The  reason  for  being







「よし、かかったぞ!」
「ワイヤーで縛り上げろ!」

急に自分の周囲が騒がしくなったのを、ヴィンセントは半ば朦朧とした意識の片隅で聞いていた。
自力では閉じることの出来なくなった瞳に大勢の人間の足元がぼんやりと映る。


「麻酔の量は?」
「万全を喫して麻酔と筋弛緩剤、アダマンタイマイ2頭分を使った」

アダマンタイマイ2頭分、だと?
その言葉を聞いて彼はようやく自分の状況を理解した。
薬や毒に強い体質ではあるが、巨大モンスターが倒れる量を使われては一時的に力を奪われても仕方がない。

「…多すぎないか?死なれてはサンプルにならないぞ」
「不老不死のモンスターが麻酔程度で死ぬわけなかろう」

身体の上で作業をしている男たちが無遠慮な会話を交わしている。
自分を捕らえた相手の出自を探る間もなく、ヴィンセントはこれもまたモンスター拘束用のワイヤーで全身を縛り上げられ、更に
強化合金でできたケージの中に押し込まれた。


『うかつだったな』

ケージを載せたトレーラーの振動を感じながらヴィンセントは胸の内で舌打ちする。
不老不死に憧憬の念を持ち、その恩恵にあやかろうとヴィンセントを研究対象に望む者は少なくない。
紳士的に研究への協力依頼を申し込まれたこともあるし、まるで実験動物のように狩られそうになったこともある。

その都度、ヴィンセントは相手の出方にふさわしい方法できっぱりと拒絶してきた。
複数の魔獣の因子を宿した彼は、一部の科学者たちには「メタモルフォーゼ実験の初の成功例」と位置づけられている。
一説にはツヴィエートであるアスールの改造のベースになったのも、宝条によるヴィンセント・ヴァレンタインの実験データと
言われていた。

最近では、体内のエンシェントマテリアによっていまだカオスへ影響を持ち続ける彼の能力に関心を持つものも現れている。

『…まったく…キリが…ない…』

不覚を取って囚われの身になったとはいえ、反撃の機会を全く失ったわけではない。本拠地へ運ばれるなら元凶から叩くという
利点もある。

そこまで考えをめぐらせたところで、ヴィンセントは追加で打ち込まれた麻酔薬に思考を中断させられた。
眠りに落ちた先でも、不愉快極まりない過去の記憶が彼を待ち受けていた。










瞼に当る光の眩しさに、ヴィンセントは眉を寄せながらうっすらと瞳を開いた。
既視感のある実験室の天井が目に入る。全身を覆う倦怠感に捕らわれて動く気にもならないままに、彼はぼんやりと回想する。
確かここは地下にある宝条のラボだ。自分はつい先ほどもここから起き上がったはずだ。
そして…?

魔獣に変身した己の姿を思い出し、ヴィンセントは思わず目を閉じて軽く頭を振った。
その動きで額に取り付けられていた細いコードが揺れ、存在を主張する。


「……?」

起き上がろうとして手足を縛められているのに気付き、ヴィンセントはようやくはっきりと目を覚ました。
身につけていた薄いグリーンの検査着の胸元は大きくはだけられ、モニター機器から伸びた様々な色のコードが身体のあち
こちに取り付けられている。

頭を起こし腕に力を入れてもがいてみるが、無論強固な枷はその程度で外れるわけもない。
自分は宝条の凶弾で命を落としたのではなかったのか。それに魔獣に変身したのは夢だったのか。
何よりも、いったい何故このような場所で拘束されねばならないのか?


それらの疑問に対する回答を持った唯一の男が助手を伴って実験室へと入ってきた。

「お目覚めかね。私のサンプル1号よ」

もはや名前を呼ぼうともせず、宝条は横柄な態度でヴィンセントの横たわった手術台のそばへと歩み寄る。
怒りを内包した彼の鋭い視線がそれを迎えた。


「宝条。これはどういうことだ」
「これはご挨拶だねぇ。死にかけたお前を私の特別な実験サンプルにしてやったというのに」
「…実験?」

ヴィンセントの脳裏には魔獣と化した自分の鋭く長い爪の生えた両手が甦り、彼は瞳を大きく見開いた。
あれは夢ではなく現実のことだというのか。
明らかな動揺を見せた相手に宝条はほくそ笑む。

「私の留守の間に変身して暴れたそうだが、もうそんな勝手は赦さんよ」

狂科学者はファイルに目を落とし、まるで学生に講義をするかのような調子で続けた。

「第1の魔獣の因子はベヒーモスを中心に炎を武器とする魔獣の因子を混合して創り上げた。第2の魔獣は雷属性、第3はステ
ータス異常を起こさせるモンスターを素材としている。どうだ、豪勢だろう?」


ヴィンセントは沈黙したままだ。話は常軌を逸しており、それがわが身に施されているということなどすぐには飲み込めない。
だが宝条は相手の反応など始めから期待していない。自分の成功に酔ったように勝手な演説を続ける。


「私はこの実験を秘かにあたためていた。残念ながら魔獣を移植できるだけのサンプルはそうそう手に入らんのだよ」

過去に一般兵や民間人など瀕死の人間に試みたことはあるが、獣化したまま人に戻らなくなったり実験に耐えられずに命を
落とすことが殆どだったという。


「だが、運命はようやく私という天才に味方する気になったらしい」

宝条は歪んだ笑みを浮かべながら、手にしたファイルの先でヴィンセントの顎を持ち上げた。

「お前は私の偉大な実験成果だ。タークスは予想以上に素晴らしい素材だと認めてやろう」
「礼を言えとでも言いたいのか」

ヴィンセントは不快気にファイルを振り払い、顎で手枷を指し示す。

「本社に報告する。これを外せ」

この場にあってなお任務に忠実であろうとするタークスの言葉を宝条は笑い飛ばした。

「報告?お前はもうそんなことをしなくていい」
「何?」
「ヴィンセント・ヴァレンタインは死んだ。ここにいるのは私のサンプル1号だ」

宝条の言葉にヴィンセントは息を呑み、次いで事実を知って怒りに身を震わせる。
本社から派遣されたタークスは任務遂行中に殉職。遺体は損傷が激しいためニブルヘイムにおいて丁重に埋葬したと、サンプル
として彼を自らの支配下に置くために、宝条は偽りの報告を出していた。

神羅屋敷の研究施設の中でも地下深くにある宝条のラボには限られた関係者しか出入りしない。当然、周囲にいるのは宝条の
息のかかった者ばかりだ。

助けは来ない。
優れたサンプルを手に入れるために周到な手を回した宝条に歯噛みするものの、手術台に繋がれた姿では如何ともしがたい。
改めて冷たい汗がじっとりと背を濡らすのを感じる。

狂科学者は怒りにまかせて逃れようともがくヴィンセントを尻目に、助手が差し出したデータに目を落とした。

「全てのデータは安定しています。今でしたら純粋な反応が確認できます」
「よかろう。始めるぞ」
「はい」

白衣を着た助手は宝条の妄信者だ。科学者たちにとってタークスは「よく訓練された神羅の番犬」という認識の域を出ない。
そして傷を負って任務遂行ができなくなった犬が実験用に払い下げられても疑問は感じない。

助手は緑色の薬液を満たした注射器をトレイに乗せて宝条に渡す。

「これが気になるか?」

警戒して自分の手元を見つめる相手の視線に不安の要素が混入したのを目ざとく見つけ、宝条は薄く嗤った。

「モルボルの毒を精製したものだ。これ1本でベヒーモスを倒せるぞ」

巨獣を倒す毒の行方がどこになるのか。簡単に予測のつく答えにヴィンセントの背筋を氷塊が滑り落ちる。

「メタモルフォーゼの真価はリミットブレイクと連動することだ。自分の意志でコントロールするのが最良だが、お前にはできまい。
少々手伝ってやろうというわけだ」

「…やめろ!!」

もがく被験体の腕を助手が取り押さえた。宝条は薄笑いを浮かべたまま注射器を取り上げ、キャップを外す。

「タークスは毒の耐性訓練を受けていたようだが。さて、お前はどこまで耐えられるかな?」

拒絶の叫びすら楽しみながら、狂科学者はサンプルに毒を投与し始めた。




モルボルの毒は生き物の組織を徐々に溶解させる効果を持つ。獲物を弱らせその肉が柔らかく吸収しやすくなるのを待って、
このモンスターは巨大な口に犠牲となった生物を運ぶのだ。


「どうだ。変身の兆候はありそうか?」

注入の手を一時止めて宝条は弄るように問いかける。
ヴィンセントは鋭い一瞥を投げるのが精一杯でそれ以上科学者に付き合う余裕はない。毒に侵食された体が徐々に言うことを
聞かなくなり、形容しがたい苦しみが全身を覆う。常人の致死量を超えた毒が投与されていたが、彼はまだ辛うじて意識を保って
いた。


「フム。まだ手ぬるかったか」

顎を撫でて思案げに呟いた宝条は、残りの薬液を容赦なく注入する。



部屋に響く切羽詰った苦しげな喘ぎともがく物音はそれほど長くは続かなかった。
大量の猛毒を注入されたヴィンセントの呼吸はほどなく止まった。
苦しみの度合いを示すかのように、硬い手術台をかきむしった指は爪が剥がれ血に染まっている。


「ふん、口ほどにもない」

宝条は持っていた注射器をトレイに投げ入れ、面白くもなさそうに呟いた。

「少々買いかぶりすぎたか?んー?」
「いえ、博士。これをご覧ください」

モニターを凝視していた助手が宝条を呼ぶ。そこにはまだ生命反応がはっきりとらえられていた。
それに驚く間もなく、彼の身体に付けられた端子が再びデータを拾い始め、フラットだったモニターの波形が戻り始める。


「ほう、これは」

喜色を満面に浮かべて振り返った宝条の目の前でヴィンセントがカッと目を見開いた。体内のエネルギーを反映して内側から
溢れる光により、瞳は金色に変わっている。その口からほとばしったのは、腹にずしりと響く魔獣の咆哮。


金色の閃光が実験室内にあふれ、手術台の上の人影はガリアンビーストに姿を変えていた。

「よおし!成功だ!」
「…博士、危険です。お下がりください」

実験成果に小躍りする宝条を冷静に制止して、助手はまだ戸惑った様子の魔獣の上にシールドを被せ、濃厚な鎮静剤のミストを
噴霧する。低く続いていた魔獣の唸り声がやがて途絶え、シールドの中の影は人間のそれへと変化した。

対処を間違えれば、実験室にいた二人とも魔獣の牙にかかって細切れにされていただろう。

「なるほどな。メタモルフォーゼで細胞の配列が変わり、又元に戻る。その過程で多少の傷も回復するというわけか」

シールドの解かれた手術台の上に横たわるヴィンセントの爪をしげしげと眺め、宝条は満足気に笑う。

「不老不死の身体に桁外れの回復速度。これを与えた私に感謝するのだな、サンプル1号よ」

笑いを収めた彼は助手を振り返った。

「実験を次の段階へ進めよう。第2の魔獣の因子を持って来い」





周囲を頑強な檻でかこまれた実験動物用のケージ内にヴィンセントは横たわっていた。
二つ目の魔獣の因子を移植された身体は激しい拒絶反応を起こし、高熱と吐き気が彼を苦しめる。
食物を受け付けなくなったサンプルを生かしておくために、宝条は心臓に近い血管まで管を通して点滴をつなげた。栄養補給の
ための管とデータを取るためのコードに絡まりながら、ヴィンセントは何度も寝返りを打ち苦しさをやり過ごそうと試みる。

重い頭痛と関節の痛みはそんな彼の努力をあざ笑うかのように身じろぎするだけでもその存在を容赦なく主張し、彼の口から
苦痛の呻きをもれさせる。

『…このまま…死ぬ…のか…』

ヴィンセントは身体を丸め、汗に濡れた額を自分の腕に押し当てた。
その動きだけでも息が上がり検査着を着せられた肩がせわしなく上下する。

いつ終わるともなく続く苦痛に気力も萎えそうになる。ならばいっそ自らの手で死期を早めようと栄養チューブに手をかけてみる
が、それを引きちぎる力すら残っていないことを思い知らされただけだった。



「気分はどうだね。私の可愛いサンプルよ」

宝条は部屋に入ってくると檻の前面の扉を開いた。そこから腕を差し入れ、栄養のパックを新しいものに交換しようとする。
それを制するようにヴィンセントの手が上がった。


「ん?何だ?」
「…殺…せ」

熱のために荒い呼吸を繰り返した口唇はひび割れ、かすれ声をつむぐのが精一杯だ。

「お前の…サンプルと言われてまで…生きる意味は…ない」
「何を寝言を言っている」

宝条は鼻を鳴らして手早くパックを交換し、抵抗しようとする相手の両手を鎖で封じた。

「ここまで手をかけた実験結果にそう簡単に死なれては困る。…もっともお前はもう不死に近い存在だがね」
「……」

ヴィンセントは相手の言葉を最後まで聞いてはいなかった。両手の鎖と格闘し、今の自分の力では外せないと悟ると諦めて床に
腕を投げ出した。どこにも繋がっていない鎖はその重さだけで彼の動きを制限し、苛立たせる。


「宝条」
「今日はよく喋るな。今度は何だね」

部屋を出て行こうとした相手を呼びとめておきながらヴィンセントは続く言葉をためらった。

「彼女は…ルクレツィアは…どうしている?」
「お前には関係あるまい」

宝条の予想通りの拒絶にも怯まず、彼は言葉を続ける。

「頼む、教えてくれ…彼女は大丈夫なのか…?」
「それほど気になるならここへ連れてきてやろうか?」

檻に近づいた宝条の悪意のこもった答えにヴィンセントはわずかに動揺する。その彼に宝条は畳み掛けるように言葉を継いだ。
もちろん、いつ魔獣に変身するか判らないお前を解放する訳にはいかん。檻の中で鎖に繋がれた無様な姿を彼女に見られても
構わんと言うのだな、と。


「まあ、私の最高のサンプルを彼女に披露するのも悪くはないがね」
「…き…さま…」

怒りがヴィンセントに力を与えた。狭い檻の中で身を起こし宝条を睨みつける。わずかな力を振り絞って相手に手を伸ばそうと
したその彼の身体を異様な衝撃が襲った。

「……っ! 何…だ…?!」

身体を丸め自分の肩をきつく押さえるヴィンセントの視界が真っ赤に染まる。体内から彼を喰らって生まれ出ようとする何か。
たまらずに身を仰け反らせて絶叫する彼を見て満足げに微笑み、宝条は檻の扉を閉めシールドを張った。

「どうやら第2の魔獣がお目覚めのようだ」

第2の、魔獣?!
自分はまた新たな化け物に変身するのか?

恐怖に駆られた彼は我を忘れて敵であるはずの男に救いを求めるかのように手を差し伸べる。
その腕が黒い光をまとって輪郭をぼやけさせ始め、ヴィンセントの意識は半ば暴力的に闇へと引きずり込まれていく。

彼の苦鳴はやがて新しい魔獣の唸り声へと変わっていった。









悪夢から目覚めると手術台の上か魔晄ボッドの中、というパターンは、もういい加減に勘弁願いたい。
意識を取り戻したヴィンセントは視線の先に無影灯を認めて心底うんざりした。
呼吸の深さすら制限するような重い鈍痛が内臓全体を鷲づかみにしている。

身体には白い大きな布がかけられているのみで幸い拘束されてはいなかったが、身体を動かすのがやっとというひどいありさま
だった。しかも何がどうなっているのかも皆目見当がつかない。

ヴィンセントは苦痛に呻きながらもどうにか身を起こし、ずり落ちた布によって隠されていた傷に唖然とした。

鎖骨の下から下腹部までざっくりと縦に一本。そして胸骨の下辺りと腰骨の辺りに横に2本。
恐らく切り開かれて内臓まで調べられたと思しき手術創がまだ生々しい色を見せていた。
太い縫合糸がまるで仮縫いのように粗くかけられて傷の離開を防いでいる。


こんな仕打ちを受けてまだ命があり、しかも起き上がれるのは世界広しと言えどもヴィンセント・ヴァレンタインの他にはいない。
もっともその特殊能力のおかげでこのような目に遭うわけだが。


無残な傷を見てよりいっそう痛みが強くなったように感じ、ヴィンセントは盛大に顔をしかめた。
更にひどいことには、左の大腿部は一部骨が見えるほど大きく筋肉が切り取られていた。
これもおざなりに止血され布が巻かれてはいたが、元は白かったであろうその布もすっかり深紅に染まっている。
これでは逃げるどころか立つこともおぼつかない。


「…実験サンプルというより、まるで食材になったようだ」

顔をしかめながら呑気な感想を呟いたヴィンセントの忍耐力もそこまでが限界だった。
室内を見渡した彼の視線が、魔晄溶液を満たした強化ガラスケースの中に浮かぶ臓器の一部とおぼしきものたちに止まる。


「肺」「肝」「腎」「筋肉」「肋骨」等と書かれたラベルを眺め渡した彼の視線が、自分の傷の上へと戻った。

「…そういうことか」

彼の二度目の呟きには深い憤りの響きが混じっていた。
了解も得ないまま勝手に摘出された彼の内臓の一部が、標本棚に整然と並んでいた。
2つあって片方を取っても命に支障のない臓器や、切り取りやすい大きな組織から手をつけたらしい。縫合がおざなりなのは、
今は不在にしている科学者たちが戻ってきて続きをするためだろう。まだ心臓や脳、眼球、脊髄、などといったラベルの貼られた
空のケースがずらりと並んでいる。


「冗談じゃない」

ここでのんびりと解体されるのを待つ理由など何もない。

ヴィンセントはずり落ちるようにして何とか手術台から降りた。その動きで縫合糸が切れ、腹部の傷から腸が顔を出しそうになる。
彼は手術台にもたれて身体を支えながら、血で滑る傷を左腕全体を使ってきつく押さえつけた。
苦痛の呻きが唇からこぼれ額からは脂汗が滴り落ちる。今ここで倒れたらすぐには立ち上がれない。
激痛に遠のく意識を必死でたぐりよせ、呼吸を整えて歩き出せるタイミングを計る。


体を支える腹筋と大腿の筋肉を縦横に切られたのは痛手だった。
剣を扱う敵に斬撃を食らうよりも、ある意味この方が始末が悪い。身体の造りを熟知した相手が丁寧に内臓を切り離してくれた
おかげで、内側から文字通りバラバラになりそうな気すらする。
左腕でわが身をしっかりと押さえ込み右手で縋るものを探しながら、当てにならない左脚に体重をかけないようにそろそろと進む
しかない。一歩歩くごとに傷から床に血液がボタボタと滴り落ち、彼の素足を赤く染めていく。


服と銃を奪われた彼が唯一残された武器として目指したのは、標本棚の一部に置かれたエンシェントマテリア。
左胸の肋骨と共に奪われたそれを求めて、ヴィンセントは歯を食いしばりながら歩みを進めた。





「遺伝子の変異を調べるのも大事だが、統合した生体としての機能も調査する必要があるな」
「カオスが抜けてなお不老不死を保っていられるのか、長期的な観察もしたほうがいい」
「だが、それではこちらの寿命が先に尽きてしまいそうだ」

確かに、と笑いの渦がラボに戻ってきた一同を包む。

「ウータイの伝説には、『ニンギョ』という生き物の肉を食べると不老不死になるというのがあるそうですよ」
「ほう。それは手っ取り早くて助かるな」
「では、我々も『彼』を試食でもしてみますか」
「肉は硬そうだが」
「内臓の一部でもちょっとつまんでみるってのはどうです」
「それで不老不死になれるのなら、試す価値はあるぞ」

ではさっそく肝臓あたりを少しスライスして、と科学者たちは興に乗った笑い声を上げる。




やっとの思いで棚にたどりつき苦痛に喘ぐ彼の耳に、その悪趣味な冗談は毒のように忍び入った。

「度しがたい外道共が……!」

低い呪詛が傷ついた肺からの血で赤く染まった唇からもれる。
身震いするほどの嫌悪とどす黒い殺意を、彼は生まれて初めて人間に対して抱いた。


自分は確かに完全な人間ではない。だが奴等も十分にモンスターだ。肉体は人間でも精神は既に闇の眷属と化している。
ヴィンセントは棚を見上げ、傷の開く激痛に唸り声をあげながら右手を一杯に伸ばした。
マテリアのひんやりとした感触が掌の中に転がり込んでくる。


実験サンプル扱いで解剖されかかった上、笑い話のネタに内臓を食われるなど絶対にごめんだ。

エンシェントマテリアは彼の凝縮した怒りと嫌悪を星の体内へと伝える。
そして、星は彼の叫びに応えた。



最初に手術室のドアを開けた者が見たものは、一糸まとわぬ身体を自らが流した血で染め、手にしたエンシェントマテリアを見つ
めているヴィンセント・ヴァレンタインの姿だった。


「いったい何故!?」
「馬鹿な。起き上がれるはずがない!」

科学者たちの叫びにゆっくりと振り返った彼の姿は、命を狩り取る死神へと変貌した。

軽く上げた右の人差し指から闇が渦を巻いて生まれ、瞬く間に科学者たちを飲み込んでいく。
かつてネロが操った闇と同質のものをカオスはいとも簡単に生み出した。
とりこまれた人間たちは恐怖と絶望に慄きながら、やがて消滅するまでの時間を闇の中で過ごすことになる。
助けの届かない空間で自分の存在が擦り切れていくのをただ見つめ続けるのだ。


それはヴィンセントにしては珍しく冷酷な報復だった。
慌てて逃出した者も施設中に広がる闇から逃れる術はなく、一人残らず闇へと消えていく。


『お前たちにライフストリームへ還る資格などない。永遠に闇の中で漂い続けるがいい』

声なき声で宣告したカオスは闇を生み出した右手を今度は標本棚にかざした。
ガラスケースが次々に音もなく割れ、中身が魔晄溶液ごとカオスの掌に吸収されていく。不当に奪われたヴィンセントの身体の
一部を全て吸収して満足げに口端を上げると、破壊の神は無造作に強烈な衝撃波を放った。

人里離れた山中に造られていた研究施設は轟音とともに吹き飛んだ。





赤い輪郭をもった闇が爆発した施設に程近い崖の上に舞い降り、人の姿を形作った。
火災が巻き起こす風に暗赤色のマントをなぶらせたままヴィンセントは冷ややかな視線で自らが破壊した研究施設を眺める。
恐らくは莫大な資金を投じたであろう設備や膨大なサンプル・データが業火の中に消えていく。
彼らがもっとも望んだ不老不死のサンプルによってこれまでの研究成果を消滅させられたというのも、因果な話である。


科学者たちに切り刻まれたヴィンセントの身体はカオスの力により元通りに回復していた。
いつも通りの戦闘服とマントを身につけたその姿から、先刻の手術台の上の無残な様子を想像するのは難しい。
どれほど傷つこうと完璧に復活し、死の顎から誰よりも遠い距離にあるヴィンセントは、それゆえ自分の命を守ることについては
あまり関心を持たなかった。


望んで得た永遠の命ではない。むしろこれは、己の愚かさに対する罰として彼に与えられたものだ。

終わりのない永劫の時間は福音などではなく、自分の精神力を限界まで試される呪いのようなもの。
その認識があるから、彼は永遠の命を望む人々に同調する気にはなれない。


「…換われるものなら、喜んで換わってやるのだがな」

皮肉な笑みに唇を歪めてヴィンセントは瓦礫に背を向ける。
やはり自分は人間と一線を隔す存在である苦い自覚をかみしめながら、彼は翼を広げた魔獣へ姿を変えると黒煙の立ち上る
空へ赤い矢のように飛び去っていった。









                                                         syun
                                                      2009/2/26











55555キリリクSSをお届けいたします〜。「宝条に実験されるヴィンセント。スプラッタあり」というのが今回のお題でした。何やら腐女子魂が
騒ぐようなテーマですねぇ。ふっふっふっ(笑)ということで、こんな話になりました。意外に苦労したのが宝条ではスプラッタにならないんですね。
彼が自分のサンプルを切り刻む理由がない。無印本編の小汚いおっさん宝条なら何でもアリな感じがしましたが、DC,CCの宝条は何だか
一角の人物っぽく描かれているし妙に潔癖で白衣が血で汚れるなどまっぴら、というイメージがありまして。それで名もない狂信者集団を
捏造しました。ヴィンセントが不老不死のサンプルとして狩られるというネタはどこかで使いたいと思っていましたので、渡りに船です。
内容的にスプラッタというか猟奇というか、かなり気持ち悪い話になりました。灰色5号さん、こんな感じでよろしかったでしょうか?
書き手としては楽しんで創作できました。リクエストありがとうございました!

present