災難
「さっさと退け。重い」
不機嫌さを音声にしたような彼の台詞も意に介さず、ロッソは男の胸にある治りかけた傷を感心したように手でなぞる。
「…あれだけの傷が、もう治るなんて」
あなたの身体って一体どうなっているのと言いながら、満腹した雌虎は立ち上がった。
腹の上の重みがなくなったヴィンセントは、後ろ手に縛られたまま何とか身を起こす。
コンテナに立てかけておいた武器を手に振り返ったロッソは、その様子を見て目を細めた。
「ふーん、もう、動けるんだ」
前触れなくツヴィエートの手から放たれる空気の刃。
間一髪避けたヴィンセントの右頬をそれはかすめ、切り裂かれた黒髪の一部が宙に舞う。
驚くでもなく、次の動きを見切ろうと視線を外さない彼に、ロッソは楽しげな笑い声を上げた。折りたたんであった巨大な刃を
広げると、手負いの獲物に容赦なく振りおろす。
ヴィンセントは、素早く床に身を転がしてそれをかわした。人間を縛るには長すぎる鎖が、耳障りな音を立てながら彼の動きに
追従する。
「…鬼ごっこぐらいは、できるようになったようね」
両手を後ろに縛られレザースーツの前をはだけたまま立ち上がった獲物を見て、ロッソは失笑した。
同時に、ヴィンセントが狼狽したように声を上げ、不自然に身を屈める。
無理もない。二本のベルトは外され、ファスナーはフルオープン。
勢いよく立ち上がったせいで皮製のボトムはずり落ち、かろうじて彼の腰骨の位置に引っかかっている。
「ああら。随分と素敵な姿だこと」
「………」
不幸な男は相手を睨みつけながら身をよじり、後ろ手に戒められた指で何とかベルトをつかもうとするが、鎖が邪魔でうまく
いかない。
「手伝ってあげましょうか?」
「うるさい。来るな」
笑みを浮かべながら歩み寄るロッソから、ヴィンセントはすり足で後ずさった。いつもの歩幅で歩けば、とんでもないことに
なってしまう。
「あらそう。じゃあ、鬼ごっこ続けるわよ」
言葉と同時に、朱いツヴィエートの手から空気の刃が放たれる。悔しさと屈辱に歯噛みしながら、ヴィンセントは必死で物騒な
鬼の追撃をかわした。
ロッソの攻撃は下半身に集中し、彼に失態を演じさせようという意図が見え見えだ。脚を閉じ、腰を屈めた不自然な格好で、
飛び跳ねながら逃げ回る彼を、魔女は喜んで追いかけ回した。
「あはは!楽しいわねえ!」
「……畜生」
目の前に被さってくる髪を振り払いながら、男は低く唸った。
ツヴィエートの攻撃をかわし続けている間に、服は微妙にずり下がり、既に緊急事態になっている。
その彼の脚の間を狙って、ロッソの武器が振り下ろされた。思わず膝を離し、ヴィンセントは大きく跳躍する。
ロッソの頭上を飛び越え、一回転して着地した次の瞬間、ボトムは膝の位置までずり落ちた。
「……!!」
脚の自由を奪われたヴィンセントは、生まれて初めて顔から床に転倒する。
ロッソの爆笑が、豪雨のように彼の背に降り注いだ。
「いい格好だわね、ヴィンセント・ヴァレンタイン」
倒れた彼のそばに屈みこんだ魔女は、剥き出しになった男の肌を無遠慮に撫でる。
「かわいいオシリしてるじゃない。もう一戦、つきあってもらおうかしら?」
「…いい加減にしろ!!」
比較的丈夫にできているらしい彼の堪忍袋の緒が切れた。
怒りと痛みと屈辱が爆発的なエネルギーとなって、ヴィンセントの全身から深紅の光が揺らめき立つ。
彼の自由を奪っていた太い鎖が綿のように千切れ飛び、禍々しい翼を広げた死神が仁王立ちになる。
ロッソはすばやく身を翻し、遁走をはかった。
「カオス相手に鬼ごっこする気はないわ!」
咆哮したカオスが間髪を入れずに衝撃波を放つ。朱いツヴィエートは辛くもその直撃をかわした。
「次に逢う時には、今度こそ丁寧に殺してあげる」
楽しげな捨て台詞を残して、ロッソは鮮やかに逃亡する。残された魔獣は冷めやらぬ怒りを周囲にぶつける。
神羅屋敷の一角の屋根が、轟音とともに吹き飛んだ。
「…ヴィンちゃん。何でこんなとこで倒れてんの?」
ユフィは鼻の頭にしわをよせながら、瓦礫の山の中で昏倒しているかつての仲間を眺めた。
マントはないわ、手首に鎖の痕はついているわ、しかも社会の窓が開きっぱなし。
もしかして立ち○○している時に、DGソルジャーに襲われたのか?と、ユフィは容赦のない想像をする。
「もー。しょうがないなー」
彼女はミニマムを唱え、小さくなった男をポシェットに無造作に突っ込むのだった。
初出 H19年8月11日
加筆修正 H20年1月5日
「刃に隠された真意」のギャグバージョンです。自分で突っ込んでどうすると思わないでもないのですが、ロッソVSヴィンセントの
戦いを書いていて「これ、絶対落ちるよねー」と思ってしまいまして。ACを見ているとヴィンセントの服って革のツナギのように見えな
くもないのですが、ここは話の進行上セパレートということでお願いします。女難の相がある当サイトのヴィンセントさんですが、この
後もちろんユフィのキビシイ追及にあうと思います。ご愁傷様です(笑)