父と子






 照明を夜間用にやや落とした廊下に、せわしない靴音が響いていた。
足音の主は底の厚い頑丈なブーツでどすどすと床を踏みつけながら、檻に捕えられたモンスターのように何度も往復を繰り返して
いる。


「畜生、遅えな。いつまで待ちゃいいんだよ…!」

夏空の色の瞳をした男はタバコをくわえ、火をつけようとして思いとどまった。このエリアでわずかでも煙が上がれば警備員が
すっ飛んでくる。
火のついていないタバコを唇の動きだけで上下にぱたぱたと振りながら、彼は扉の張り紙を睨みつけた。

『シド・ハイウインド入室禁止』
コンピュータの印字用紙に極太のマジックで書かれたそれは、シャルアの手によるものだ。
「このオレを邪魔者扱いしやがって…」
毒づいたシドは張り紙がしてある扉の上の「分娩室」という表示を、今度は心持ち不安げな瞳で見上げた。




 シエラの赤ん坊は双子だった。高齢の初産ということもあり、ロケット村での出産は危険と判断して、リーブはWROに来るように
手配した。
夫の立会い出産は普通のことだが、シエラの夫は普通ではない。病室で陣痛をこらえる彼女を声を限りに熱く励ましたシドは、
うるさいと周囲から顰蹙を買った。シエラ当人にも、気が散るので終わるまで外で待っていてくださいとやんわり言われ、たまたま
見舞いに来たシャルアにつまみだされたというわけだった。

「…ったく、アイツはトロいからな。子供産む時までちんたらしてやがる」
 
ちゃっちゃと済ましちまえばいいのにとぶつくさいうシドの耳に、近づいてくる足音が聞こえてきた。
巡回の警備兵のものとは違う、歩幅の大きな、ゆったりとした足音。


「火はついちゃいねえぜ」

扉を見上げたまま、シドは相手の機先を制するように言葉を投げつける。相手が苦笑する気配が伝わってきた。
「まだ何も言っていない」
「文句つけるつもりだっただろうが」
シドはタバコを口からむしりとり、深夜の訪問者を振り返った。長身に長い黒髪。印象的な夕日色の瞳が彼を迎える。
他の者ならたじろぐようなシドの眼光にも臆することなく、その相手はしれっと言い放った。
「そのつもりはない。だが、あんたがタバコを吸える機会は今後減る一方だろうな」
「…イヤミな野郎だぜ」
唸るように言ったシドに、ヴィンセントはわずかな笑みを浮かべる。
「今のうちに吸い溜めでもしておいたらどうだ」
「おめぇ、そんなことを言いにこの夜中に出てきたのかよ」
「ああ」
非常勤のくせに、WRO幹部用エリアに住居を与えられている男はあっさりと答えた。
「あんたが廊下を歩き回ってうるさいから、なんとかしろと連絡が来た」
「シャルアだな?」
「依頼主の秘密は守る主義だ」
「…いつからタークスに戻りやがった」
軽口を叩きあいながらもドアの方を気にするシドに、ヴィンセントはポケットベルを放る。
「まだしばらくかかるそうだ。連絡はそれで来る」
 
シドの気性では、シエラのそばにいて何もできないのはいたたまれないだろう。さりとて、廊下で待たせておけば暇を持て余して
うるさいことこの上ない。彼の出番がくるまでシエラから引き離し、適当なシッターをつけておくこと。
それが、シエラ本人を含めた仲間たちの計らいだった。


「用意周到だな」
受け取ったポケベルを一瞥してからジャケットのポケットにねじ込み、シドは唸る。
「相手がおめぇじゃ仕方ねえ。拉致されてやるよ」
妙に恩着せがましく言いながら、夜中の騒音の主は元タークスと共にその場を後にしたのだった。




 時計は、夜中の2時を回っていた。
WRO
エントランスに近い喫煙コーナーには人影もなく、遠く入り口付近に立っている警備兵を除けば無人に近い。

 ガコン、と音を立てて自動販売機の缶コーヒーが落ちてきた。ひとつをヴィンセントに放り、もうひとつのリップルを引き開けながら
シドはソファに腰を下ろす。

「待つのは性に合わねえからよ。かったるくっていけねえや」     
 
眠気覚ましにブラックの缶コーヒーをあおるシドの斜め前のソファに、ヴィンセントも腰を下ろした。
罪のない缶コーヒーにまで、味が薄いの苦味が足りないのと文句をつける相手に、穏やかな眼差しを向ける。

荒削りな表現ながら、この情の厚い男がシエラを心底心配しているのはよくわかる。彼女を派手にこき下ろすのは愛情の裏返し。
乱暴な物言いは、赤ん坊の出産を待つ父親という慣れない立場に照れているからだろう。

 
相手の胸中をそう斟酌したヴィンセントは、いつもにも増して饒舌なシドの話に黙って耳を傾け続けた。



「親父になるってのは、奇妙なもんだよな。まだ実感はねえんだけどよ」

 
ひとしきり悪態をついて落ち着いたのか、シドはやや話のペースを落とした。
ヴィンセントは手に持ったままだった缶コーヒーのリップルをようやく引き開け、室温に温められて冷たさの半減した中身を喉に
流し込む。

「オレんちは代々飛空艇乗りだからな。親父もそのまた親父も空の男だったぜ」
だからハイウインドを名乗るからには、男はみんな飛空艇乗りに育てる、とシドは意気込んだ。
「オレが受け継いでガキどもに伝えてやるのは、空への憧れ、だろうな」
何本目かのタバコに火をつけ、天井に向けて煙を吐き出しながら空の男は相手を見やる。
「おめぇはどうだ?」
「………私に聞くのか」
顔に落ちかかる髪をかき上げながら、ヴィンセントは冷淡に答えた。彼には自分の遺伝情報を他に伝えるつもりは全くない。
 だが、シドはタバコを指先にはさんだまま軽く手を振る。
「そうじゃねえよ。おめぇも親から受け継いだモンがあるだろ?」
「………」
飛空艇乗りの言葉に、元タークスは首をひねって考え込んでしまう。
「おいおい、そんなに悩むほどのことか?」
「親父とは一緒にいた期間が短かったからな」
 
あまり自分のことを話さないヴィンセントの口から出た「親父」という言葉は、シドにはひどく新鮮に聞こえた。
シェルクから断片的に彼の父について聞いたことはあるが、本人の口から聞くのは初めてだ。

「科学者、だったんだろ?」
「ああ。一年中フィールドワークをしている変わり者だったが」
興味をそそられたシドに促されるままに、ヴィンセントは珍しく過去についてぽつりぽつりと話し出した。




 グリモア・ヴァレンタイン。命の淀みに関する研究の第一人者として名高いフリーの科学者は、子煩悩な一面を持っていた。
早くに妻を亡くし、息子を男手一つで育てたという。

 就学年齢に達したヴィンセントは寄宿制の学校に入ったが、期末休みの時期は迎えに来たグリモアと共に旅をしていた。
研究を中断するわけにいかず、また息子とも一緒に過ごしたいグリモア博士は、辺境の地の調査にも幼いヴィンセントを連れ歩い
ていた。古代種の遺跡を訪ね、コスモキャニオンで長老たちと語らい、ライフストリームの調査をするためにミディールの奥地まで
踏み込んだこともあった。


「…大胆な親父さんだな」

「他に選択肢がなかったのだろう。だが、楽しかったな。銃の扱いも親父から教わった」

 
モンスターが跋扈するような土地では、武器が使えなければ生きていけない。銃の腕前は自分の安全と食料確保の成果に直結
する。
太刀打ちできる相手かどうか、無駄弾を使わないためのウィークポイントの見極めや、退き際はいつかといった駆け引きを子供の
頃からヴィンセントは身につけていた。タークスオブタークスの能力は、幼少時のサバイバル体験を通して培われたものらしい。

 それでも、彼にとっては父親と過ごした数少ない貴重な時間だった。学校の座学よりもむしろ休暇時の旅から彼は多くを学んだ。
寝袋にくるまりながらグリモアと見上げた満天の星空や、焚き火を挟んで聞き入った父の話などが、今でも懐かしい記憶として
残っている。


「親父さんは、おめぇにあとを継がせたかったんじゃねえのか?」

「そうかもな」

 だが、間が悪かったとヴィンセントは続ける。
グリモアからは自分の母校であるミッドガルの大学へ進むように言われていた。特に自分のやりたいことがあったわけでもないヴィ
ンセントは素直にそれに従うつもりだった。

 しかし、飛び級をして予定より2年ほど早く卒業が決まった頃、長期の調査旅行に出ていたグリモアと連絡がつかなかったのだ。
奨学金では生活費は賄えず、彼は迷った結果、勧誘に来たタークス養成所に入ることに決めたのだった。

 優秀な人材を求めていた神羅は、これと見込んだ人間をスカウトして自社の養成所に入れていた。全寮制で、わずかながら
給料まで出る。
当時のヴィンセントにしてみれば、さしあたっての生活を保障する何かが必要だった。


「おめぇ、意外に苦労してきたんだな…」

同情半分、呆れた思い半分で、シドが呟く。
「だけどよ、そんなことで自分の将来を決めちまってよかったのかよ」
「金がなかったのだから仕方あるまい。それに神羅はそのころから大企業だった」

 
就職先としては誰もが第一希望としてその名をあげていた神羅製作所。そのエリートたる「総務部調査課勤務」が約束されて
いるのだ。悪い話であるはずがなかった。当時としては。

 彼がタークス養成所に入ってひと月後に訪ねてきたグリモアは、内心の失望を息子に伝えるようなことはしなかった。
ヴィンセントの選択を尊重すると言い、むしろ大切な時期に不在にしたことを詫びた。

「その後はお互い忙しくなったからな。手紙のやりとりをたまにするくらいで、殆ど会うこともなかった」
 養成所を主席で出た彼は、すぐにタークスの任務についた。最前線での激務は彼の能力を十二分に引き出し、歴代タークスで
トップである戦闘データは未だに誰にも更新されていない。「タークスオブタークス」の名は彼のあずかり知らぬところで広まり、
DGソルジャー育成のプログラムにすら使われたことがある。



 
やがて、タークスのエースとして多忙を極める彼の所に、総務部庶務課から連絡がきた。
資金援助をしていたフリーの研究者、グリモア・ヴァレンタインが研究中の事故により死亡した、と。遺体は既に星に還っており、
遺品の銃だけが彼の手元に残った。

グリモア・ヴァレンタインは星の真実を探求することに重きを置き、特定の企業への貢献を潔しとしなかった。
神羅の勧誘にも応じず、フリーの立場を通したのもそのためである。温和な人柄とともに頑固な面を持つ父の死は、自由な生の
帰結であり、本人の選択の積み重ねの結果だとヴィンセントは考えていた。

「仕事の危険性はわかっていた。親父は自分の研究に殉じたのだと思っている」
だから、父親の死はルクレツィアのせいではない、と抑制の効いた声が淡々と語る。

 
しかしシドは物分りのよすぎる彼の言葉に、どこか無理を感じて眉間にしわを寄せた。強すぎる彼の自制心と理性は、父親の
死んだ時に涙を流すことも赦さなかったのだろう。


「シェルクから聞いたんだけどよ」
短くなったタバコをもみ消しながら、シドは言った。
「おめぇの親父さんが今際の際に、姉さんに伝言頼んだそうだぜ」
聞いてるか?と問う彼に黒髪の頭が否定を示す。
「おめぇに、『すまない』と伝えてくれってことだったらしい」
 
ヴィンセントは夕日色の瞳を軽く見開き、数回まばたいた。その唇がわずかに震えたように見えたのは、シドの思い過ごしだろう
か。両肘を膝に乗せて顔を伏せた彼の表情は長い黒髪が覆い隠し、読み取ることができない。

 父親が最期に息子に詫びるとしたら、何に対してだろう。彼に苦労をさせたことか。不在がちだったことか。研究にかまけて彼の
進路を歪めたことか。
それとも、ひとりぽっちにして置いていくことに対してなのか。


「そうか……」
長い沈黙の後、低くかすれた声がヴィンセントの唇からもれた。シドは自分の思考を停止させて相棒を見やる。
「……確かに、もう少し、一緒に過ごす時間が欲しかったな」
 
彼にしては珍しい本音の吐露は、シドの胸を鷲掴みにした。今、父親になろうとしている彼だからこそ、余計に放っておけない
思いに迫られたのかもしれない。

 
父親の不在の間、ひとりで孤独に耐えていた少年の姿が脳裏に浮かぶ。休みが終わり去っていくグリモアを校門で見送る少年
は、涙をこらえて無理に笑顔を見せていたのだろう。そんな想像をすると、もう堪らなかった。

 シドは乱暴にヴィンセントの頭を抱き寄せ、大きな手のひらで何度も叩いた。
「泣くな。オレがお前の親父代わりをしてやるから、元気出せ」
「泣いてなどいない。離せ」
 突拍子もないシドの行動に感傷も吹き飛んだヴィンセントは、槍使いの剛腕から無理やり抜け出した。くしゃくしゃにされた髪を
かきあげながら相手を呆れたように見やる。

「いきなり、何だ」
「いや、おめぇが大分無理してるように思ったからよ」
「昔の話だ。いまさら無理も何もない」
突き放すように言い切ったヴィンセントは、自分に向けられたシドのまなざしに唇を苦笑の形に歪める。
「それに年下の親父など聞いたこともないぞ」
「…そういや、おめぇ何年生まれだよ?」
「〔μ〕-εγλ 1957」
「げ、ホントにすげえ年寄り」
発言の直後に、シドの頭に空き缶がヒットする。

 床に転がる空き缶の妙に澄んだその音に被さるようにして、ポケベルが鳴り始めた。
「お、来やがったな」
シドは飛び上がってポケベルを取り出し、アラームを解除する。
「よっしゃ。これで狙い通りだ。着陸地点ばっちりだぜ」
「…何の話だ?」
 
子供が生まれた連絡に対して、意味不明のことを言い出したシドに、ヴィンセントは首をかしげる。夏空の色の瞳をした男は得意
満面でその鼻先に指を突きつけた。

「今日は何の日だかわかってんだろ? お揃いだぜ、お揃い!」
「だから、何がだ」
訳が分からないというように眉をひそめるヴィンセントに、シドは髪をかきむしった。
「だーっ!てめえの誕生日忘れんじゃねえよ!今日は1013日だろうが」
 
時期も近かったし、誕生日が同じなら毎年ダブルで賑やかに祝えていいだろうと思っていたと、シドは熱弁を振るう。
旅の仲間たちの誕生日は彼らにとって重要なイベントだった。何かと理由をつけて宴会を開くのは特にシドにとっては無二の楽し
みである。
ヴィンセントがWROに所属する前は、居場所の分からない彼を探すのが一苦労だった。

「全く、毎年世話焼かせんじゃねえよ」
「いいから、早く行け」
「おっといけねえ」
自分の分の空き缶をダストボックスに放り込み、シドは後ろ向きに歩きながら念を押す。
「今夜はぱーっと飲むからな。空けとけよ!」
了解したという代わりに軽く手を振るヴィンセントに頷いてみせると、今度こそシドは全速力で走り去った。




「…父親、か」

床に転がった空き缶を拾い上げて、ヴィンセントはそれを片手で握り潰した。立ち尽くしたままの彼の手の中で、アルミの缶がペン
ほどの太さになっていく。

 
やがて顔を上げた彼はダストボックスにそれを放り込み、いつもと代わらぬ歩調でその場を後にした。

 
強化ガラス製のエントランスのドアからは、白々とした光がロビーに差し込み始めていた。









                                                                                                                                                                                     
                                                                  2007/10/13

                                                        
syun






ヴィン誕SSですが、ちょっとCCの影響を受けました。テーマのひとつに「父性」「継承」というのがあるように感じたので使わせていただきました。
ヴィンセントの誕生年は捏造です。一応アルティマニアやら色々見て「FF750年前」とか「約23年前」というのを参考に計算して見ました。
1,2年の誤差はあっても大体そのあたりなのではと思っています。正しい答えを発見した方はどうぞ教えてくださいませ。本文修正いたします
(笑)
それにしても、自分の子供の誕生を控えて他人の身の上話まで聞けちゃうなんて、さすが艇長。ふところが深いです。シドの話を聞いていた
つもりが自分の話になっちゃったヴィンセント。グリパパに対しては思慕と抑制と合理化と色々な感情を抱えていそうです。もっとも、べったり
一緒にいたら親離れ子離ができなくなったりするのかしら。それともヴィンが遅い反抗期を迎えたときにきっぱり押しのけたりして。妄想はつきま
せん(笑) ヴィンセントの誕生の時は、グリパパも病院の廊下をいやというほど往復したクチなんでしょうね。







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