ちいさなナイトメア






目の前に迫る、朱い旋風。
飛び退り、身をかわしても次々と繰り出されてくるそれは、確実に彼の退路を絶つ。
跳躍した彼の背後にあった太い柱がすっぱりと切り裂かれ、鈍い音を立てながら斜めにずれていく。
ここはいったい、どこなのか。
場所も、時すらも判然としない空間で、彼は執拗な敵と渡り合っている。
敵の姿は目視できず、気配に目がけてケルベロスのトリガーを引いても、何ら手ごたえは得られない。
ただ、縦横無尽に襲ってくるブラッドブーメランと真空波が、彼を確実に追い詰めていく。
崩れ始めた天井と壁から逃れ、気配に振り向いたヴィンセントの胸を、激しい衝撃が貫いた。

「鬼ごっこは終わりよ」

嫣然と微笑む、朱い唇。間近に見るその女の顔には見覚えがあった。
朱のロッソ。
彼女の右手は、手首まで彼の胸に埋め込まれている。

ヴィンセントは、自分がまた悪夢の中にいることを悟った。
これは、神羅屋敷であったことだ。どうやらミッドガルの中央塔と思しきここではない。
だが。
胸を貫かれた痛みは記憶どおり彼を苛む。
胸郭の中を探られ、エンシェントマテリアを掴み出される激痛は、忘れようがない。
夢と分かっていても、苦痛の呻きが唇から洩れる。

ツヴィエートの力で体内からマテリアを抜き取られ、彼はその場に崩折れた。
呼吸が、できない。胸に穿たれた巨大な傷から、温かい血があふれ出ていくのが自分でわかる。
その身体を爪先で仰向けにし、ロッソは傍らに膝をつく。

「このエンシェントマテリアはね、ヴァイスが欲しがっているの。でもね…」

血塗られた手が、ゆっくりと彼の胸をなぞっていく。

「私が欲しいのは、アナタの命。闘って嬲り殺しにすることを考えると、ぞくぞくするわ」

冗談じゃない、と口の中で呟いたヴィンセントの前で、ロッソは自分の鋭い爪についた彼の血をゆっくりと舐め取った。

「…これは、恋というんじゃなかったかしら?」


ヴィンセントは、背筋に冷水を浴びたようにぞっとした。
正直言って、ものすごく怖い。
恥も外聞もなく、逃げ出したくなる。
今までさまざまな相手と戦ってきたが、こんな恐怖を覚えたのは初めてだった。

「立ちなさい。どうせ何度でも生き返るんでしょ?それなら…」

朱いツヴィエートの声が、切なくかすれる。

「私が何度でも、丁寧に殺してあげる…」





声にならない叫び声を上げて、ヴィンセントは跳ね起きた。

「す、すみません」

驚いたように後ずさったのは、元ツヴィエートの少女。
魔晄の瞳からオレンジ色の光が消えていくのを、彼はぼんやりと見つめる。

「…シェルク?」
「あの、あなた相手なら、身体が接触していれば単体精神でもSNDができるかと思って」

ここはセブンスヘブンの一角。到着の遅れた仲間たちを待っている間に、うたた寝したらしい。
その彼を見つけたシェルクが、起きている時はガードが固いのでこっそり試したのだという。

戦いの間、彼女は何度も遠隔地からヴィンセントと精神接触を行っていた。
ネットワークに潜ることはあっても、人間の単体精神とこれだけ濃厚に接触したのは初めてだ。
これは、ルクレツィア・クレシェントの断片が反応しているのか、それとも、新たな能力が開発されようとしているのか。

「…実験ならば、他でやってもらえないか」
「あなた以外の単体精神を相手に、SNDをしようとは思いません」

自分の言葉の意味をわかっているのか、シェルクはきっぱりと言い切る。
ヴィンセントは深いため息をついて、額に浮かんだ脂汗を拭った。とんだナイトメアに捕まったものだ。
SNDで情報を集めることが存在意義だった彼女に、プライバシーの概念はない。
九歳でディープグラウンドに連れ去られ、常識を学ぶ機会を奪われた彼女を、責める気にはなれなかった。


そんな彼の心中を知ってか知らずか、シェルクは生真面目な表情で首をかしげる。。

「意外でした。あなたが、そんなにロッソを恐れるなんて」

「…誰を恐れるって?」

タイミングよく背後からかけられた声にシェルクが振り返ると、クラウドが不思議そうな顔をして立っていた。

「朱のロッソ。ツヴィエートの一人です」
「…ああ、あの女か」

クラウドの顔も渋面になる。それに今度はヴィンセントが首をかしげた。

「知っているのか」
「ああ。ミッドガル侵攻作戦の時、最初にぶつかった。異様にしつこい奴で手を焼いたな」

あの時、フェンリルも壊されたと、クラウドは肩をすくめる。

「クラウド・ストライフ、あなたでもロッソを怖いと思うのですか?」

唐突な質問だったが、二人は顔を見合わせた後で異口同音に「怖い」と応えた。
DGソルジャーたちを殲滅させた戦士たちの答は、シェルクを混乱させる。

「話を聞いているだけで、こちらの気力が削られていくようだ」
「戦力とはまた違う次元の怖さだな」
「敵に回しても厄介だが、味方になってもらっても困る」
「要するに、二度と会いたくないということだ」

男たちの会話に、シェルクは小さくため息をついた。

「ロッソは、あなたを大層気に入っていたようですが」

その言葉にヴィンセントがあからさまに眉をひそめる。

「エッジでの戦いの後、あなたのことを色々と聞かれました。いつになく、とても楽しそうでした」
「迷惑だ」
「彼女は、強い相手を好みますから。ネロにまで、まるで恋をしているようだと揶揄されていました」

言葉を失ったヴィンセントの隣で、クラウドが腕組みをして考え込む。

「昆虫の中に、交尾をしたあと雄を食べる奴がいたな。それと同じ怖さかもしれない」
「嫌な喩えだな」

ヴィンセントは唸るように抗議し、元ツヴィエートの少女に向き直った。

「人間へのSNDは賛成しかねる。話をすればすむことだろう」

シェルクの瞳が大きく見開かれ、色白の頬が赤く染まる。
ヴィンセントに叱られたと受け取った彼女は、花がしおれるようにうなだれた。


「……はい。すみません」

肩を落としたシェルクを見て、クラウドがその場をとりなすように声をかけた。

「ヴィンセント、ティファがワインを選んでくれと言ってる」
「ああ、分かった」

しゅんとなった少女の肩に軽く手を置き、ヴィンセントはクラウドと共に厨房へ消える。



「…これも、恋、というのでしょうか」

ロッソの言葉を口の中で呟き、シェルクはその主語が微妙に入れ替わっていることに、まだ気付いていなかった。




2007/4/30 初出
2007/8/30 加筆修正





最初はロッソVSヴィンセントの話だったのですが、加筆修正してみたらシェルヴィン風味。
単体精神へのSNDって、テレパシーみたいなものなんでしょうか?
無印本編で本当のクラウドを見つけ出したティファのアレも、SNDみたいなもの??





thanks