年の初めの…






 冷たく済んだ空気が満ちて、空はどこまでも青く高い。雲ひとつない晴天の空に、不思議な紋様を描いた紙を細い竹枠に
貼り付けたものが、ぽかりぽかりと浮かんでいる。

 地上から繋がる細い紐にコントロールされてはいるが、空に浮かんだそれは、ずいぶんのどかに、自由に見えた。


「凧っていうんですって」
 のんびりと空中をただようウータイの風物詩を、飽かずに眺めていたヴィンセントのそばに、ルクレツィアが腰を下ろした。
彼女を振り返ったヴィンセントの瞳が見開かれる。

 様々な色の糸が織り込まれた真珠色の着物に、彼女の瞳と合わせた茶系の帯。豊かな髪はきれいに結い上げられて、
古風なかんざしで留められている。
ハレの日に身につけるウータイの民族衣装を着付けてもらったルクレツィアは、くすぐったそうな表情を浮かべていた。

「どう、かな?」
「きれいだ。よく似合っている」
彼女に対しては賞賛の言葉を惜しまないヴィンセントに、ルクレツィアは嬉しそうに微笑んだ。



 これが自分の罪滅ぼしと、ずっと研究室に篭って仕事を続けるルクレツィアを見かねて、リーブが休暇命令を出したのが3日
ほど前のこと。休み中も自分の部屋でパソコンに向かっている彼女を見て、ヴィンセントが無理に旅行に連れ出したのだった。
もっともどこも宿が取れず、リーブがユフィにこっそり手を回して、彼女の実家に招待という形になっている。

 武道の国として再生しつつあるが、観光収入も見逃さないウータイ。この国の年末年始の行事は独特で、観光客にも人気が
高かった。
 暮れには様々なジャンルのアーティストたちによるコンサートが、あちこちでにぎやかに催される。その終了時間は厳密に決め
られており、夜中の0時には人間の煩悩を叩き出すという伝統の鐘が、厳かに鳴り響くのだ。

 鐘の音を聞きながらダチャオ像に初詣をする人々は、民族衣装に身を包み、手に小さなろうそくを持って静かに山道を登って
いく。人々の祈りに照らされて、闇の中に浮かび上がるダチャオ像に見守られながら、ウータイは新年を迎える。



「静かね…」
「ああ」
 出された甘酒をすすりながら、二人は暖かい陽の当たる縁側で仲のよい猫のようによりそって、のんびりと過ごしていた。
夕べはゴドーに招待されたコンサートを楽しんだ後、ユフィや五強聖とともにダチャオ像へ参拝。そして明け方まで続く大宴会に
引っ張りだされたのだった。

 昼前に起き出したのは早めに席を辞した二人だけで、ゴドーやユフィはまだ新春の夢をむさぼっている。客を放ったままにして
いる主人たちに恐縮して、キサラギ家の女中頭が民族衣装を着てみないかと持ちかけてくれたのだ。
喜んで応じたのはルクレツィアだけで、ヴィンセントは黒いシャツにブルーグレーのセーターといったいつもの服装である。

「寒くないか?」
「ううん、この服けっこう暖かいの。手だけちょっとね」
言いながらルクレツィアは、少し冷たくなった手をヴィンセントの手の中に滑り込ませる。いつもは銃を握る大きな手が、そっと
彼女の手を握りしめた。温かいその感触に、彼女は小さな安堵のため息を漏らす。



「おっはよー! あけましておめでとさん!」
 静寂を破って、ユフィが縁側に現れた。昨夜は次期領主として美しい民族衣装に身を包み、厳かにダチャオ像参りをした彼女
だったが、宴会の席ではいつもの軽装に戻って散々羽目をはずしていた。

「今メシ用意してるからちょっと待ってて。正月料理だからそんなに時間かからないと思うけど」
「大丈夫よ。夕べ…というより夜中過ぎまであんなに食べてたもの」
正直、あまり空腹ではないと二人は応える。その答えを見透かしたように、ユフィは柄の付いた板を2枚取り出してニッと笑った。
「だろうと思って。羽根つき、しない?」
 聞けば、これもウータイに伝わる正月特有の遊びで、木製のラケットで羽根のついた鉛球を打ち合うのだそうだ。
地面に落としたほうが負けで、ペナルティとして顔に墨を塗られることになっている。


「墨を塗られるのはいやだなぁ」
ユフィの説明を興味深げに聞いていたルクレツィアが、最後のくだりで眉をひそめる。ウータイの次期領主は笑いながら手を
振った。

「ルクレツィアさんはいいよ。初心者だもん」
「私も初心者だ」
「アンタは別!なに図々しいこと言ってんの」
ヴィンセントの申告を足蹴にして、ユフィはぽんと縁側から広い中庭に飛び降りた。女中にルクレツィア用の草履を持ってこさせ、
おぼつかない足取りで庭に出た彼女に羽子板を持たせる。

「もともとは、着物を着てもやれる優雅な遊びだから、大丈夫」
「そ、そう?」
「羽子板は絵の付いてない方を使ってね。いくよ?」

 かちん    

ユフィのついた羽根が、ふわりと柔らかな放物線を描く。

 こちん

恐る恐る打ち返したルクレツィアの羽根は、よろよろしながらも相手の手元に何とか届いた。

 かちん

ユフィがまた、相手の打ちやすいところに羽根を打ち返す。着物の袂を押さえながら懸命に羽根を打ち返すルクレツィアの姿を、
ヴィンセントは目を細めて眺めていた。




「楽しかった〜。でも、もうダメ。草履で足が痛くなっちゃって」
息を弾ませながら第一陣の選手が縁側に戻ってくる。
「初めてにしちゃ、上手な方だよ」
「ユフィが打ちやすいところに返してくれたからよ。ありがとう」
キサラギ家の女中がいいタイミングで用意してくれたおしぼりで汗を拭い、お茶を口にしてルクレツィアは微笑む。
手にしていた羽子板は、有無を言わさずヴィンセントの手に押し付けられた。

「はい。頑張ってきて」
バトンならぬ羽子板を託された男は、小さなため息をついて立ち上がった。


「手加減はしないからね」
「初心者のハンディはなし、か」
「まだそんな寝言言ってんの」
ニヤリと笑ったユフィは、手にした羽根を空中高く投げ上げると、羽子板を思い切り振り下ろした。

 カン

弾丸のように目の前に迫る羽根を、ヴィンセントは左手に持った羽子板で横になぎ払う。右手に銃を持ち、左手に装着したガント
レットで攻撃や防御をしていた彼にとって、羽子板は左に持ったほうが扱いやすい。

「やるな」
 ユフィの唇に不敵な笑みが浮かぶ。低めを狙って飛んできた羽根をすくい上げるように打ち返すと、空中高く上がったそれを、
敵は軽々とジャンプして打ち返してきた。


カン、カン、カン、カン、カン


どちらも一歩も引かないラリーが続く。
単なる正月の娯楽であったはずが、次第に闘いの様相を呈していく。顔面をめがけて飛んできた羽根を打ち返したヴィンセントの
口端が、わずかに吊り上った。

「…なるほど、そのつもりか」
 戦士の性なのか、相手の手の届かないところを狙うのではなく、一撃で倒せる急所を狙って羽根つきの鉛球が飛ぶ。ウータイ
一の忍と星を救った地獄の魔犬。意地っ張りと負けず嫌いは五分五分だ。

鉛球についていた羽根が空気の摩擦で熱を持ち、空中で燃え上がった。それにもかまわず、炎を上げる羽根を使い続ける二人。

カン、カン、カン、カン、カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン

明らかにペースが上がった羽子板の音が、中庭に響く。



「…ほんと、意外と大人気ないのよね」
ぬるくなったお茶をすすって一息ついたルクレツィアが苦笑を浮かべる。
「ルクレツィアさん。お餅いかがですか?」
女中が小さな盆に、きなこの衣を着けた餅と、新しいお茶を運んできた。
「あら、おいしそう」
「ああなっては、当分終わらないでしょうから。他の方はお先にお食事なさっています」

二人の視線の先では、壮絶な意地の張り合いが続いていた。空気抵抗を生む羽根が燃え尽きてしまった分、鉛球の速度は増し、
ラリーに激しさを加えている。


カンカンカンカンカンカンカッカッカッカッカッカッカッカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカ

「このお餅、おいしい!」
「よかったです。お醤油つけて海苔で巻いたのも、お持ちしましょうか?」
「ええ、お願い」
甘いきなこのついた餅を味わうルクレツィアの前では、まだまだ勝負が続いている。
二人の振るう羽子板と鉛球は、もはや常人の目には見えない。鋭い音だけが、鉛球の存在を証明していた。


「やあっ!」

気合を込めてユフィが放った一打に、ヴィンセントの羽子板が砕け散った。残った柄を地面に投げ捨て、珍しく悔しそうな表情を
浮かべる彼に、ユフィが満面の笑みを浮かべて近寄る。

「約束だからね。はい、顔出して」
「…しかたがない」

目を瞑って背をかがめたヴィンセントの頬に、ユフィは嬉々として大きな×印を書いた。
「きゃはははは!色男台無し〜」
「ヴィンセント、負けちゃったの?」
眉をひそめたルクレツィアも、墨を塗られた彼の顔に思わず吹き出してしまう。
「もう一回勝負しよう! もう一方のほっぺにもバッテン書いてやる」
「ちょっと待て」
ヴィンセントはユフィの持っている羽子板を取り上げた。しまったという顔をする彼女を横目で睨み、板の間に鉄板の入った羽子板
を軽く指ではじく。

「勝負するのはかまわんが、羽子板のスペックは揃えてもらおうか」
「じゃあ、アンタも魔獣外しなよ。アタシも鉄板外すから」
「カオスはとっくに星に還った」
「まだガリアンがいるじゃん!」
「あれは取り外し不可能だ」
「だったら羽子板のハンディくらいいいじゃん」
「初心者のハンディはどうなる」
「まだそれを言うか、このジジィ!」



「どうしてユフィ相手だと、同レベルで喧嘩しちゃうのかしらね…」
 押し問答の末、同じ鉄板入り羽子板を、ヴィンセントは右手に持つ事で合意したらしい。再び壮絶なラリーを始めた二人を眺め
ながら、ルクレツィアは届けられたお雑煮と漬物を堪能していた。





 その日、リーブに届いたメールには、頬に×印をつけたヴィンセントと片目の周りに○を書かれたユフィが、憮然としている写真
が添付されていたそうである。






                                                            2007/1/2
                                                                              syun






新春からくだらなくてすみません(笑) 初笑いということでご勘弁ください。この話はCMからヒントを得ました。前半のイメージは「伊右衛門はん…」
です。後半は随分昔の温泉卓球を本気でやるというあの名CM(笑) 多分この後、お年賀に訪れた旅の仲間たちで壮絶な羽根つきトーナメント
が行なわれたと思われます。優勝はティファあたりじゃないかと思うのですが、どうでしょうね?彼女以外のメンバーは、みんな○やら×やらを顔に
書かれてたら面白いです。あ、バレットやシドは怒筋が似合うかも!



Novels.