一番ほしいもの






 ランチタイムの間にたまった洗い物を片付け、夕方のメニューの仕込みを終わらせて、ティファはやっと一息ついた。
軽く伸びをして、自分のためにコーヒー豆を挽き始める。先日ミディールから仕入れた新しい豆は、酸味とコクのバランス
が良く、客からも好評だ。丁寧に挽いた粉をサーバーにセットし、彼女はカウンターにいる男に声をかけた。


「コーヒー淹れるけど、飲む?」
「ああ」
端の席から短い応えが返る。
「チョコレートケーキもあるけど?」
笑みを含んだ声に、黒髪の頭は今度は左右に振られた。
「それは遠慮しておこう」
「そう」

 気を悪くした様子もなく、ティファはカップを二脚取り出して、熱いコーヒーを注ぐ。挽きたての芳香が、ゆっくりと店の中
に広がった。作業に没頭していた男がようやく頭を起こす。

 カウンターの上に整然と並べられた細かな部品を触らないようにして、ティファは隣の席にコーヒーカップを置いた。
「すごい数。これ全部組み立てるの?」
ひとつ隣の席に腰を下ろし、コーヒーを啜りながら彼女は目を丸くする。以前にもヴィンセントが銃の手入れをする様子
は目にしたことがあるが、今カウンターの上に並んでいるほどのパーツの数は見たことがない。


 ケルベロスをモデルにWROの兵器工房に特注したという銃は、通常のハンドガンの大きさをはるかに越えていた。
3つある銃口は50口径で、使用するのはもちろんマグナム弾。おそらく、彼以外の人間が撃てば手首を脱臼するに違い
ない。

 WROに来ていたモンスターの駆除要請を引き受け、試し撃ちでカームファングの群れを全滅させた後、ヴィンセントは
ふらりとセブンスヘブンを訪れた。モンスターを毛皮商に売り払った金で銃の整備道具を新調し、そのまま店のカウンタ
ーで、銃の分解整備を始めたというわけだった。


「新品なんでしょ。整備の必要あるの?」
「トリガーの反応がいまひとつだ」
他にもいくつか気に入らないところがある、と言いながら、ヴィンセントはカップを口に運んだ。その夕日色の瞳が、やや
和らぐ。

「…いい味だ。コスモキャニオン産とは違うようだな」
「ミディール産よ。最近仕入れたの」
自分もカップを傾けながら、ティファは微笑んだ。

 仲間内で食物の質に一番敏感なのはヴィンセントだろう。リミットブレイク直後を除いて食物をあまり必要としない彼は
不味いものを口にするくらいなら平然と食事を抜く。
 クラウドは味に無頓着だし、バレットは何より量が優先。シドは美味なものを好むが、守備範囲に大きな偏りがある。
高級料理を食べつけていたはずのリーブは、意外に選り好みせず何でも食べる。喜んでくれるのは嬉しいのだが、如才
ない彼の評価はあまり参考にならない。

 セブンスヘブンの新メニューを決める時、彼女が一番頼りにするのはヴィンセントの味覚だった。
「これでデザートを作るのって、どうかな?」
「あまり手を加えない方がいいと思うが」
 材料として使うなら、コスモキャニオンかゴンガガ産の方が向いている、というヴィンセントの意見を、ティファは採用
することにした。


「それだけ薀蓄語れるんだったら、店で料理手伝ってくれない?」
 銃の整備のように細かい作業ができるのだから、手先の器用さは十分なのだし、というセブンスヘブンの店主の勧誘
に、ヴィンセントは尻込みする。

「面倒なことはごめんだ」
「この方がよっぽど面倒よ!」
空のカップを置き、再び銃の組み立て作業を始めたヴィンセントを見て、ティファは呆れたように笑う。
その時、入り口のドアに付けられたチャイムが涼やかな音を立て、小さな影が入ってきた。

「おかえり」

「あ、ヴィンセント!いらっしゃーい」
 ややふくれた表情をして帰宅したマリンは、珍客の姿に笑顔を見せる。しかしすぐにまたふくれ面になって、カウンター
席にいるティファの膝に顔を埋めた。

「ティファ、チョコレートケーキあげるのやめた」
「どうしたの?」
マリンの髪を撫でながら、ティファは優しくたずねる。銃を組み立てながら、ヴィンセントもちらりと視線を投げた。

 先ほどティファが勧めたケーキは、昨夜マリンと共に作ったものだった。そして、営業用のものとは別に作られた小さな
チョコレートケーキがひとつ、セブンスヘブンの保冷庫にこっそり隠されている。

「学校で他の女の子たちにチョコもらってたの!それもいっぱい!」
「人気者だってことじゃないの」
「…そうだけど、デンゼルなんかもういい!」

 マリンは顔を上げると、保冷庫の中からピンクのリボンに飾られた小さな箱を取り出してきた。小さな身体いっぱいに
憤慨した空気を漂わせて、その箱をカウンターの隅の席にいる男に突きつける。

「ヴィンセントにあげる!食べちゃって!」
「………」
思わぬ展開に意表を突かれたヴィンセントは、小さなため息と共に銃を置き、目の前の怒れる少女に向き直った。
「…私は甘いものは苦手だ。喜んでくれる相手に渡す方がいい」
「だって、他の子にいっぱいもらってたもの!」
「それは関係あるまい」
日頃無口な男が、うっすら涙を浮かべる少女に、ゆっくりと諭すように語りかける。
「ゲームのようにチョコレートを配ることを楽しむ者もいる。これもそうなのか?」
「違う!デンゼルのために、ティファに教わって作ったの」
「ならば、本人に渡すべきだ」
 マリンはヴィンセントに突きつけていた小さな箱を、自分の胸に抱きしめる。ピンクのリボンの上に、ぽろりと小さな涙が
落ちた。

「デンゼル、食べてくれるかな…」
「ティファのレシピなら、味は保障つきだろう」
潤んだ瞳で見上げるマリンに、ヴィンセントは微笑する。

 ティファは半ば感心しながらその様子を見守っていた。この無愛想な男は、子供相手の時だけ本当に優しい笑顔を
見せる。やや冷たく見える端整な顔立ちと夕日色の瞳は、がらりと印象を変え、見るものを惹きつけずにはおかない。
 孤児たちの施設に慰問に行った時も、フロアの片隅にただ座っているだけのヴィンセントの周りに、子供たちがけっこう
集まっていたっけ。

 そう思いながら、ティファはふとあることに気付いた。
 今日は2月14日。滅多に顔を出さないヴィンセントがここに長居しているのは、その「チョコレートを配ることを楽しむ
人々」から逃れたいからではないのか?


 しばらく鼻をすすっていたマリンが、ようやく笑みを浮かべた。
「うん。やっぱりデンゼルにあげることにする」
 日頃銃を扱う大きな手が、そっと少女の頭に載せられる。くすぐったそうに笑って、マリンは箱を保冷庫にしまうと自分
の部屋へ上がって行った。



「ゲームのようにチョコを配る人々、ね」
マリンを見送り、再び銃をとりあげた男にティファは当てこする。
「それよりは、カームファングの方がいいわけ?」
「奴らは銃で追い払えるからな」
 ひどい言いようだと思うが、野次馬やマスコミに追い回されて辟易している彼を知っているので、気安い仲間内だけの
愚痴と聞き流すことにする。


「コーヒーのおかわり、いる?」
「ああ、もらおう」
二杯目のコーヒーがヴィンセントの前に置かれた時、再びドアのチャイムが鳴った。
「デンゼル、おかえり」
「ただいま…」
 心なしか元気のない様子で帰宅したデンゼルの片手には、小さな紙袋が下げられていた。その中にのぞく色とりどり
のパッケージ。
 マリンの言うとおり、確かに「いっぱい」だと、二人の大人たちは無責任に感心する。


「ティファ、クラウドは?」
「今日は遅くなるって言ってたわよ」
「そうか…」
考え込んだ少年の瞳が、カウンター席で銃を整備中の男に止まる。
「ヴィンセント、ちょっと」
二度目の指名を受けた男は、一瞬ティファと視線を交わして振り向いた。
「何だ?」
デンゼルはちらりとティファの顔を見て、ヴィンセントの腕を引っ張る。
「…男同士の話だから、ちょっと来て」
 
 可笑しそうな光を瞳に乗せるティファを軽く睨み、またもや銃の整備を中断された彼は、デンゼルに引かれるままに
店の隅の席に座る。

「これ、なんだけどさ」
ヴィンセントの隣に腰掛けたデンゼルが、困惑した表情で紙袋を示した。
「チョコは好きだけど、くれた子の中にはあんまり好きじゃない子もいるんだ」
「そうか」
「それでも、食べなきゃいけないのかな」
「その量を食べるのは、賛成しかねるな」
多量のチョコレートは身体に悪い、とヴィンセントは常識的な答えを返す。
「うん…。好きな子のチョコだけ、食べればいいよな」
「ああ」
「でも…」
一瞬晴れたデンゼルの表情が、再び曇る。
「……好きな子から、貰えなかったら?」
「貰いに行けばいい」

 意表を突く彼の応えに、ティファは洗っていた食器を思わず取り落としそうになった。
隅の席とは言っても、狭い店内での話は厨房まで筒抜けだ。「男同士のないしょ話」が聞こえない振りを続けるのは、
けっこう難しい。

クラウドの代役で少年の相談に乗っているヴィンセントは、彼女の予想もしなかった爆弾発言をあっさりとしてのけた。

 あっけにとられたのは、デンゼルも同じらしい。しばらくぽかんとした顔をしていたが、やがて頬をわずかに赤く染め、
ソファに指先で無意味な文字を書き始める。

「…くれなかったら?」
「諦めるよりしかたあるまい」
だが、試す価値はあるというヴィンセントの言葉に、デンゼルは頷いた。
「わかった。やってみる」
両の拳を握り締めて勢いよく立ち上がった彼は、持っていた紙袋をヴィンセントに押し付けた。
「これ、あげるよ」
だから甘いものは苦手、という男の言い分も聞かないまま、デンゼルは子供部屋へと駆け上がっていく。



 ため息をついて紙袋を手に席へ戻ったヴィンセントを、ティファはカウンターに突っ伏したまま迎えた。
「…大丈夫、引き取るわよ」
 笑いすぎて出た涙を拭きながら、ティファは身体を起こし紙袋を受け取る。今夜のバータイムは、チョコレートの大盤振
舞いになるだろう。
それにしても、随分と無愛想なキューピッドもいたものだ。


 ヴィンセントは黙ったまま、何度も中断された銃の組み立てを再開する。最後のフレームパーツを取り付け、ねじを締
める彼に、ティファは意地悪い質問をぶつけた。

「それで、あなたは貰いに行ったの?」
ルクレツィアさんに、と彼の想い人の名を強調するティファに、ヴィンセントはちらりと視線を投げる。
「今朝早く出てきたからな。まだだ」
 専用のオイルを染み込ませた布で銃を磨きながら、彼は答えた。その返事にティファはまたひとしきり笑う。
まだ、ということは、帰ってから貰うつもりなのだろう。この男がいったいどんな顔をして、あの女性科学者にチョコレート
をねだるのか。
彼女の想像をよそに、ヴィンセントは手際よく片づけを済ませ、整備した銃をホルスターに収めた。





「ティファさん、もう、いいかな?」
入り口のチャイムが鳴り、常連客がドアから顔を覗かせる。ティファは慌てて時計を見やり、笑顔を浮かべた。
「ええ、どうぞ」
「お邪魔するよー」
夕食の前に一杯、という人々が、店内に入ってくる。それを潮にヴィンセントは立ち上がった。
「では、クラウドによろしく伝えてくれ」
「ええ。また近いうちに来てちょうだい」
ロングコートを長身にまとった彼はわずかに笑みを浮かべ、店を後にした。

「ねえねえ、ティファさん、今の人はもしかして?」

物見高い数人の客が、カウンターまでやってくる。
「放っておいてあげて。彼、人見知りが激しいのよ」
「やっぱり、ヴィンセント・ヴァレンタイン?!
「いやー、もう少し早く来ればよかった!」
早くも何も、他人が来れば彼は野生動物のように逃げ出してしまうので、同じなのだが。
そう思いながら、ティファは酒のつまみにするために、デンゼルの戦利品のパッケージを開け始めた。





 夜になってから、WROの幹部用宿舎に戻った彼を迎えたのは、腕組みをして仁王立ちになっている、ルクレツィア・
クレシェントだった。

「ヴィンセント。ちょっとここに来て」
彼らのリビングのテーブルを席捲しているのは、色とりどりのパッケージがぎっしりと詰まった紙袋の群れ。

 その量に圧倒されて言葉を失うヴィンセントに、大氷河に吹く風よりも冷たいルクレツィアの声が突き刺さる。
「これがイヤで、今日一日逃げ出したんでしょうけど、代わりに私が受け取るっておかしくない?
そこに座りなさいと命じられたソファで、彼は長身を小さく縮める。
「持ってきた人たちだって気の毒だし、私だって気まずかったわよ」
 何より、一日中チョコレートの受け取りに追われて、研究が全く進まなかったとルクレツィアは怒る。
「あなた宛にプレゼントを持ってくる人の対応は、自分でちゃんとしてちょうだい」
「…すまない。いや、しかし…」
「また“しかし”が始まった。何なの?はっきり言って!」

 頭ごなしに叱られた男は、美しい想い人の顔を上目使いに見やり、両手を握り締めてやっとの思いで言葉を紡ぐ。

「…私が欲しいのは、君からのプレゼントだけだ」
「…え?」
ルクレツィアが腕を解き、きょとんとした。
「チョコレート、欲しかったの?」
「ああ。君からならば喜んで受け取る」
 臆面もなく言い放つヴィンセントを前に、今度はルクレツィアが困惑した表情になる。
「だって、あなた甘いもの嫌いじゃない」
「今日は別だ」
期待を込めた夕日色の瞳に見つめられ、彼女はますます狼狽した。
「え、だって、あなたがそんなことに関心があるとは思わなかったから…」

 仕事も忙しかったし用意していない、というルクレツィアの言葉に、ヴィンセントはがっくりと肩を落とした。
慌てた彼女はうなだれた男の隣に座って、なだめるように肩に手を置く。

「ごめん。ごめんね」
「不要なものは山ほど押し付けられるが、本当に望むものは手に入らないのだな…」
「ちょっと、おおげさよ」
「これも私に与えられた罰なのか…」
「もう!おかしな拗ね方しないでちょうだい」
「…………」
本格的にたそがれてしまったヴィンセントに手を焼いたルクレツィアは、ふと立ち上がった。
「ちょっと、待っていて」
取り残されたヴィンセントは、ソファの上で膝を抱えてうずくまる。

 『くれなかったら?』 
 『諦めるよりしかたあるまい』

 昼間デンゼルと交わした言葉が、悪意のあるジョークのように脳裏に甦った。たかがチョコレート、されどチョコレート。
その甘い菓子に象徴される想い人の愛も失ったように感じて、ますます気持ちが滅入ってくる。神羅屋敷の地下牢の
棺桶が懐かしい、という不健康な発想に捕らわれかけた時、甘い香りが彼の鼻腔をくすぐった。


「はい、お待たせ」

 トレイにマグカップを乗せたルクレツィアが、彼の隣に寄り添って座る。珍しくひがんだ瞳をした男の頬に軽く唇を寄せ、
その手にマグカップを持たせて、彼女は微笑んだ。

「固形じゃないけど、かまわないかな?」
 それは、砂糖とミルク抜きのビターなホットチョコレート。たっぷりと注がれたラム酒が芳香を放っている。ヴィンセント
はそっとカップに口をつけた。

「チョコあげてもどうせ食べないでしょ。こっちに回ってきたら太っちゃうもの」
「ああ。この方がいい」

 ようやく機嫌を直した気難し屋の髪を優しく撫で、ルクレツィアはもう一度唇を寄せた。
それは、チョコレート以上に甘い、バレンタインの夜の始まりだった。






                                                                       2007/2/14
                                                           syun




前半部分はハードボイルド風味の残り香で、ちょびっと凛々しめのヴィンでしたが、あれよあれよいう間にヘタレに転落(笑)カッコいい彼を書くときの禁忌は、
ルクレツィアとチョコボですね。特にルクさんが登場した途端に、うちのヴィンは虎が猫になってしまいます。まあ、随分と辛酸をなめてきた彼ですから、ルクさん
の膝で喉をゴロゴロ鳴らしていてほしいというのが、書き手の心情だったりします。ラストは、子供たちには見せられない、オトナのバレンタインということで(笑)





Novels.