引退の訳
「…というわけで、是非特別レースに参加頂きたいのですが」
「騎乗されるオーナーさまのご経験や斤量などにあわせて、ハンディは考えさせていただきます」
「まぁ、エキシビジョンということで、かる〜いお気持ちで出ていただければ」
チョコボ協会の会長と理事、ゴールドソーサーのデュオ園長の代理、更にチョコボレースの独占放送権を持っている
テレビ局のプロデューサーが、WROの裏手にあるチョコ房のそばにひしめきあっていた。
「いやまあ、ハンディ戦と言っても、カイが圧勝するに決まってますがねぇ」
「オーナーご自身の騎乗となれば、悪癖もぴたりと収まると聞いてますしねぇ」
「賞金、商品を献上するためにお願いしているようなもんですなぁ」
どれほど賞金を持っていかれようと、入場者と投票券と視聴率が稼げる目玉商品を確保できれば、彼らにとっては痛くも
かゆくもない。
むしろ「人気チョコボのオーナー騎乗による特別レース」の収入は莫大なものになるという試算が出ている。
いやいや、わっはっはと勝手に盛り上がる客たちの笑い声は、肝心の当人が無言のままなのでやがてむなしく空に
消えていった。
運動場の白い柵の上に座ったユフィは、第三者を決め込んで成り行きを見守っている。
手紙もFAXもメールも無視するヴィンセントと一向に連絡がつかず、リーブもやんわりと連絡役を断ってきたため、チョコ
ボ協会長はカイの主戦ジョッキーであるユフィに仲介を頼み込んできたのだった。
一番簡単に攻略できるルクレツィア頼みという作戦は、「彼に勝負服は似合わないと思う」と本人に言われ、いとも簡単
に却下となった。それでも諦めない協会長たちを、ユフィはとりあえず本人のいるところまで案内するということで手を打
った。
意外に頑固なヴィンセントの説得という貧乏くじを、わざわざ引くバカはいない。レースへの参加を承諾させられるか
どうかは、当事者の腕次第といったところである。その攻防は一見の価値がありそうだった。
もっとも、「無理」という方に1万ギルかけてもいいとユフィは思っている。
「あのう、それで、ご参加いただけ…」
「断る」
予想通り、そっけない返事がかえる。
ヴィンセントは長い黒髪を後ろで束ね、客に背を向けたままのんびりとカイのグルーミングを続けている。
チョコボの蹴爪は地面と接触しないため、長く伸びてしまう。彼はそれを適度な長さに切り落とし、やすりをかけて仕上げて
いく。
『…こいつ、手入れとか掃除とか、意外に凝るよな。さすがA型』
ユフィは脚をぶらぶらさせながら、手際よく作業をするヴィンセントを半ば感心して見守っていた。
誕生日プレゼントに託けて凶悪チョコボを押し付けられ怒っていた割りには、カイはいつも手入れが行き届き、チョコ房も
清潔に保たれている。飼育について、チョコボファームだけでなくアイシクルのチョコボ仙人にまで話を聞きに行ったらしい。
念入りな情報収集は、さすが元タークスと言うべきなのだろうか。
究極の気性難で知られるカイは、怖い飼い主の前では雛鳥のように大人しい。普通はどのチョコボも嫌がる爪切りも
神妙に我慢している。
考えてみれば、髪を束ね袖まくりをしてチョコボの手入れをしている無口なガンマンと、そのそばで揉み手をしながら
ぺこぺこしている背広姿のオヤジたちというのは、かなり奇妙なとりあわせだ。
「あの、でもファンの期待がですね、高まる一方で、私どもとしても何とかお答えしたいと、こう思う所存なわけでして」
「相次ぐ災害の後で、人々を元気付けるイベントはやはり大切ですよ。ね?」
熱心に説得する男たちの前で、爪切りから解放された金色の海チョコボが羽ばたいて大きくのびをする。
「星を救った英雄がイベントに出てくださるということは、大変な効果があると思うんです」
「もちろん、WROへのお礼も十分にご用意させていただきますので」
チョコボ協会の会長と理事が交互に説得するが、ヴィンセントはそれを見事に無視して片づけを始めた。
WROの裏庭にあるチョコ房と小さな運動場は、彼にとってルクレツィアと共に過ごす数少ないプライベートゾーンとも言える。
そこに踏み込んできた招かれざる客に対して好意的になれる理由など、微塵もない。
そのあまりにそっけない態度に、テレビ局のプロデューサーが語調を強めた。
「カイはもはや一個人のものではなく、国民的なスターですよ。オーナーとしてそのあたりの責任をどうお考えですか!」
拳を握り締めて一歩前に出た彼の顔に、無口頭絡と引き綱が投げつけられる。
「ならばくれてやる。連れて帰れ」
チョコボ用の無口頭絡をすっぽりかぶったプロデューサーは、ぽかんと口を開けた。
「今日からお前がオーナーだ。好きなだけレースに出るがいい」
ハンディはつくそうだから安心しろと皮肉を言われ、辣腕で通るプロデューサーはフリーズする。すばやい目配せを
交わした園長代理と協会長が最大レベルのお愛想笑いを浮かべ、同じ姿勢で揉み手をする。
「いやいやいや、ご冗談がお上手で」
「我々ではとてもカイのオーナーは務まりませんよ」
ファンと我々が期待しているのは、カイに騎乗したヴィンセントの勇姿なのだと、理事も加わって歯の浮くようなお世辞
を並べ立てる。
テレビ局の一プロデューサーの持ち物になっては、カイの話題性は半減してしまう。それは、投票券の売り上げや入場者数
や視聴率も半減することを意味している。
褒めておだてて泣き落として。恐らくネゴシェーションの教育モデルに使えそうなほどのあらゆる手管が披露される。
「わかった」
聞いていたユフィが飽きて大きなあくびをし始めた頃、無愛想な男がぼそりと言った。
えっ、と男たちの表情が輝く。しかしそれは、交渉相手がホルスターから引き抜いたトリプルリボルバーのハンドガンを
見て、蒼白に変わった。
「…最初から食用にすべきだった」
止める間など当然ない。
ヴィンセントは無造作に海チョコボに銃口を向け、引き金を引いた。
響き渡る銃声。舞い散る黄金色の羽毛。
何の警戒もしていなかった海チョコボは短い悲鳴を上げて倒れ、動かなくなった。
「…おじさんたち、今日は引き上げた方がいいよ」
絶妙のタイミングでユフィが柵から滑り降りた。顔色を失った男たちが呆然としたままユフィを見やる。
「ヴィンちゃん、ああ見えてキレると怖いからね」
殊更に難しい表情を作って腕組みをする彼女に、チョコボ協会長と理事がうなづきあった。
「そ、それでは、失礼させていただきます…」
「カイの、登録抹消については、その、後日また…」
園長代理も同調し、ぺこぺこと頭を下げながら逃げ出していく。最後に頭絡を地面においたプロデューサーが、こけつ
まろびつしながら追いかけて行った。
「…カイ」
重低音の声に名を呼ばれて、ひっくり返っていた海チョコボははねおきた。
上手に芸ができただろうと得意げな様子で擦り寄ってきたカイに、ヴィンセントはギザールの野菜を与えた。
クルクルと満足そうに啼きながら野菜をついばむチョコボを見て、ユフィがあきれかえる。
「まさか、こんな芸を教えてるとは思わなかったよ!」
「教えたのは私ではない」
ルクレツィアがカイと遊んでいるうちに、指で作った銃で撃つまねをしたら倒れるという芸を教えたのだという。
それを応用しただけだとヴィンセントはしれっと言った。
「応用って、普通実弾でやるか?! あーあ、背中ハゲができてるじゃん」
「羽だけだ。すぐに生える」
至近距離とは言え、トリプルリボルバーの銃でチョコボの背中をかすめ、羽だけを舞い散らせて演出効果も狙うという
芸当ができるのはこの男だけだろう。
そしてそんな酷い仕打ちをした飼い主に頭をすりつけて甘えている海チョコボも、大胆というか鈍感というか。
動物は飼い主に似てくるというのは本当らしい。
「まったく、登録抹消しちゃったらレースに出られないじゃん」
「私は一向にかまわない」
「ちぇっ、けっこういい稼ぎになってたんだけどなー」
損害賠償請求するゾ、と脅すユフィに、ヴィンセントが鋭い視線を向ける。
「ところでユフィ、手引き料としていくら受け取った」
「な、何のことさ?」
「とぼけるな。お前がただで彼らをここまで連れてくるわけがない」
「アタシはただ、あんたと連絡がとれないあのおっさんたちが可哀想になって…」
「…それで、いくらで請け負った?」
「だから!お金じゃないってば!」
「ほう」
ヴィンセントは薄い笑みを浮かべ、ユフィの方に一歩近づくと有無を言わせぬ態度で手を出した。
「おそらく、ゴールドソーサーのチケットか、希少マテリアだろう。出してもらおうか」
好ましくない行動はきっちり矯正しておかねばな、と呟く彼に、ユフィはこわばった笑顔のまま冷や汗を浮かべた。
こうしてカイは短いレース生活を終えた。
あっという間に主だったレースを総嘗めにしたため、種付け料は破格の値段に跳ね上がった。
シドの計算どおり、「でかいところを勝たせて、あとは種付け料金で楽に稼ぐ」生活になったわけだ。
プロデューサーは意趣返しに「花形チョコボ、飼い主に銃殺される」という大スクープを流したものの、これはとんだ
誤報となった。
「飼い主」をそこまで怒らせた張本人のチョコボ協会長と理事は、もちろん口を拭って知らんふりを決め込む。
ファンと視聴者を敵に回したくないテレビ局は、スケープゴートとしてプロデューサーを左遷した。
ゴールドソーサーでは、カイの突然の引退に合わせてアルバムや関係者のエッセイなどを売りさばき、抜け目がない。
大波乱の中で以前と変わらぬ生活をしているのは、当のヴィンセント本人であった。
関係各位からの賄賂をヴィンセントに取り上げられた上、ジョッキーとしての収入を逃したユフィとともに、馬券で小遣い稼ぎ
のできなくなったリーブが少々落胆したのは、ここだけの話である。
2007/11/11
syun
ヴィンセントは本当にオーナー騎乗の特別レースに出るのか?という疑問にお答えしたSSです。どう考えても勝負服のヴィンセントは無理でしょう。似合わないことこの上
ない(笑)本人の性格上も無理だと思います。ならばどうやって切り抜けるのか?うちの娘に指鉄砲で死ぬマネをする芸を教えていて思いつきました。本物の銃でやらかす
あたりがヴィンセントです。それでもなつくカイも豪傑です。たまにはいけずに仕返しするヴィンセントというのもいいかと思いまして。
そしてお財布のさみしくなったユフィとリーブ、ご愁傷さまでした(笑)秋ですし、G1レースシーズンですし。というわけで、カイを引っ張り出してみました。
チョコボレースのG1ファンファーレは、やっぱりあの曲なのかしら??