災難への序曲





 年中無休のWROだが、職員は交代に夏季休暇を取る。

この制度の恩恵に与れないのは、交代要員の居ない局長だけだ。
幹部職員に任せて休めるはずなのだが、責任感の強いリーブはにこやかな笑みとともに部下たちの申し出を却下し続けている。
局長の過労を心配したシャルアたちがあれこれ策を練るのだが、今のところ決定打がない状況が続いていた。


 そんなある日。
局長室は珍しい訪問者を迎えていた。
要請がない限り来訪することの殆どないヴィンセントが、珍しく自発的にWROを訪れている。
先日とある理由でシェルクにレシピの検索を頼んだ彼は、律儀にも手土産持参で礼を言いに来たというわけだった。
気に入るかどうかわからないが、と口の中で呟きながら渡された箱を開けて、シェルクは目を丸くする。
最近エッジの「新・八番街」に出来た若者向けのアクセサリー店で、一番人気のペンダントだ。
青い輝石を銀細工で取り囲むようにデザインされたもので、シェルクの魔晄を浴びた瞳の色とよく合う。

「ありがとうございます。…でも、まさか、貴方が買ってきてくれたのですか?」

女の子向けの可愛らしい商品が並ぶ店の中にこの妖怪赤マントが現れたら、それはもう場違いどころの騒ぎではなくなる。
彼が精一杯気を使ってくれたのは嬉しいが、街中にいらぬ騒動を起こしたのではと気になってしまうシェルクだった。
怪しい風体のために、人間の日常生活空間の中ではとにかく浮きまくる男。
それがヴィンセント・ヴァレンタインである。

「いや、ティファとマリンに頼んで私は店の外で待っていた。…すまない」

この「すまない」は彼女へのプレゼント選定を他人に託したことについてらしい。
 若い娘の喜びそうなものがさっぱり分からなかった彼は、身近な女性に助けを求めた。
ティファとマリンは喜んで引き受け、あれこれ迷って彼を1時間以上も待たせた上で、少々高価だが人気の品に決めたのだった。
モンスターを倒して多額のギルを稼ぐ割に、武器弾薬の補充以外に金の使い道のないヴィンセントにとっては何の支障もない。
華やかな街並みの中でも一番きらびやかな店の前に突っ立って、周囲の好奇の視線に晒されていた彼は値段も聞かず即座に
同意した。

それが、このペンダントというわけである。

 シェルクは事情を聞いてくすくす笑いながらもらったばかりのアクセサリーを首に巻きつけた。
ノースリーブのチュニックを着た彼女の白い肌の上で青い石がきらりと輝く。
銀製のチェーンは繊細なデザインで、彼女の細い首の周りに優雅におさまった。
選んだのがティファとマリンでよかったとシェルクはひそかに思う。
もしヴィンセント本人が選んだら同じ銀製品でも「魔除けになる」とか何とかいいながら銀の弾丸を送ってよこしそうだ。
 それはそれでもちろん嬉しいのだが。

「似合うじゃないか。なかなかいいぞ」

隣に座っていたシャルアが隻眼を細めて妹を見やった。
シェルクは嬉しそうにうなづき、ヴィンセントを見上げる。

「気に入りました。ありがとうございます」
「そうか」

居心地の悪そうだったヴィンセントがようやく安堵したように笑みを浮かべた。

「なるほど、シェルクさんのおかげで私たちも彼の料理が味わえたわけですね」

それまではデスクで仕事をしながら耳だけ参加していたリーブが、アイスコーヒーを一同にサービスしながら同席する。

「で?首尾はどうだったんだ?」

アイスコーヒーにたっぷりとミルクを注ぎながらシャルアが好奇心を抑えきれない様子でたずねる。

「大好評ですよ。ティファにも太鼓判をもらうほどの味でした」

口を閉ざしてしまったヴィンセントの代わりに、リーブが満面の笑みで答えた。

「是非もう一度、味わってみたいですねぇ」
「余計なことを言うな」

からかうように向けられた言葉に渋面を作ったヴィンセントがそっけなく答える。
偶然その場にやってきたリーブは、二日酔いのティファの代役を務めたヴィンセントのランチを口にすることができた幸運な一人
だ。

その後セブンスヘブンでは幻の一品のリクエストが続き、ティファが頭を抱えている。

「貴方なら大丈夫とは思っていましたが、よかったです」

シェルクが自分のグラスにもミルクを足しながら、ほっとしたように言う。その言葉をシャルアが聞きとがめた。

「貴方なら、ってどういう意味だ?」

話題が戦闘や謀略ならば分かる。だがこれは料理の話だ。
ヴィンセントを知る誰もが、料理をしようとする彼に向かって「貴方なら大丈夫」などというセリフは使わないだろう。
だが、シェルクはストローでコーヒーとミルクをかき回しながら自明のことのように答えた。

「ルクレツィア・クレシェントのデータの中に、彼に度々夜食を作ってもらったという情報がありました」

 神羅屋敷で時間を共有していた頃、研究に没頭すると寝食を忘れるルクレツィアを見かねたヴィンセントは、度々彼女の元へ
夜食を運んでいた。

最初は簡単なものだったが、喜んで食べてくれる彼女の笑顔が見たくて秘かに練習し、料理のレパートリーを増やした。

「ラタトゥユもその中に入っていましたので、食材と所要時間に経験値を加えて選びましたが、…何か?」

説明に集中すると周囲の状況が読めなくなるのがルーイ姉妹の共通の欠点だ。
シェルクのきょとんとした瞳に、片手で額を押さえて俯いてしまったヴィンセントと好奇心満々の残り2名が映った。


「…シェルク、もういい。その話はするな」

顔を伏せたまま呻くようにヴィンセントが制止する。

「いえいえ、もっと詳しく聞きたいですね」
「初耳だな!キミにそんな芸があったなんて、知らなかった」

…芸じゃない。必要に迫られてやむなく身につけただけだ。
リーブとシャルアの嬉しそうな声にヴィンセントは胸の内で反論した。
声に出せば言い負かされるのが自明であるため、むろん危険は冒さない。

「せっかくセブンスヘブンから新鮮な野菜も届いているし、再現してもらおうじゃないか?」
「いいですね。この間はパンでしたから今度はパスタで、暑いので冷たくしていただくのはどうでしょう」

そらきた。

ヴィンセントは身を堅くし、意識的に聴覚を遮断する。


れいせいだったらほそめのめんでレッドペッパーなどもいれてすこしからみのつよいほうがうまいかもしれんなそうですねワインも
コスタからいいのがとりよせてありますしほんぶきんむのものだけでもあつめてのうりょうかいといきましょうかそれならぶれいこう
でわっともりあがろうそうしましょうわっはっは…



盛り上がる二人の会話は意味のない音声として彼の耳を通り過ぎる。

「…ということで、ヴィンセント。よろしくお願いします」
「何の話だ?」

氷の溶けかかったアイスコーヒーを口にして、間の抜けた味に眉を顰めながらヴィンセントはそっけなく答える。
フリではなく本当に聞いていなかったことで抵抗する彼に動じるほど、リーブもヤワではない。

「せっかくの機会ですから隊員たちとも親睦を深めていただくということで。メインディッシュを貴方が作ったとなれば盛り上がりま
すし」

「盛り上がらなくていい」
「そういう協調性のないことを言うから、周囲に誤解を与えるんですよ。これは貴方のためであるんです」
「大きなお世話だ」
「まあそう言わずに。たまには皆と楽しんでみてはいかがですか」
「断る」

いつになく深追いするリーブに無礼寸前の返答をするヴィンセント。
丁々発止とやりあう二人の間に、シャルアが割ってはいる。

「ヴィンセント、そんなに我々と一緒にいるのがいやなのか?」

リーブの懐柔策には冷徹な反撃をしてきたヴィンセントだったが、直球を投げてきたシャルアの言葉にはひるんだ。

「いや、そういうわけでは…」
「だったら何故そんなに嫌がるんだ?」

腕組みをして真っ直ぐに彼の瞳を見つめ、容赦なく問い質してくる彼女の姿は怒った時のルクレツィアに似ていて怖い。
ヴィンセントはため息をつき、疲れたように首を振って片手で長い前髪をかき上げた。

戦いやモンスター狩りのようなミッションの時ならいざ知らず、大勢が参加するただのイベントに同席するのは苦手だ。
ましてやその中心となって参加者に料理を振舞うくらいなら、もう一度オメガに体当たりする方がはるかにまし。
気心の知れた仲間だけならともかく、不特定多数の前に晒し者になるのはごめんこうむりたい。

まるで女教師に叱られて弁解する学生のように、ヴィンセントはシャルアにぼそぼそと答える。

「お姉ちゃん、もう許してあげて」

見かねたシェルクが助け舟を出す。

「こんなに嫌がっているのに、二人がかりで強制するのは気の毒です」
「別に強制してるわけじゃないさ」

シャルアは肩をすくめて腕組みを解き、これも氷が解けて水っぽくなってしまったアイスカフェオレを一息に飲み干した。

「でも、彼の場合は強制でもしないと捕まえられませんからねえ」

付き合いが長くヴィンセントと連絡を取るのに甚大な苦労を重ねてきたリーブは、そうすぐにはほだされない。

「大勢が集まる場合以外でも、貴方はふらりと来てすぐにいなくなってしまうじゃありませんか」

携帯電話を持たせても大抵は電波の届かないところに居るし、充電はしょっちゅう忘れるようですし、伝言は聞かないし…。

くどくどと続く説教に閉口して、ヴィンセントはようやく譲歩した。

「…お前にはもう一度作ってやってもいい」

思わず顔を綻ばせたリーブの目の前に指を突きつけ、ただし条件がある、とヴィンセントは続ける。
今まで休暇をとったことがないと聞くが、今年の夏季休暇はきっちりと取ること。
これにはリーブの方が鼻白んだ。

「いや、それはちょっと…」
「ならばこの話はなかったことにしよう」
「いえ、それもちょっと。せめて2日になりませんか?」
WROの夏季休暇は5日間だろう」
「じゃあ3日」
「話にならんな」

余裕を取り戻したヴィンセントはリーブの懇願を鼻であしらう。
休みを取ろうとしない局長を皆が心配しているという情報は、シェルクから聞いている。
これで彼が休みを取ればそれに越したことはないし、払う代償が料理一皿なら安いものだ。
リーブの自宅なら他の人間の視線にさらされ、ああだこうだと言われる心配もない。
5日もあれば、過労気味のリーブも身体を休めることができるだろう。監視も兼ねてしばらく滞在してもいい。
ワーカホリック気味のリーブがこの取引に応じないなら、それはそれだ。
体調は気にはなるが、そばにはシャルアやWRO幹部たちがいる。自分がそこまで付き合う必要はない。

リーブはしばらく考え込んでいたが、デスクに戻るとPCを開いて予定を確認し始めた。

「わかりました。明後日から5日間、休みを取ることにします」
「本当か?!」

シャルアが驚きと安堵を表情に半々に載せてソファから身を乗り出した。
シェルクも安心したようにうなづき、ヴィンセントを見上げて微笑みかける。

「さすが、ですね」
「………」

誰も動かすことの出来なかった局長に休みを取る決心をさせた男は、軽く肩をすくめたのみだ。
だが、その顔は数秒後には異なる表情を浮かべることになる。
リーブは画面に呼び出した予定表を次々と変更して登録しながら、とんでもない拡大解釈をしてのけた。

「せっかくヴィンセントが5日間も食事を作ってくれるというのを、無下にするわけには行きませんからね」
「5日間だと?」

上機嫌な局長の言葉に、ヴィンセントは思わず振り返った。

「ええ。こんな珍しい機会は逃せませんよ。せっかくですから家でみんなを集めてバーベキューパーティもしましょう」
「ち、ちょっと待て!」
「もちろん、私も手伝いますのでご心配なく。二人して『男の料理』をみんなに振舞おうじゃありませんか」

みんな、とは誰だ。どこまでの範囲を指しているつもりだ?
交友範囲の広いリーブの「仲間」は一体何人になるのか、想像もつかない。
いや、そもそも何故「5日間の食事」なのだ。5日休みを取れとは言ったが、その間の炊事をすると言った覚えはない。

「リーブ、それは…」
「局長、よかったな。ヴィンセントが居てくれるなら護衛の方も安心だ。たまにはゆっくりしてくれ」
「ええ。それにせっかくの機会ですからこの5日間の間に、彼には色々と相談に乗ってもらいますよ」
「いや、あの…」
「そうだな。それがいい。こちらのことは任せてもらって大丈夫だ」
「休暇が終わる頃には、WROの幹部が1名増えているというのが理想ですがね」
「それは最高だな!楽しみにしていよう」

WRO局長と天才科学者は呼吸がぴったり合っている。なかなか会話に割ってはいる隙がない。

「だから、それは…」

勝手に話を進めるなと苛立つヴィンセントを振り返り、シャルアは両手で彼の手を堅く握った。
彼女の隻眼には、感謝と安堵と信頼があふれてキラキラと輝いている。

「ありがとう。局長が全く休まないので本当に心配してたんだ。どうか、よろしく頼む」
「あ? あぁ…」

間の抜けた返答をしてしまいながら、ヴィンセントはこれではまるで義父に挨拶される花婿のようだと場違いなことを思う。
一方リーブは休みを取るからには仕事に目途をつけてしまわなくてはと、さっそくデスクに座り込んだ。


WROに嫁いで来ませんかと言いましたが、本当にこれでは花嫁の手料理尽くしのハネムーンのようですねぇ」
「馬鹿を言うな」
「大丈夫ですよ。私は好き嫌いのない方ですし、貴方が作ってくれたものなら喜んでいただきます」
「いいから、もう黙れ」

舞い上がっているどころかすっ飛んでいる連中を相手にしては会話が成立しない。
ヴィンセントは最大級に憮然とした表情で腕組みをし、ソファに深く身を沈めた。
一体、何故こんな事態になってしまったのか皆目見当がつかない。
はっきりしているのは、退引きならない状況に足を踏み込んで、5日間拘束されることが決まってしまったことだ。
リーブと2人だけというならまだしも、この隠れ宴会マニアはホームパーティを何回かやらかすつもりらしい。

全く、一体どうしてこんなことになってしまったのか。

不機嫌のオーラを濃厚に立ち上らせる彼のそばにシェルクが座り、なだめるようにそっと腕に手を置いた。

「5日分のメニューをプログラムして渡します。簡単なパーティメニューも付けておきますから」

貴方なら大丈夫、きっと切り抜けられますというシェルクの言葉に、ヴィンセントは力なく笑うしかない。
デスクにいるリーブだけが、通常の2倍のエネルギーで楽しそうに仕事を次々と片付けていくのが対照的だった。




                                                      syun                         
                                                               初出 2009/8/19
                                                              加筆修正 2010/1/23






続けるつもりはなかったのですが続き物になってしまった第3弾です。最初はシェルクへの贈り物を探すためにアクセサリー店に現れて若いお嬢
さん方に怖がられる妖怪赤マントの話のつもりだったのですが、あまりに不憫で方向性を変えました。それでもオシャレなお店の前にこの人が
立っていたら立派に営業妨害です(笑)通報されなくてよかったです。後半はやはりチャンスは最大限に生かす敏腕局長のおかげで妙な方向
に話がそれました。そして続きをご希望される訪問者さまの神の声で4段目へと続いたのでありました。お調子者の性格がバレバレです(笑)






Novels