痴話喧嘩
局長室からラボに戻ってきたヴィンセントは、室内に足を踏み入れたところで動きを止めた。
彼の敏い耳に聞こえてきたのは小さな子供に囁きかけるような優しい声。
声の主を驚かせないように静かに奥に入ると、窓際に置かれたソファの上でルクレツィアが膝に抱いた乳児に小さな声で
子守唄を歌っている。
柔らかな銀髪の子供が誰であるかなど自明のことだ。
ライフストリームを遊弋する思念体であるセフィロスは、時折気まぐれにルクレツィアの元へ出現する。
ジェノバの能力を使い相手の望む姿に自在に変貌できる彼にとって、赤ん坊の姿になるなど造作もない。
一度も自分の手でわが子を抱いていないルクレツィアの望みに応えて変身してみせたのだろう。
静かな子守唄は少しずつ途切れがちになり、やがて小さな嗚咽とともに繰り返される謝罪の言葉に変わった。
赤ん坊の頃抱いて上げられなかった、傍にいられなかった、そして何よりも恐ろしい目に合わせてしまったと、涙声で謝り
続ける。
星の未来を拓く古代種の復活を願ったなどということは、言い訳にもならない。
いくら言葉を飾っても、無力な胎児を人体実験の被検体にしたという事実は変わらない。
過去から立ち直り前に進むことを決意していても、目の前に自分の犠牲となった赤ん坊が現れれば気持ちは一気に萎えて
しまう。
だがこれは、セフィロスが思念体として時折姿を現すようになったことを契機に、きちんと自分の罪と向かいあわなくてはと
ルクレツィアが自ら望んだことだった。
その空間は他人が足を踏み入れることの許されない雰囲気を持っていた。
ヴィンセントは声をかけることを諦め、そっと踵を返す。
どれほど辛かろうと苦しかろうと、当事者が一人で乗り越えなくてはならないことがある。
彼にできることは待つことのみ。
苦い自嘲の笑みがヴィンセントの唇を歪ませる。
「また、見ているだけ、か」
苦しんでいるルクレツィアに手を差し伸べることもできず、ただ傍にいることしか出来ない歯がゆさ。
そして、気まぐれに現れては彼女の関心を瞬く間に独占してしまうセフィロスに対する、穏やかならぬ感情。
認めたくはなくても、意識はルクレツィアに拒絶されていた30年以上昔の時期に簡単に引き戻されてしまう。
主の愛を失った捨て犬のような惨めな気持ちはもう二度と思い出したくない。
ヴィンセントは軽く頭を振ると不愉快な考えを追い払い、整備が途中だったショットガンに手を伸ばした。
「精が出るな」
足音がなくても、その独特の気配でセフィロスが傍に来たことはすぐに分かる。
ヴィンセントは一瞥を投げたきり、テーブル一面に広げたショットガンのパーツを組み立てる作業に没頭した。
「母さんが茶を所望だ」
「お前がやれ」
まるで給仕に命じるような口調のセフィロスに負けず、ヴィンセントも冷淡に言い返す。
実際、細かいパーツの組み立ては一気にしてしまいたかったし、両手はオイルで汚れている。
「母さんを慰めることも出来ない上に、茶のひとつも淹れられんのか」
「今の彼女が必要としているのは、お前だ」
彼女が幸せならば、笑顔でいられるならば、自分は多少の我慢を強いられてもかまわない。
なるべく平坦な口調で言ったつもりだったが、ヴィンセントの言葉はセフィロスの口端を上げさせた。
「や・き・も・ち、だな」
「黙れ」
早すぎる反応は返って相手の言葉を肯定することになったが、今更どうしようもない。
隙あらば彼を退屈しのぎの相手にしようとする傲慢な半神の視線を横顔で撥ね返して、ヴィンセントは頑なに作業を続ける。
そんな彼の気持ちを逆撫でするようにセフィロスは堂々と真正面に陣取った。
「相変わらず情けない。そんなことで母さんが護れるのか」
「お前に言われる筋合いはない」
「大有りだ」
うっかり言い返してしまい、しまったと思った時には遅かった。
「お前があのふざけた実験を中止させていれば、全ての悲劇は起こらなかった」
セフィロスの言葉が鋭い刃となってヴィンセントの心にぐさりと突き刺さった。
それが出来る立場にいながら看過したのは許されざる怠慢であるし、彼女が幸せならなどとほざくのは大いなる欺瞞だと、
セフィロスはいかにも楽しげに相手を糾弾する。
自らの誕生のために組まれたジェノバプロジェクトをさして「ふざけた実験」と言うのは、通常の人間の感覚を超越している。
客観的な視点に立ちおそろしく吹っ切れた意見を言っているのか、それとも義父をイビるために効果的となれば、わが身の
悲劇すらも平然とネタに使うのか。
セフィロスの場合、並外れた度量の大きさと堂に入ったタチの悪さが相まって、どちらとも取れる。
いずれにしろ、とてつもなく扱いにくい。
だが、ヴィンセントも無駄にこの数十年を過ごしてきたわけではなかった。
「原因の一端が私にあるとしても、悲劇を星の危機レベルにまで拡大したのはお前の罪だ」
呼吸を整え、なるべく平静を装って抵抗を試みる。
飲みかけのコーヒーカップや整備途中の銃のパーツが拡がったテーブルを挟んで、「英雄」と呼ばれたことのある二人が
不毛な舌戦を繰り広げていた。
「ならば聞くが」
セフィロスが皮肉な笑みを浮かべながら二の矢を放つ。
「もしも母さんの胎内にいたのがお前の子供だとしたらどうしていた?」
この質問はメテオと同等クラスの破壊力を持っていた。ヴィンセントは思わず絶句し、相手の失笑を買う。
「ほらみろ。所詮お前は口先だけで、自分の大切なものも護りきれない腰抜けということだ」
言いたい放題の相手に堪忍袋の緒が切れそうになったが、その言葉に含まれたわずかなニュアンスがヴィンセントに違和
感を与えた。
それではまるで、護ってもらいたかったとでも言っているかのようだ。
「…今日は妙にからむな。そんなにかまってもらいたいのか」
余裕を取り戻したヴィンセントは平坦な口調で相手の斬撃から身をかわす。
機械的に銃を組み立てながら言うその姿は、駄々をこねる子供を諭す年長者の風情すら醸し出していた。
仕上げに専用の布で銃身を磨きながらヴィンセントはふと思い出したように付け加える。
「そう言えば、赤ん坊の姿をしたお前を見て思い出したことがある」
腕を組み相手の出方を面白そうに眺めていたセフィロスの瞳がわずかに眇められた。
セフィロスが生を受けてしばらくの後、ニブルヘイムに悪性の風邪が流行した。村人だけでなく神羅屋敷もその猛威の前に
屈し、研究に携わっていた殆どの職員が相次いで寝込んでしまった。
毒や生物兵器に耐性を持つヴィンセントだけが唯一感染を免れたため、数日間セフィロスの世話をせざるを得なくなった。
「期間としては短かったが、4時間おきの授乳とオムツの交換はそれなりに大変だった」
お前はミルクを飲んだ後すぐに吐くので1時間以上背中を叩いてゲップさせなければならないし、ベッドに寝かせると怒って
泣くしで、ずっと抱いたまま過ごして苦労した、おまけに下痢でオムツかぶれが出来て困った、というヴィンセントの話は、
シスターレイと同等以上の殺傷力を持っていた。
「だが安心しろ。この話はクラウドたちにはしていない」
ダメ押しの一言は、場合によってはこの致命的な話を遠慮なく公開するという脅迫。
黙って聞いていたセフィロスはうすい笑みを浮かべたまま獰猛な殺気を発散し始める。
「どうやら、お前とは一度徹底的に話し合う必要がありそうだな」
優しげな声とうらはらに伸ばされた手は相手の襟首をむずとつかみ上げる。
その胸元にヴィンセントは整備したばかりの銃口を突きつけた。
「上等だ。試し撃ちの的としては少々大きすぎるが我慢してやろう」
にっこりと微笑を交わして見詰め合う二人の背後には、ジェノバの遺伝思念を宿した黒いライフストリームと、カオスの闇が
おどろおどろしくマーブル模様を描き始める。
今まではお茶の間の口ゲンカで済んでいたが、片方が手を出したら最後WRO本部は壊滅の被害に遭うだろう。
一触即発の事態を破ったのは、扉をノックする音だった。
「ずっとお茶がくるのを待っているのに、どうして二人とも呑気にケンカしているのかしら?」
開いた扉に肩を寄りかからせながら手の甲で扉を叩いたルクレツィアが、呆れたように二人を睨んでいる。
瞬時に殺気を消したセフィロスが大げさに肩をすくめてみせた。
「母さんに茶を淹れてくれと頼んだら、コイツはお前がやれと言って銃を突きつけてきたんだ」
「勝手に話を端折るな」
大幅に途中省略された上都合よく編集された言い分に、ヴィンセントは唸る。
「全て事実だ」
「わずかな事実をつなげた捏造だろうが」
再び始まった口論に今度はルクレツィアが肩をすくめた。
お茶は自分で淹れた方が早そうだ。
彼女は二人を放ったまま簡易キッチンでお湯を沸かし始めた。
今までの経緯からして仕方ないのだがこの二人は寄ると触るとすぐに喧嘩を始める。
男の子は強い父親を倒して男としてのアイデンティティを獲得するというが、セフィロスに「強い父親」など存在しなかった。
ヴィンセントにちょっかいを出すのは、揶揄半分で父親役割を要求しているのかもしれない。
もっとも、この場合の「父親役割」とは、退屈しのぎに殴られるサンドバッグと同義語であるのだが。
ルクレツィアは涙のなごりで赤くなった鼻をハンカチで押さえながら、テーブルを挟んだ攻防線を眺めた。
つい先刻まで身を捩るほど辛い思いをしていた人の気も知らずに、この男どもと来たら。
しかも、口論の中身はお話にならないほど低レベルだ。
人外の力を持つ彼等がヒートアップしすぎるようなら、適当なところで一喝してやめさせなければならない。
「まったく、手のかかる人たち」
ハーブティの缶を開けながら、彼女は苦笑とともに呟いた。
syun
初出 2010/9/25
加筆修正 2011/2/12
これもしばらく前に挙げた拍手お礼SSです。当サイトのセフィロスは星に帰らずライフストリームの中で漂って、退屈になると
地上に嫌がらせに出てくるという困ったお人です。ルクレツィアのところに来るのは、過去に奪われた当然の権利を行使する
ためですが、ヴィンセントにちょっかいを出すのは100%嫌がらせですね(笑)ジェノバの遺伝思念を持ったライフストリームを
カオスがせっせと食べてしまうので、ヴィンさんに意趣返ししている、という設定を捏造しています(笑)