夏の思い出





「ふう」

 額から流れ落ちる汗をグローブをはめた手の甲でぬぐって、ティファはずっと中腰で続けてきた作業を終了した。
真夏の太陽が容赦なく照り付けてくる。これではサンバイザーで覆いきれない顔の下半分だけ真っ黒に日焼けしそうだ。
大ぶりのバスケットには真っ赤に熟したトマトにつやつやの茄子、品種改良して味のよくなった足斬草などが並べられている。
もう少しすればトウモロコシや枝豆も収穫できるだろう。


 セブンスヘブンの裏庭に造られたささやかな家庭菜園は、新鮮な野菜を店の料理に使いたいとティファが始めたものだった。
硬い土壌も彼女の拳にかかれば砂地のようなものだ。ごろごろ転がっていた石も岩盤ももろともに砕かれ、グラスランドから
取り寄せた栄養豊富な黒土と混ぜられて、おとなしく畑の様相を呈している。


 植物は育たないミッドガルエリアだが、店の残飯を使った肥料と何よりも子供たちが遊びに行くたびに汲んで来る泉の水で、
ティファの作品たちはすくすくと成長していた。取れたての野菜を目当てに来る客の数も増え、首尾は上々といったところだ。

 雑草取りと虫退治を割り当てられたクラウドは貧乏くじだったかもしれない。地道な作業に閉口した彼は、仲間うちで一番
暇そうなヴィンセントを無理やり呼び出した。何を頼んでも面倒くさがるヴィンセントだが、結局は仲間の頼みを断ったことは
ない。相変わらず擦り切れたマントと大型のハンドガンをぶら下げた物騒な風体で、野良仕事を手伝いにふらりと現れた。

草むしりと虫退治に出撃する二人を見て目を丸くする近所の子供たちに、必死で弁解するデンゼルの苦労など誰も知らない。

 残念なことに雑草と野菜の区別の付かないクラウドは、破晄撃で畑の半分を全滅させ、それに倣ったヴィンセントはよく考え
もせずに残る半分をファイアで焼き尽くしてしまった。

 それを見た子供たちは、植物型のモンスターがセブンスヘブンを襲ったのだと間違った認識をし、デンゼルは大好きな二人
の名誉が守られた安堵と次に彼らを襲うティファの怒りとの間で葛藤する。


 当然ティファは激怒した。せっかく芽が出て伸びてきた野菜を台無しにされたのだから当然だ。
「誰が焼畑を作れって言ったのよ!?」と二人まとめて掌打ラッシュとサマーソルトでこってりとお仕置きし、畑の修復を命じた。
はめていたのが戦闘用の皮手袋ではなく水仕事用のゴム手袋というあたりに、ささやかな手心が加えられていたのかもしれ
ない。

 大失敗をやらかした二人が、あちこちに出来たアザや打ち身をさすりながら蒔いた種はその後みごとに成長し、夏の風に
揺れている。罪滅ぼしのつもりか、ヴィンセントは時折エアリスの水を手土産に持ってくるようになった。

セブンスヘブンを訪れる客がおいしく食べている夏野菜には、こんな波乱万丈なエピソードが隠されているのである。


 その頃。
エッジの子供たちは五番街スラムの教会跡地で遊んでいた。
破れた天井から降り注ぐ日の光にきらめく泉は、夏の遊び場としてはもってこいだ。泳ぎの苦手な子でも、この泉では不思議
な浮力に助けられて自由に泳ぐことが出来る。かつて星痕を直してくれた癒しの泉は子供たちにとって大切な場所だ。

 デンゼルは仲間たちと一緒に駆け回り、水に飛び込み、ふざけあって遊んでいる。マリンは女の子たちと花をつんで冠を作る
のに忙しい。


「うそ、ミッドガルでは花が育つのはここだけって母さん言ってたよ」
「そうそう」

造りかけの花冠にそれぞれの好みでリボンや小枝などを足しながら、少女たちはおしゃべりの花を咲かせる。

「でもね、ティファの畑ではトマトがいっぱいとれたの」

白と黄色の花を交互に並べながらマリンは答える。トマトや茄子の花が咲いて、それから沢山の実がなったのだと。ここの泉の
水を持ち帰り、畑に少しずつ撒いたら植物がすくすくと成長したのだと、彼女は見たままを言葉にした。


「うん、マリンのうちのトマト、おいしかったね」

セブンスヘブンでおやつをもらったことのある子が応援してくれる。

「うちだってこのお水を持って帰れば、トマトぐらいすぐできるよ!」

子供らしい対抗意識を燃やして一人が反論する。しかしそれは周囲の共感は得られなかったようだ。

「私もここの水を持って帰ったけど、お花はすぐに枯れちゃったよ。マリンのとこはとくべつ、なんだよ」

星を守った英雄の家だから、星が応援してくれるのだと子供たちは無邪気に納得している。

「だけど、ちっちゃいモンスターがいっぱい出たんでしょ? クラウドが退治したんでしょ?」

男の子たちからうわさを聞いた一人が怖そうに声を低める。それを聞いたマリンは笑い出した。

「あれはね、クラウドとヴィンセントがね…」
「おいマリン!余計なこと言うなよ!」

 二人の名前を耳ざとく聞きつけたデンゼルが、彼の英雄たちの名誉を守ろうと泉の水をしたたらせながら走って来た。

「だってホントだもん。ティファ、すごく怒ってたよ」

マリンも負けずに応戦する。クラウドやヴィンセントは大好きだが、マリンはなんと言ってもティファ派だ。種まきは彼女も手伝っ
たので立派な被害者でもある。

 一方デンゼルは多少理不尽であろうが何だろうが、徹頭徹尾クラウドびいきである。いつもは仲のよい二人だが、大人たちが
もめるとその余波を受けて小さなけんかになることもあるのだ。


「いいから、うちの中のことを何でもかんでも喋るなよ」
「そんなに喋ってない」

両腕を腰に当てたデンゼルを見上げてマリンはぷぅとふくれる。

「デンゼルの怒りんぼ」
「そんな言い方しなくたっていいじゃん」

 女の子たちは急に一致団結して対抗した。何だかよくわからないが先に怒鳴ったのはデンゼルだ。面白そうな内緒話を邪魔
したのもデンゼルだ。子供たちの世界では単純な利害関係で協力体制が安直に変化する。


「…おれ、帰る」

 こちらもぷぅとふくれたデンゼルは、泉の水を入れたボトルをしっかり胸に抱えて走って行ってしまった。その背中を見送りな
がらマリンは泣きそうになるのをごまかすため、小さな顎を無理にあげて冠づくりに夢中なふりをするのだった。




 日が西に大分傾き始めた頃、小さなアーティストたちはそれぞれの作品を誇らしげに頭に載せて帰り道を辿っていた。
人気のなくなったスラムは危ないから明るいうちに帰って来なさいと、それぞれの保護者から言い含められているものの、つい
つい遊びに夢中になって言いつけにそむいてしまうのは子供の常である。


 そして、その報いは思いもよらない厳しい形で彼らの前に現われた。
壊れたバラックの後から大きな影がズルズルと道の中央へはいずり出てくる、子供の目からみれば小山のように大きなはぐれ
モンスター。エッジの近くに出没したウォームが住民に追い払われ、スラムに迷い込んできたのだろう。手負いで腹を空かせた
モンスターは思わぬご馳走に遭遇したというわけだ。


 帰り道をふさがれた子供たちは悲鳴をあげて六番街方向へ逃げ出した。身体が小さく足も遅い子供はモンスターにとって
格好の獲物だ。追い払われた時に受けたらしい木製の槍が身体に刺さったまま、執拗に追いかけてくる。

ひび割れたアスファルトの道を走り、断層になっているところは廃墟の鉄骨をよじ登って子供たちは逃げる。スラム育ちの子供
はプレートから来た子供よりも危険から逃れるのが上手いが、泉の水を入れたボトルを抱えたマリンは、少しずつ遅れ始めて
いた。疲労と恐怖で息が切れ心臓が爆発しそうだ。それでもティファへのお土産は手放すわけには行かない。


 ウォームは群れから遅れた個体を獲物に選んだ。マリンにターゲットを絞り、糸を吐きかけてその行く手をコントロールしよう
とする。怖くて泣きそうだが、泣いたら走れない。諦めたらそこで終わりだ。
ティファやバレットに育てられた彼女は年齢に似合わず肝が据わっていた。そうでなくてはスラムでは生きていけなかったのだから。


 六番街公園に入ったマリンはすぐ後ろに迫るモンスターの気配に、目の前にあったネコを模したコンクリート製のすべり台の
中に逃げ込んだ。梯子を上るときに水の入ったボトルを落としてしまったが、もう拾う暇はない。
モンスターがどしんと体当たりしてくる振動にマリンは悲鳴を上げた。


「ティファ!クラウド!助けて…!!」

むろん答えは返らない。聞こえるのはすべり台の周囲を回っているウォームのズルズルした足音と、獲物の気配を探ろうとコン
クリートの表面を這い回る触覚のシュルシュルという音だけ。マリンは両手で耳を押さえ堅く目を閉じて、声を限りに叫んだ。


「誰か来て! 助けて! ティファ! クラウド!」

 こんな時間に廃墟となったスラム、しかも遊び場になっている五番街から離れた六番街公園に来る人などいない。
でも、もしかしたら先に逃げていた仲間が声を聞いて、大人を呼んできてくれるかもしれない。一縷の望みにすがってマリンは
呼び続ける。

しかしそれに答えるようにすべり台の入り口から覗いたのはウォームの触覚だった。筒状の口に生えた牙でコンクリートを齧り
入り口を広げようとしている。

 マリンは逃げ場を求めてすべり台のスロープに通じる出口を振り返ったが、そこはすでにクモの巣のように糸がはりめぐらさ
れていた。乾いてべたつきはなくなっているものの、子供の力でひっぱったぐらいでは切れそうにない。

巨大な頭部が入るぐらいに広げると、ウォームは中にいる獲物に糸を吐きかけて動きを封じた。糸にからめとられて身動きでき
なくなったマリンがもう一度悲鳴を上げる。



 その時、腹にずしりと響くような重い銃声が響き渡り、ウォームが動きを止めた。
二度、三度と続いた銃声にモンスターはのたうちながら地面に倒れ、気味の悪い形に丸まって動かなくなった。


 マリンは震えながら入り口を見つめていた。ウォームのものと明らかに異なる重い金属音を伴った足音が近づいてくる。
革や金属の擦れる音と共に長い黒髪と赤いバンダナが姿を現した。闇の中で赤く光る瞳が彼女を映し出す。新手のモンスター
と疑われても仕方のない姿だが、マリンはこの男をよく知っていた。


「…マリンか」

 重低音の声が怪訝そうに問いかけてくる。叫び続けて枯れ果てた喉からすぐには声が出ず、代わりに何度もうなづいた。
ヴィンセントは子供用遊具の狭い通路を腹ばいになって進み、奥にいたマリンを助け出した。少女の自由を奪っていた糸をガン
トレットの鋭い爪で切り、埃と共に優しく払い落としてやる。両腕が自由になったマリンはヴィンセントにしがみついて、ひとしきり
すすり泣いた。幼い少女には酷な状況からやっと救い出されて緊張の糸が切れ、涙が止まらない。
背中にそっと当てられた大きな手が少しずつ彼女の気持ちをなだめてくれる。


「ティファが心配しているだろう。帰るぞ」
「…うん」

 ようやく返事はしたもののまだ震えているマリンを見て、ヴィンセントは彼女を抱き上げた。片手で落ちていた水入りのボトル
を拾い上げ、薄暮の中を危なげない足取りでエッジへと向かう。


 二度の災厄で破壊されたミッドガルとスラムは廃墟と化している。エッジに行くには遠回りをしなければならないところだが、
ヴィンセントは迷わず最短距離を選んだ。鉄骨から鉄骨へと跳び、足場の悪いコースを全く苦にせずに通り抜ける。

マリンは月明かりに照らされた廃墟を眼下に見てきれいだと思った。つかまっているヴィンセントのマントからは鉄と硝煙の匂い
がしたが、それは彼女にとってむしろ懐かしい匂いだ。片腕が銃のバレットに抱かれている時も、いつも鉄と火薬と油の匂いが
していた。普通は剣呑な印象を抱くものだが、その匂いがそばにあるのはマリンを護ってくれる人がそばにいるということ。


『ヴィンセントも、普通の人と同じであったかいんだ』

 夏とはいえ移動する速度に見合った風を受ければ体温が奪われる。途中でそれに気付いたヴィンセントはマリンの身体を
マントで覆ってくれた。かつて忘らるる都でも、彼は憤慨したマリンをマントに庇ってクラウドを窘めてくれたことがある。
ここは彼女だけに許された特別なシェルター。その強大な力とミステリアスな存在ゆえに畏怖されることもあるヴィンセントが、
弱い小さなものに対して人一倍優しいことを子供たちはちゃんと承知している。

 伝わってくる彼の体温に、ヴィンセントだってちゃんと普通の人なんだから、とマリンは彼を理解しない不特定多数の人々に
向かって心の中で力説した。


「寒いか?」
「ううん、大丈夫」


 大分ずれたタイミングで気遣ってくれた相手に、ようやく少女の唇に笑みが戻った。ヴィンセントも月光に照らされながら微笑
する。



「何でわかったの?」

やっと話せるようになったマリンは先刻から気になっていたことを問いかけてみた。片手に彼女を抱えたまま軽々と瓦礫を飛び
越えているヴィンセントは、呼吸も乱さず平淡に答える。


「泉に水を汲みに行ったら、すぐに六番街の公園へ行けと言われてな」

それが誰なのかヴィンセントは口にしなかったが、マリンには分かった。もうだいじょぶ、だね、と耳元で囁く声すら聞こえるよう
な気がする。


また、護ってくれたんだ。

マリンは頭に傾いだまま載っていた花冠を外して胸に抱きしめた。ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。その優しい香りは大好き
だった人を鮮明に思い出させてくれる。

ありがとう、と小さな声で呟いたマリンはすぐそばにある端整な横顔を見上げた。

「ヴィンセントも、ありがとう」

礼を言われた彼は意味が分からないというような顔をする。マリンはもう一度繰り返した。

「助けてくれて、どうもありがとう」
「…ああ」

 ようやく腑に落ちた様子でヴィンセントは軽くうなづく。彼にとってマリンやデンゼルを保護するのは当然であり、礼を言われる
ようなことではないらしい。


 エッジの明かりが見えてきた。もうショックから立ち直り自分の足で歩けるのだが、周囲は暗く足元が見えない。昼間と変わら
ないようにさっさと歩いているのは、ヴィンセントの視力が人間離れしているからだ。

今日は怖い思いもしたし、ヴィンセントに抱いてもらえるなど滅多にないことだし、もうちょっと甘えてしまおうとマリンが決めた時
強いサーチライトが二人を照らし出した。


「そこの男、停まれぃ!」

高圧的な声が正面から叩きつけられる。ヴィンセントは変わらず歩みを進めながらゆっくりと左右に視線を走らせた。

「おまえだおまえ!他に誰がいる?」

エッジの周辺を護っている自治警備員の制服を着た男が2人、自動小銃を構えながら近づいてきた。

「よーし、そこで停まれ。ゆっくりその子を降ろして両手を挙げろ」

ヴィンセントとマリンは思わず顔を見合わせた。一体これは何の冗談だ?

「さっさとその子から離れろ」
「断る」

熱くなった警備員の叫びに水をかけるようにそっけなくヴィンセントは答えた。

「銃を振り回す輩の前に子供を降ろす馬鹿はいない」
「それはおまえのことだろうが!」

警備員たちは憤慨したようにまくしたてた。

「未成年略取はエッジでは重罪だぞ!」
「ヴィンセント・ヴァレンタインの扮装などしおって、それで子供を誘拐してどこに連れて行くつもりだった?」

未成年略取?
扮装?

 あまりに突拍子もない話の展開にヴィンセントは言葉を失う。
星を救った英雄の一人でありながら、あまり人前に姿を現さない彼の外見をしっかりと認識している者は実は少ない。WRO職員で
すら本人と面識があるのはごく一部だ。マリンと共に居るヴィンセントは常にない穏やかな空気をまとっていたため、ますます本物
と認識されなかったようだ。

 子供たちの大量誘拐事件があってから、エッジでは未成年をトラブルに巻き込むことを極度に嫌う風土ができあがっていた。
日没後にスラム方向から子供を抱いてふらりと現れるなど、誘拐犯と疑われてもしかたがない。
彼の腕の中で笑い出したマリンが
手を横に振って誤解を解こうとする。


「この人は本物よ」

「かわいそうに、すっかり騙されているな」

職務に忠実なのはいいが、思い込みの激しい警備員は携帯端末の画面を開いて映像と目の前の少女を見比べた。

「マリン・ウォーレスだね?捜索願が出ているぞ」
「ティファが探してくれてるの!?」

腕からすべり降りたマリンは片手を勢いよくヴィンセントに差し出した。

「ティファと話したい!」

 持ってるでしょと言外に念を押されてヴィンセントは取り出した携帯電話をその小さな手に渡した。いそいそとボタンを押そうと
したマリンの表情ががっかりしたものに変わる。


「…電池切れてる」
「そういえば充電を忘れていた」
「もう!信じられない!」

 使えない携帯なんか持ってても仕方ないと少女に叱られ、すまないと呟くヴィンセントの様子を見て警備員たちは顔を見合わ
せた。どうやら本当に知り合い同士らしい。だが、こんな夜遅くに道すらない廃墟となったスラム方向から戻ってくるなどやはり
怪しい。警備員たちはヴィンセントの胸に銃を突きつける。


「誘拐ではないようだが、英雄の姿を騙るのは詐欺罪だからな。ちょっと一緒に来てもらおうか」

どちらにしろ、連絡した保護者が警備オフィスに来るはずだからそこで面通しもしようと言われ、面倒くさくなったヴィンセントは
黙って従うことにした。






 エッジの街中を走り回っていたティファと、フェンリルで五番街スラム周辺を捜索してきたクラウドが警備オフィスに着いたのは
ほぼ同時刻。
そこで彼らが見たものは床に頭をこすり付けている警備員たちと、腕組みをして椅子にふんぞり返りテーブルの上に行儀悪く脚を
乗せたヴィンセントの姿だった。


「未成年略取に扮装に詐欺か。これほど面白い言いがかりをつけられたのは初めてだ」
「もっ…申し訳ございませんでしたぁ!!」

静かで優しげな彼の声は実はかなり怒っている証拠だ。警備員二人とその上司に当る警備長の三人はますます小さくなって
床に額を押し付ける。


「謝ることはない。職務に忠実なのはけっこうなことだ」

うすく笑ってヴィンセントは言葉を続ける。

「それで?私はどうやって本人だと証明したらいい?」

 住所不定。無職。しかも本人申告の生年月日と外見は恐ろしく異なっているし、もちろんIDカードの類など何も持っていない。
犯罪者でもないので指紋の登録などもちろんしていない。

そもそも一度死亡しているので神羅の職員名簿からも戸籍からも彼の名前は消えている。照らし合わせるデータベースもない
のに、本物も偽者もあったものではない。

 50口径のトリプルリボルバーを片手でぶっ放して見せればいいのか、それともこの場で変身して魔獣を身に宿していることを
証明すればいいのか。画像検査でも受けてエンシェントマテリアが体内にあることを見せればいいのか。

彼が彼であることを証明するのは状況証拠を積み重ねるしかない。

「あの、その件につきましてはWROのトゥエスティ局長に連絡を取りましてですね…」

 本人確認ができなくても身元引受人が居れば大丈夫なのだと、警備長は苦し紛れの弁解をする。WROはどうやらケット・シー
を派遣してヴィンセント・ヴァレンタインであることの証明をしてくれるらしい。

本当はもう本人だと分かったのでお引取り願いたいのだが、へそを曲げて居座るヴィンセントを納得させるためにWROに動いて
もらうしかない。


「ええ、そうです。迷子になった小さい子とか徘徊してたお年寄りなんかもお迎えが来れば引き渡して…痛っ!!」

上司の援護をするつもりで墓穴を掘った警備員のわき腹を、同僚の肘鉄が襲う。



「何してるんだ?」

呆れたような表情のクラウドがティファと共にオフィスに入ってきたのはちょうどそのタイミングだった。退屈して窓の外を眺めて
いたマリンが喜んでティファの元へ駆け寄る。


「ティファ!」
「よかった。心配したのよ」

ティファは安堵した表情でマリンを抱きしめる。

「スラムに遊びに行ってもいいけど、デンゼルと一緒に帰ってこなくちゃダメじゃない」
「ごめんなさい」

 モンスターに追いかけられて帰れなくなったところをヴィンセントに助けてもらった、とマリンは今までのいきさつを熱心に話し、
彼女に事情を聴きもしなかった警備員は今更のようにそうだったのかと納得する。

警備員をイビるのに飽きたヴィンセントも立ち上がり、クラウドのそばへと歩み寄った。その肩を仲間の手がポンと叩く。

「あんたが居合わせてくれてよかった」
「泉で教えてもらったからな」

主語がなくとも仲間たちの間ではそれで十分に伝わる。クラウドは目を閉じ、そうかと小さく呟いた。

「ところで、あんたまでここで何をしているんだ?」
「迷子のボケ老人は迎えが来ないと帰してもらえないそうだ」

しれっと言い放つヴィンセントに、は?と首をかしげるクラウド。

「そんなことは申し上げてません〜!!」

警備長の反論は既に悲鳴のようだ。

状況を呑み込んだクラウドは軽く肩をすくめ、マリンと一緒に連れて帰って良いかと殊更に確認して警備オフィス一同の熱烈な
同意を得たのだった。

 これ以上ここに長居されて、本人の証明のために天井を銃でぶち抜かれたり魔獣に変身して暴れられたりしても困る。英雄
は遠くから眺めて憧れていればいいものであって、決して隣の席にいてほしくない存在なのだと、エッジの自治警備員一同は
肝に銘じたのだった。





 「臨時休業」のプレートが下がった店の中で、デンゼルはカウンター席に座り苛々と脚を揺さぶっていた。
口げんかをしてマリンを五番街スラムに残したまま帰ってきてしまったが、仲間たちも大勢いたし大丈夫だと思っていた。
それが、日が傾き、夕焼けが空を染め、そして夕闇が街をすっぽりと覆う頃になってもマリンは帰ってこない。ティファは電話で
クラウドを呼び戻し、自分も店を閉めて探しに出かけている。

 一人きりのセブンスヘブンはがらんとしてやけに広く感じられた。ティファが作りかけていたトマトと茄子のパスタソースが、
火のついていないコンロに乗せられたままになっていて、それが余計に主の不在を強調している。がやがやとやってきてはドア
のプレートを見て帰る客の気配が時折するぐらいで、他に聞こえるものといえば部屋の空気をかき回す空調機の音ぐらいだ。

 壁に飾られているクラウドが仕事先で撮ってきた写真を見るともなくながめながら、デンゼルはぽつりとつぶやいた。

「マリン、どこにいるんだよ…」

けんかなどしなければよかった。マリンが帰ってこないのは自分のことを怒っているからかもしれない。それとも、悪い奴に連れ
て行かれてしまったのだろうか。


「オレのせいだ…」

胸いっぱいに広がる嫌な気持ちに耐え切れず、デンゼルは両手を堅く握り締めてカウンターの上に突っ伏した。




 ドアに付けられたチャイムが涼やかな音を立てた。
はっとして起き上がったデンゼルの耳に和やかな話し声が聞こえてくる。カウンター席から飛び降りて入り口に走った彼を複数
の笑顔が迎えた。


「デンゼル、ただいま」
「見つかったわよ」

大人たちの言葉にうなづきながら彼はマリンへと駆け寄る。

「どこ行ってたんだよ。心配したんだぞ」
「ごめんね、ありがとう」

 瞬時に仲直りした二人は再会を喜び合う。モンスターに追いかけられて六番街公園で帰れなくなっていたところにヴィンセント
が来て助けてくれた、とマリンは大人たちにしたのと同じようにデンゼルに説明した。帰り道は抱えてもらってスラムの瓦礫の上
を飛び越えてきた、空を飛んでいたみたいで気持ちよかったと話す彼女はちょっぴり自慢げだ。


「ほら、畑で失敗したってクラウドやヴィンセントはやっぱりすごいじゃないか」
「うん、そうだね」

素直に同意したマリンに満足してデンゼルは珍客の姿を見上げた。

「マリンを助けてくれてありがとう」

ちょっぴり背伸びをして大人のように片手を差し出すデンゼルの様子に、ヴィンセントは床に片膝をついてその手を握り返した。

「今日はおまえの代役をしたが、いつもというわけではない」
「うん、わかってる」

 短い言葉の中にマリンの年長者である彼への配慮を感じ取って、デンゼルは大きく息を吸い込み背筋を伸ばした。
一人前の男のように扱われていることが誇らしく、また少々照れくさい。

マリンはおれがちゃんと護るから、と宣言したデンゼルの頭をクラウドがくしゃくしゃと撫でた。いつも通りの笑顔に戻ったティファが
両手をパンパンと叩いて一同に声をかける。


「さあ皆お腹が空いたでしょ? 大急ぎで夕食にしようよ」

クラウドは保冷庫からレタス出して洗っておいて、ヴィンセントはお皿出したらワインを選んでと次々出されるティファの指令に
男たちは従順に従う。思わず小さなため息をついたデンゼルを見てマリンはくすくす笑った。


「大丈夫。ティファのお手伝いしてたって二人はちゃんとカッコいいから」
「う、うん。そうだよな」

二人は顔を見合わせて笑いあい、夕食のテーブルを整える手伝い部隊に参加するのだった。
セブンスヘブンの店内には、甦った平和な時間を象徴するようにトマトと茄子とチーズのパスタソースの匂いがゆっくりと広がっ
ていった。








                                                              syun

                                                                      2009/7/20







夏休み、子供、夕暮れというイメージで書いてみました。不審人物として職務質問されちゃうヴィンさんが書きたかったので満足です。
怒るくらいなら怪しげな風体を改めればいいと思うのですが、彼はあのカッコで押し通すのでしょう(笑)そしてヴィンさんのマントの中はマリンちゃん
専用の隠れ場所ですね!クラウドを抱えて忘らるる森の中を高速で飛び回っていた彼ですから、マリンちゃんを抱えて廃墟の街を
飛び越えてくるのなどは朝飯前(朝飯を食べるのかどうかは別として)という気がします。この後リーブが強制的にIDカードをヴィンセントに
押し付けるエピソードもあるんですが、話の展開が冗長になるので省略しました。そのうち後日談で書いてみようかと思っております。
ちなみにトマトとナスとモツァレッラチーズにバジルソースのレシピは、行きつけの店のお気に入りメニューです(笑






Novels.