田探索に世界を巡って
いるバレットとチョコボの接点は見つけにくい。

「ああ、マリン連れて1回だけチョコボ見に行ったことがあってな。そん時クラウドは留守で、ユフィが乗ってたんだよな」
「そうだ、俺が忙しかった時、何回か乗り運動を頼んだな」

 当歳時から気性が荒く、チョコボファームの熟練スタッフすら手を焼いたので、ユフィが育成に手を貸したのだという。
ちなみに名付け親もユフィで、「カイ」というのはウータイの言葉で海を意味するのだそうだ。

「最初のシツケが肝心だからね。世の中のキビシサをよーく教えといた」
ワイングラスに手を伸ばしながら、ユフィが胸を張る。
「だからああなったんだろう。責任を取れ」
ぼそりと呟いたヴィンセントの言葉に一同は爆笑した。
 チョコボの性質は多くが血統に由来する。何回か調教に手を貸しただけでは影響は皆無だが、ユフィの場合は別かも知れない。
クラウドまでが笑いながら、人選を誤ったなどと言い出し、ユフィを憤慨させた。



「だがよ、せっかく言うこと聞くようになったんだから、レースに出せねえもんかな」
料理をつつきながら、シドがふと思いついたように言い出した。
「乗用チョコボじゃ一銭にもならねえし、食い扶持くらい自分で稼がせたらどうだ?」
「そうだな、登録は抹消されていないし、復活できるかもしれない」
クラウドも同意する。
「条件戦をいくつか勝てば、グレードの高いレースにも出られるだろう」
「でかいとこ勝たせてさっさと引退させちまえばいいんだよ。血統はいいから種付け料で稼げるぜ」
シドはリーブを見やった。
「そうですね。レースの参加費はこちらで持たせていただきます。ゼッケンにWROのロゴを入れさせていただきますがよろしいですか?」
こちらも抜け目のない局長は、WROの利益も忘れない。
「それで、誰が乗るの?」
ティファの質問に、一同の目がヴィンセントに集中する。

 本日の主役であるはずの男は、空腹に耐えかねて放置されたケーキのろうそくを丁寧に抜き取り、端からちまちまと攻略しているところ
だった。リミットブレイク後は猛烈な空腹感が彼を襲う。さりとてテーブルの料理を自分の分以上に取るのも気が引けて、誰も手を出さな
い崩れたケーキで飢えをしのいでいたというわけだった。

「ごめん、足らなかったね。ヴィンセント用にチョコボステーキ、別に焼くから」
ティファが慌てて厨房に向かう。ヴィンセントはケーキにフォークを突き刺したまま、戸惑ったように仲間たちを見回した。
シドが身を乗り出して、その夕日色の瞳を見つめる。

「ヴィンよ、来月の新鳥戦に出ねえか?」
「断る」
「何でだよ。今日の様子ならいけそうじゃねえか」
「見世物になるのはごめんだ」
無愛想に呟いて、ヴィンセントはケーキのかけらを口に入れた。甘さにうんざりしながらも空腹には勝てないらしい。
WROの宣伝のついでに、出演料と称して逆にチョコボ協会から金をとるつもりだろう」
「よくわかっているじゃないですか」
「冗談じゃない。大体、私では斤量オーバーのはずだ」
 押しの強いシドの説得と何とか懐柔しようとするリーブの微笑みに、ヴィンセントは必死で抵抗する。あの派手な勝負服を着て、ゴール
ドソーサーのチョコボレースに出るなど考えられない。そもそも、身長184cmのジョッキーなど前代未聞である。
それを押して出走を薦める二人の思惑など火を見るより明らかだ。


「ユフィはどうなの?乗れるんでしょ?」
柔らかな口調で介入したのは、ルクレツィアだった。取り皿に山盛りにした料理を片端から平らげていた忍者娘は、急な指名に目を丸く
する。

「アタシ?」
「そう。初の女性ジョッキーが、最強チョコボで勝ち進んでいくっていうの、かっこいいと思うけどな」
思わぬ助け舟に、ヴィンセントが感謝の気持ちを精一杯のせたまなざしをルクレツィアに送る。
「なるほど、それも悪くありませんね」
「ユフィなら、無理に減量させることもねえしな」
 新たな提案に、リーブやシドも同意した。娯楽施設に売り込むキャラクターとしては、ユフィの方がはるかに華があり適任だ。
本人も悪い気はしないらしい。

「よし、いっちょうG1レース総なめといくか!」
景気のいいユフィの宣言に、一同は盛り上がってグラスをぶつけ合った。



「…ルクレツィアさんたら、またヴィンセント甘やかして」
厨房から戻り、レアで焼いたステーキを差し出したティファが、今までのいきさつを知って年上の友人を軽く睨む。
「ふふ、ごめんなさい」
 ルクレツィアは笑って、隣の席にいる男の髪を軽く撫でる。無理な減量と派手な勝負服から救われたヴィンセントは、ようやく安心して
空腹を満たすことに専念していた。


 誕生日というには、あまりに散々な一日。
だが、ルクレツィアに庇ってもらったということが今日起こった全ての出来事に上書き保存され、ヴィンセントにとってはそう悪くない一日
の終焉となった。



明日は、また明日の風が吹くのである。






                                                       H18年10月11日
                                                       syun








なんだか、すごーく長くなってしまいましたヴィン誕話。けっこう楽しみながらかけました。チョコボ話が幅を利かせているのは凱旋門賞の影響です。
カイはこのあとレースに勝ちまくり、賞金と種付け料でWROの第二の資金源となるはずです(笑)昔はまった○ービースタリオンが、こんなところで
役に立つとは…。ルクさんがヴィンを浮浪者呼ばわりしてるのは、DCで「ヴィンセント、だよね?」と確かめた後、はあ〜っとため息をつく彼女を見て
妄想しました。ガスト博士も宝条もネクタイ締めて白衣着て、でしたから、彼女から見て赤ヴィンはかなり奇妙な風体ではないかと。
あれ、じゃあグリパパはどうなんだ?しまった、今頃気付いてしまいました。
ヴィンは60歳と思っていた当初、ユフィに赤いちゃんちゃんこをプレゼントされるというネタを考えていましたが、違ったのでボツ。ローソクが54本立った
ケーキなんてどうなんでしょう。ヴィンが律儀に食べていたのは、きっとティファのお手製だからですね。




Novels