涙の空回り





「けっこう集まったな」
「ええ。多いほうが楽しいじゃありませんか」


シドとリーブはビールの入った大ジョッキをがつんとぶつけて笑いあう。
WROのエントランスは飾り付けられてニューイヤーパーティの会場に変貌していた。
賄い方が腕を揮った料理に加えて参加者が持ち寄った手作りの品が、テーブルの上を席捲している。
賑やかに笑いさざめく声は吹き抜けのガラス天井まで響き、WRO本部全体が新年を祝う気分に満ちていた。


ホームパーティマニアのリーブは、隊員たちの慰労と親睦のためと称して毎年新年会を開催していた。
職員のみならず星を救った英雄たちやその知己などが集まり、無礼講で盛り上がるのが常だった。
多忙なクラウドやバレットもこの日ばかりは参加し、ユフィもウータイでの新年の儀式が終わり次第駆けつけることに
なっている。

今年は新・八番街の復興のお礼で「LOVELESS」のオーケストラ楽員が数名、演奏に来てくれている。
有名なミュージカルナンバーのインストゥルメントが流れる会場はいつにも増して華やいだ雰囲気にあふれていた。


「シエラさんもお連れすればよかったのに」                                                     
「うんにゃ、まだガキ共が乳離れしねえからな」

シッターに預けられるようになるまで外泊はおあづけだ、とシドはぽりぽりと頭をかいた。
赤ん坊好きのリーブは笑みを深くしながら言う。


「私でよければ喜んでお預かりしますよ」

「おめぇに預けたら数ヶ月帰ってきそうにねえな」

ま、そのうちに頼むわと言いながら、シドの視線はカームからの客の手元に吸い寄せられていた。

「こんなに大勢さんだとは思わなくてね。これでも沢山焼いてきたんだけど」

エルミナは鮭のパイを何枚も切り分けながら、目で参加者の頭数を数えている。

「ほんの一口ずつだけど食べておくれ」

手作りの大きなパイはあちこちから伸びた手であっという間になくなっていく。
旨い、おいしいという賞賛の声を聞きながら、エルミナはとっておいたパイを部屋の隅でグラスを傾けていた男に
押し付けた。

「ほら、あんたの分だよ」

魚、好きだったろと言われて、ヴィンセントは微苦笑を浮かべながら皿を受け取った。
隣でスパイス入りのホットワインを楽しんでいたルクレツィアが首をかしげる。


「サーモンがそんなに好きなんて知らなかったけど」

神羅屋敷で過ごした頃の記憶では、甘いもの以外は好き嫌いがなかったはずだ。

「彼女の魚料理は特別だ」

エルミナの料理の腕前にはヴィンセントも敬意を表している。
短期間で彼の好みを把握した情の深さにも相応の礼をもって応じるべきだろう。

他のものより大きめに切られたひときれをかじる彼を見て、ルクレツィアもパイに手を伸ばした。

「あ、おいしい!」
「そうかい。よかった」

エルミナとルクレツィアは視線を合わせて笑いあう。
一見微笑ましいその様子を見ながら、ヴィンセントは一抹の不安を感じていた。
エルミナの養女エアリスを殺害したのはルクレツィアの息子だ。できるならその事実を二人には知らせずにおきたい。

「あの子もこのパイは好きだったんだよ」
「こんなに料理上手なお母さんがいて羨ましいわ」

危険な話題になりやきもきしているヴィンセントにタイミングのいい援護射撃が来た。

「焼けたわよ」

厨房にこもっていたティファがバスケットに山盛りにしたクッキーを持って現れた。
マリンとデンゼルが真っ先に駆け寄り、近くにいたWRO隊員も興味深そうに歩み寄る。


「ニューイヤークッキーね、懐かしい!」

ルクレツィアは昔を思い出して嬉しそうにティファのクッキーを取り上げた。
ニブルヘイムでは古くから新年にしょうが入りクッキーを焼くのが慣わしだ。
縁起の良いチョコボやモーグリなどがクッキーの型として使われるが、ティファはケット・シーや他の形のクッキーも
焼き上げていた。


「…?これ、コウモリですか?」

ハロウィンじゃないのに、と言いながらひとつを摘み上げた隊員にマリンがやや頬を膨らませる。

「ちがうよ。それはカオス」
「へえ?」

言われた隊員はクッキーをまじまじと見つめた。
カオスの黒い体はうすいブルー、紅い翼と冠はピンクの砂糖衣で色付けされている。
瞳には黄色いゼリーがはめられて、カオスと呼ぶにはあまりにも可愛い仕上がりだ。


「それでね、こっちがガリアンなの」

得意そうに角の生えた獣のクッキーを取り上げたマリンを見て、隊員はトナカイじゃなかったのかと胸の中で呟いた。

「縁起の良い生き物だから、合ってるでしょ?」

悪戯っぽく笑いながら、ティファは白い砂糖衣で色付けしたガリアンビーストのたてがみを指先でつつく。
ルクレツィアはクッキーを取り上げて見つめた。
彼女の記憶にあるカオスはエンシェントマテリアを埋め込む前の凶暴な姿だ。
ピンクとうすいブルーのこれは、ヴィンセントの意思に制御されて星の危機を救った「縁起の良い生き物」と言っても
良いのかも知れない。


「ふふ、可愛くなっちゃって」

ルクレツィアはヴィンセントを流し目で見ながらクッキーの砂糖衣をぺろりと舐めた。
相手がたじろぐのを見て更に艶っぽく囁きかける。


「ねえ食べちゃってもいい?」
「…何故私に断るんだ」

変身した姿とはいえ自分のクッキーを手に意味深に微笑まれて、ヴィンセントは自分の頬が紅潮するのを感じる。

「あ、なるほど。そういう楽しみ方もあるか」

ティファは悪戯っぽく笑い、ガリアンクッキーをつまみあげてひらひらと振った。

「ヴィンセント、食べちゃってもいいかしら?」
「…好きにするがいい」

一緒になってからかうティファに努めて平静に言ったはずの言葉は返って大きな波紋を呼び起こした。

「きゃ〜、好きにしていいんだって!」
「もんだいはつげ〜ん!」

傍にいた女子隊員たちまでそろって両こぶしを口元に当て、いや〜んと身悶えている。
ヴィンセントは壁で肩を支え、危うく倒れそうになるのを踏みとどまった。

たかがクッキーで何故こんな展開になる?

カオスやガリアンのクッキーを手にくすくす笑っている女性陣を見ているといたたまれない気持ちになる。
だが、セフィロスとエアリスの話題になるよりはマシだ。エルミナとルクレツィアの穏便な関係を保つために多少は
犠牲になっても仕方がない。
殊勝な覚悟を決めた彼の気も知らずルクレツィアが猫のように身をすり寄せる。


「ねえ、どこから食べてほしい?」

頭から?オシリから?と迫る彼女は、既にホットワインを何杯も空けたようだ。
二人きりでその台詞を聞けるのなら歓迎するのだが、という彼の本音はこっそりと闇に葬られる。


「残念ながらオシリは羽根にかくれちゃってるのよね」

次は横向きの型を作ろうかしらと製作担当者のティファが残念がる。

「型を作り直すからもう一度変身してよ」
「カオスはもう星に帰った」
「呼び出せばいいじゃない」

まるで飲み会のメンバーを増やすかのようなノリでティファは言い放つ。
隣でルクレツィアもホットワインのお代わりを手にしながら頷いた。


「エンシェントマテリアがあるんだからできるわよね」

いやそうじゃなくて。

星の終焉に現れるファイナルウェポンを、クッキーの型にするからスケッチしたいと召喚してよいわけがない。

「ねえねえ、ヴィンセント」

のぼせ上がりそうなヴィンセントの腕をマリンがつついた。
救われた思いで身を屈めた彼の目の前にカオスクッキーが差し出される。


「これ、食べてもいい?」

マリンよお前もか、と思わず床に片膝をついたヴィンセントにマリンは大真面目に言う。

「だって、ヴィンセントのクッキーだもん。みんな、ヴィンセントが食べていいって言うのを待ってるんだよ」

いやあのそれは。

言葉の深い意味など考えない子供の無邪気な意見は、更にヴィンセントを追い詰める。
この場で「食べていい」などと発言したら、次はどんな目に遭わされるかわからない。

「…ティファが焼いたんだ。彼女に聞いてくれ」
「だってティファもヴィンセントに聞いてたよ」

だからそれは。

早く食べたくて焦れるマリンと返答に詰まるヴィンセントのそばに、律動的なハイヒールの靴音が近づいた。

「どうした?腹でも痛いのか?」

研究の合間に抜けてきた隻眼の科学者は床の上にうずくまったヴィンセントに不思議そうな顔をしたが、すぐに関心
を料理に向けた。


「うまそうなクッキーだな。ひとつもらおう」

ピンクとうすいブルーのカオスはシャルアの口の中で翼を折られ、頭をもがれておいしく頂かれていく。
ヴィンセントの口から「食べてくれ」と言わせようと弄っていた一同から、はぁ〜っと盛大な失望のため息が漏れた。


「まだ食べちゃいけなかったのか?」
「何か、ゲームの最中だったようですね」

周囲を見回す姉の隣でシェルクはクッキーの山からカオスとガリアンを見つけ出し、なるほどと頷いた。

「もう、シャルアったら、私より先にヴィンセントに手をつけるなんて」

ルクレツィアが両手を腰に当ててわざとらしくふくれてみせる。隻眼の科学者はそういうことかとニヤリと笑った。

「何を言ってる。本物はとっくに賞味済みだろう」
「それとこれとは別の話よ」

それなら、私がこれ食べちゃってもいいわけね?とケット・シーのクッキーを挟んでひらひらさせるルクレツィアに、
シャルアは指で銃の形を作り撃つマネをしてみせる。

際どい会話を平然と交わす女傑二人にヴィンセントは全身に冷や汗をかいた。
周囲の女性たちはもうすでに狂喜乱舞状態だ。
一人だけ気の毒そうな表情のシェルクに彼は目顔で援護を依頼したが、元ツヴィエートの少女は周囲を見渡して
首を振った。


「アンタねぇ」
「…!?」

立ち上がる気力も失っていた彼は突然話しかけられて思わず防御姿勢をとる。
視線の先には覗き込んでいるエルミナの姿があった。


「どうしてそう情けないんだろうね。もう少ししゃきっとしなさい、しゃきっと」

パイを載せていた皿を盾代わりにした彼に呆れながらエルミナは説教を始める。

「ちょっとからかわれたぐらい巧く切り抜けなさいよ。真っ当に受け答えするから深みにはまるんだろ」

危険な話題にならないようあえて注意をひきつけているのに、と恨めしく思う彼の気持ちなど誰も知らない。
エルミナはそれにね、と追い討ちをかける。

「許嫁がいるのに世界をほっつき歩いてるなんて感心しないねえ」
「い、許嫁?」

ヴィンセントの瞳が大円に見開かれる。
エルミナは視線でルクレツィアを示し、判らないと思ったのかと勝ち誇ったように胸を張った。


「結婚を申し込んでおいてほったらかすなんて言語道断だよ」

アンタがそんな男だとは思わなかったとエルミナは厳しく決め付ける。
いやそれは誤解だ、とヴィンセントは呻いた。

プロポーズはした。だがみごとに断られた。
その挙句に他の男に彼女を取られ、自分は殺されたり改造されたりカオスを移植されたりと大変だったのだ。
だがそれを説明すればセフィロスの話に触れてしまう。

子供たちの不幸な結末については話すわけにいかない。
いやそれより、彼女にプロポーズした大昔の話を一体誰が喋ったのか。

「それは…放っておいた訳では…」

相手の勢いに押されて何となく床の上に正座してしまいながらヴィンセントは言い淀む。
追放され放置されたのは自分の方だ。何故責められなければいけないのだろう?


そこにホットワインのカップを手にしたルクレツィアが参加してきた。

「あらら、ここでも叱られてる」
「ほんとに困った息子だよ」
「おっしゃるとおりですわ、お義母さま」

妙に息の合った二人にヴィンセントは呆気に取られた。目元をほんのり染めたルクレツィアがにっこり笑ってみせる。

「カームの噂は聞いたわ。エルミナさんの養子になったんですって?」
「それは違う」
「あ〜ら、どこが違うの?具合悪くて寝込んじゃって、子供みたいにお世話になったんでしょ?」

汗拭いてもらったりモモ缶食べさせてもらったりしたそうじゃないの、という彼女にヴィンセントは赤面した。
ホットワインのカップを見て一体何杯目なんだと別の不安に駆られながら抗弁を試みる。


「…世話をかけたのは事実だが…しかし…」

おのれクラウド、と情報漏洩した仲間を胸の内で呪い、ヴィンセントは何故こんな目に遭っているのだろうと嘆く。
周囲には女子隊員が群がって、滅多に見られない珍しい彼の様子を存分に楽しんでいる。


「ああ、なつかしいな」

料理を取りに来たクラウドが空気を読まないままチョコボのクッキーをつまみ上げた。
しょうが入りクッキーは彼にとっても故郷の懐かしい味だ。


「クラウドさん、チョコボクッキー食べてもいいですかぁ?」

悪乗りした女子隊員たちが新しい獲物にさっそく狙点を定める。

「え、ああ、いいんじゃないか…?」

何故俺に聞く?と口の中のクッキーを噛み砕きながらクラウドは周囲を見回した。
女性陣はきゃあ〜っと盛り上がり、その勢いは歴戦の勇士を思わず怯ませる。


「クラウド……」
「うわ」

女性たちに気圧されていたところに背後から音もなく忍び寄られ、クラウドは2枚目のクッキーを落としかけた。

「何を喋った…?」

口実を見つけて女傑二人から逃げ出してきたヴィンセントはクラウドを問い質す。
その気魄に一瞬怯んだもののカームで寝込んでいた時のことを勝手に喋っただろうと言われてクラウドは失笑した。


「アンタがエルミナさんに猫可愛がりされてたことは、WROの中では有名だろ」
「モモ缶のことまで知っているのはお前だけだ」
「細かいことまで追求するなよ!」

こっちこそ、最凶インフルエンザをうつされて大変だったんだぞとクラウドは居直る。

「マリンとデンゼルにうつすなと、ティファにバイキン扱いされたんだからな」
「たった1度の見舞いで持って帰るとは随分と律儀だな」
「うつしてやるとベッドに引っ張り込んでおいて何言ってる」

クラウドの不用意な発言に、周囲の女性たちはきゃああ〜っと総立ちになった。

「何なに、そういうご関係だったんですかぁ?!」
「病気のヴィンセントさんに添い寝してあげたの?」
「クラウドさんたら、やっさし〜い!!」

それってこんな感じ?と隊員たちはガリアンクッキーとチョコボクッキーをくっつけて騒いでいる。

「これじゃ食べられちゃうのはチョコボよね」
「いや〜ん、食べられちゃったのぉ?!」

暴走する彼女たちはもはや止めようがない。
ルクレツィアとティファは一緒になって笑い転げ、クラウドとヴィンセントは唖然として見守るばかりだ。


「……どうやら墓穴を掘ったようだ」
「もともとアンタが絡まれてたんだ。何とかしろよ」
「戦闘以外で私に何かを期待するな」
「この場で偉そうにそれ言うか?!」

アンタってほんとにこういう場では役立たずだよな、とクラウドにけなされ、ヴィンセントは憮然とする。




「あ〜あ。見事に肴にされてますね」
「馬鹿が、危険地帯をちゃんと見極めねぇからだ」
「だがよ、あれはあれで楽しんでるんじゃねえのか?」

離れたテーブルでグラスを重ねていたシドとリーブとバレットは面白そうにその状況を眺める。
女性たちの半数以上がクラウドとヴィンセントの周囲に集まり、その厚い包囲網は容易に突破できそうにない。
そもそも、ヴィンセントにルクレツィアの傍を離れろと言うこと事態が無理な相談だ。


「仕方ありません。助け舟を出しましょう」

リーブはそばに来た隊員に目顔で合図をした。何をするつもりかと興味津々で見守るシドとバレット。
その視線の先で隊員は楽団員に何かを話しかけ、椅子を一脚と大きな楽器のケースを運んできた。

今までクラウドとヴィンセントを弄っていた女性陣も獲物を放り出して見物に集まる。
大勢の注目を浴びながらリーブは落ち着き払ってケースを開け、中からよいしょとチェロを取り出した。
局長の意外な行動に軽いどよめきが起こる。


「大分弾いていないのでお耳汚しかとは思いますが、まあ、余興ですからね」

楽団員に音をもらってリーブは手馴れた様子で調弦していく。そのそばに隊員が譜面台を置き、楽譜を拡げた。
事前に打ち合わせをしていた関係者たちは新しい演奏者が参加できるようにてきぱきと行動する。

「それではお願いします」

局長の穏やかな笑みに楽団員たちも笑顔でうなづき、知名度の高い室内楽の旋律がホールに流れ始めた。


「やるじゃねえか」

シドが軽く口笛を吹いた。その隣でバレットは複雑な表情をしている。

「俺には何だかよくわかんねえが、上手いのか?」
「俺だって詳しいわけじゃねえよ。だが聞いてて悪い気はしねえから上手いんだろ」

親父二人の大雑把な賛辞を聞きながら、父の傍でマリンは小さな頭をうなづかせてゆっくりとリズムを取っている。

「父さん、きれいな曲だね。何て曲?」
「すまねえ、マリン。そういう難しいことはティファに教えてもらえ。な?」
「うん」

素直にうなづいているマリンにリーブは微笑みかけ、すぐに演奏に集中する。
一時は羽目を外して大騒ぎをしていた参加者たちも、今は静かに演奏に聞き入っていた。

チェロの深みのある音色は包容力のある局長の人柄を偲ばせた。自分の座高ほどの大きな弦楽器を奏する彼の
表情は、穏やかさと厳しさを併せ持っている。

ニューイヤーパーティらしく、明るく軽やかな曲が何曲かを続けて演奏された。
アンコールにも応えたリーブと楽団員たちを盛大な拍手が包み込む。



「すごいですね!」
「局長、驚きましたよ」
「すてきでした〜!」

WRO職員たちは感激してリーブの周りに集まっている。
まさか局長が自分たちのために余興をしてくれるなどと思いもしなかった彼等は、素直に感動し喜んでいた。


「お耳汚しなんて言ってた割には結構な腕じゃないか」

シャルアのひとひねりした褒め言葉にもリーブは相好を崩す。

「楽しんでもらえれば私も嬉しいですからね。少しならリクエストにも応じますよ」
「それなら、あれを頼もうかな」

シャルアはチェロとピアノ2台で奏でられる有名な曲を口にする。リーブは少し首をかしげた。

「今日はピアニストがいないので、主旋律だけでいいですか?」

楽譜はありますよと劇団員が渡してくれたものの、伴奏がないと少々寂しい。

「ティファはどうだ?

思い出したようにクラウドが傍らにいた幼馴染を振り返る。
彼女の家にはニブルヘイムには珍しくピアノがあり、練習している音をこっそり窓の下で聞いたものだ。

突然指名されて楽譜を渡されたティファは尻込みする。

「無理よ!一体何年前だと思っているの?」

武闘家として鍛え上げた拳でピアノに必要な指の動きを再現するのは難しい。
それに音楽という優雅なことからは大分遠ざかってしまっている。
一応は楽譜に目を通したティファだったが、延々と連なる16分音符と滑らかな演奏を要求する記号に、練習しなくて
は無理と辞退した。


「じゃ、ヴィンセントが弾いてあげれば?」
「!?」

当たり前のように言ったルクレツィアに、居合わせた全員が絶句した。
部屋の隅にいたヴィンセントにとって、一斉に振り向いた人々の視線はまるで重火器の集中砲火のようだ。 
やっと人の輪の外に逃れたばかりなのに、ルクレツィアの一言は再び彼を舞台の真ん中に引きずり出してしまう。


「これは意外な伏兵がいましたね」
「コイツは驚いたぜ」

リーブとシドは、せっかく出した助け舟をヴィンセントが乗った途端に沈めてしまったことに気付いていない。

「ピアノなんか弾けるのか?」

信じられないものを見るような表情でクラウドが問いただしてくる。
逃げ場を失ったヴィンセントは背中を壁に押し付けながら曖昧に首を振った。


ピアノはアイシクルにいた子供の頃に父から習った。
大雪に閉じ込められた日は本とピアノしか暇つぶしがなかったのだ。

弾けるが、弾かない。弾きたくない。答えたくもない。
大勢の前でさらし者になるのはごめんだという彼の必死な思いを踏みにじるようにルクレツィアが明るく代弁する。

「彼、けっこううまいのよ。神羅屋敷のピアノでLOVELESSのナンバーをよく弾いてくれたわ」
「ルクレツィア、それは何十年も前の話だ」

私のブランクはティファ以上だと主張してもルクレツィアにはまともに受け取ってもらえない。

「ヴィンセント、銃は前と同じように使えるんでしょ?」
「ああ」
「じゃあピアノだって大丈夫よ」


無邪気な意見にヴィンセントはがっくりと項垂れる。自分の射撃はピアノと同じレベルで扱われてしまうのか。
今日はピアノの弦を切らないようにね、という話を聞いて、クラウドたちの脳裏に陰鬱な神羅屋敷の一室が浮かんだ。

「あのピアノ、ソとラが鳴らなかったのはもしかしたらヴィンセントのせいなの?!」
「何故それを知っている?」

ティファの言葉に今度はヴィンセントが驚いた。確かにキーを叩く力が強すぎて弦を何本か切った覚えがある。

「宝条の謎解きに入っていたのよ」

地下室の鍵が入った金庫のナンバーが屋敷のあちこちに隠されていて、それを見つけたから棺桶で眠るヴィンセント
を発見できたのだとティファは説明する。


「あん時はセフィロスを追っていたんだよな」
「そうだ。神羅屋敷に何か手がかりがないかと捜索したんだった」

バレットとクラウドが感慨深げに腕組みをする。
ヴィンセントの視線が揺れ、ルクレツィアとエルミナの姿を映した。

自分のために仲間たちが味わった苦労を知って感じ入る部分はあるが、これ以上その話題は続けて欲しくない。

自暴自棄になりながらヴィンセントはティファの手から楽譜を取り上げた。
#がひとつのト長調。通常は2台のピアノで演奏されるがTの伴奏部分だけでも何とかなりそうだ。
彼は面白そうに成り行きを見守っているチェロ奏者に邪険な視線を送る。


「手伝ってやるからさっさと終わらせろ」

これが終わったら即座に帰る、と固く決心しながらヴィンセントは楽団員が席を譲ったピアノへ歩み寄った。


100名を超える人数が集まっているというのにエントランスは水を打ったように静まり返った。
そこになめらかな湖の水面を思わせるようなピアノの旋律が流れる。
そして優美な白鳥を描写するチェロの調べがピアノの音にそっと寄り添う。


『たいしたもんじゃありませんか』

リーブはヴィンセントを眺めて舌を巻いた。初見の楽譜でこれだけ弾けるとは恐れ入る。
もっともヴィンセントが特に音楽の才能があるというわけではない。
彼が何とかこの場を切り抜けているのは、視覚から入った情報の把握とそれに反応するスピードが常人離れしている
からだ。
間違えないように慎重に音符を追って鍵盤を叩いているのが、周囲には正確無比な演奏に聞こえる。


ルクレツィアはピアノの傍に寄り添い微笑しながら聞き入っていた。
はるか遠い昔、神羅屋敷で共に過ごした頃をピアノの音は思い起こさせる。
渋る彼を口説き落として演奏させた短くも平穏な時間。グランドピアノが置かれた部屋は極秘のコンサート会場として
度々使われていた。

ピアノの音色はヴィンセントの繊細さと情熱を素直に表現する。長い月日が経っても彼の本質が損なわれていない
ことにルクレツィアは安堵した。


余韻を持たせて弓を弦から離したリーブと鍵盤から手を下ろしたヴィンセントが息をついて視線を合わせる。
パチ、パチとまばらに始まった拍手はすぐにエントランス全体に広がった。
吹き抜けになっている2階から上の通路では、仕事の手を休めて覗き込んでいた職員たちが喜んでアンコールと
叫んでいる。


「素晴らしい演奏でした。こんど客演に来てくれませんか」
「とんでもない。社内の宴会芸の域を出てませんよ」

代わる代わる握手を求めに来た楽団員たちとにこやかに話しながら、リーブはちらりとピアノの方を振り返る。
即座に逃亡するつもりだったヴィンセントは仲間たちに捕まり、アンコールを迫られていた。

「断る」
「いいじゃないの、減るもんじゃないし」
「1曲弾いたらあとは2曲も3曲も同じだろう」
LOVELESSのナンバーなら俺も聞きたい」
「嫌だ」

頑なに拒む彼に手を焼き、シドは髪をわしゃわしゃとかき上げた。

「まったくおめぇは出し惜しみが激しいよな。こないだのオムレツだって1回きりだったしよ」
「オムレツ?」

仲間たちに弄られるヴィンセントを楽しそうに見ていたルクレツィアがシドの顔を見上げた。

「ああ。リーブの別荘で宴会やった時によ、コイツになんか作れって言ったら巨大オムレツ作ったんだよな」

あれは旨かったとシドは思い出して頬を緩める。
ルクレツィアはピアノの椅子に座ったままのヴィンセントを覗き込んだ。


「アレ、作ったの?」
「他に選択肢がなかった」

逃げ出したくても後ろからルクレツィアに抱きつかれ、身動きの取れないヴィンセントは投げやりに呟く。

「あのオムレツ、やっぱりルクレツィアさんの?」
「そう。コスタの郷土料理よ」

ホントはジャガイモやチョリソを炒めて具にするが、残った食材で作る方法を教えたらヴィンセントはそっちを覚えて
しまった、とルクレツィアは笑った。


「研究に集中してると食べるの忘れちゃうのよね。昼と夕続けて抜くとヴィンセントが怒るのよ」
「それで、貴女のために料理を覚えたというわけですね。いじらしいじゃありませんか」

チェロをしまってきたリーブも話の輪に参加する。

「前に作ってもらったラタトゥユもおいしかったですよねえ」
「ああ、あれね。未だにリクエストが来て困るのよ」

やっぱり臨時シェフとしてたまにはセブンスヘブンに来ない?とティファが交渉に乗り出す。
何もかも諦めたヴィンセントはただ黙って仲間たちの与太話に付き合っている。
背中に感じるルクレツィアの胸の感触がせめてもの慰めだ。

付き合いが悪く滅多に姿を現さないので、たまに出てくると珍しがられて弄られる。
半分は身から出た錆なのだが本人には自覚がない。


「ホントにおいしかったから、エアリスにも食べさせてあげたかったな」

ポツリと呟いたティファの言葉にエルミナがうなづいた。

「あの子もコスタの料理は好きだったからねえ。材料がスラムでは手に入らなかったから作ってやれなかったけど」
「今度、作って忘らるる都までお供えに行くわ」

しんみりとするエルミナとルクレツィアの会話に、ヴィンセントは驚愕する。

「知っていたのか?!」
「何を?」

相手の剣幕に驚いたルクレツィアはきょとんとした。

「その、エアリスと、エルミナと…」

セフィロスが殺めたエアリスがエルミナの養女だと知っていたのかとは聞けず、ヴィンセントは口ごもる。
その様子を見ていたエルミナが小さく咳払いした。


「その話はもう済んでるんだよ。今のわたしとこの子には関係ないさ」

エルミナにかかればルクレツィアも「この子」扱いだ。
二人の間で過去の悲劇についてはもう決着済みらしく、肝っ玉母さんに彼女もすっかり心を許している。

ヴィンセントは強烈な虚脱感に襲われ、椅子の背もたれに腕をかけて顔を伏せた。
ならば、一体何のためにクッキーをネタにからかわれたり人前で演奏するような屈辱に耐えてきたのか。
エアリスとセフィロスの話題が出そうになる度に、そこから皆の関心を逸らそうとした自分がひどく愚かに思える。
無駄で不毛な努力の総天然色見本になったような気分で、当分立ち直れそうにない。

それを見てからかいすぎたと思ったのか、それとも新しく届いた料理の方に興味をそそられたのか、仲間たちは
テーブルの方へと離れて行く。


理由がわからないながらも、極度に落ち込んだヴィンセントを慰めようと、ルクレツィアは彼を軽く抱きしめた。

「どうしちゃったの?そんなに落ち込むことないでしょ」
「…駄目だ。立ち直れない」

抱き寄せられた柔らかな胸と髪を梳く指の感触に機嫌を直したものの、ヴィンセントはまだ気力が湧かない。

大きな子供を甘やかすように長い黒髪を撫でていたルクレツィアは、聞き覚えのある旋律を耳にして顔を上げた。
楽団員が演奏し始めたのは、はるか昔にヴィンセントと初めて踊った時の曲だ。


「ね、気分転換に踊らない?」

この曲、覚えてるでしょと言う彼女をヴィンセントは情けない思いで見上げた。
この上人前で踊ったりしたらもうどうなってしまうのか判らない。彼は首を振りルクレツィアの胸に顔を埋めた。

「…ここでは嫌だ」
「だってせっかく演奏してるのに」
「人目のある所では踊れない」

駄々をこね始めた彼を抱いて髪を撫でているルクレツィアに、エルミナが目配せしてドアを指差した。

「もう。私まだカオスクッキー食べてないのに」

クッキーの型になった男はその言葉には反応しない。ルクレツィアは小さく笑ってその頭を抱きしめた。

「まあいいか。本物がいるから我慢するわ」


先ほどまで会場を沸かせていた主役が静かに出て行くのに、料理と歓談に盛り上がる一同は気付かない。

「やれやれ、ほんとに手のかかる息子だよ」

エルミナは苦笑しながらカオスの形をしたしょうが入りクッキーを口にはこんだ。







                                               2011/1/9
                                                syun





80000番キリリクにお応えしました〜。いやもう年越しちゃって申し訳ありません。お気づきと思いますが、今回は設定が何でもアリになっており
ます。拙作を隅から隅までお読みくださっている依頼者の方のご愛顧にお答えしようと、色々なエピソードをごった煮にしてみました。「これは
あの話のことね」とくすっと笑っていただければ本望でございます。「エルミナさんとルクレツィアに弄られる可哀そうなヴィンセント」というのがお題
でしたがちゃんとクリアできているでしょうか…?カオスクッキーを食べ損ねたルク姉さんですが本体をおいしく召し上がるので大丈夫です(笑)
それよりシャルア女史はヒゲ猫をどのように召し上がるのかが気になるところです。せっかくリクエスト頂いたのにこんな話で申し訳ありません。
ええと、クーリングオフは10日以内でお願いいたします(笑) みわさん、キリリクとご愛顧ありがとうございました〜!






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