なごり雪






 拍手はしばらく鳴り止まなかった。

観客が総立ちになってのスタンディングオベーションに、頬を上気させた役者たちは何度も舞台の上で礼を繰り返している。
5年ぶりの「LOVELESS」上演は人々を熱狂させた。

 エッジに造られた遊興施設の集まる一角に、慎ましやかな劇場がオープンしていた。かつての八番街の華やかさには
比べるべくもないが、ショーウィンドーが並びネオンが輝くエリアは生活に余裕の出てきた人々を惹きつけて止まない。

2度の戦役で命を落とした俳優も多かったが、残された者たちは諦めることなくこの地に「LOVELESS」の看板を再び掲げた。

 役者たちは廃墟の中の開けた場所で稽古を重ね、楽団員は修理した楽器を手にメンバーが欠けたパートを補いながら、修正
の沢山入ったスコアを広げる。

 逆境にあっても自らの夢を追い続けるその姿勢が、世界に勇気を与え、共感を呼んだ。
初公演には遠くウータイやコスタ・デル・ソル、ミディールからも客が集まり、大盛況となった。




 舞台のハネた劇場前では、頬を上気させた人々が興奮気味に感想を語り合っていた。
開催者たちに敬意を表していつもより少しばかりドレスアップしたその姿が、その場の空気を更に華やいだものにしている。

今日はホワイトデーということもあって、チョコレートの見返りに観劇をプレゼントした男たちが女性を伴って歩いている姿が多く
目に付いた。


 そして、そのカテゴリーの中に分類される男が一人、プログラムを買いに行った想い人を所在無さげに待っている。




「おまたせ。すごい列だったわ」

順番待ちをして手に入れたプログラムを嬉しそうに抱いたルクレツィアが戻ってきた。
コートのポケットに両手を突っ込み壁にもたれていたヴィンセントは、ゆっくりと彼女のもとへと歩み寄る。
春先とは言え夜になって冷え込んだ空気の中で、薄手のコートで平然としている彼を見てルクレツィアは首をかしげる。

「寒くないの?」
「いや」

 タークス時代からそうだったが、改造を受けてからの彼は更に気候の寒暖を気にしなくなったようだ。
放っておくと気温に構うことなくいつも同じような服装をしている。


「…でもね。見ているこっちが寒くなってくるの」

ルクレツィアは手に持ったままだった彼のマフラーを取り上げて、ゆったりと首に巻きつける。
されるままになりながら、日ごろ無愛想な男がくすぐったそうな笑みを浮かべた。





「舞台なんて久しぶり。楽しかった」

ルクレツィアは声を弾ませて並んで歩くヴィンセントを見上げる。夕日色の瞳が穏やかに彼女を見返した。

「そうか。よかった」
「ありがと」

「3月14日」のチケットを取るには苦労したのだろうが、彼は何も言わない。
ルクレツィアは身を寄せて彼の腕に自分の腕をそっと絡ませる。

LOVELESS、見たことある?」
「ああ。ミッドガル勤務だった頃ひと通り見た」

彼女の歩調に合わせてゆっくりと歩きながらヴィンセントは答えた。

「原作の解釈によって多少演出が変わるが、今回のはよかったな」
「そうね。同感だわ」

若い新進の演出家や俳優が出番を与えられ、それがLOVELESSの新しい解釈を生んでいる。
「戦い」の表現に現実味を増し人の心の描写に深みが出た舞台は、その苦味がスパイスとなって成功を収めていた。



『…約束のない明日であろうと、君の立つ場所に必ず舞い戻ろう』

ヴィンセントは劇中歌の一節を低く口ずさむ。

神羅屋敷で時間を共有していた頃、ルクレツィアは彼が機嫌のよい時ごく稀に歌を口ずさむのを聞いたことがある。
恐らく本人はあまり意識していないのだろう。
指摘すれば赤面して口を堅く閉ざしてしまうことを知っているから、ルクレツィアは黙ったまま豊かなバリトンに耳を傾ける。


約束のない明日であろうと、君の立つ場所に必ず舞い戻ろう。


抒情詩の一節が彼女の胸にじんわりとしみ込んでくる。

自分は約束も希望も何も与えなかった。
それどころか手を差し伸べる彼を突き放して自分から遠ざけた。
命を救うためとはいえ、星の命運を左右するような存在をその身体に宿らせてしまった。

 それなのにヴィンセントはこんな自分を思い続け、辛酸を舐めた旅の終わりに自分の元へ戻ってきてくれた。
恨み言も言わずただ黙って自分の全てを受け容れ、そばにいてくれる彼。
その情の深さに目頭が熱くなってくる。

視界がぼやけ、揺らいで、瞳からこぼれ落ちた。




「…ルクレツィア?」

低い歌声が途切れ、戸惑ったようなヴィンセントの声がする。
ルクレツィアは慌てて手の甲で涙をぬぐい、笑顔を浮かべた。

「ごめん。何だかいろいろ考えちゃって」

気遣わしげな彼の視線になんでもないと首を振り、ルクレツィアは絡めた腕を引っ張る。

「それより、まっすぐ帰るのはもったいないわ。1軒寄っていかない?」
「『帰り道のための一杯』か」
「そ。LOVELESS復活を祝して乾杯と行きましょうよ」

 悪くないと笑ったヴィンセントの黒髪に、天から降ってきた白い綿毛がたわむれかかる。
なごり雪を手のひらで受け止め、ルクレツィアは思い出したように肩を震わせた。

「…寒いからカクテルじゃなくて熱燗にしない?」
「ウータイの酒は悪酔いするからダメだ」
「大丈夫。一杯だけ。ね?」
「ダメ」
「もう、この石頭!」
「どうしても飲むなら置いて帰る」
「できないくせに」
「………」

 短い舌戦はいつもルクレツィアが勝利を収める。

赤い提燈の下がったウータイ料理の店に向かう二人の後ろでは、厳しい冬の終わりを告げるようにはかない雪が舞っていた。








syun
初出     2009/3/14
加筆修正  2009/6/12







ホワイトデーのイベントSSです。lovelessの中の一節にヒントを得て書いてみました。「約束のない明日であろうと、君の立つ場所に必ず
舞い戻ろう」というのが、DCの冒頭でカオスの泉に座り込んでいるヴィンセントと被ってしかたありません。彼にとっての「女神」はルクさんで
しょうかね。あれ?そうすると「女神の贈り物」はカオス…?それともエンシェントマテリア…?どっちにしろ何だか物騒ですねえ。
このあとヴィンセントは、酔っ払って「もう一軒!」とくだを巻くルクレツィアを必死になだめて帰ったのだと思います(笑)





thanks.