Reparenting
薄暗く静謐な空気をたたえた洞窟。地中から析出された結晶が、淡い神秘的な光を放っている。
静まり返った空間に見えるが、ヴィンセントの聡い耳には遠くの滝の音がかすかに聞こえていた。
「ルクレツィア…」
彼は定位置になってしまった場所に腰を下ろし、ひときわ大きな水晶柱におだやかな視線を向けた。そこに自らを封印
し続けているのは、ルクレツィア・クレシェント。彼が変わることなく想い続けている美しき科学者。
シェルクのおかげで彼女の想いを受け取った今は、痛みを伴わずにルクレツィアに語りかけることができる。
ヴィンセントはディープグラウンドとの戦い後もここを訪れ、いつの日かルクレツィアが自らを赦し、封印を解いて降り立
つことを待ち続けていた。
洞窟内の静かな空気がざわりと波立つ。ヴィンセントは素早く立ち上がり、右手を銃のグリップにかけた。
闇からにじみ出るように現われたのは、銀髪の半神。
「ほう、こんなところに出るとはな」
セフィロスの言葉に、ヴィンセントは訝しげな瞳を向ける。半神の口角がわずかに吊り上った。
「星痕を宿した者たちのライフストリームが、一定方向に取り込まれている。それを追ってきたのだ」
「星痕…」
ヴィンセントの脳裏に、彼の身体から離れた最強のウェポンの名が浮かぶ。
命の淀みを取り込むそれは、ジェノバの影響を受けたライフストリームを狩り取っているのだろう。そしてそれは、星に還る
ことなくライフストリームの中を遊弋するセフィロスを、徐々に追い詰める結果となっていた。
「…まさか、その女に出会うことになるとはな」
皮肉な笑みを浮かべるセフィロスの視線の先にある水晶柱。その中には、彼の産みの母が封じられている。
「星を支配する災厄とわかって産み落としたのか。それともただの点数稼ぎか」
神羅に属する者のやりそうなことだと、半神は冷笑を浮かべる。
「ジェノバ・プロジェクトの目的は、古代種の復活だった。あの当時、ジェノバは失われた古代種と見なされていた」
ヴィンセントの抑制の効いた低い声にセフィロスは翡翠色の瞳を眇めた。
かつて大空洞でクラウドと共に自分に挑み、そして忘らるる都では思念体たちの邪魔をした。事あるごとに彼の前に立ち
ふさがろうとする、目障りな存在。
「彼女が産み出そうとしたのは、『約束の地』への導き手だ」
魔晄炉が開発されたばかりの当時、魔晄の利用が星を枯渇させ、滅亡に追いやるとは誰も考えなかった。人は発展の
ために強いエネルギーを必要としていた。安定した生活と豊かな未来を得るため、魔晄は必要不可欠だった。
星の声を聞き、魔晄が豊富な「約束の地」へと導く古代種の復活のために、ルクレツィアは自分の身を捧げたのだ。
「体外で受精卵にジェノバ細胞を埋め込むという方法もあった。だが、彼女は自分の体にジェノバ細胞を受け入れた」
古代種と見なされてはいても、古い地層でミイラ化していた細胞をわが身に取り込むのは、大変な勇気を必要とする。
機密保持を任務としていた為に知りえた情報は彼にとっても苦痛を伴うはずだが、ヴィンセントは静かに問いかけた。
「何故かわかるか」
「科学者としての功名心だろう」
それとも好奇心か、と冷笑とともに応えを返す半神。
母は宇宙の闇を旅してきたジェノバ。この星の生命とは一線を画する存在。その能力を受け継ぎ、母と同じようにこの星
を支配するという目的を持ってからは、どのように生を受けたのかという過程には関心を失った。「仮の宿」でしかない人間
の女になど興味はない。
…だが、ほんとうにそうだろうか?
セフィロスの翡翠色の瞳がゆれ、水晶柱に封じ込められた女性科学者へと向かう。
ジェノバ細胞の苗床となったこの星の人間の細胞がある限り、純血のジェノバとは言えない。そして40週間近く、人間の
胎内で育まれたという事実も消すことはできない。
やはり、半分は「人間」なのだ。長期に渡り封印してきた「母」の存在は、セフィロスの奥深いところに揺さぶりをかけた。
ヴィンセントはその笑いにわずかな亀裂が入っているのに気付く。
「ライフストリームから膨大な知識を得たとしても、人の想いまでは汲み取れないようだな」
生存する人の思いはライフストリームと繋がっていないため、その情報とはなりえない。水晶柱に自らを封じ込めたルク
レツィアの命は、まだ星の表面に留まっている。ヴィンセントはその冷たい表面にそっと手を置いた。
「彼女は、リスクを含めてお前の存在全てを受け入れたのだ」
「何故そう言い切れる?」
セフィロスの口調にやや詰問の色合いがにじむ。ヴィンセントは一度地面に視線を落とした。
「護衛と機密保持が、私の任務だった。彼女をずっとそばで見ていた。だから、わかる」
科学者であるよりも、一人の母親として胎児に語りかけていた彼女。出産後すぐに子供を取り上げられ、半狂乱になっ
て宝条に迫った姿も覚えている。彼女が体調を崩したのはその後間もない頃だった。見ているだけだった自分を再び思い
起こし、苦い思いが彼の胸に広がる。
ヴィンセントの瞳に浮かぶ苦渋の色を、セフィロスは冷淡に眺めた。
「では聞くが、古代種でもジェノバでもなかったら?」
「…何?」
「その子供が、ただの人間だったとしたらどうなる」
質問の意図を測りかねてヴィンセントは沈黙する。
ジェノバ・プロジェクトがなければ、ルクレツィアと宝条が子をもうけることは考えられない。当然、セフィロスの誕生は
なかったことになる。通常の夫婦の間に望まれて生まれてくる子供とは、やはり違うのだ。
すぐには返らない答えに、セフィロスが壮絶な笑みを浮かべた。
「どんなに言葉を飾ろうと、お前たちにとっては所詮実験サンプルだったということだ」
あくまでも優雅な口調で、半神は言葉を続ける。
「あいにくだったな。生まれたのはお前たちの望んだ古代種ではない。最悪のモンスターだ」
自らをジェノバではなくモンスターと揶揄したセフィロスの言葉に違和感を感じて、ヴィンセントは眉をひそめた。
その言葉はどこか常のセフィロスとは異なっていた。ジェノバの後継者としてのアイデンティティを確立した彼が持つ、揺ぎ
無い尊大さとは違う。むしろ、裏切られて傷ついた者の悲しみ、憎しみが伝わってくる。
他の者とは違う、特別な存在としてセフィロスは自分を認識してきた。だが、それは同時に孤独を意味する。集団の中に
あり、英雄と持て囃されながらも、彼は常に異端であり続けた。同じソルジャークラス1stであるジェネシスとアンジールは
彼が心を開いていた数少ない友だったが、その関係は二人の失踪という形で終焉を迎えた。
より深まる孤独の中で、セフィロスは答えの出ない問いを繰り返す。
自分はどこから来てどこへ行くのか。自分とは一体何なのか。
その答えのよすがとなる肉親の姿はない。自らを特別と意識しながらも「人間」と思っていたのは、自分を産んですぐに
他界したという母の存在があったからだ。顔すら知らぬ母への淡い思慕。せめてどのような姿か知りたいという切ない思い。
しかし、母の生きた証が何一つ残されていないことに対する疑念が、彼の存在を不安定にさせる。
自分はいったい何者なのか。「母」は彼が捜し求めた自分自身の探求の重要な道標でもあった。
だが、その「母」は人間ではなかった。
ニブルヘイムの魔晄炉で目撃したモンスター製造施設は、セフィロスに衝撃を与えた。
そしてそこに劣化したモンスターの姿となって現われたジェネシスの言葉が、彼を更に深い混乱へと陥れる。
ジェノバプロジェクトとは何か。それを知るために彼は神羅屋敷の地下にある研究室にこもりきりになった。
プロジェクトの舞台であったそこには、膨大なデータが残されている。だが彼の読み漁った資料は、誤った仮説の上に積み
上げられたものだった。疑う術のないセフィロスは、それをそのまま受け入れるしかない。歪んだ自己像が創り上げられる。
現存の人類が繁栄する陰でひっそりと絶滅していった古代種。自分はその最後の一人であるジェノバの細胞から作り出
された、実験体だった。
今まで感じていた周囲の人間との違和感が、一気に現実味を帯びる。
この星の主人たるべきセトラを犠牲にして、のうのうと数を増やし続けた人類。プロジェクトと称して母を実験材料にし、更に
今まで自分を欺き続けてきた神羅カンパニー。そして、真実を伝えることなく彼のもとを去った、ガスト博士。
セフィロスの中で、怒りと憎悪が爆発する。
不幸にもジェノバプロジェクトの舞台となった辺境の地、ニブルヘイムが最初の贄となった。村人たちの血を浴び、村を焼き
業火の中でセフィロスは色濃い狂気に満ちた笑みを浮かべる。
この星の上で、母と自分は二人だけの存在。サンプルとされていた母を救い出し、二人で約束の地へ旅立つのだ。
セフィロスは「ようやく逢えた母」と慕いながらも、装置に固定されていたジェノバの身体を解放するのではなくその頭部をもぎ
取った。「母の頭部」を小脇に抱えた彼の心は、この時既に壊れ始めていたのかも知れない。
ジェノバの脳とリユニオンを果たした彼は、さらにライフストリームから膨大な情報と知識を吸収した。
ジェノバはセトラではなく、むしろその絶滅の元凶となったもの。この星に破滅をもたらす宇宙から来た災厄。
しかし、それはもはやセフィロスに何の感慨も抱かせることはなかった。
彼が確立したアイデンティティは、この星の生命全てを滅ぼし支配者となる存在。いずれライフストリームを全て我が物とし、
星の海へと旅立つのだ。
その彼が一人の人間から生まれた子供であるなど、我慢のならない侮辱でしかないはずだった。
「人間」の母親など、一時の仮の宿に過ぎない。論ずるにも足りない些細な存在だ。
だが、そう否定しようとするそばから、ふつふつと新たな怒りが湧き起こってくるのを止めることができない。
今更、何を言うのか。
恋いもとめた時、母はそこにいなかった。孤独の中に置き去りにして、手を差し伸べようともしなかった。
最も必要な時にそばにおらず、今更現われて何になるというのか。
セフィロスの恨みと憎しみの矛先は、神羅や星に住む人々全体に拡大していたが、今や目の前の二人に急速に収斂しつつ
あった。
セフィロスの左手が、身の丈ほどもある長剣を抜き放つ。どす黒い殺意がオーラのように立ち上った。
ヴィンセントはルクレツィアを庇うように立ち位置を変える。
「…存在全てを受け入れた、だと?」
翡翠色の瞳がぎらりと閃光を放つ。
「笑わせるなッ!!」
激しい憎悪の噴出とともに、正宗が振り下ろされた。
立ち上げた「ウォール」が、激しい斬撃にぎしぎしと軋音を立てるような気すらする。
クラウドに敗れて実体を失い、今はライフストリームを漂う思念体でしかないはずのセフィロス。しかしその圧倒的な力に、
ともすると押し負けそうになる。
抜刀と共に発動された「八刀一閃」を辛くも防ぎ、ヴィンセントは大きく跳躍した。ルクレツィアの水晶柱を戦いの巻き添えに
したくはない。
反射的にホルスターに伸ばされた手は、しかし銃のグリップには掛けられなかった。マテリアを銃からガントレットに移し、
ヴィンセントは防戦一方に徹した。追いすがるセフィロスの白刃をバリアを表面に張り巡らせたガントレットで弾き、受け流し、
ギリギリの攻防を繰り広げる。
攻撃をする気にはなれなかった。無論、ルクレツィアの前でセフィロスを害する訳にはいかない。しかし、それだけではない
何かがヴィンセントの中に生じていた。
強いて言うならば、子供の激昂を受け止める親の心情のようなものだろうか。
セフィロスが神羅を憎むのは当然と認める気持ちが、ヴィンセントにはある。自分もその罪状の一端を担っている。
身を守る術を持たない胎児を無謀な実験から守る機会がありながら、何もせず看過した。その罪から逃れるつもりはない。
「…お前の怒り、分からなくもない」
「何だと」
独り言のように漏らした相手の言葉を、セフィロスが聞きとがめる。
「神羅のやり方は間違っていた。滅ぶべきだったと私も思う」
自分の組織への帰属意識が薄い元タークスは、簡単に言い切った。神羅に貢献した人間でも、都合が悪くなれば簡単に
始末し、その死を隠蔽する。巨大な組織の暗部を知る元タークスと元ソルジャーは、反神羅という点では共通点を持つ。
「だが、やりすぎだ」
憎悪の対象を星全体にまで広げることはあるまいと淡々と告げるヴィンセントに、翡翠色の瞳が眇められる。
「お前は分かっていないな。わが母ジェノバは、この星を支配するために来た。私はそれを継承するのだ」
「そのことだが」
夕日色の瞳が、ひたりと相手を見据えた。
「それは『おまえ』の意思なのか。それとも移植されたジェノバに踊らされているのか」
セフィロスほどの意志の力があれば、異生命の因子に支配される理由はない。『ジェノバ』と『セフィロス』は別人格のはずだ。
行動規範の全てがジェノバならば、親の敷いたレールの上しか走れない子供と大差はない。
「それを一体いつまで続けるつもりだ?」
ヴィンセントの静かな弾劾は、セフィロスの逆鱗に触れた。
「お前に何が分かる!」
長剣が殺気を帯びて振りかざされた。
ヴィンセントはブリザガで巨大な氷柱を立ち上げて盾とし、相手の激しい斬撃を逸らす。激しい一撃で堅固な氷柱を粉々に
したセフィロスの長剣が、華麗な死の舞を舞う。ヴィンセントは銃を抜くことなく、魔法とガントレットでそれに対峙した。
切り裂かれた暗赤色のマントの一部や、避けきれずに傷を負った彼の血が、地面で淡く光る結晶の上に舞い落ちていく。
武器が激しくぶつかりあう音、荒々しい足音、そして二人の息遣いが洞窟の中にこだまする。
予想以上の手強い抵抗にセフィロスは長剣の切っ先を一度下げ、その鋭い視線で相手を一瞥した。ヴィンセントは長剣が
引き起こした風刃に切り裂かれた肩を押さえ、ゆっくりと手を離した。生々しい傷口が見る間にふさがってゆく。
「不本意に異生命の因子を植えつけられたのは、お前だけではない」
静かな言葉に、セフィロスは相手の言わんとしていることを悟る。
クラウドに気を取られ、その一行のことなどあまり関心がなかった。だが、自分の操る思念体たちの追撃を退け、人質のター
クスやクラウドを奪い去ったヴィンセントは忌々しい存在として記憶に残っている。
複数の魔獣に変身するこの男は、たしかカオスの因子も宿していたはずだ。
「…お前は、人間か」
毒を含んだ問いかけに、ヴィンセントは苦笑を浮かべた。
「自分ではそのつもりだ」
命をかけてでも、守りたいものがある。そして、父親から愛情を受けたという確かな記憶。それがある限り、自分は「人」で
いられる。そうでなければ、セフィロスと同様に自分を見失い、カオスに取り込まれて命の狩り取りを始めていただろう。
「だが、お前も『人間』だろう」
「黙れ…!」
半神が振るう強烈な一撃は切り裂いたものが燃え上がるほどの威力を持つ。それに対抗するためガントレットに氷の属性を
つけ、さらにバリアを帯びさせてヴィンセントは凶刃を受け止める。魔力を漲らせたはずの金色の表面に亀裂が走った。
長剣に力をこめるセフィロスの歪んだ表情が間近に迫る。
だが、その爆発的な怒りはどこか空虚だ。翡翠色の瞳と視線を合わせたヴィンセントの意識に、まだ人の形をとってすら
いない身体に異生命の細胞を植え付けられる胎児の心が入り込んだ。
想像を絶する苦痛と恐怖。何者かにじわじわと自分を乗っ取られていく絶望感は彼にも覚えがある。引きずられそうになった
ヴィンセントの集中力が一瞬途切れ、セフィロスの長剣がガントレットに食い込んだ。
「どうした。そこまでか」
我に返り、魔力を強めたヴィンセントのガントレットと長剣の力がぶつかり合う。優位な体勢を取っていたセフィロスが、気合
とともに相手を切り飛ばした。
洞窟の壁に叩きつけられる赤い影。銀色の稲妻がその後を追い、狙い過たずに胸部を貫く。
「お前もプロジェクトの一員だったな」
苦痛に表情を歪め、白刃を掴んで動きを制限しようとする相手に、セフィロスは穏やかとすら言える口調で語りかける。
その視線がゆっくりと動き、水晶柱を映し出した。
「それなら、あの女とともに処刑してやろう」
目の前に迫るセフィロスの禍々しい笑み。
しかしヴィンセントはその表情が示すものとは異なる感情をそこに見出した。
これは本当に怒りや憎しみなのか。ちがう、むしろこれは…
彼は自らの身体に埋め込まれているエンシェントマテリアに意識を集中した。カオス制御の鍵となるそれを使って、星で
最強のウェポンを召還する。
はたして、ルクレツィアの水晶柱の周囲から深紅の輪郭を持った闇が湧き上がった。明確な輪郭を持たないそれは、吸い込
まれるようにヴィンセントの身体に憑依する。
「なに…?!」
セフィロスが身を引こうとするよりも早く、ヴィンセントのガントレットが相手を捕らえる。
閃光と共に衝撃波がセフィロスを襲った。
『食えるか、ジェノバだけを…!』
人の姿のままカオスのエネルギーを左手に集約させ、ヴィンセントは一気に放出させる。
星がオメガを顕現させる時、穢れたライフストリームを狩り取って吸収する力がカオスにはある。ジェノバがライフストリームの
中で遊弋できたのも、カオスがヴィンセントに憑依していたため、本来の機能を果たせなかったせいだ。
長身のセフィロスの身体は、今は殆どが深紅と黒の光に取り込まれている。
『ジェノバだけだ…“セフィロス”は、残せ…!』
相手が思念体だからこそできる、一時的な手段。リユニオンするジェノバは、いずれまた復活するだろう。
だが、このひと時だけでも、荒ぶる魂を鎮めたい。
爆発的な魔力の放出に意識が持っていかれそうになるのを、ヴィンセントは歯を食いしばって耐えた。力の流れが変われば、
カオスに食われるのは彼自身だ。
永劫とも思える時間が過ぎる。
やがて、セフィロスの姿が解け崩れるように消失した。あとには頼りなげに浮かぶ翡翠色の光の粒がのこった。
その場に両膝をついたヴィンセントは、残った力を振り絞って左腕を差し伸べ、拡散しそうになるライフストリームをひとつに
まとめた。
朧に光るそれからは、悲しみと淋しさ、そして封印された涙が伝わってくる。
無骨なガントレットの中に漂う光の粒を見つめながら、ヴィンセントはセフィロスの表情から受けた違和感の理由を悟った。
赤児の気配を感じるそれを、そっとルクレツィアの水晶柱に送り届ける。
「…ルクレツィア、頼む…」
ここから先は、母であるキミにしかできない。
淡い笑みを浮かべ、力を使い果たしたヴィンセントの身体は洞窟の床に倒れこんだ。
水晶柱の前に浮かんだライフストリームは、やがて朧なセフィロスの像を結んだ。
その穏やかな瞳が、昏倒したヴィンセントを映す。
『…このオレに説教する男など、一人しかいないと思っていたが』
柔らかな表情で苦笑を浮かべ、セフィロスは改めて水晶柱を見上げた。それは、かつてニブル魔晄炉でポッドに封印された
ジェノバを見上げた時の姿に酷似していた。
若く美しい姿を保ったままの、ルクレツィア・クレシェント。
セフィロスは歩を進め、水晶柱に片手を触れさせる。
堰を切ったように、ルクレツィアの心が彼の中に流れ込んできた。
薄暗く温かい胎内のイメージ。ゆったりとした鼓動とともに低い子守唄が聞こえてくる。
次に浮かんできたのは、ニブルヘイムのホテルから街中を見下ろした風景。
『そうか。この時に見た風景がオレの記憶に移ったのだな』
胎児のセフィロスによりよい環境をと、ルクレツィアは神羅屋敷から街のホテルに一時移っていた。
研究から離れ、母としてのみ過ごしたひと時は、彼女にとって小さな安らぎを得られる貴重な時間だった。
しかし、その後間もなく残酷な現実が彼女に襲いかかる。
出産直後に乳飲み子を取り上げられ、ルクレツィアは半狂乱になった。その頃ジェノバは古代種ではなく未知のモンスター
であることが判明し、セフィロスは厳重にモニタリングされた保育器で育てられていた。
それでも、ルクレツィアはわが子を腕に抱くことを望んだ。
古代種であろうと、モンスターであろうと、自分の血肉を分けた子供だ。会わせて欲しいという彼女の血を吐くような叫びを、
宝条は冷笑とともに一蹴する。
研究者として冷静さを欠くことと、被験体に関わる当事者であることから、彼女はプロジェクトメンバーから外された。
その後まもなくセフィロスは本社の研究室へ移され、二度とルクレツィアと会うことはなかった。
子を思う母の気持ちが、乳飲み子を抱いてやれない悲しみが流れ込んでくる。
研究の犠牲にした後悔と罪悪感。母として接することの出来ない苦しみ。
そして、自らを封印した後の長い年月も、わが子の身を案じ、声なき声でその名を呼び続けていた彼女。
言語で聞いていたならば、その言葉尻を捕らえて反発したかもしれない。だが、直接心に流れ込んでくる意識には、虚飾や
欺瞞はなく、ただ透明な悲しみに満ちていた。
その根底に流れるのは、理屈抜きの母親の愛情。子供がいくら否定し拒絶しようと、それは確かに存在する。
「…母…さん……」
セフィロスはもう一方の手を水晶柱におき、そっと額をルクレツィアの近くに押し付ける。
水晶の中の彼女がふわりと浮き上がり、その両腕が肩に回されたような気がした。
柔らかな抱擁。やさしい頬ずり。
銀髪の美丈夫の像はその輪郭を崩し、小さな乳児の姿となった。半透明の朧な像として浮かんだルクレツィアが、愛しそうに
それを胸に抱きしめる。
運命に引き裂かれていた母と子の邂逅を、洞窟の結晶たちが淡く照らし出している。むずかる赤ん坊の啼き声とやさしく
あやす母親の声は、やがて小さくなり消えていった。
セフィロスは水晶柱からゆっくりと額を離した。その直前に彼の瞳からはきらめく小さなものが零れ落ちる。
「…もっと早く出会いたかった」
捜し求めていた時に出会ったのが、ジェノバではなくルクレツィアであったら、星の歴史は大きく変わっていただろう。
だが、過ぎ去った時間を巻き戻すすべはない。ジェノバの申し子として生きた彼の罪も、消すことはできない。
怜悧な美貌に淋しげな笑みが浮かぶ。
セフィロスはゆっくりと踵を返した。彼を呼び止める声なき声。それに一度歩みを止めたものの、セフィロスは振り返ることは
なかった。
淡い光を宿す水晶柱に背を向けて闇に向かって歩む彼の姿は、やがてかき消えるように見えなくなった。
syun
2008/7/1
ルクヴィン前提で、セフィロスを胸に抱くルクレツィアという、素敵なリクエストにお答えさせていただきました!
ですが、英雄がなかなか納得して抱っこされてくれません。あたりまえですが。彼をなだめるためにヴィンセントに狂言回しをやってもらいました。
攻撃禁止。どんなにやられても防御に徹し、しかもそこはかとない父性も醸し出すという難しい役回りですが、頑張ってくれたと思います(笑)
ルクレツィア側から描くと共感しにくかったので、「親に捨てられた子供の視点」でセフィロスを描いてみました。「Reparenteing」は心理療法の
一つで、親(神羅、星、人類)への過剰な反発の一方、親(ジェノバ)への過剰依存というセフィロスの捉え方のヒントとなりました。ヴィンセントの
台詞がカウンセラーっぽいのはそのせいです。
CCが出て「人間セフィロス」に出会ったおかげで、感情移入して書けました。セフィロスとルクレツィアは、FF7の根幹に触れるテーマですよね。
ファイさん、素敵なリクエストありがとうございました!かなり理屈っぽい内容になってしまいましたが、どうぞご笑納くださいませ。