星痕症候群





カームの救護所は、ミッドガルからの避難民で溢れていた。
元気なものはカームのホテルや旅館が無償で受け入れ、住民たちが個々に出来る限りの援助をしている。
だが、身体に痣を持ち、黒い膿をしたたらせる病人を受け入れるところは、教会広場に作られた救護所のみ。
移動手段がないためミッドガルから徒歩でカームに向かい、途中でカームファングの餌食になってしまった者も少なくない。
そしてようやくカームにたどり着いても、「星痕症候群」の人々は仮設の救護所でなすすべもなくうずくまり、痛みに耐えるしかなかった。
 ごく少ない有志のグループが、水や食べ物を病人たちに配っている。その悲惨な状況に、ヴィンセントは言葉を失った。




「…星痕症候群、私たちはそう呼んでいます」
新入りに水とパンを配っていた教会のシスターが、彼に話しかけてきた。
「星痕…?」
「ええ。メテオがぶつかる直前に星全体から溢れた光に打たれたものが、病気になっているんです」
魔晄をくみ出し、星を傷つけた私たちへの裁きなのでしょうかとシスターは肩を落とす。
「治療法がわかりません。ポーションもあまり効きませんし、魔法も痛みをとめるぐらいしか…」
「マテリアがあるのか」
「はい。でも魔法を使えるものが限られていて。…まさか?」
ヴィンセントの言葉に、シスターは期待に瞳を輝かせる。
「…もし、ケアルが使えるのなら協力していただけませんか?」

 黒い革製のスーツに、激しい戦いの中を生き残ってきたことを示す所々に銃痕のある暗赤色のマント。そして大腿のサイホルスターに
納められた、大型のハンドガン。その姿は各地を旅する武闘家かモンスターハンターのように見える。
そして彼らの中には高い魔力を持つ者が多い。もっとも物騒な連中が多いのも事実だったが、シスターは長身の男が痛ましげに周囲を
見回す様子から、協力を得られると判断した。


 彼女はパーテーションで区切られた一角へヴィンセントを誘導した。
そこには、何人もの病人が床に敷かれた毛布の上に横たわっていた。そばにいる家族と思しき人々は、あるものは目を泣き腫らし、
またあるものは疲労と絶望から表情を失ったまま、死に向かおうとしている者に寄り添っている。

「症状の特に重い方たちです。せめて、痛みだけでもとってあげてください」
シスターは翡翠色に輝く小さなマテリアを差し出して、深々と頭を下げた。


 ヴィンセントは黙ったままマテリアを受け取った。
一番手近にいた若い男のそばに膝をつくと、話を聞いていた付き添いの女性が、お願いしますと小さく呟いて頭を下げる。
彼が低く呪文を詠唱すると、マテリアから翡翠色の淡い光が広がり、男の身体に吸い込まれていく。
苦しげな息を吐き出していた男は、表情を和らげてわずかな微笑みを浮かべた後、静かに息を引き取った。

 付き添っていた女性は感謝の言葉を途中でとぎらせ、嗚咽を漏らし始める。
そばでシスターがそっと涙をぬぐうのがわかった。



 ヴィンセントは沈痛な表情を浮かべて立ち上がった。
苦しみが和らぎ、楽に眠りにつけたのは分かるが、後味の悪さは否めない。しかし、顔を上げると周囲の人々のすがるような視線に
絡め取られた。


「…うちの子にも、お願いします」
「私の夫にも…」
 目の前で大切な人が苦しむのを見ているのは辛い。もし死期を早めることになったとしても、少しでも苦しみを和らげてあげたい。
不治の病に冒された人々の家族たちは、必死の思いで彼に懇願する。

「…私にできるのは、一時の気休めだけだ。それでいいのか」
「はい。私たちでは、それすらできませんので、お願いします」
 少し目を赤くしたシスターに再度頼まれ、ヴィンセントはマテリアを片手に死を間近にした人々の間を巡る。
柄にもないと自嘲しながらも、病人たちの苦しむ姿と付き添った人々の悲しい瞳の色は、彼を捕らえて放さなかった。







 重い疲労感が全身にのしかかる。
数百人に上る星痕症候群の人々にケアルをかけたヴィンセントは、救護所の事務室に置かれた椅子に座って目を閉じた。
 体力を魔力に変換してまでマテリアを使った経験はない。攻撃系の魔法と異なり、死を目前にした人に鎮痛効果だけを狙ってかける
ケアルは、繊細な魔力の調整を必要とする。

 慣れない行為を長時間続けたために珍しく頭痛を起こした彼は、指先で眉間を軽く押さえた。その目の前に、紙コップに入った冷茶が
差し出された。


「お疲れさん。よく頑張ったね」
顔を上げると、救護所内で病人の世話をしていた女性が、人懐こい笑みを浮かべている。ヴィンセントは目礼を返してコップを受け取る
と、一息に飲み干した。短い呪文とはいえ数百人分の詠唱を続けた喉は、すっかり渇ききっていた。

「驚いたよ。あんたの魔力は桁外れだね。これだけの人数に回復魔法をかけられるなんて」
空になった紙コップに、追加の冷茶を注いでやりながら女性は感心したように首を振る。娘も魔力が高かったから、居ればきっと手助け
してくれたろうに、と呟く女性にヴィンセントはコップを傾ける手を止めた。

「ああ、死んだよ。少し前にね。星を守るための犠牲になったって聞いた」
彼の視線に気付いて、女性が応える。
年のころは40代後半か50代だろうか。枯れ草色の髪を束ねているのは、年齢に似合わないピンクのリボン。

「…あんたもほっつき歩いてないで、親御さんの所へ帰んなさい。こんなご時勢だからきっと心配してるよ」
 自分の外見は彼女の子供と同世代に見えるらしい。ヴィンセントは苦笑し、残りの冷茶を飲み干した。
その動きでマントがゆれ、彼の二の腕に巻きつけられているピンクのリボンが顔を覗かせる。その風体ではかなりの長旅をしているの
だろうと、咎めるような眼差しを向けた女性の表情が変わった。

「このリボンは…?」
「友人の形見だ」

女性の質問の意味を十分に理解しながら、ヴィンセントが短く応える。
彼女、エルミナは目を大きく見開き、やがてゆっくりと頷いた。





 野宿の続いていた彼は、久しぶりにシャワーを使う機会に恵まれた。熱い湯は身体を温め、埃やモンスターの返り血と共に疲れまで
洗い流してくれるようだ。

 エアリスの養母は、娘の友人をもてなしもせずに帰すわけにはいかないと、辞退する彼を連行して来た。カームの親戚を頼ってきた
エルミナは、マリンをバレットの許に帰した後、毎日のように救護所でボランティアをしている。
星痕症候群に罹った者はミッドガルのスラムの居住者が圧倒的に多く、同郷の人々を放っておけない、というのが彼女の主張だった。



「さっぱりしたかい? まあ、お座りよ」
 エルミナは薬草茶を淹れながら、客にテーブルに着くよう促した。
彼女が間に合わせに用意した室内着を身につけたヴィンセントは、生乾きの髪をそのままに、家主の勧めに従う。
旅の汚れを落とし、マントやガントレットといった装備を外した彼は見るものに全く異なる印象を与える。
高襟とバンダナで半ば覆われていた端整な顔立ちを目にしたエルミナは、軽く目を見張った。


「この薬草はね、ミッドガルから株分けして持ってきたんだ。疲れに効くってあの子が育てたんだよ」
「………」
ヴィンセントは黙ったまま視線をテーブルに落とした。
 脳裏には忘らるる都の湖に沈んでいくエアリスの姿が浮かぶ。
鋭利な刃物で傷付けられた服の破れ。湖水に溶けてうっすらと広がっていく血の色が鮮明に甦り、彼は唇をかみしめる。
彼女の命を奪った長剣の持ち主は、セフィロス。忌まわしきジェノバ細胞を植え付けられた、ルクレツィアの息子。
彼が傍観していた災厄の爪あとは、こんなところにまで影響を及ぼしている。
ルクレツィアの息子が、ガスト博士の娘を殺めた。その事実は、彼の心を切り裂いた。

自分があの時もっと強かったなら。ジェノバプロジェクトを中止させていたなら、こんな悲劇は起こらなかっただろう。
北の大空洞で決着を着け、セフィロスとジェノバを永遠の眠りに送り込んだとしても、奪われた命は戻らない。

「……すまない」
消え入るような声で、彼は謝罪を口にした。二人分のカップをテーブルに置いて、エルミナが彼を見つめる。
「彼女の死には、私も責任がある…」
「この間来たあんたの仲間たちも同じことを言ってたよ」
特に、クラウドとティファという二人がねと言いながら、エルミナは薬草茶を口に運んだ。
「そばにいたのに、助けられなかったって。でも精一杯やってくれたんだから、あやまることはないよ」
「だが…」

 相手はジェノバの胴体がセフィロスコピーとして動いていたもの。確かに、そばにいたとしてもエアリスを守ることが出来たとは言い
切れない。
 しかしそのジェノバが封印から解かれて活動を開始していたことが、ジェノバを操る悪夢を生み出させてしまったことこそが彼の罪だ。
クラウドやティファよりも、もっと根源からの罪状が彼には突き付けられている。

 自分が、セフィロスの誕生を阻止してさえいれば、エアリスが命を落とすことはなかった。メテオも、ライフストリームによる人々への
災害もなかったはずだ。

 「星が私たちを罰している」という教会のシスターの言葉が甦る。そして、黒い膿を流しながら死んでいった多くの人々。
メテオに対抗するため星が使ったライフストリームを浴びた人々が、星痕症候群に侵されている。それは、星に害をなすものとして裁か
れたということなのだろうか。

 ならば何故、星は自分を最初に罰しないのか。



「…大丈夫かい? あんたの方がひどく辛そうな顔してるよ」
目を伏せ、爪が自らの掌に食い込むほどきつく拳を握り締めていたヴィンセントは、我に返ったように顔を起こした。
いつもはマントの高襟に半ば隠されている彼の表情は、無防備にエルミナの視線にさらされている。
「あの子は、自分しかできないことをやりとげたんだ。命がけでこの星を救った。あんたたちだってそうだろ」
「………」
ゆっくりと諭すように話す彼女を、苦しそうな表情を浮かべた夕日色の瞳が見つめる。
「みんなが自分のやるべきことをやった。危険はおんなじだろ。死んでたのはあんただったかもしれない」
その時、仲間たちに後悔して悲しんでもらいたいのかい?と問うエルミナに、ヴィンセントの表情がわずかに動く。
「……いや。自分の命の責任を、彼らに取らせるつもりはない」
「だったら、あの子の気持ちも判るはずだ」
「だが、彼女は…」
女性だし貴重な古代種の生き残りで、守るべき存在だったというヴィンセントの主張を、エルミナは鼻で笑い飛ばした。
「古代種だから、あの子にしか出来なかったんだろう?それに女だから守るべきってのは、偏見だよ」
「………」
「わたしが見る限り、男のほうが根っこは弱虫で意気地がないね」
 容赦なく核心を突かれたヴィンセントは、言葉を失う。確かに、仲間の中で一番前向きで強かったのはエアリスだった。
それに、彼女の養母であるエルミナ。娘を亡くしたというのに、この強さはどこからくるのだろう。


 彼のその疑問は表情に出ていたようだ。エルミナは苦笑を浮かべる。
「…全く、あんたたちが入れ替わり来ちゃメソメソするんで、励ます側になっちまったじゃないか」
彼女はポットから自分のカップに新しい薬草茶を注いだ。
「ウータイの戦いで夫が死んだ時もそうだったけどね…」
空になったポットに手をかけたまま、気丈な母親は遠い目をする。
「二人とも、手の届かないところで星に還っちまった。でも、二人ともわたしの生きる場所を守ってくれた。夫はミッドガル、
エアリスは星そのものさ。私はあの子たちが残してくれたものを大事にしたいね」


 都市の復興は無理だが、それを支える人々を手助けすることはできる。病人の介抱を自分が引き受けることで、若い者たちが他の
作業をすることができる。そうしたことの小さな積み重ねが、やがては世界の再建に繋がっていくだろう。

 それが二人への何よりの手向けだとエルミナは続けた。亡くした者を悼んで思う存分涙を流し、そこから立ち直った者の強い視線が
相手を見据える。

「あんたは、どうするんだい?エアリスが守ってくれた、この世界を受け継いでいくのはあんたたちだよ」



 ヴィンセントは答えられなかった。
罪の意識を抱え、彼の思考は過去に遡ることはあっても、生きるつもりのなかった未来に向かうことはない。
そもそも、セフィロスとの戦いの後に自分が生き永らえるとは思っていなかった。

 だが、今、自分は生きている。
そのこと自体が許されがたい罪のように感じて、ヴィンセントはうなだれる。


「ま、わたしも立ち直るのにそれなりの時間がかかったからね。あんたもよく考えるといいよ」
口調を和らげてエルミナはヴィンセントの分のカップを取り上げ、レンジで温めなおした。
「喋ってる間に冷めちゃったじゃないか。疲れが癒えるからね。飲みなさい」
ヴィンセントは勧められるままに薬草茶を口にした。癖のある香りが鼻につくが、飲めないことはない。
「それと、もう一枚タオル出しておくからね。ちゃんと髪を乾かしてから寝るんだよ」
恐らく、エアリスにも同じように言っていたのだろう。まるで母親のようにふるまうエルミナに、ヴィンセントは微笑寸前の表情を浮かべた。






 その日から、教会の救護所へ通うエルミナに、影のように付き従うヴィンセントの姿があった。
ケアルの効果は2,3日で薄れ、重症の者は毎日魔法を希望する。毎日のように運び込まれる星痕症候群に罹った人々に日々悪化
していく滞在者。

 彼は一日中テントの中を回って、希望するものにケアルを施した。決して治癒するわけではないが、少しでも安楽に過ごせる時間を
欲して、人々は彼の来訪を心待ちにするようになった。

 病状の苦しさに耐え続け、その苦しみから解放された安堵とともに息を引き取る者も多い。それでも、病人につきそう家族や友人たち
は、感謝の言葉を口にした。
教会では星痕症候群の治療ができるという噂が広がり、カーム中の病人が通うようになった。

 その反面、苦痛は癒えても病状が治るわけではないことに苛立ち、見当違いな八つ当たりをする者、ケアルをかけた直後に死亡した
ため、彼に家族を殺されたと逆上する者もいた。


 ヴィンセントはその全てを受け止め、一切の弁明をしなかった。彼の瞳に浮かぶ落胆の色を周囲の者たちが見て取って、逆に弁解に
回ることが常だった。

魔法の恩恵を受けた者は彼を「魔術師」と呼び、自らの運命への怒りを彼になすりつけた者は「死神」「ペテン師」と罵った。




「感謝されたり罵倒されたり、あんたも大忙しだね」
 市場から新鮮な果実を仕入れて戻ってきたエルミナは、苦笑しながら話しかけた。
酷い頭痛が持病のようになったヴィンセントは、椅子の背に寄りかかり、冷水で絞ったタオルを額に当てている。
救護所に滞在するにはあまりに戦闘的だとエルミナに指摘され、マントとバンダナ、ガントレットは外されていた。
身にまとうものが黒一色になった彼の姿は、確かに魔術師とも死神ともとれる。


 エルミナは皮を剥いたリンゴを彼の前に置き、温まってしまったタオルを取り上げた。
「また、昼食抜いたんだろう。リンゴぐらいは食べなさいよ」
「ああ、すまない」
「こういう時はすまないじゃなくて、ありがとうって言いなさい」
「…ありがとう」
事務室に入ってきたシスターが、そのやりとりを聞いて微笑みを浮かべる。
「エルミナ、彼が来てから楽しそうね」
「全くね。急にでっかい息子ができちゃったようなもんだよ」
 エルミナは井戸から汲んだ冷たい水でタオルを絞り、彼女が言う所の大きな息子の額に乗せた。ヴィンセントは長く息を吐き出して
タオルの冷たさを享受する。


 連日100人以上にケアルを施している彼は、呪文を詠唱せず念じるだけで回復魔法を発動させられるようになっていた。
 一度の魔法で3日ほど痛みが抑えられる者も多かったことと、星に還ってしまった者がいたことから、少しずつ対象者は減っている。
しかし、莫大な負担がヴィンセントにかかっていることは変わりなかった。

 分裂したマテリアを使ってシスターたちもケアルを施したが、魔力が比べ物にならない。救護所に収容されている人々と、噂を聞き
つけて通ってくる人々への対応が終わる頃には、さすがの彼も頭痛に耐え切れず、事務室で一息入れるのが常だった。


「ポーション、飲むかい?」
「…いや、いい」
「だけど、大分辛そうじゃないか」
「大丈夫だ。少し休めば治る」
貴重なポーションを無駄遣いすることはない、と黒い魔術師は固辞する。彼の回復力は知っているものの、頭痛を何とかしてやりたい
エルミナはため息をついた。



 星痕症候群に侵され、救護所に収容された人々は、この2週間ほどで半数以上が命を落としている。
パーテーションで仕切られた重傷者を収容したエリアは、簡易ベッドや折りたたみ椅子などが運び込まれ、以前よりも格段に環境が
よくなっていた。
 だが、不治の病を治せるようになったわけではない。死亡者が出てベッドが空くと、次に重症な者がその場所を使用する。
発病から死までの時間は大人の方が短く、救護所には子供の姿が目立つようになっていた。


「…あの子、先ほど亡くなりました」
控えめなシスターの声に、ヴィンセントは目の上に押し当てていたタオルを外した。
「眠ったまま、痛みもなく星に還ったようです」
「そうか…」
ヴィンセントは重い吐息をつき、視線を落とす。

 ミッドガルのスラムから逃げ延びてきた、孤児の少年だった。星痕症候群の痛みと確実に迫ってくる死に怯え、ケアルを施した彼の
腕にしがみついて離れようとしなかった。

ヴィンセントは少年が眠るまで、黙ってそばについていた。頬や胸の痣から滲む膿が当てられた布を黒く染め、やせ細った彼の姿を
よりいっそう痛々しいものにしていた。
その少年が星に還ったという。ヴィンセントは左腕に残る小さな手の感触を思い出した。

 魔晄を星から搾取したわけでもなく、その恩恵にあずかることすら少なかったスラムの少年。
こんな惨い死に方をするほどの罪を、あの子が犯したとは思えない。


『これは、本当に星が我々に下した罰なのだろうか』
漠然とした疑問が彼の中に沸き起こる。
 星が人々に与えた罰という説が流布し、病名も「星痕症候群」となっている。だが、あの時ホーリーと激突したメテオの影響はどうなの
か。未知の有害物質を、メテオが地上にばら撒いた可能性も捨てきれない。

 今のところ症状を訴える人々はミッドガルとカームに集中しているが、他の都市の状況は不明のままだ。比較的近い距離にあるジュノ
ンの被害はどうなっているのだろう。




「あんまり考え込むと頭痛が酷くなるよ。あんたは、あの子にできるだけのことをしてやったじゃないか」
彼の沈黙の意味を取り違えたエルミナが、いたわりの言葉をかける。
「…一時の気休めだがな」
「それでも、楽になったのは確かだろ。そんな言い方するもんじゃない」
憎まれ口を利く元気が出てきたなら食べなさいと、エルミナは木製の小さな串に刺したリンゴを彼に渡す。
その時扉がノックされ、別のシスターが申し訳なさそうに室内を覗いた。
「あの、ミッドガルから避難してきた方が到着されて、酷く痛がっているのですが…」
「わかった」
 立ち上がったヴィンセントは、ふと気付いたようにエルミナの顔に視線を移すと、リンゴを口に放り込んでから事務室を出て行った。
「…まったく、1個しか食べないで」
皿に山積みのリンゴを見て腕組みをしたままぶつくさ言うエルミナを見て、シスターはこっそりと失笑した。





「なんでこんなしんどいこと引き受けたんだい?」
 帰途の道すがら、エルミナが隣を歩くヴィンセントに話しかけた。
彼の風体は、クラシカルな建物と美しい石畳のカームの街にそぐわないのだが、黒い魔術師の功績を知る人々は温かい視線を送る。

「あの子のことで、私に義理立てする必要はないよ」
ケアルをかけ続けるヴィンセントを見て、シスターのひとりがまるで殉教者のようだと話していたのが、彼女の脳裏に甦る。
彼にどこか自罰的な傾向があるのを感じ取り、エルミナはひそかに気を揉んでいた。

 しかし、彼女の思いと裏腹にヴィンセントの態度は淡々としていた。
「ケアルを使える者がいそうになかったからな」
「それだけの理由で?」
「ああ」
片腕にエルミナの荷物と夕食のための食材を抱え、彼女に合わせてゆっくりした歩調で歩きながらヴィンセントは答える。
「それでよく頭痛を我慢しながら続けられるねぇ」
時折鬱陶しそうに頭を振る相手を見上げて、エルミナは感心と呆れが半々になった表情を浮かべた。この魔術師は想像以上に辛抱
強い。


「しかたあるまい。途中でやめてもいいのか?」
「…暴動が起こるかもね」
「それに……」
ヴィンセントの声が低く沈む。
「……もうじき必要なくなるだろう」
 星痕症候群は治癒することはない。彼の言葉の意味する所は、殆どの者が星へ帰還してしまうだろうということだった。
二人の間に重い沈黙が横たわる。


「それでも、前よりマシさ。痛がる人はいなくなったもの」
気丈な彼女は無理に明るい声を出した。
「新しくできたW何とかというところが、治療法を探しているそうじゃないか。そのうちいい知らせがくるよ」
逆境にあっても明るい面を探そうとするエルミナに、ヴィンセントは微笑を浮かべた。
滅多に見られない彼の美しい笑みに、エルミナは一瞬見惚れる。


「さて、今夜は何にしようかね。肉にする?それとも魚?」
「どちらでも」
「そういう投げやりな返事をするんじゃないよ。どっちなの?」
「……魚」
エアリスの押しの強さは、養母ゆずりなのだろうかと考えながら、ヴィンセントはとりあえず頭に浮かんだ方を答えた。

 それならもう一軒寄って、新鮮な魚を買っていこうとエルミナが言った時、街の南門の方角が騒がしくなった。

ばらばらと何人かの市民が武器を手にして走っていく。喧騒の中に、市門を閉めろと叫ぶ声が聞こえる。



「何かあったのかい?」
エルミナが通りすがりの自警団の若者を捕まえてたずねる。
「…ガードハウンドが、輸送車を襲っているんだ」
大きなライフルを重そうに抱えながら、若者は答えた。ジュノンからの輸送物資を運んでいた車が、カームを目の前にしてガードハウンド
の群れに取り囲まれたのだという。目的は積荷の食料だろう。

「近頃は、輸送車が来るのも間が開いているから、あの積荷が来ないと食料が足りなくなるぞ」
「あら困ったね。今夜のおかずが横取りされちまう」
 大真面目にピントのずれた心配をするエルミナを、ヴィンセントは思わず見返した。
「何だい。あんた魚が食べたいって言ったろ」
「…それはそうだが」
「買い物できないと、うちには干物しかないよ」

街の一大事を前に、夕食のメインディッシュの話を始めた二人に、自警団の若者は大きな咳払いをした。
「…取り込み中すまないが、銃が使えるなら力を貸してもらえないか」

彼の視線はヴィンセントが下げている巨大なハンドガンに向けられている。
「輸送車が群れに囲まれていて、市門も開けない。ちょっと遠いが一頭ずつ狙撃するしかないんだ」
「わかった」
 エルミナが彼をつついて荷物を渡すように合図する。
買物袋を彼女に渡し、若者が重そうに持っているライフルを受け取ると、ヴィンセントは南門に向けて走り出した。





 魔晄を大量に消費するミッドガルエリアの土地は荒れ果て、植物は育たない。
カームでは食糧をジュノンエリアやグラスランドエリアから輸入するのが常だった。時折、ジュノン港を経てゴンガガやウッドランドエリア
からの品物が届くこともある。

 その貴重な物資を運んできた大型トレーラーは、カームを目前にして停止を余儀なくされていた。
周辺に群がるガードハウンドがいては、市門を通過するわけには行かない。街の方でも、モンスターが市街地に入り込むことを恐れて
堅く門を閉ざしている。

 街全体を取り囲むモンスター避けの石壁に開けられた銃眼から、カームの警備兵が狙撃を試みていた。
しかし、距離と相手の動きのすばやさに阻まれ、なかなか撃退できずにいる。



「数は?」

銃眼が全てふさがっているのを見たヴィンセントは、指揮官と思しき男に尋ねる。怪訝そうに振り返った男は、彼の手にしたライフルを
見て、民間人の協力者と判断したようだ。いかつい顔が少し和らいだ。

「7,80ってところか。やけにしつこいから相当腹減らしてるんだろうな」
 ミッドガルからの避難民が断続的にカームへのルートを辿るため、モンスターたちにとっては格好の猟場だ。
最近ではカームファング以外のモンスターまで出没するようになった。その筆頭がガードハウンドである。神羅が軍事用に開発したもの
が野生化し、群れを作って人を襲うようになっていた。

ヴィンセントは、手にしていたボルトアクションタイプ用の銃弾を受け取ると、予備動作もなく手近な民家の屋根へ跳躍した。
そこを足がかりに、石壁の上に苦もなく飛び乗る。彼に弾を渡した警備兵は、ぽかんと口を開けたままその姿を見上げた。


 ほぼ市門の真上に立ったヴィンセントは手動で弾を装填しライフルのストックを肩に当てた。ガードハウンドまでの距離は約1200m。
彼にとってはそれほど遠くない。

 彼の銃口が火を吹くのと同時に、トレーラーの運転席部分にとりついていた一頭が転がり落ちた。次に屋根の上に居た
一頭が、ドアを破ろうとしていた一頭が次々に地面に倒れていく。

銃眼を占領していた兵士たちは、規則的に聞こえてくる銃声に周囲を見回し、最期に壁の上を見上げた。狭い足場をさほど苦にもせず、
強い風に長髪を黒い炎のようにたなびかせた男が、正確な射撃で次々とモンスターを屠っていく。

車体にとりついていたガードハウンドが一掃され、血路を見出したトレーラーが全速力で門へ向かった。
「門を開けろ!」
「道を開け! 車が入ってくるぞ!」
 警備兵と自警団は野次馬の整理にとりかかる。その間にも石壁の上のスナイパーは、トレーラーに追いすがるガード
ハウンドを着実に仕留めていった。ひるんだモンスターを振り切ってトレーラーが街に入り、市門が再び閉ざされたその時。

 一発の銃声が銃眼のそばから響いた。石壁の上のスナイパーがバランスを崩し、ライフルを取り落とす。二度目の銃声と同時に長身
がのけぞり、街の外側へ転落した。市門前の広場に集まった人々から驚きと悲鳴の声があがる。


「ヴィンセント!!」
固唾を呑んで一部始終を見守っていたエルミナは、荷物を放り出して市門にとりついた。
慌てた警備兵が彼女を取り押さえる。

「娘の友達なんだよ!出しておくれ!」
「無理だ! まだガードハウンドが外にいる!」
「だったら助けないと食べられちまうじゃないか!」

必死の形相で叫ぶエルミナ。その彼女の言葉に調子はずれな哄笑が覆いかぶさる。
「あんなペテン師、モンスターに食われちまえばいい!」
仲間に取り押さえられた警備兵の一人が、地面に向かって唾を吐いた。星痕症候群に罹った妹を彼に殺された、その仇をとったのだと
いう。
ヴィンセントを口汚く罵る彼を、仲間の警備兵が宥めようとする。

「ケアルで人が殺せるわけないだろう」
「うるさい!奴のせいで妹は死んだんだ!」
星痕症候群の家族を持つ人々がざわめき始める。
「あの人、救護所にいた魔術師じゃないのか?」
「そうだ。背が高くて髪の長い人だよね」
「もし死んじゃったら、ケアルが受けられない…」
一段と大きくなったざわめきを、獰猛な魔獣の咆哮が遮った。モンスター同士が争う音に、ガードハウンドの悲鳴が混ざる。
石壁から落下した男の身を案じていた一同は静まり返り、不安そうにお互いの顔を見比べた。




カームの警備を取り仕切る指揮官は、銃眼から門の外の様子をうかがった。
石壁の直下は死角になっているが、ガードハウンドの屍骸が点々と転がっているのが見えた。

「警備兵、前へ。市門を開けろ」
指揮官の声に、門が開かれる。
 彼らの目にしたものは、夥しい数のガードハウンドの屍骸。そしてその中に片膝をついてうずくまった男の姿だった。
「おい、大丈夫か!」

 警備兵の声に黒い魔術師が顔を上げる。その身から揺らめいた暗赤色のオーラと瞳に宿る金色の光に、一同は思わず後ずさった。









「どうしても行くのかい」
「ああ。世話になった」
まだ日の上りきらない早朝。騒ぎのあった南側の市門近くに、二つの人影があった。
背の高い男がまとった暗赤色のマントが、朝の風に揺れている。

「怪我したばかりなんだし、もう少し休んでおいきよ」
ヴィンセントは引きとめようとするエルミナに軽く首を振る。
「もう大丈夫だ」
それに、エルミナに迷惑がかかるのは避けたい、と彼は言葉を続けた。
「わたしなら平気だよ。一握りの連中の言うことなんか気にすることないさ」

 ガードハウンドの襲撃後、カームの人々の彼への態度は微妙な変化を見せた。
もともと反発していた人々は、ライフルで撃たれガードハウンドの群れの中に落ちても無事だった彼を、モンスターの眷属と公言し、
カームから出て行くことを要求した。

一方、教会のシスターやケアルのおかげで安寧を得た人々は彼を庇い、街の中では二つの派閥争いが顕著になっている。
「面倒はごめんだ。ここには長居をし過ぎた」
 相手の突き放すような言い方に、エルミナはやれやれとため息をついた。彼女には、自分をトラブルに巻き込むことを恐れている
彼の想いが、痛いほどに伝わってくる。


 エルミナは、ヴィンセントの腕を軽く引いた。彼女の意図を察して片膝をついた彼の頬に両手を優しく当てる。
「餞別代りにひとつだけ言っておく。罪の意識で自分を罰するようなことはしちゃいけないよ」
「……!」
ヴィンセントが無防備に動揺を表情に表した。分からないとでも思っていたのかとエルミナが得意げな笑いを見せる。
「前向きに生きても後ろ向きに生きても、過ぎる時間は同じだよ。どっちの方が得策かわかるだろ」
あんたは随分と重い荷物を背負って生きているようだが、それを降ろしてみちゃどうだい、と、まるで子供に言い聞かせるように彼女は
続けた。


 ヴィンセントは目を伏せたままエルミナの言葉を聞いていた。
自分の罪が許されるなど、彼にとっては想像の域を超えている。しかし、後悔だけを抱えて自らを封印しても何にもならないことは実証
済みだ。

これから、自分は何をなすべきなのか。エルミナの言葉は、少なくとも前方に彼の目を向けさせた。


「……短い間だったけど、ほんとに息子ができたみたいで楽しかったよ」
向けられた慈母の表情に、ヴィンセントも柔らかい笑みを浮かべる。彼の額に、母の口付けがそっと落とされた。
「気をつけてお行き」


 エルミナの言葉に頷き、彼は荒野に向けて足を踏み出した。
次第に高く昇っていく朝日に照らされた自分の影だけを道連れにして。






                                                                   2007/9/20
                                                                   syun








ホントはACのクラウドとヴィンセントの会話に繋がる長編になるはずだったのですが。書いているうちにエルミナ母さんがいい味出してしまいまして。
そっちに傾いたら、クラ&ヴィンの落とし処になる話とテイストが違ってきちゃったので、この部分を独立させました。
AC
でクラウドはエアリスから赦しと癒しを貰うわけですが、そのクラウドを導く役回りのヴィンセントにもどこかにエポックがあったのではと思ったわけです。
無印本編と比べて微妙に前向きになってきていますし。
エルミナは孤児のエアリスを引き取ったり、母性愛の強い肝っ玉母さんというイメージがありますね。ACは母性と救われるべき子供というテーマもある
ので、エルミナ&ヴィンセントでキャスティング。ヴィンは強情なところがあるので、よほど年上でないと説教しても聞かないだろうと思うのです。
というわけで、長老お二人に次いでエルミナ母さん登場。おおっ、新カップリング登場?!(違うから)







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