追悼の歌






 ミッドガルの旧スラム地区。その瓦礫の中を、ヴィンセントは今までに経験したことのないおぼつかない足取りで歩いていた。
身体が鉛のように重い。時折、持ち主の意思を裏切って動かなくなる脚をひきずりながら、どうにか歩みを進める。
 彼の身体からカオスが抜け出して星に還ってから、数週間が過ぎた。崩壊しかけた肉体を留めていた要を失い、ヴィンセントには
徐々にだが、明らかな変化が現れ始めていた。




 セブンスヘブンに滞在していた彼を最初に襲ったのは、わずかな身体の違和感。銃の整備をしている時に、指先が利かなくなって
きていることに気づいたのが、その予兆であった。

そして、筋力の低下と日ごとに強まる倦怠感は、着実に無視のできないレベルになっていった。重量のあるライフルやショットガンを
扱うのが難しくなり、以前なら軽々と飛び越えられた瓦礫や壁などを迂回するようになった。
 幸い、平和を取り戻したエッジでは戦闘に巻き込まれることはない。目的を失っている時の彼はもともとひっそりと過ごしていること
が多く、日常生活はなんとか乗り切ることが出来たため、クラウドやティファに気付かれることはなかった。


 着実に復興が進むエッジの町。それと対照的に、彼の命の炎は徐々に細く、小さくなっていく。


 リーブからの仕事の依頼を何とか理由を見つけて断り、まとわりついてくるマリンとデンゼルに気付かれることのないよう、ヴィン
セントは人気のないミッドガルの廃墟でうずくまっていることが多くなった。そのまま意識を失い、気付くと周囲が夕闇に包まれてい
ることも度々だ。元々乏しい食欲が更に落ち、次第に固形物を受け付けなくなってきていた。しかし、ティファも元から小食の彼を
いぶかしむことはなく、食事は外で済ませたという彼の嘘をそのまま受け取っていた。

 回復魔法をかければ、一時的に体力が戻る。だがその効果も日ごとに薄れ、今ではケアルガをかけても一日持つかどうかという
状態になっていた。


 そのような状態にありながらエッジを離れなかったのは、間近に迫っている別れを意識して、少しでも仲間たちと過ごす時間を
引き延ばしたかったのだろうか。

 セブンスヘブンには仕事の合間にバレットがマリンの様子を見に立ち寄り、時折ユフィやシドも顔を見せる。WROと直通のヴィジ
ホンもあり、多忙で来られないリーブがケット・シーで訪問することもあった。

 今のヴィンセントが活気にあふれる彼らと相対するには、気力を総動員する必要があった。ウータイの土産だ、掘り出し物の酒だ
と無理やり相伴させられたあとは、決まって血と崩壊が始まっている内臓の欠片を吐くはめになる。
それでも、仲間たちがセブンスヘブンを訪れた時には身体の不調を悟られないように魔力で取り繕い、宴の片隅に同席するヴィン
セントであった。

 察しのいいユフィには座ってばかりでますますジジ臭くなったとなじられ、シドにも酒の付き合いが悪いと怒鳴られながら、静かに
微笑む彼の心中を知るものは誰もいなかった。





 ヴィンセントは立ち止まり、崩れたブロック壁にもたれかかって荒い呼吸を整えた。うかつに咳き込むと咽喉から出血するのは
経験済みだ。鈍い頭痛が今朝方から始まり、鬱陶しさに追い討ちをかけている。

 苦しげな吐息をつき、彼は目的地を見やった。二つの戦役の被害をまぬがれたスラムの教会は、月明かりの中にその姿を浮かび
上がらせていた。その背後にある廃墟となった神羅ビルはまるで巨大な亡霊のように見える。

 以前ならばほんの十数分で到達できる距離を、もう一時間以上かけて休み休み移動していた。今にもうずくまってしまいたくなる
ようなだるさと戦いながら、ヴィンセントは再び歩き始めた。



 半壊した教会の内部には破れた屋根から月の光が差し込み、清らかな水面を照らし出している。
ドアが無くなっていたのは幸いだった。今の彼には扉を開ける力も残されてはいない。よろめきながら内部へ入ったその両膝から
いきなり力が抜け、床に倒れこむ。

 転倒の衝撃は弱っていた身体に大きなダメージを与えた。すぐに起き上がることができず、ヴィンセントは床の上で弱々しく喘ぐ。
いつも身につけているマントやガントレットの重さすら既に耐えがたいものになっていた。思うように動かない指を叱咤しながらマント
のベルトを外していく。そして、やっとの思いで金属製のガントレットを外すと、もう立ち上がる力は残っていなかった。

 思い残すことはない。長い間捕われていた過去の悪夢から解き放たれ、自らの手で忌まわしい因縁に終止符をうつことができた。
20年以上前に一度落としたはずの命だ。その後は、ライフストリームに還る前に、星が彼に与えた贖罪のための猶予期間。
自分が納得できる答えを得る機会が与えられたと考えると、闇から目覚めてから今までの時間は、この上なく貴重なものに思える。

 彼は、乱れる呼吸を整えながら、静かに瞳を閉じた。
 脳裏に仲間たちの姿が一人ひとり浮かんでは消えていく。誰もが生気に満ち、退くことを知らない強者ぞろいだった。
共に死線をくぐり抜けてきた彼らの絆は強く、遠く離れていたとしても決してお互いを忘れることはない。

 自分が星に還ったら、彼らは悲しむだろうか。
なかば朦朧としてきた意識の中で、彼はぼんやりと考えた。突然失踪すれば彼らが心配することは想像に難くない。
しかし、一箇所に留まらず放浪するヴィンセントの性癖をよく知るのも、彼らだった。また、気まぐれに旅に出たとでも思ってもらえる
のならば、その方がいい。

 留める術のない命のことを説明し仲間たちの悲嘆に向かい合うのは、ヴィンセントにとって数万の敵を迎え撃つ以上に気が重い。
仲間たちは彼を救うための方策を必死になって探すだろうが、無駄な負担をかけることは気が進まなかった。
卑怯を承知で身を隠してしまうことに決め、心の中で仲間たちに詫びる。

だが…。

 ヴィンセントは瞳を開き、すぐ目の前にある泉を見つめた。
かつての仲間であった古代種の娘が、クラウドの危機を救うために作った泉。その奇蹟の水に浸かれば、あるいはもういくばくかの
時間の猶予が得られるかもしれない。
彼は歯を食いしばり、腕の力だけで重い身体を引きずりながら泉に近づいた。


―――  最期にもう一度だけ、君に会いたい   ―――


 仄暗い祠の中で、水晶に封印されたルクレツィアの姿が彼の脳裏に浮かぶ。その映像が、萎えた彼の四肢に力を与えた。
ほどけたバンダナが目の上に被さってくるのを、力の入らない指で何とか外し、手首にまきついたそれをそのままに床を這いずって
前進を続ける。乱れた長髪が汗に濡れた額や頬に張り付くのを払う余裕などすでになかった。

きらめく水面が優しく彼をいざなう。今は亡き仲間のささやきに励まされるようにヴィンセントは進み、癒しの水の腕に自らを委ねた。










「カオスの泉に行きたい、だと?」
「ああ。エアボードで降下するので、着陸の必要はない」
 セブンスヘブンのカウンターで水割りのグラスを傾けていたシドは、喫いかけのタバコを指に挟み、眉をひそめてヴィンセントを
見上げた。マントとバンダナを外し、身にまとったものから赤い色が消えているせいか、端整な貌はやけに青白く見える。
夕日色の瞳だけが、以前にはなかった静謐な光をたたえてシドを見返した。

「そりゃかまわねえが…。おめぇ、ここんとこ元気ねえよな。どっか悪いんじゃねえのか?」
「いや」
ヴィンセントの返答はそっけない。WROからエッジに資材を運んできたシドに夜食のプレートを差し出したティファも、気遣わしげに
長身の男を見やった。

「ヴィンセント、夕食は?」
「いい」
「最近、全然食べてないよね。少し痩せたんじゃない?」
「腹でも壊してんのか?」
二人の心配そうな視線に、内心の動揺を押し隠してヴィンセントは用意しておいた答えを口にする。
「多分、戦いがないので魔力で保っているようだ。もともと、それほど食事は必要としていない」
「魔力とかそういうんじゃなくてよ。たまにはちゃんと食って精力つけろよ。顔色悪いぞ」
「………」
ヴィンセントはうつむいてだんまりを決め込む。マントを外しているせいか心持ち痩せたように見える姿と、そこにまといつく奇妙な
透明感にシドとティファが顔を見合わせる。

「じゃあ、これだけでも飲んでみて。ウータイの薬酒。いろんな薬草が漬け込んであるんですって。あなたにってユフィが送ってくれ
たの」

濃い茶色のボトルを取り出し、一緒の箱に入っていた目盛りつきの小さな杯できっちり量を測って、ティファはヴィンセントに差し出し
た。

「泉に送ってやるが、そのあとWROで精密検査受けろよ。リーブにも、一度連れて来いって言われてんだよ」
 小さな杯を受け取って、ヴィンセントは困惑した視線を二人に送る。どうやら隠し通せていると思っていたのは彼だけで、仲間たち
は彼の不調に気付き、心配していたらしい。

「そいつは効くぜ。身体の中がカーッっとなって、血の巡りがよくなるんだ。それ飲んでさっさと寝ちまえ」
「………」
 シドの説明に、薬酒を飲んだ後の惨状を想像してヴィンセントは重いため息をついたが、うまく断る言葉が見つからない。
きつく目を閉じて一息に流し込む。予想通りに、喉から胃にかけて焼けつくような激痛が走った。
「…苦いけど、それが効くんですって。…大丈夫?」
「……ああ。ありがとう」
喉元を押さえながらティファに杯を返し、ヴィンセントはシドに出航時間を確認すると、自分のあてがわれた部屋へと早々に引っ込
んでしまった。

「あいつ、あんなに薬に弱かったかな…?」
「お酒は底なしなのにね。やっぱり、体調がよくないのよ、きっと」
 心なしかよろめきながら階段を上っていく長身を見送って、シドとティファは声をひそめて囁きあうのだった。



 空の店舗用ビルを改造したセブンスヘブンは、二階から上の住居用部分に空き部屋がいくつもあり、ティファが仲間たちのための
客用寝室としてしつらえている。ヴィンセントはそのうちのひとつを使用していた。

部屋に戻るなりバスルームでしたたかに血を吐き、しばらく立ち上がることができずに床にうずくまる。
 エアリスの聖水で歩けるまでに回復したものの、これではカオスの泉にたどりつけるかどうかも怪しい。仲間の勧めた薬酒でダメ
ージを受けた彼であったが、二人を恨む気にはなれなかった。むしろ、あれこれ気遣う彼らに黙って星に還ろうとしていることが、
重い罪悪感となってのしかかってくる。

「シド…ティファ…すまない…」
薬酒によるものとは別の痛みが胸に走り、ヴィンセントは震える手できつく胸元を押さえた。時の流れに取り残され居場所のない
自分に、安らぎの場を与えてくれる仲間を裏切ろうとしている自覚は、まるで現実の傷の痛みのように彼を責め苛んだ。

 だが、もう引き返すことはできない。逃れえぬ運命ならば静かに受け入れ、なるべく仲間たちを巻き込まずにひっそりと終焉を迎え
たかった。他人を救うことを優先してしまうお人好しばかりだと知っているからこそ、自分のために振り回したくない。
彼らには自分の死を知らないまま、平穏に暮らして欲しかった。

ヴィンセントは血で汚れた服を身につけたまま、シャワーのカランを捻った。冷水が降り注いできたが、感覚が麻痺し始めている彼
の身体は、その冷たさを感じ取ることが出来ない。
流すことを忘れた涙の代わりのように、白皙の頬を温かくなり始めたシャワーの湯が勢いよく流れていった。




 いつの間にかまどろんでいたらしい。控えめなノックの音に目覚めると、クラウドがドアを開けたところだった。
「ティファが気にしていてな。すまん、起こしたか?」
「…いや、大丈夫だ」
ヴィンセントは力を振り絞ってベッドから身を起こした。とたんに視界がゆらゆらと回転し始めるが、瞳を閉じて収まるのを待つ。
クラウドは静かに歩み寄り、ベッドの傍らで立ち止まった。

「体調はどうなんだ?」
「薬酒が合わなかったらしい。…ティファには言うな」
右手で額を押さえ、ヴィンセントはぼそぼそと言い訳をした。薬酒を飲まされることになった原因については無論省略し、話題を微妙
にすりかえる。クラウドは黙ったまま論点のずれた返答をする相手を見つめていたが、再び口を開いて本論に引き戻した。

「この状態で、カオスの泉に行くのか」
「…ああ」
ヴィンセントは姿勢を変えないまま短く答える。逸らされた視線と沈黙は、詮索や説得を拒否する防壁となって彼を覆った。
「それで、いつ帰ってくるんだ?」
 しかし、クラウドの放った一言はそれらを貫通してヴィンセントの胸に突き刺さる。戻るつもりのない彼にとって、それは答えること
のできない質問だった。思わず息を呑み、返答が一拍以上遅れる。

「…WROで精密検査を受けろと言われている。いつになるかはわからんな」
「そうか」
クラウドはややうつむき、小さく息を吐き出した。
「結果が出たら連絡をくれ。皆あんたのことを心配している」
「……わかった」
 偽装が失敗していることが、わかった。ヴィンセントは胸の中でそう小さく呟いた。信憑性の低い返答をどう思ったのか、クラウドは
それ以上追求しようとはせず、そのまま歩き出してドアを開ける。

「クラウド、ヴィンセントは病気なのか?」
廊下で待ち構えていたらしい小さな人影が二つ、クラウドにまとわりつく。
「お見舞いに行ってもいい?」
「いや、眠っているから明日にしたほうがいいな」
 ドアが小さな音を立てて閉まった。ひそやかな話し声が廊下を遠ざかっていく。それを聞きながらヴィンセントの唇からは何度目
かの謝罪の言葉がこぼれた。もとタークスという仕事柄、必要があれば嘘や演技で人を欺くことなど訳はない。しかし、心許した
仲間たちや子供に対しては極端に不器用になり、沈黙以外に本心を包み隠す方法を知らない彼であった。



 取り繕う必要がなくなりベッドに倒れこんだヴィンセントの耳に、低く歌うような声が聞こえてきた。耳を傾けているうちに苦しみが
うすれ、全身に甘美な浮遊感が広がる。

 優しく心の琴線に触れるような星の呼び声。ライフストリームへの回帰を促す優しい子守唄。このまま身を任せてしまえば楽に
なれる。その誘惑と闘いながら、ヴィンセントは姿の見えない相手に懇願した。

「……わかっている。だが、もう少しだけ、時間が欲しい…」

 最後に彼女にひと目逢いたい。

彼の願いが通じたのかどうか、星の呼び声はゆっくりと薄れて消えていく。入れ替わりに、いっそう酷くなった倦怠感と胸の痛みが
甦ってきた。生きている代償のようなそれにヴィンセントは唇を苦笑の形に歪めながら、枕元に置いたマテリアに手を伸ばした。

 








 シドの飛空艇は、海を越えてニブルエリアに入った。

輸送を目的とする艇に便乗させてもらったのだから、直行便というわけには行かない。途中カームとコスタ・デル・ソルで物資の
積み下ろしをし、機体の点検が入る。仕事中のシドは、ブリッジからなかなか離れられない。意識を保つのも難しくなってきていた
ヴィンセントは、それを幸いに殆どの時間をキャビンの片隅で過ごした。既に重さに耐えられなくなってきているガントレットを外して
膝に置き、マントにすっぽりとくるまって何時間も同じ姿勢のまま眠り続ける。

 体調が良くないのでWROに連れて行く、と艇長から聞かされているクルーたちは、彼の眠りを妨げないよう配慮していた。
彼等が気を利かせてそばに運んだ飲み物や軽食は手付かずのまま放置され、ため息と共に下げられる。何杯目かの冷え切った
コーヒーが下げられたのと入れ替わりに、心配したクルーの報告を受けて、シドが寝たきりの客の様子を見にやってきた。


 身体を荒々しく揺さぶられ、ヴィンセントは重い瞼を無理に押し上げた。 目の前に夏空の色の瞳が迫り、険しい表情で何か怒鳴
っている。しかしその声が聞こえない。眉をひそめた彼は緩慢に頭を振り、片方の耳を手で叩いた。

電波状況の悪い携帯電話から流れる音声のように、くぐもった小さな音がようやく聞こえてくる。
「……こえてんのか、ヴィン! 返事ぐらいしやがれ」
「…ああ。何だ?」
「何だじゃねえだろ! メシも食わずに寝こけてやがって。大丈夫なのかよ」
 聞こえない部分は相手の口唇の動きを読むことで補完し、ヴィンセントはうなづいた。いつの間にかクルーが掛けてくれた毛布の
下で、銃に嵌めたマテリアにそっと触れる。起き抜けの身体は一度ケアルガをかけないと、思うようには動かなくなっていた。
視線をそらし、無理と知りつつシドが席を外してくれることを願う。

 しかし腕組みをしたシドはリクライニングされたシートの前に仁王立ちになり、ヴィンセントから目を離さない。

「ヴィン、先にWROで診てもらえ」

シドの言葉にヴィンセントは弾かれたように顔を起こした。その勢いに驚いて、半ばなだめるようにシドが言葉を継ぐ。
「カオスの泉は逃げやしねえよ。調子がよくなってから行きゃいいじゃねえか」
「いや、先に泉で降ろしてくれ」
「ダメだ。そんな状態でひとりにできるわけねえだろ」
断固とした艇長の言葉にヴィンセントの表情が変わる。
「ならば飛び降りるまでだ」
「おう、できるもんならやってみな」
シドはシートに身を横たえたままのヴィンセントにのしかかり、マントの襟をつかんだ。
「起き上がる力もねえくせに何言ってやがる。そこまで突っ張るなら俺を振り払ってみろ」
「………」
ヴィンセントは言葉を失った。押さえ込まれるまでもなく身体は重く自由には動かない。クラウドやティファから話は聞いているだろう
が、シドにそこまで見抜かれていたとは思わなかった。だが、WROに連れて行かれてはルクレツィアに再会できなくなる。
再びカオスの泉を訪れるまで自分の命は持たない。


 予定外の事態に追い詰められ、余裕を失った彼に新たな追い討ちがかかった。聴覚が鈍っているはずの彼の耳に低い歌声が
聞こえ始める。ライフストリームにいざなう星の呼び声に身体は前回よりも簡単に反応した。浮遊感と共に五感が急速に鈍り、意識
が闇に引きずり込まれそうになる。彼はこの場で崩壊しそうな自分に恐怖を覚えた。

「……駄目だ、まだ、もう少し待ってくれ…!」
「ヴィン?!
視線を宙に泳がせて突然叫んだヴィンセントに驚いて、シドは手の力を緩めた。その隙をついてヴィンセントはケアルガを唱え、
シートから飛び降りて銃を仲間の胸に突きつける。

「飛空艇をカオスの泉へ向かわせろ。進路を変えたのはわかっている」
「………」
 シドは驚きを隠せないままヴィンセントを見つめていた。彼が本気で武器を向けていることよりも、その瞳に宿る切迫した光に気圧
されるのを感じる。戦友の表情を見て夕日色の瞳が苦しげに細められた。

「…シド、頼む。もう時間がない」
「何の時間だよ? 何焦ってんだお前」
長い黒髪が左右に振られる。日ごろあまり感情を表さない端整な貌が、苦渋に満ちた表情を浮かべてシドを見つめた。
 こんなはずではなかった。仲間を巻き込むことなく、静かに幕を閉じたかった。それがこのざまだ。負担や心配をかけたくないと
願っていた仲間の一人に武器を向け、死地への移送を強要している自分。幾重にも重ねる仲間への裏切りと不義理への罪悪感に
打ちのめされそうになる。

 だが、そこまでしても彼女に逢いたい。ヴィンセントは口唇をきつくかみしめた。

 彼の追い詰められた表情にシドは肩をすくめ、両手の平を上に向けて軽く持ち上げた。
OK。運んでやるぜ。ただし、俺も泉の入り口までついて行くのが条件だ」
「……すまない」
 艇内専用の携帯電話でブリッジに進路変更を指示するシドの前で、銃を下ろしたヴィンセントはうなだれた。
急激な脱力感に支配されて手近なシートに座り込み、取り落としそうになった銃を何とかホルスターに収める。電話を切ったシドが
その前に歩み寄った。
「お前の用事が済んだら、速攻でWROに連行してやる。事情もあとできっちり聞かせてもらうからな」
 断固とした調子で言い切るシドの声は、もはや彼には聞こえなくなっていた。ヴィンセントはまた一歩仲間たちから遠ざかったこと
を感じ、シドを見上げたまま諦めたような微笑を浮かべた。









 カオスの泉は常と変わらぬ静謐さをたたえていた。
 淡い光を放つ結晶の合間をゆっくりと進み、ヴィンセントはひときわ大きな水晶柱を見上げる。
霞み始めた彼の視界の中に求め続けた人の姿があった。

「ルクレツィア…」
ささやくような声が、彼の口唇から洩れた。
 
 水晶柱の中には白いドレスに包まれた女性が眠っている。片時も忘れたことのないその美しい姿。
ヴィンセントはここを訪れるたびに座り込み、時間を忘れて彼女に語りかけていた場所に、静かに腰を下ろした。
霞む視界に眉をひそめながらも、先に失ったのが視覚ではなく聴覚でよかったと思う。

「…君から貰った時間は、無駄にはしなかった」
過去の回想が再び彼の脳裏をゆっくりと巡り始める。印象に残っている数々の風景。消えては浮かぶ仲間たちの姿。
最後に浮かんだシドの幻影にヴィンセントは頭を垂れ、謝罪と感謝の言葉を呟いた。

 神羅屋敷の地下で目覚めてから今までの波乱万丈なできごと。それらの始まりから終わりまでを彼は見届けてきた。
そして、かつて看過した災厄を自らの手で始末した。もう十分だ、と思う。今まで感じたことのない充足感に満たされて、ヴィンセント
はルクレツィアに微笑みかけた。


 既に聞こえなくなったはずの耳に、心地よい子守唄が聞こえてくる。宝条による改造を受けた直後に望んでも叶えられなかった
星への帰還。それにも意味があったのだと、今ならわかる。

 優しくいざなう星の呼び声に、彼は今度こそ何の抵抗もなく身をゆだねた。甘美な浮遊感が彼をとりまく。
全身を苛んでいた苦しさがゆっくりとうすれ、力の抜けた体は静かに後ろに倒れこんでいった。

「ルクレツィア…私は…先に、星に……還…る……」

 最期に愛する人の姿を目に焼きつけ、彼は幸福そうな微笑を浮かべた。






 何本目かのタバコを地面に落として踏み消し、新しいものに火をつけようとしたシドの視界に、小型飛空艇が飛び込んできた。
「ああ? どこのバカ野郎だ」
 シドは険悪に唸る。WROで最速のその艇は、旅の仲間の間では禁断の地になっている、滝に囲まれた窪地に強引に着陸した。
コクピットが開き、見慣れた小柄な少女が飛び降りる。後部座席からはWRO局長が続いて飛び降りてきた。

「シド艇長! ヴィンセントはどこですか?!
元ツヴィエートの少女は一気にシドの元へ駆け寄り、血相を変えて叫ぶ。
「胸騒ぎがします。セブンスヘブンに連絡を入れたら、あなたと一緒だと聞いて。彼はどこです?」
「彼女にはここの映像が見えたそうです。ルクレツィア博士を封印した水晶柱の前で、彼が倒れている、と」
やっと追いついたリーブが息を切らせながら説明した。シドの口からタバコがぽとりと落ちる。
「彼は……星に還る、と言って…」
シェルクの言葉を最後まで聞かず、シドは祠の中へ飛び込んで行った。




 結晶の放つ青白い光で満ちた内部。その中を三人の足音が慌しく駆け抜けていく。
ひときわ大きい水晶柱の前に倒れている長身の仲間の姿があった。思わず立ちすくんだシドの背後で、シェルクが小さく息を呑む。
「おい、ヴィン…」
掠れた声で名を呼び、シドが片膝をついた。既にぬくもりを失っている身体に手をかけ、恐る恐る揺さぶってみる。
「うそ…だろ? おい、起きろよ!このあとWROへ行くって約束だったろ」
答えは返らない。仲間たちの見慣れた端整な貌は穏やかで、うっすらと微笑んでいた。

「こんな…こんなことが…」
やや遅れてそばへ駆けつけたリーブも声を震わせ、拳を白くなるほどきつく握り締めた。シドと並んで地面に両膝をつく。
「…クラウドさんたちから聞いてはいましたが、これほどとは…。何故、相談してくれなかったんですか…」
 弱々しく呟きながら、震える手がヴィンセントの頬に張り付いた黒髪をそっと直した。指先に触れた頬の冷たさに彼の命の炎が
消えていることを感じ、リーブの喉許に熱い塊がこみ上げてくる。

WROではヴィンセントの受け入れ準備を整えていた。復活したばかりのシャルアが、妹の協力を得てルクレツィアの残したデータ
から考えうる最良の治療方法を模索している最中だったのだ。

だが、ヴィンセントがWROを訪れることはなかった。打つ手のないことを悟っていた彼が切望していたのは、愛する人の許で眠りに
つくこと。ただそれだけだった。


「時間がないって、そういうことだったのかよ! 何もかも独りで抱え込みやがって、何の相談もなしかよ!」
動かない身体を抱き起こして、シドが慟哭する。
「俺は赦さねえぞ、ヴィンセント!今すぐ戻ってきて詫び入れろ!もういっぺんくらい、生き返ったって、いい…だろ…」
力のない大声は、後半から涙声に変る。仲間の長い黒髪をくしゃくしゃにかき乱しながら、シドは恨み言を並べ立てた。
「クラウドとティファに…何て言やぁいいんだよ……お前を待ってるチビたちにも…」
「ユフィにも、ナナキやバレットにも、です…」
膝頭をきつく掴んだリーブも掠れ声で呟く。その手の甲にはぱたり、ぱたりと熱い雫がしたたり落ちていた。
薄暗い祠の中に、仲間を失った男たちの嘆きが広がっていく。



 シェルクは数歩離れたところで呪縛にかかったように動けなかった。
死が日常であったディープグラウンドでは人の死は単なる「消去」であり、そこに感情がからむことはない。ツヴィエートであることを
捨て、普通のヒトとして暮らし始めたシェルクは、命の重さ、人の想いの深さなどをようやく実感できるようになった。

その矢先、彼女にとって特別な存在であったヴィンセント・ヴァレンタインの死は、衝撃が大きすぎた。精神の恐慌を防ぐため身に
染み付いた防衛反応として、感情が遮断される。何も感じない。何も、理解できない。いったい、何が起きたのか。

 目の前の男たちの嘆きだけが、現実のものとして伝わってくる。だが、その対象を認知することは、精神が拒んだ。


 シドの腕の中で、ヴィンセントの身体が淡い翡翠色の光をまとい始めた。光は細かな粒子となって静かな円舞を舞い、彼の身体
は徐々に輪郭をぼやけさせていく。

「ヴィンセント!」
「ダメだ、行くんじゃねえ!」
二人の大声が祠に響いた、その時。

 鋭い音が彼らを制するように響き、水晶柱の一部が割れて崩れ落ちた。中からふわりと舞い降りたのは、これも翡翠色の光を
まとった朧な女性の姿。淡い明滅を繰り返しながら、半透明のその姿は宙にゆらゆらと浮かんでいる。

「………お…?」
 男たちは、目の前に現れた像に目を奪われる。ヴィンセントが長きに渡って慕い続けた女性、ルクレツィア・クレシェント。 
彼女はゆっくりとそばに近寄り、優しく両手を差し伸べた。一息に光の粒子へと姿を変え、彼女の腕の中に飛び込んだヴィンセント
を抱きしめるようにして、自らも静かに光の粒へと崩壊していく。

 男たちの見守る前で、まるで再会を喜び合うかのように光は渦を巻き、ひとしきり乱舞を繰り返す。
ひとつにまざりあった翡翠色の光の粒は、やがてうすれ、空に吸い込まれるように姿を消した。




 なかば呆然として眺めていた二人は、ようやく我に返ったようにお互いの顔に視線を戻した。シドが盛大に鼻をすすり、無理に笑顔
を見せる。

「行っちまったな。……野郎、ダチより女が優先かよ。はっきりしてやがるぜ」
「ええ。でも、きっと彼は幸せだと思います」
手の甲で涙を拭い、リーブも泣き笑いの表情を浮かべた。
 仲間との別れは辛く、そう簡単に受け入れられるものではない。
だが、ヴィンセントが彼の望んだ優しい腕に抱き取られたことは、彼らの悲嘆をやや軽いものにしていた。ルクレツィアに連れて行か
れたのなら、仕方がない。わざとそう下世話な表現をして、シドは笑ってみせる。



「大丈夫…。命は、循環しています。いつか、きっとまた彼と会えます」
抑揚のない呟きに男たちは振り返った。蒼白な顔をした元ツヴィエートの少女が彼らを見返した。
「彼女が…そう言っていました。生きとし生けるものは、全てライフストリームに還る。だから、別れを嘆くことはない、と」
最期にシェルクと同調したルクレツィアが残したメッセージ。それは研究者としての言葉なのか、ヴィンセントの仲間たちへのいたわ
りなのか。


「でも…」

魔晄に染められたシェルクの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「まだ、別れたくはありませんでした。彼と、もっと話したいことがありました」
淡々とした口調と裏腹に、堰を切ったように、涙が次々と彼女の頬を伝わっていく。
「これが、悲しいという感情なんでしょうか、ヴィンセント・ヴァレンタイン…」
よりによって、あなたの死からこの感情を思い出させられたくはなかったと、シェルクは嘆く。年相応の少女のようにしゃくりあげる
元ツヴィエートの頭を、飛空艇乗りの無骨な手が撫でた。タバコの匂いの染み付いた上着に顔を埋めて、シェルクは初めて感じる
別離の悲しみに身を任せる。
涙はいくら泣いても尽きることを知らないかのように、次々とあふれ続けた。

「…嬢ちゃんよ、気の済むまで泣いてやれ。涙は逝っちまったヤツへの手向けだからよ」
自分も鼻をすすりながら、シドはルクレツィアが自らを封印していた水晶柱を見上げた。

 これで、ジェノバに関わった人々が全て星に還った。ひとつの時代が、確かに終わりを告げたのだ。表舞台に立つ人間が行き過ぎ
時代が移り変わっても、星は何らかわることなく営みを続ける。


「へっ、それでも、俺たちは星を救った恩人だぜ。ライフストリームに戻った時は、VIP待遇に決まってらぁ」
「…そうですね。きっと、ヴィンセントが私たちの席も確保してくれているでしょう」
気持ちを奮い立たせるように大声を出すシドに、リーブも調子を合わせた。それでも泣き止まないシェルクに二人は顔を見合わせて
苦笑する。少女の嗚咽は、静かな追悼の歌となって祠を満たしていた。






 星は、「星を救った英雄」である彼の魂を、きっと優しく抱きとめてくれただろう。








                                                            2006/11/28                                                                               
                                                                      syun










DCのラストでヴィンセントが「わたしはまだ生きている」と言った、この「まだ」にひっかかりを覚えて書いたものです。
崩壊を留める要のカオスを失ったら、ヴィンセントは生き続けられないんじゃないかと思いまして。彼女に貰った命だけど、今となってはいつまで
持つのかはわからない。だから「まだ生きている」ということかな、というひとつの解釈です。この「まだ」が「彼女が命を救おうとして奮闘してくれた時
から長い時間がたったけれど、まだ生きている」ともとれるのですけれどね。
DC
発売前は、もしやヴィンセントの死でゲームが終わったりして(□エニさんがやるはずありませんが)と覚悟もしていましたので。無印FF7の時
よりも仲間との絆も深まっていますし、彼は自分の死そのものよりも置いていく人々の方を気にかけてしまうのではないかと思います。その反面、
「最期にひと目ルクレツィアに会いたい」ということにはものすごい執着を見せるだろう、と。ついつい感情移入してしまうテーマなので、感情過多に
なり過ぎないように注意しましたが、やっぱり過多かなあ。
ほのぼの系という評価をいただいている当サイトですが、たまには泣いていただけるような話も書きたいと頑張ってみました。書いている本人が
一番切なくなってたりして。ああ、手前ミソ。






Novels.