遭遇






 山岳地帯に程近い静かな町、ニブルヘイム。
クラウドとティファの生まれ故郷であるこの町は、かつてセフィロスにより焼き払われたはずであった。
しかし、家々は何事もなかったかのように昔と同じたたずまいを見せ、クラウドやティファの知らぬ人々が、記憶にない
昔話を語る。昼間の明るい光の中で、町は妙に白々しく、抑圧された害意を秘めているようにすら見えた。

 町の住人と称する人々の不可解な態度と、町のそこここに佇む、刺青を持つ黒いマントの人々。
彼らが呪文のように口にする「セフィロス」「リユニオン」の言葉の意味を求めて、クラウド一行は2名ずつにわかれ町の
探索に乗り出すこととなった。


「おいヴィン、どこにいくつもりなんでぇ?」
 他のメンバーと別れて、真直ぐに町外れに向かうヴィンセントに、後から追いついたシドが尋ねる。
「何だか、やけに急ぐじゃねえか。心当たりでもあるのか?」
「……神羅屋敷へ行く。ジェノバ・プロジェクトの資料が残っているはずだ」
 振り向きもせずに、ヴィンセントは答える。
「ジェノバ・プロジェクトだぁ? …あぁ、お前の仕事だったっけな」
 シドは空を一瞥してから顎を撫でた。

 元々口数の少ないヴィンセントが、それでも同室になることの多いこの男には、ぽつりぽつりと自分の過去を語ること
があった。彼の所属していたタークスには良い感情を持っていないシドであったが、何分二十年以上も昔の話である。
 それよりも、エリートのタークスが神羅カンパニーに刃向かうということが、この反骨精神旺盛な男を面白がらせた。
一度は同じ神羅の禄を食んだという同業者意識も、あるいはあったのかもしれない。正反対の性格をした二人は、妙に
馬が合うようだった。


 数日前、この町に着く前に偶然通りかかった山中の湖。そこに注ぎ込む滝に隠された、小さな祠を探索した時のメン
バーが、クラウド、シド、ヴィンセントの3名だった。
そこで遭遇した出来事を話題にすることは、暗黙のうちに禁忌とされている。しかしそこで知ったヴィンセントの過去の
エピソードは、シドの記憶に深く刻まれていた。


 町外れにある古びた洋館は、以前神羅製作所が所有していたことから「神羅屋敷」と呼ばれている。
無人になって久しく、最近は化け物も出没すると恐れられる建物に、ヴィンセントは躊躇せず足を踏み入れた。


「うへぇ、いかにも出そうなとこだな」
 
シドは煙草に火をつけながら周囲を見渡した。以前は瀟洒な内装の洋館だったのだろうが、今は高価な調度品の
どれもが、うず高い埃に埋もれている。薄暗い館内には、陰鬱な空気が澱んでいた。

「実際、出る」
 広い屋敷の中を勝手知った様子で通り抜け、隠し扉を開きながら、事もなげにヴィンセントが答える。
シドは肩をすくめ、相棒に続いて地下へと通じる螺旋階段を下り始めた。モンスターが出ると言われたくらいで怖気づく
ような彼ではない。むしろ、最近仕入れた槍の切れ味を試してみたいとすら考えていた。

シドの期待を裏切ることなく、古い屋敷の住人たちは侵入者たちを出迎えた。
二人の頭上に群がるモンスターの群れを、ヴィンセントが連射する銃と、シドが振り回す槍が次々に屠っていく。
ようやく手厚い歓迎を退け、長い廊下を突っ切った先に目指す研究室と書斎があった。
 途中の地下牢にシドは興味を示したが、ヴィンセントは取り合わずに書斎へと直行する。


 床から天井まで、ぎっしりとファイルや文献の詰まった書庫。放置された年数を物語るかのように、埃と黴の臭いが
部屋を満たしている。その膨大な資料の中から、彼は過去の記憶を頼りにセフィロスに関する文献を探した。
シドはその手前で物色を始めたようで、この部屋へ来る様子はない。

 ジェノバがセトラであると信じられていた頃のデータ、そして誕生したセフィロスの成長の記録、更にガスト博士による
ジェノバの正体についてのレポート……。


 それらは、否応なく彼の過去の一部分を喚起し、胸を引き裂かれるような痛みが甦ってくる。記憶にまつわる感情の
部分を強引に抑圧しながら、ヴィンセントは情報収集に没頭した。


「クックックッ…… 随分と熱心だな」
 嘲笑とともにからかうような言葉を背後から浴びせられ、ヴィンセントは振り向きざま銃を構えた。
化け物じみた威圧感を全身から撒き散らす、銀髪の男がそこに立っている。
クラウドやティファから得た情報と、それよりも自分に全く気配を察知させなかったことが、ヴィンセントの唇からある
固有名詞をこぼれさせた。

「……セフィロス……!」
「私もここで資料を読み漁ったことがある。ここは、なかなか興味深い知識の集積した場所だ」
 セフィロスは寛いだ様子で、懐かしそうに周囲を見渡している。その表情にルクレツィアの面影を見出してヴィンセント
は一瞬息をのんだ。

 かつて愛した人の子供。過去に彼が誕生を阻止できなかった災厄。
過去の記憶にまつわる罪悪感と悲しみは、しかし目の前に迫った危険により一時凍結された。訓練された戦士としての
勘は、死の覚悟が必要な程の敵としてセフィロスを認識し、警鐘を鳴らす。ヴィンセントは銃口を下ろすことなく、相手
の次の行動を見守った。

「彼らが集めた知識を私は自分のものにした。更にライフストリームからは、はるかに膨大な知識と知恵を得た。
 全ての命、全てのエネルギーは私のものとなる。…ジェノバ細胞を持つ全ての命が、私に従うのだ」
「世迷い言を」
 尊大なセフィロスの放言に、ヴィンセントは辛辣に応じる。銀髪の半神は面白そうに相手を見返した。

「知らないのか? ジェノバはリユニオンする。お前の大事なあの女とて例外ではない。人の器の中に閉じ込められて
 いた精神エネルギーを、私は解放してやったのだ。今は……」
セフィロスは酷薄そうな笑みを唇に乗せ、自分の胸を軽く叩いた。
「統合され、私の一部となった」
「……何!?」
 
 その言葉の意味を正確に理解したヴィンセントの瞳が、大きく見開かれる。夕日色の彼の瞳は、怒りを反映して濃さ
を増し、血の色に変わった。
「貴様…… ルクレツィアを…… 実の母を、手にかけたというのか!?」

「一時の仮の宿をそう呼ぶかも知れんな。だが、それに何の意味がある? 私はこの星の全ての精神エネルギーと
 同化する。1個や2個の精神エネルギーにいちいち構っている暇はない」
 己の優位を確信するかのように敵の銃口の前に胸をさらして、セフィロスは哄笑する。ヴィンセントは奥歯をギリギリ
と噛み締めた。セフィロスの姿を認めた瞬間から、彼の銃は照準を敵に合わせている。
 しかし、トリガーにかけられた指は、凍りついたように動かない。

 ―――  セフィロスを撃つということは、ルクレツィアをも傷つけるということなのか!? ―――

 つい数日前に、山中の祠で逢ったときのルクレツィアの姿が脳裏に浮かんだ。彼女は既に害され、その仇は目の前
の男だというのに、二重三重の呪縛がヴィンセントを絡めとる。
 この災厄の誕生を阻止することが出来ずに、ただ見守っていたのは、他でもない彼自身だ。そしてこの敵は、愛する
人の血を分けた子であるという事実。更に、今はセフィロスの裡にあるというルクレツィアの存在が、彼をがんじがらめ
にしていく。銃は正確にセフィロスの胸を狙っているが、そこから動くことが出来ない。


 ヴィンセントの動揺を読み取ったように、セフィロスは口唇の端を吊り上げた。抜き身の長剣を片手にだらりと下げた
まま、悠然とした足取りで、書架を背にした黒髪の生贄の間近まで歩み寄る。

「どうした? 足がすくんで、逃げることもできないのか?」
 反射的に防御の呪を唱えようとしたヴィンセントの目の前に、白い閃光が弾けた。
鋭い金属音が脳髄を貫いた後、身体の自由が利かなくなる。間をおかずにセフィロスの手が彼の額に押し当てられた。
「いいものを見せてやろう」

 笑いを含んだセフィロスの言葉と共に、禍々しい映像がヴィンセントの意識に流れ込んできた。



 青い、静謐な光をたたえた小さな洞窟。どこか遠くから滝の音が聞こえてくる。

 
 現し世から隔絶されたその空間に、一人の女性が佇んでいた。存在の不確かな、輪郭すらおぼろげなその姿は
白衣をまとい、医師か研究者であることを窺わせた。両手で顔を覆ったその姿からは、無言の嘆きが伝わってくる。

 『……ここは……』
 『そう、ニブルヘイムの近くにある湖のほとりだ』


 セフィロスの冷笑を含んだ声が、すぐ耳元で聞こえる。
 『あの女は、ジェノバが宇宙から来た災厄と知って罪の意識に苛まれ、ここへ逃げ込んだのだ。  
  “神”の母親にしては、いかにもお粗末だろう?』

 
『…………』
 
 息を呑み、彼女を見守るヴィンセントの前に、何の前触れもなく虚空から一人の男が姿を現した。
 長い銀髪のその男は音もなく地面に降り立ち、抜き身の長剣を携えて無造作に女性に近づいていく。
 『…ルクレツィア、逃げろ!』
 
白昼夢と知りつつ、ヴィンセントは叫んだ。当然、その声は彼女には届かない。

  
女性は男の気配に顔を上げた。
  驚きと喜びと、そして恐れ。しかし、それら全てを凌駕する母親が子供に向ける表情が、彼女の蒼白な顔に宿った。
  彼女は慈しむように、また、裁きを受けるかのように両腕を男に差し伸べる。

 その胸に、男の長剣が深々と収められた。

  『………!!』

 
 ヴィンセントが絶叫する。
 彼女の死を目の前に見せつけられた衝撃と、愛する人を又救えなかったという自責の念が、彼を残酷に切り裂いた。
  神羅屋敷の地下牢で眠りについていた頃も、数限りない悪夢に見舞われたが、これはそれらよりも深く鋭く彼の心
をえぐった。

  剣が抜き取られ、ゆっくりと洞窟の地面に倒れこむルクレツィア。
その口唇がヴィンセントの名を刻みかけて動かなくなった。身につけていた白衣が見る見るうちに赤く染まっていく。

  やがて、その身体からは淡い緑色の光がゆっくりと浮き上がり、セフィロスの中へと吸い込まれていった



「……やめろ……もう…たくさんだ……」
低いつぶやきがヴィンセントの口唇から漏れる。
「……何故、このようなものを見せる……?」
 滅多に感情を表さない瞳が、憎悪の光をあらわにしてセフィロスを見据える。それを楽しむかのようにセフィロスは
言葉を継いだ。
「ここはジェノバ・プロジェクトの発祥の地。お前はそれに関わった人間だ。人体実験に反対したお前が宝条に改造され
るというのも、間の抜けた話だがな。ともあれ、私たちは遠からぬ縁を持っているとは思わないか?」

「……………」
「それに……」
 セフィロスは苦笑を浮かべて続ける。
「セフィロス・コピーの目覚めが遅い。私としても、待つ間の暇潰しが必要というわけだ」
「………セフィロス・コピー? 何のことだ?」

 ヴィンセントの、ガントレットを装着した左腕が緩慢に上がり、額に当てられたままのセフィロスの手を不快そうに払い
のけた。セフィロスの翡翠色の双眸が軽く見張られ、次いで楽しそうに細められる。
「そのうちに判る。……ふむ、まだ動けるのか。さすがに常人とは違うようだな。だが…… 」
 セフィロスの剣先がヴィンセントの目の前で閃いた。暗赤色のバンダナが舞い落ち漆黒の髪が額や頬に乱れかかる。
その一瞬後、左肩の周辺に真紅の霧が吹き上がった。
「く……っ……!」

 重い金属音と同時に、切り落とされた彼の左腕が、埃の積もった書斎の床に転がった。その後を追うように、真紅の
細い滝が幾筋も勢いよく流れ落ちる。
「私への無礼は許さん」
 セフィロスは長剣を一度振って血糊を払い落とし、その切っ先を再度ヴィンセントに向けた。


 
書架で身体を支えたヴィンセントの銃が、間髪を入れずに火を吹く。至近距離からの発砲により、敵の手から剣を
弾き飛ばすことには成功したが、しかし後が続かない。半分解けかかってはいるが、封印の呪をかけられた身体は重く
思うようには動かない。腕輪にはめこんだマテリアを使って回復の呪を唱え、左腕の痛みと出血を止めるだけで精一
杯だ。その彼に、銀髪の半神がゆっくりと歩み寄る。

 
 ――― シドは、どこにいる…? ―――

 
 ヴィンセントは神羅屋敷に同行してきたパイロットを思った。今の銃声で気付いてしまうだろうか。
シドの気性からすると駆け付けてきそうだが、装備も十分ではない上に、2人だけでセフィロスに対峙する
のは無謀だ。

 ――― 結界を張ったな  ―――


 
書斎の入り口に視線を送り、人影がないことを確かめると、ヴィンセントは急速に強まってくる全身の脱力感を自覚
しつつ、セフィロスに向き直った。むざむざ死ぬつもりはないが、犠牲は少ないに越したことはない
むしろ、自分が相手の注意を引き付けることで、シドの脱出時間がかせげるのならば、都合がいい。

彼のその思考を読み取ったかのように、銀髪の半神の口唇が歪んだ。
「ふん、私の前ではお前は無力だ。それがまだ判らないか」
 セフィロスが右腕をあげると、部屋の隅に弾き飛ばされた剣が宙を飛び、主の手に吸い付くように収まった。
そのままなめらかな軌跡を描いて、刃は動けずにいるヴィンセントの鳩尾に突き刺さる。
「………!!!」
 さすがによろめき、後ずさる彼の背にセフィロスは腕を回して抱き止め、更に鍔まで刺し貫いた。
ヴィンセントの身体がのけぞり、痙攣する。肉を切り裂く鈍い音と共に長剣が彼の身体を貫通し、その優美なカーブを
伝って、おびただしい血液が書斎の床を染めていく。

「殺しはせぬ。お前は、手頃な玩具なのでな…」

 まるで睦言のようにヴィンセントの耳元に囁きかけ、セフィロスは刃の向きを変えて上方に抉り上げる。
絶叫が上がった。戦闘中は手放したことのない銃が、彼の手を離れて床にゴトリと落ちる。

 巧みに急所を外しながら相手を苛むセフィロスは、猫科の動物が獲物を玩具にするように執拗だった。
ヴィンセントはセフィロスの腕に抱えられ、その肩に頭部を預ける姿勢で辛うじて昏倒を免れている。
身長はわずかにセフィロスが上回る程度だが、ソルジャーとタークスとでは、体格の差は歴然としていた。


「血は……争えんな……」
 激しく咳き込んで鮮血を吐いた後、荒い呼吸の下からヴィンセントが呟いた。
「お前は……確かに……あの父親似だ……」
「ふん」
 セフィロスは、その言葉に冷笑で報いた。
「父だの母だの、そんなものは私と無関係だと何度言わせる? ……だが」

 セフィロスは右手を刀の柄から離し、獲物の髪を掴んで顔を仰向けさせた。その動きすら激痛をもたらしヴィンセント
の表情が歪む。
「お前が“父”であった可能性もあるな。ルクレツィアは、お前を愛していた」

 
苦痛に細められていた血の色をした瞳が見開かれ、またすぐに閉ざされた。
「疑い深いな。彼女があの祠で呼び続けていたのはお前の名だ。宝条ではない」
「黙れ」
 掠れた低い声でヴィンセントが応じる。


 腹から背まで貫通した傷の激痛に、大量に出血したことによる頭痛が追い討ちをかけている。信憑性の確かでは
ないセフィロスの言葉にいちいち反応する余裕は、もはや失われていた。相手の声は聞こえてはいたが意味を掴む
ことが難しくなり、彼の五感は徐々に鈍ってきている。

――― まずいな…… 意識があるうちに……もう一度回復の呪をかけておかないと…… ―――

 半ば朦朧とし始めた彼の意識を、何かが躊躇いがちにノックした。細く、かき消えそうな思惟の流れ。
――― ヴィンセント…… ―――

 それは、囁き声よりもはるかに小さな呼びかけだったが、彼を正気づかせるには充分だった。

見開いた瞳の正面には、嗜虐的な笑みを浮かべたセフィロスの顔があったが、ヴィンセントはそれと二重写しになった
美しい女性の像を見つめた。

――― ……ヴィンセント、許して…… ―――

 思惟の流れはセフィロスの中から伝わってくる。
――― ルクレツィア……本当…なのか? 君はセフィロスの裡に…… ―――
――― 私の過ち……でも…私の子供………私たち二人を貴方の手で…お願い……ヴィンセント ―――

――― ルクレツィア!? ―――
――― ……貴方の手で……お願い…… ―――

 思惟が弱まり、薄れ、かき消えてゆく。彼は必死でそれを追った。
――― ……私に……君を……君を殺せというのか!? セフィロスと共に!? ―――
 ルクレツィアはもう答えない。血を吐くようなヴィンセントの叫びに応えたのは、セフィロスの冷笑だった。

「無理な頼みごとをする女だ。むしろお前も私に統合され、彼女と一緒になるという方が現実的ではないか?」

 セフィロスは腕の中の獲物を見下ろし、その身体に食い込んでいる剣を一度半ばまで引き抜くと、角度を変えてもう
一度貫いた。ヴィンセントの身体が跳ね上がり、セフィロスの長衣に爪を立てていた右手がだらりと垂れ下がる。
 力を失っていくヴィンセントを傲慢な半神は興味深げに眺めた。
「気絶するのはまだ早いぞ。致命傷を与えると、異型の獣に変身するそうだな。それを見せてもらおうか」

 彼はそう言い放つと剣を抜き、腕の中の半死の獲物を無造作に突き放した。分厚く降り積もった埃を舞い上げながら
床に転がった長身を蹴り、仰向けにさせる。

 さほど時間を置かずに、弱々しく痙攣したヴィンセントの身体が淡い金色の光をまとい始めた。蒼白な肌に色が戻り、
止まり気味だった呼吸も徐々に深く大きくなった。
やがてカッと見開いた真紅の双眸は、瞳孔に金色の光をたたえている。

 一連の変化をセフィロスは皮肉な笑みを浮かべながら、興味深げに見守っていた。
「報告書の中にお前の報告書も残っていた。一度見てみたいと思っていたのだ。荒れ狂う、殺戮マシーンと化したお前
をな」
「…………」

 正気に戻ったヴィンセントは顔を起こし、荒い呼吸を繰り返しながらセフィロスを睨み付けた。
改造された身体は、生命の危機を感じ取って細胞レベルでの賦活を始め、出血は徐々に止まりつつあった。
変身してしまえば一気に傷の回復も早まる。切り落とされた腕ですら、括り付けておきさえすれば繋げることができる。

 しかし、それはヴィンセントの意志と無関係に起こることだ。異形への変身は時と場所を慎重に選ばないと、取り返し
の付かない惨事を引き起こすことにもなる。目の前の者が敵か味方かの区別すら付かずに殺戮に走るのは、彼の
本意ではない。
 まして、ルクレツィアとの会話を聞いていたセフィロスが、ことさらに挑発する理由は明白だ。ここで変身してしまう
わけには行かない。彼はふつふつと全身の血がたぎってくるような、細胞レベルの変化を食い止めようと試みた。

「どうした?私を楽しませるのだ。ガリアンビーストの方が、今の腑抜けのお前よりも歯ごたえがありそうだからな」
「こ……とわる」

 やっと話せるようになったものの、声はまだ低くしわがれていた。背まで貫通している腹部の傷と、また痛み出した
左腕の切断面に加え、細胞変化を意志の力で押さえつけたために、行き場を失ったエネルギーが内側からヴィンセン
トを苦しめる結果となった。
 額に冷たい汗がにじみ、身体が小刻みに震え始める。立ち上がることもできないままに、彼は片腕で自らの身体を
きつく押さえつけた。
「くっ………ぅ………」
 体温が異常に上昇し始め、再生を始めた腕や腹部の神経が新たに鋭い痛みを知覚し始める。そのあまりの苦しさに
ヴィンセントの口唇からかすかな喘ぎが洩れ始めた。汗に濡れた漆黒の髪が、額や頬にはりついている。
床の上でもがく彼の髪を掴んで引き起こし、セフィロスは片膝を床についてその表情を覗き込んだ。


……それほどまでに苦しいのか。堪えることはない。楽になってしまえ」
 優しいとすら言えるような声音で、セフィロスがヴィンセントの耳もとに囁く。彼には起こりえない葛藤を、ヴィンセント
が不器用なほどに真正面から受け止め苦しんでいることを、この傲慢な半神は嘲りつつ楽しんでいる。
その腕を振り払い、ヴィンセントは自らの喉もとを押さえて荒い呼吸を繰り返す。長い黒髪に隠れて表情は見えないが
全身がこらえ切れない苦痛を訴えて戦慄いた。

「何故そこまで拒むのだ?心配するな、私を楽しませれば解放してやる。褒美に腕をつなげてやってもいいぞ」
「………」
ヴィンセントの頭が頑強に横に振られる。
 セフィロスと戦うということは、その裡にあるルクレツィアを傷付けるということ。たとえ本人から頼まれても彼女に
銃は向けられない。

――― 駄目だ。こればかりは、いくら君の頼みでもできない ―――

「強情だな」
 セフィロスは右手の指を無造作にヴィンセントの腹部の傷に差し入れた。
獲物がのけぞり絶叫するのを楽しみながら、治り始めている傷を引き裂き、熱い血のしたたる柔らかい内部を容赦なく
鷲?みにする。
「私に従うか、このままなぶり殺しにされるか、どちらを選ぶ?」
 笑いを含んだ声が問う。それに応じるかのようにゆっくりと頭を起こしたヴィンセントの瞳はすでに正気を失っていた。
眦がきつく吊り上り、金色の閃光を放つ。

 一瞬後、セフィロスを跳ね飛ばした彼は、異形の獣に姿を変えていた。

 
青光りする身体に、しなやかにうねる長い尾。頭部から頚にかけて燃えるような真紅のたてがみに覆われ、緩やか
なカーブを描く2本の角を備えているその姿は、凶暴な肉食恐竜を思わせた。

「ほう……始まったな。それが宝条に与えられた姿か」
 いかにも楽しげにセフィロスが嗤う。
 片腕のない獣は金色の瞳でセフィロスを睨み、高く咆哮すると猛然と襲いかかった。

鋭い爪と牙を相手に喰い込ませ、唸り声を上げて獰猛に頚を振る。周囲に血しぶきが舞い上がった。最初にセフィロス
の腕が、続いて脇腹が食い破られ、千切れた銀色の長衣が空に舞い踊る。思うさま敵の身体を咬み裂くと、獣は鋭い
角を振り立ててセフィロスの胸を一突きにする。止めを刺したか、と思われた次の瞬間セフィロスの姿はかき消えた。

 敵を失った異形の獣は、暫く不服そうに唸って徘徊していた。しきりと床を打つ長い尾が、敵に止めを刺し損ねた獣の
苛立ちを表している。しかし、戦う相手がいなければ、細胞レベルの興奮も鎮まっていく。
 やがて獣はゆっくりと人の姿へと戻った。


 ヴィンセントはよろめき、背後の書架にぶつかってずるずると床へ座り込んだ。

セフィロスにより蹂躙された身体は、いつものようには回復しなかった。傷をふさいでも、大量に失われた血液はすぐに
は補えない。加えて、セフィロスの剣に含まれた瘴気が残っているかのように、酷い脱力感が身体を支配している。
 彼は、効果のほどはあまり期待しないままに回復の呪を唱えた。手負いのままいつまでもここに座り込んでいれば、
屋敷内に棲みついているモンスターの餌食になる。
 その彼の頭上でセフィロスの哄笑が弾けた。

「もう少し手ごたえがあるかと思ったが、今のお前ではその程度か。次に会う時にはもっとましになっていることを期待
しよう」

 顔を起こしてセフィロスの姿を求めるヴィンセントの瞳には、しかし何も映らなかった。敵の気配は消え、静寂だけが
残る。彼は右腕で立てた片膝を抱え、その上にぐったりと顔を伏せた。

 セフィロスに内臓を掴み出されそうになり、激痛のため意識を手放した隙に、身体は変化を起こしてしまった。
セフィロスを攻撃したということは、ルクレツィアを害したということ。身体に負った傷よりも、その罪の重さが彼を打ちの
めした。そして更に、大きな自己矛盾を抱えてしまったことに気付く。


セフィロスを攻撃できないとしたら、この旅に同行する意味はあるのか? それよりも、セフィロスを攻撃する仲間を
黙って見ていられるのか?


 答えは……出ない。



「お~い、そろそろ戻ろうぜぇ。どうもこういうとこは辛気臭くていけねぇや」
 陰鬱な屋敷に似つかわしくない大声と共にシドの足音が近づいてくる。書斎の入り口でそれは一旦止まった。
「ヴィン!」
 夏空の色の瞳に映ったのは、うずくまった相棒の頭上に群がるブラックバットだった。血の臭いに惹かれて集まって
きたそれは、更に数を増やして獲物の様子を伺う。シドは咥え煙草をむしりとると、すっかり手になじんできた新しい槍
を振りかざして書斎に飛び込んだ。手練れの技で刃と柄を両方使い、小さな吸血鬼どもを次々と切り裂き、叩き落して
いく。


 
弱った獲物の生血を啜ろうとしていたモンスターたちはシドも標的に加えたが、彼の槍の前に徐々に数を減らし、
やがて高い天井の闇に吸い込まれて消えていった。シドは闇に向かって毒づくと、視界の隅に転がる赤い影をふりか
える。

「おい! どうした!? 何があったんだ!?」
 部屋に充満する濃厚な血の臭いと、書架の前から動かないヴィンセントを見ればおおよその察しはつく。
シドは相棒に駆け寄りその肩を乱暴に掴んで引き起こした。心の闇に迷い込みそうになっていたヴィンセントはシドの
勢いに負け、否応なく現実に引きずり戻される。
「おいっ!! 大丈夫かヴィン? 返事をしろ! ……おめえ、腕はどうしたぃ!?」

「……その辺に転がっているはずだ」
「そうじゃねえだろう! 大丈夫なのか? 立てるのか? いったい誰とやりあったんだ? 何でオレ様を呼ばなかった
んだ!?」

矢継ぎ早にまくしたてるシドに、ヴィンセントの蒼白な口唇が苦笑を刻んだ。
「………一度に答えるのは、難しいな……」
「こんな時に減らず口を叩くんじゃねぇ! 立てるのかよ?」
 床に落ちていたバンダナを拾って埃をはたき、シドはヴィンセントの左腕の切断部分も大雑把に覆った。切り落とされ
た腕を拾い上げて脇に抱えると、立てと命じるようにあごをしゃくる。
 素直に応じたヴィンセントは銃を拾ってホルスターに納め、右手で腹部の傷をかばいながらようやく立ち上がった。
「腹もやられたのか!? ちょっと見せてみろ」
 シドは相手の返事も待たずにヴィンセントの前に片膝をついた。その口から先刻くわえたばかりの、火のついていな
い煙草がポロリと落ちる。出血こそとまっているものの、切り裂かれた服の合間から見える腹部は複数の傷が連結し、
セフィロスの指に引き裂かれた部分は、筋層から腹膜が顔を出していた。
「……お前、これでよく生きてるな…… 痛ぇなら痛ぇって言えよ! 黙ってちゃわからねぇだろうが!」
 がみがみと叱りつけながら、シドは自分の首に巻いていたマフラーを外して、ヴィンセントの腹部の傷にきつく巻き
つける。その大きな手が、大量の血液で濡れた背中に触れた。
「うわっ、背中もかよ! 貫通してやがる。早く言えよ、こういうことはよぉ!」
 いつものことながら、シドが一方的に喋りまくるのでヴィンセントは口をはさむ間がない。彼がそう抗弁する前に、応急
処置を済ませた熱血パイロットは、空いている右腕を回して手負いの相棒の身体を支えた。

「こんなとこでぐだぐだやってる場合じゃねぇよ。歩くと中身が出ちまうから、腹はきつく押さえとけ!
 ちっと痛むかも知れねえが、我慢しろ。判ったな!?」
「…………判った」
 ようやく返事が出来たヴィンセントの口端には、微かな笑みが浮かんでいた。
 目的まで最短距離の道を選び、後ろは振り返らないシドの熱さが、彼には羨ましく思える。
ともすれば闇のに沈んでいく彼を引きずり出して振り回すのは、シドにしか出来ないことであった。もっとも、本人は
そんな自分の影響力に気付いてはいないらしい。

 腹部の傷は焼けつくようで、歩を進める毎に気の狂うような痛みがヴィンセントを襲ったが、容赦なく叱咤するシドに
助けられ、二人は神羅屋敷からの生還を果たしたのだった。




 ……ここは、どこだ? 白い闇。その中をどこまでも落下していく。地面に激突して終わりが来るのを待ち焦がれて
いるのに、いつまでも落ち続ける。時折、翡翠色の光が身体にまといつき速度をゆるめようとするが、救われることなど
望んではいない。私の望みは……





――― ヴィンセント…  ―――
――― ルクレツィア……君なのか…? ―――

――― 傷は…治って? …私のせいで、またあなたを傷つけてしまった… ―――
――― セフィロスの強さは想像以上だった。君とは関係ない ―――

――― ……あなたは、戦わなかったわ。何故? ―――

 私は瞳を開く。目の前に見えるのは、うすぼんやりと渦巻く白い闇。他には何も見えない。呼びかけてくるのは本当に
彼女なのか? それとも、セフィロスの悪戯なのか。

――― …君に向ける銃は持たない ―――
――― ……ヴィンセント、判って。ジェノバをセトラと信じた、あの時から歯車が違ってしまったの。
     このままでは、私もあの子も歪んだ道を進むしかない。
     
だから、お願い。あなたの手で、私たちを解放して。私たちを星に還して……    ―――
――― ルクレツィア…… ―――



 それが、私にとってどれほど残酷な依頼か、君はわかっているのだろうか? 愛する人を護れなかっただけではなく
今度は銃を向けるなど、私には出来ない………!





「………ひどいよ!なんてことするの。怪我してるのに!」
「そうは言ってもよぉ、うなされてる奴は起こしてやるのが一番なんだぜ?」
「だからって、なぐることないでしょ!」
 突然、頭部に受けた衝撃とすぐそばで起きた喧騒に、ヴィンセントの意識は覚醒へと押し上げられた。

ゆっくり眼を開くと、カーテンにより明るさを押さえられた室内が視界に入る。

「……そんなこと言ってもよ、こいつとはよく同室になるだろ? たまにうなされやがるからよぉ、そん時は毎回ぶんなぐ
ったり、蹴っ飛ばしたり…」
「毎回!? ひどーい! 信じられない!」
「でもよぉ、文句言われたことねぇぜ」


 そこは、ニブルヘイムのホテルの一室だった。古いが室内は意外と広く、居心地は悪くはない。五年前にセフィロスと
クラウドが仕事でニブルヘイムに来た時にも、拠点として使ったという。そのいわくつきのホテルに、今回安息の場を
求めたというのも皮肉である。
 そんなことをぼんやりと考えたヴィンセントの横たわっているベッドのすぐそばでは、エアリスとシドが言い合いをして
いた。

「おっ、気がついたな。どうでえ、気分は?」
 旗色の悪くなったシドは、ヴィンセントが目覚めたのに気付くと矛先をそちらに向けた。

「三日間も寝たきりだったよ。だいじょぶ?」
シドの横からエアリスも心配そうに覗き込む。
「……三日……?」
「そう。あ、まだ起きちゃだめ!」
 エアリスの制止を無視して、ヴィンセントはゆっくりとベッドの上に身体を起こした。
 鳩尾の辺りに鈍痛があり立ち上がるのは厳しいが、まったく起きられないという程ではない。血にまみれた髪も身体
もすっかり清められ、ホテルの備え付けの寝衣を着せられている。起きてみてから左腕がついていることに気付き、
彼の視線はそこでとまった。


「…エアリスに礼を言っとけよ。魔力使い果たすまで、お前の手当てしてくれたんだぜ」
 ヴィンセントはゆっくりと左手を持ち上げた。腕全体に強い痺れがあり、指はかすかに動かせる程度だ。
 彼の瞳は二の腕に厚く巻きつけられた包帯に移り、ナイトテーブルに載せられたガントレットを経由して、古代種の娘
の笑顔を映し出した。
「……世話をかけたな……すまない」
 不器用な彼の、謝罪とも感謝ともつかない言葉を、エアリスは華やかに笑って受け取った。すんなりとした白い手が、
怪我人の腕をそっと支える。

「まだね、途中なの」
 彼女の、草原を思わせる若草色の瞳がヴィンセントをまっすぐに見つめた。
「……わからないけど、拒んでた。治る、ううん、生きること? だから、眼が覚めてからにしようって決めた」

 
エアリスの背後で、シドの表情が険しくなる。古代種の娘の視線に心の奥底まで射抜かれたかのように、ヴィンセン
トは動くことができない。


「今度は拒まないで。ね?」
 優しい、しかし有無を言わせぬ彼女の言葉に、強情な元タークスも小さくうなずいた。エアリスがずっとベッドのそば
に立てかけてあったロッドをとり、回復の呪を唱える。

 他の者とは桁違いのエアリスの魔力は、抵抗をやめたヴィンセントの左腕に劇的な治療を施した。切れていた神経
や血管がつながり、筋組織が鮮やかに再生を果たす。

「ほら、指先もあったかくなってきたよ」

腕全体の痺れもとれ、エアリスに触れられた感触も鮮明になっていた。ヴィンセントは今度は軽がると腕を持ち上げ、
目の前にかざしてみた。指もなめらかな動きを取り戻している。
「…ったくよぉ。無駄な抵抗して余計な手間かけさせんじゃねぇよ、このボケナスが!」
「わたし、みんなに知らせてくるね! それに、何か飲み物、欲しいでしょ?」
怒るシドをなだめ、茶目っ気たっぷりなウインクを残して、エアリスは部屋を出て行った。



 それを見送ると、シドは手近な椅子を引き寄せて跨ぐように座り、背もたれに肘を着きながら煙草に火を点けた。
「まだ返事をもらってねえことがあったよな?」
 深々と吸い込み、天井に向けて煙を吐き出しながら、シドはヴィンセントをまっすぐに見た。
「みんなが来ちまったらお前は絶対喋らねえだろう。今のうちに聞いとくぜ。相手は誰だ?」

「………セフィロス」
 シドの瞳の強い光にごまかしようのないことを悟ってヴィンセントは素直に答える。シドのこめかみに青筋が立った。
「強敵じゃねえか! 何で一人でやりあったんだ! どうしてオレ様を呼ばなかった?!」

「結界を張られた」
「んなもん、張られる前に呼べよ!」

 シドがすぱすぱと煙を立て続けに吐く。ヴィンセントは苦笑を噛み殺した。この親分肌の男が、同行者の負傷に責任
を感じている気持ちは理解できる。

「………次からはそうしよう」
「へっ、どうだかな。」

 お前はその点信用ならねえと呟いて、シドはあっという間に吸い切ってしまった煙草を足元に落として踏み消し、二本
目に火を点けた。


「もうひとつ聞くぜ。『ルクレツィアとセフィロスを一緒に殺せない』たぁ、どういうこった!?」

「…………!?」
 
思いがけない不意打ちを受けて、ヴィンセントの表情に動揺が走った。夕日色の双眸は、瞬きを忘れたかのように
シドの顔を凝視している。シドは立ち上がり、ヴィンセントのベッドにどかりと座った。

「オレ様はな、お前がそんなボロ雑巾みてえにやられたのは、そのあたりに何かあんじゃねーかと踏んでるんだよ。
おい!眼をそらすんじゃねえ!」
「…………」

 ヴィンセントは顔を背けてこれ以上話す意志のないことを示したが、シドは彼の心に打ち込んだ槍を抜くつもりはない
ようだった。ずい、と身を乗り出し、追求の手を緩めない。

「なめんなよ、ヴィン。お前が夜中にうなされてた台詞をつなげば、誰だってこの位の推理はできるぜ。 
 ルクレツィアってのはお前の想い人で、セフィロスのお袋だろう? それがどうして一緒くたなんだ? 
 お前が奴を攻撃できないことと、どうつながるんだ?」
「シド……悪いが……話せない」

「そうはいかねえよ!」
 シドはヴィンセントの両肩を掴んで乱暴に揺さぶった。彼の傷のことは既に頭にはない。
「オレ様はな、こないだみてえなのはもう沢山なんだよ。お前がハッキリしないのも気に喰わねえ。
 いいか、俺たちがやりあおうって相手は、そんなうじうじしたまま立ち向かえるようなシロモノじゃねえんじゃねえか? 
 まして戦力にならねえような奴は連れて行けねえよ」
「…………」

 ヴィンセントはうつむいたまま答えない。漆黒の長髪が顔にかかり、表情を読み取りにくくしている。
シドは手を離し、腕組みをして睨み付けた。
「吐けよ。聞いてやる。そいでもって、どうすりゃいいか考えようぜ」


長い沈黙のあとに返ってきたのは、消え入るような呟きだった。
「…………シド……………すまない…」
 シドのこめかみに、再度深い青筋が立った。
「こんの、くそ馬鹿野郎!!!」
「あーっ!! また暴力、だめ!」

 シドの拳がヴィンセントに振り下ろされるのと、エアリスとクラウドが部屋に入ってくるのがほぼ同時だった。
「シド、やめて!」

「止めるなっ! コイツは、殴られねえとわかんねえんだ!」
 クラウドがシドの拳を取り押さえ、エアリスが二人の間に割ってはいる。
「落ち着けよ。一体どうしたんだ?」
まったく事情の飲み込めないクラウドが一番冷静だった。静かにシドとヴィンセントを交互に眺める
「何にしても、眼が覚めたばかりの怪我人を殴ることはないんじゃないのか」
「うるせえ! これにはワケがあんだよ」
シドは腕組みをし、仁王立ちになってヴィンセントを睨みつける。
「おいヴィンよ。だんまり決め込もうってつもりなら、リーダーに喋るぜ。パーティ全体に関わることだ。
 このままじゃすまさねえよ」

 シドの追求を受け、ヴィンセントはうなだれたまま自分の思考に沈んで行った。シドの言葉の一つ一つが鋭く胸に突き
刺さる。表現は荒削りだが、それは彼がセフィロスとの戦いの後にぶつかった自己矛盾を見事に指摘している。
これを乗り越えなければ一歩も進めないのは、彼自身が一番よく判っていることではなかったか。

「シド……」

 ヴィンセントは、殴られたときに切った口の端の血を手の甲で拭ってシドを見上げた。
「おう」
熱い男がクラウドを押しのけてベッドに一歩近づく。
「……時間をくれないか。必ずけりをつける」
 ヴィンセントの夕日の色をした瞳と、シドの夏空の色をした瞳が静かにぶつかった。
「お前がほんとにそのつもりなら、オレ様は何も言うことはないぜ。…だが、信用していいんだろうな?」
「……ああ」
 ヴィンセントは静かにうなずく。その表情には先ほどまでの動揺はもはや見られない。それを見て取ったシドは鷹揚
にうなずいた。相手は元タークスだ。けりをつけると言ったからにはつけるに違いない。

「だったらいいぜ。許してやる」

「……いったい、どういうことだ?」
 状況のつかめないクラウドが眉をひそめる。エアリスがその腕をそっと取り、微笑みながら首をふった。
 シドはタバコが切れたからとそそくさと退却し、ヴィンセントは、エアリスが持ってきた蜂蜜入りのホットミルクを無理や
り飲まされた後かえって気分が悪くなり、毛布にもぐりこんだきりだ。

 納得がいく答えが得られないまま、クラウドはエアリスに背中を押されて部屋を出て行くしかなかった。




 遠くで雷が鳴っている。ルクレツィアの祠がある山は、今頃豪雨に見舞われているだろう。

町を離れニブル山を越える途中、一人になれる場所を求めて、ヴィンセントは夜営の間パーティを離れた。
切り立った崖に面した岩のひとつに座りこんだ彼の髪を、強い風がなぶっていく。



 セフィロスを倒す……それは、ある意味では胎児の時からジェノバに囚われていたセフィロスの精神エネルギーを、
ライフストリームに還元するということにもなる。同様に、ルクレツィアもジェノバの呪縛から解き放つことになるのでは
ないか。
「私たち二人を星に還して」と彼女は言っていた。それは、現在考えうる最良の方法ではないのか。

 「私たち」……ヴィンセントの胸が鋭い痛みを覚える。彼女がそういう時にヴィンセントが含まれたことはない。

―――  私は、セフィロスを羨んでいるのかもしれないな  ―――

 昔も今も、セフィロスは彼女の関心を独占している。最初はセトラの後継者として。次には償いの対象として。
 人類の幸福を願ってセフィロスを産んだ彼女は、そのことによって人や星に対して罪を負った。セフィロスに対して
さえ、母として接することができないことの罪意識を抱いている。そんな彼女を護りたいと切望しながら、ヴィンセントは
常に部外者だった。

 自嘲の笑みをもらし、彼はホルスターに収めた新しい銃を抜いた。ルクレツィアの祠で手に入れた「デスペナルティ」。


 
我が子の安否を尋ねる彼女に、ヴィンセントは「セフィロスは死んだ」と答えた。その直後、この銃を残して、彼女は
消えたのだった。

―――  彼女は知っていた。私が奴を倒そうとしていることを……  ―――


 ならば倒そう。自分の手が血にまみれようとも、それで彼女を救うことになるならば……。


 ヴィンセントは銃と共に置かれていた究極技の封印を解いた。金色の光の粒が舞い上がり、きらめきながら彼の
身体に吸い込まれていく。焼け付くような熱さが全身に広がり、薄れて、消えた。それは触媒となって、彼の中に新しい
モンスターを生み出すことだろう。


―――  これで、ますます人間から離れてゆく……   ―――



 雨が降り始めた。大粒の雨が容赦なく大地を叩きつける。ヴィンセントは雨に打たれるままに、近づいてくる雷鳴を
聞いている。真紅の双眸は、二度と感情の揺らぎを移すことはなかった。













  
                                                            Syun  1998/10/   初稿 
2005/11/03
 加筆修正

7年近く前、FF7をクリア後2番目に書いた二次創作です。1番目のは、大空洞でセフィロスと刺し違えたヴィンセントを、星に帰った
ルクレツィアが迎えに来るという3ページ程度の話でしたが、AC,DCと出てしまったあとにはあまりに設定がずれていてお蔵入りです(笑)
この「遭遇」も設定ずれているのですが、まあ、せっかく書いたしということで。
当初もっとスプラッタだったのですが、しつこく感じたので大分割愛しました。…そしたら、DCの方が上行ってました。ああ、よかった。(何が)
ルクレツィアもDCとは性格が別人ですが、修正してしまうと話が崩壊するのでこのままにしてあります。7年ぶりに出たオフィシャル設定と整合
性を持つのは大変だあ。それでも、DCが出てくれて嬉しいです。






Novels.