星降る谷にて








 赤い大地を乾いた風が吹き抜けていく。
長髪だったころは、風の強い時に視界をふさがれるためバンダナが必須だった。タークス時代のように短く切ってしまった今は、
それに煩わされなくてすむ。ヴィンセントは風除けのためのゴーグルを額の上に引き上げ、低い岩山の上から前方を眺めた。
周囲の岩山と一体化した砦のような町の頂上に、そこだけ金属的な光を放つドームがそびえている。
そして、砦のあちこちに据え付けられている風車。常人離れした彼の視力は、まだかなり距離のある目的地をとらえていた。


「もう一息だな」
彼はサドルバックから飲料水の入ったボトルを出すと喉を潤し、荒れた地にわずかばかり生えた草をついばんでいた海チョコボ
にも分けてやった。旅の仲間の間では凶暴チョコボとして知られるカイは、「言うことを聞かなければ取って食う」と脅したヴィン
セントが飼い主となってから、すっかり月旦を改めている。

 実際、単独行動をよくとる彼にとって海チョコボはうってつけの移動手段だった。主要な都市や町を結ぶ公道は、モンスターの
出没する場所を避け平坦な地を選ぶため、どうしても遠回りにならざるをえない。その点、オフロードを気にせず崖や海峡も
渡れる海チョコボならば、目的地まで最短距離を選ぶことができる。バギーや小型飛行艇は故障した時の修理が面倒だという
ヴィンセントの主張に、リーブも異を唱えなかった。できないわけでもないくせに、機械の扱いとなるとものぐさになる彼の性癖は
もはや修正不可能であると認識されていたのである。



 鞍のベルトを締めなおしていたヴィンセントが急に振り返り、岩山の麓の一点を凝視する。
コスモキャニオンに通じる道を一台の大型バスが走っていた。尋常ではないそのスピードの原因は、バスの後方から迫る大き
な翼のモンスターを見れば一目瞭然である。バスの後部座席から牽制のための銃声が響いているがあまり効果はなさそうだ。

 ため息をひとつつき、ヴィンセントはチョコボに飛び乗った。乗り手の意図を察してカイは垂直に近い岩山を駆け下りていく。
頭を低く下げ翼をやや広げてトップスピードを出すチョコボの上で、彼は手綱を放しライフルを構えた。

 スピードを出しすぎたバスは緩やかなカーブを曲がりきれずに脱輪し、大きく傾きながら道路を外れていく。それに追いすがる
鷲に獅子の後駆をもつモンスター。恐らく、繁殖期の雄がテリトリーを侵されたことに腹を立てているのだろう。
ラフな地面のために速度が落ちたバスに、その鉤爪が伸びる。
 ヴィンセントのライフルが火を吹くのと、モンスターが叫び声をあげるのがほぼ同時だった。片方の前足を吹き飛ばされたグリ
フォンは新手の敵に向かって威嚇の吼え声を上げたが、再びバスに向かって攻撃をしかける。その頭部と首を続けざまに弾丸
が襲った。断末魔の叫びを残してグリフォンが消滅する。

 前輪と後輪のタイヤをひとつずつパンクさせ、バスは赤茶色の砂煙を巻き上げながら右側の腹を地面にすりつけるようにして
停止した。横転しなかったのは不幸中の幸いと呼べるだろう。道から外れたタイヤ跡に沿って、なぎたおされたサボテンが点々
と転がっている。グリフォンが倒されたのを見たカイは指示されるまでもなくスピードを緩めた。


「それにしても、何故…」
ヴィンセントはライフルを鞍につけたホルダーに差し込みながら首を傾げた。コスタからゴールドソーサー行きのバスならば
分かる。どちらも有数のリゾート地で娯楽施設を有しており、人口の減った現在もなお、かなりの集客率を誇っている。

 しかし、コスモキャニオンの周辺には道らしい道もなく、そこを大型のバスが走るという光景は見たことがない。
 ざわめきながら車外に出てきたバスの客の様子からして重傷を負った者はいないようだ。人々が彼に気付き、ドライバーと
思しき制服の男がこちらへ向かってくるのを見て、ヴィンセントはチョコボの首を廻らせた。お礼を言われたり素性を聞かれたり
と面倒なことになる前に逃亡してしまうのが、人助けをしたあとの彼の常だ。最後にバスを見やった夕日色の瞳に、フロントに
つけられたプレートの「星命学ツアー」という文字が焼きついた。




「ヴィンセント!久しぶりだね。来てくれて嬉しいよ」
番人の最敬礼を受けてゲートをくぐったヴィンセントに、ナナキが飛びついた。
「ああ、ナナキも元気そうだな」
「オイラはね。でも、長老ブーガが寝込んじゃって。ごめんよ、それでこの間行けなかったんだ」
表情がくもり、ナナキは申し訳なさそうに耳を垂れ尻尾を丸める。その頭を、皮手袋をはめた手が優しく撫でた。
「気にするな。カードは受け取った。ありがとう」
 ナナキの肉球スタンプが押されたバースディカードは一日遅れでWROに到着していた。「ガキと動物に甘い」とシドにからか
われながらヴィンセントはナナキに電話を入れ、近々コスモキャニオンを訪れる約束をしたのだった。


「これが、例の海チョコボ?」
「ああ」
カイは羽根を膨らませてナナキを威嚇したが、ヴィンセントに睨まれて渋々おとなしくなる。
「暴れるようなら餌はやらなくていい。攻撃してきた時は『ステーキ』と言えば大人しくなる」
チョコボの背から荷物を降ろし、手綱を番人に預けながら非情な飼い主は淡々と伝える。カイは主人と番人の顔を交互に見やり
首を垂れてしおらしくチョコ房に引かれていった。

「随分おとなしいね。噂とは大違いだ」
「馴らすのに苦労した」
ぼそりともらしたヴィンセントの言葉に、他のメンバーから聞いた様々なエピソードがオーバーラップし、ナナキはくすくすと笑う。
「とにかく、長老たちに会ってよ。ずっと待ってたんだ」
岩を削って作られた階段をナナキは飛ぶように駆け上がっていく。その後を追って上りながら、ヴィンセントは途中で足を止めて
谷を見渡した。

 コスモキャニオンを訪れるのはブーゲンハーゲンを看取った時以来だった。自然の岩山を削って作られた住居は、その時と
なんら変わっていない。素朴で活気に満ちた星命学の聖地。魔晄に頼ることなく、風車が強い風を受けてエネルギーとなる電気
を生み出している。夜明けと共に目覚め日没と同時に休息することが原則で、星に負担をかけない生活を実践する人々。その
人々を見守るように、絶えることなく燃え盛る大篝火。

 いつかルクレツィアを連れて来たいと思いつつ、ヴィンセントはかつてのブーゲンハーゲンの部屋へ入った。


「おうおう、よく来たのう。星に愛された者よ」
長老ハーゴと長老ブーガはしわだらけの顔をくしゃくしゃにしてヴィンセントを迎えた。長身を屈めて、軽く相手を抱きしめるコス
モキャニオン風の挨拶に答えながら、ヴィンセントは当惑を隠せない。

「星に…愛された?」
「長老たちはヴィンセントのこと、そう呼んでるんだよ」
勧められた毛皮の上に座ったヴィンセントの隣に腰を落ち着けて、ナナキが解説する。
「その通り。星の海への導き手をその身に宿して無事じゃった。おまけに、オメガと衝突して星の命が分断されるのを防いだ」
「はぁ…」
長老ハーゴは当惑顔のヴィンセントの胸を手の甲で軽く叩いた。
「その上、こうやって復活しとる。星に愛されておらねば不可能じゃ」
「…ライフストリームへの帰還を拒まれただけだろう」
ヴィンセントの返答に、長老ブーガが笑いながら首を振る。
「お前さん、若いのに考え方が後ろ向きじゃの」
「長老ブーガ、ヴィンセントは…」
言いかけたナナキを片手で制して、ブーガは知っておる、言葉を続けた。
「ガストから話を聞いたことがあるからの。それを勘定に入れても、ワシらから見ればまだまだハナタレじゃよ」
「……」
陽気で弁の立つ長老たちにあっては星を救った英雄と言えども勝ち目はない。ハナタレ呼ばわりされたヴィンセントは、気を取り
直してバックパックから厚いファイルを2冊取り出した。

「ルクレツィア・クレシェントから言付かってきた。長老がたにお納めいただきたい」
「ほうほう、これは」
長老ハーゴは予想通りファイルに飛びついた。
 片方の表紙に印字されたタイトルは「星の循環」。仮説の域を出なかったかつての論文に事実の検証を加えて、ルクレツィア
が完成させたものだった。そして、もう一方には「ジェノバ・プロジェクト」と記されている。過去の不幸な取り違えからメテオ災害
に至るまでの経緯が、苦い悔恨と自戒とともにまとめられたものであった。

本論が完成するまでには数年の月日を要するため、とりいそぎ作成された抄録である。既にデータベース化しておりキーワード
の発行を受けてからWROのホームページにアクセスすれば、閲覧は可能だ。だが、紙媒体の情報を好むコスモキャニオンの
長老たちに敬意を表して、ルクレツィアが製本したのだった。

「素晴らしい抄録じゃ。ルクレツィア博士にもよろしく言うてくれ。さすがはガスト博士の愛弟子じゃの」
自らも星に関する知識を書物にまとめ、後世に残そうとしているハーゴは、目次と序文を斜め読みして満足げに笑う。
ヴィンセントは軽く頭を下げた。

「『星に愛された者』の協力を得られたのじゃから、彼女も幸せじゃろう」
「…私は、データ整理を手伝っただけだ」
ヴィンセントのそっけない返事にも、長老は気を悪くした様子はない。
「それも大事な協力じゃて。まあ、ゆっくりしていくといい。今日は少々客が多いがもてなさせてもらうよ」

 ちょうどその時、中座して下の様子を見てきたナナキが報告にやってきた。
「長老ハーゴ、バスがついたみたいだよ」
「おお、ずいぶん遅かったな」
「うん、来る途中でモンスターに襲われて、タイヤがパンクしたんだって。金色のチョコボに乗った男の人に助けてもらったって
言ってるけど…」

長老とナナキの視線が同時にヴィンセントに向かう。
「ヴィンセント、だよね?」
「…ああ」
「ここにいるならお礼がしたいって言ってるよ」
「無用だ」
 相変わらず人見知りの激しい彼の答えにナナキは肩をすくめてハーゴを見やる。長老はうなづき、よっこいしょと腰を上げた。
「そのお人は既に立ち去ったと言うておこう」
ハーゴは出口に向かいながらブーガに声をかけた。
「今日はワシがやっておく。お前さんは客の相手を頼む」
「おお、すまんな」
病み上がりらしいブーガは咳をしながら頷き、抄録の表紙を撫でながらヴィンセントに優しい目を向けた。
「ガスト博士が中断したことを次のものが引き継いで完成させる。間違いを犯したかもしれんが、それは結果論じゃ」
「……」
セフィロスのことも、メテオ災害のことも結果論と言い切るのは、客への思いやりなのか、桁外れな度量の大きさなのか。
ヴィンセントは相手の意図を測りかねて沈黙を守る。

「いずれにせよ、不確かな情報が災いを招く。古代種と空から来た災厄のことが、もう少しきちんと残されていればよかったかも
知れん」

「それこそ結果論ではないのか」
ヴィンセントの反論にブーガは面白そうに眉を上げた。
「だから、じゃよ。過去は変えられんが未来を変えることはできる。そのために、今何をなすべきかな?」
「………」
変えることのできない過去を悔やみ停滞していた状態から前へ進むことを始めて日の浅い彼には、咄嗟に答えることの出来な
い難問。ブーガはやれやれとため息をつく。

「お前さん、彼女の論文を手伝っていて気がつかんかったのか」
 知識を、事実を文章化して伝承すること。正しい情報を広く一般に伝えること。それが、新たな悲劇の防止策になる。
そう考えた長老たちは、今まで一部の人間だけ入ることを許していたコスモキャニオンを一部解放した。数日間のカリキュラム
で星命学について教え、最後にはメテオ災害をテーマにしてディスカッションする。その記録は後日印刷されて、参加者の手元
に送付されることになっていた。

 今まで入ることを許されなかった秘境の地を訪れたいという物見遊山の者もいたが、中には深い感銘を受け、再受講を希望
するものも増えてきている。長老たちがそのための新たな資料作成を依頼したのが、ルクレツィア・クレシェントという訳だった。

「彼女のしていることは、過去の贖罪だけではないぞ。その視野には未来もちゃーんと入っておる」
 ブーガの言葉に、ヴィンセントは虚を突かれた。過去の罪と向かい合い、それを論文にまとめていくルクレツィアを気遣い、
精一杯支えてきたつもりだった。だが、長老の言うように、彼女が未来まで射程距離に入れていたとしたら。
辛い過去と向かい合うだけで多大な精神力を必要とすることを考えると、感嘆するしかない。


「どうじゃな。彼女より出遅れて悔しかろう」
「…いや、むしろ彼女の強さに敬服する思いだ」
真顔でのろける恥知らずに、ナナキが前足で顔を押さえる。長老は愉快そうに笑った。
「人は誰も、そのものにしか担うことの出来ぬ役割を持って生まれてきておる。他人よりも長い時間をもらったお前さんの役割は
何なのか、とっくりと考えてみるのじゃな」



 夕日に照らされ、谷全体はまるで赤く燃え上がっているように見える。ここの夕食の時間は早く、盆にぎっしりと料理を載せた
女性たちが、長老の部屋に入ってきた。

「今日は客が多いでな、食堂が一杯じゃ。ここで夕餉にさせてくれ」
長老の言葉を受けて、テーブル一杯にもてなしの料理を並べた女性が微笑む。
「たいしたものはありませんが、たくさん召し上がれ」
「これは食前酒です。オメガカクテル。スターレットの新作ですよ」
酒好きのブーガは病みあがりにも関わらず、さっさとグラスを取り上げる。
「まずは、再開を祝して星に感謝じゃ」
ナナキとヴィンセントもそれに倣ってグラスを掲げる。
終わりの名を持つカクテルは、爽やかな中にあるわずかな苦味が舌を刺した。




 長老の心尽くしの夕餉を堪能して部屋を出ると、一面の星空が広がっていた。パブ・スターレットからにぎやかな声がもれて
くるのは、星命学ツアーの客たちだろう。

それを横目に、ヴィンセントはゆっくりと大篝火の前に腰を下ろした。日が落ちたあとのコスモエリアは日中の暑さがうそのように
急激に冷え込む。暗がりの中のコスモキャンドルは、その光と温かさで人を惹きつけた。薪のはぜる小さな音とゆらゆら揺れる
炎は心を静まらせ、深い瞑想に誘っていく。

火にくべる大きな薪をはこんできた谷の若者が、彼に気付いて丁寧に頭を下げ、もくもくと自分の仕事を済ませて立ち去った。
 炎を見つめながら、ヴィンセントはふとウータイで聞いた話を思い出した。
木は燃えて火を生み、火は木を燃やして土を生む。土はその中に鉱物や宝石を生み、その間から水が生まれる。水は大地を
潤して草木を育む。「相生」という考え方は、どこか命の循環をといた星命学に通じるものを感じる。そして、星の命そのものも
いつか宇宙へ還る。広大な宇宙のどこかに、命の苗床とでも呼べるものがあるのだろうか。


「ヴィンセント、長老がどうぞって」
パブからナナキがくわえてきたかごの中には、おおぶりのグラスに入った酒と、おつまみがわりの鹿の肉の燻製が入っていた。
アルコール分の多い植物を搾り、炭酸で割ったものにレモンを絞っただけの強い酒だが、空気の乾いたこの地ではやたらとうま
く感じる。ヴィンセントは目礼を返し、グラスを受け取った。

 既に2度、落としたはずの命。ライフストリームにすら拒絶されたと、半ば自虐的に考えた時期もあった。不老不死の身体に
されたのも、彼が望んだわけではなく、宝条の暴挙をかわすことができなかっただけだ。カオスを身に宿したのも、またしかり。
だが、長老たちは、全て生まれた時から定められたその人しか担えぬ役割、なのだという。


――― お前さんが眠っていた年月にも意味があるのじゃ。時を越えて今この時代に現れる必然性がな  ―――

 コスモキャニオンの長老の言葉でなければ、運命論者の都合のよいこじつけと一笑に伏しただろう。
ジェノバ・プロジェクトを中断させることができれば、セフィロスの誕生はなかった。宝条の前でカオスに変身しなければ、オメガ
を利用すという発想は生まれなかったかもしれない。そう反論する彼をブーガは慈愛のまなざしで見つめながら言ったのだ。

―――  大変な苦労性じゃの。お前さん一人にたやすく影響を受けるほど、世界は小さくはないぞ  ―――

 全てが自分の責任と思い込むのは傲慢、ということか。長老の言葉に異なる角度からの考え方を示唆され、ヴィンセントは
小さくため息をついた。

過去を悔いて罪の意識に打ちのめされていた頃は何もしようとはしなかった。仲間たちに叩き起こされ、前へ進むことを教えら
れるまで自分独りの思索に閉じこもっていた。今思うと自己憐憫以外のなにものでもないな、と彼の口唇から苦笑がもれる。

 ならば、今できること、彼にしかできないこととは何か。前向きに考えようとしてもすぐに答えは見出せない。
ジェノバ戦役とオメガ戦役の二つの災厄の裏事情には通じている。不老不死になったおかげで、それらの始まりから終わりまで
全てこの目で見てきたし、元凶を葬り去る協力もした。オメガを阻止できるのは自分しかいなかったため義務を果たした。
それで役目は終わったはずだ。その後も引き続き与えられた命で、いったい何をすればいいのか。
日頃からうすうす気付いていた疑問に思いがけず直面し、ヴィンセントは正直困惑していた。



 コスモキャンドルを見つめながらグラスを傾けるヴィンセントのとなりで、ナナキもお相伴とばかりに燻製肉の大きなひときれ
をかじっていた。硬い肉を噛みあぐね、一息ついて長身の仲間を見上げる。

炎に照らされたヴィンセントは、夜の闇を背景にしていつも以上に深い思索に耽っているようにみえた。夕日色の瞳は炎を映し
てときおり金色の輝きを宿し、彼の中の魔獣が闇に呼応しているかのように、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 だが、死線を共にさまよったナナキは頓着せず、相手の片腕を鼻先でつついた。
「長老ブーガの言った役割のこと、考えてるのかい?」
「…ああ」
 夢から醒めたように、ヴィンセントは我に返ってナナキを見やった。
「オイラの役割は、この谷と人々を守ること。でも、昔から谷にいた人たちはだんだん少なくなってきちゃったんだよ」
最近移り住むようになった人たちは増えてきたけどね、とコスモキャニオンの守護獣は話す。
「長老たちも年が年だし。星命学ツアーも、けっこう大変なんだ」
「そうだろうな」
氷が解けて水っぽくなってしまった酒を飲み干して、ヴィンセントも同意する。実務レベルは谷の若者たちが行なうのだろうが、
聞いたところ挨拶だのシメの講義だの、長老たちは老体に鞭打って頑張っているようだ。

「長老ブーガはね、オメガをテーマにしたクラスの講師を、ヴィンセントにやってもらいたいみたいだよ」
「なに…?」
 あやうくグラスを取り落としそうになったヴィンセントを面白そうにながめ、ナナキは続ける。
「当事者が語るのが一番インパクトがあるんだって。でも、普通は寿命があるから話が出来る期間が短いだろう? 
最初オイラはどうかって言われたけど、難しいことはわかんないしさ。でも、ヴィンセントも話すの苦手だよね」


 人見知りが激しく無口な彼に、人前で話をさせようというのは無理な話である。
かつて、その偉業を達成したのはシド・ハイウインド只独りで、自分の結婚式のスピーチを彼に強制したのだった。
その用意が出来るまでは式は挙げないと脅迫され、渋々引き受けたヴィンセントの話した時間は15秒。
花婿の友人代表スピーチとしては記録的な短さである。もっとも、選び抜いた言葉で訥々と語った彼のスピーチは、参加者たち
に好評であった。

 だが、講義となるとこれは全く別の話だ。黙り込んでしまったヴィンセントの手を元気付けるように舐め、ナナキはお代わりを
もらいにかごをくわえて席を立った。パブに入った彼と入れ違いにツアーの客たちがぞろぞろと店から出てくる。

その中の数名が大篝火の前のヴィンセントに気付き、ひそひそと話し始めた。


「あの、もしやバスを助けてくれた方ではありませんか?」
 講師依頼の断り方をシミュレーションしていたヴィンセントは、うかつにも声をかけられるまで身の危険に気付かずにいた。
顔を上げると、4人ほどの男女が彼を取り囲んでいる。篝火に照らされた彼の端整な貌に、小さなざわめきが起きた。
「長老からはもう立ち去られたとお聞きしたのですけれど、確かにあなたさまでしたわよね?」
 話しかけてきた女性は、よく日焼けした肌に金色のアクセサリーをじゃらじゃらとつけた典型的なコスタ・デル・ソルの有閑
マダム風。周囲にいる人々も似たり寄ったりのいでたちだ。夕食の後はコスモキャンドルを囲んで談話会ということらしく、徐々
に人が集まり始めている。

「それより、もしかして『星を救った英雄』の一人じゃない?」
「あぁ、ヴィンセント・ヴァレンタイン?!」
「うそー! 初めて生で見た!」
若い女性たちが騒ぎ始める。なかばうんざりして、ヴィンセントは立ち上がった。
「悪いが、人違いだ」
「まあ、そうおっしゃらずに。是非お礼をさせてくださいな」
「せめて握手を」
「ついでにサインを」
 あっという間に取り囲まれ、サインペンと共にノートやらTシャツやら帽子やらを差し出される。
ヴィンセントはリミットゲージがみるみる溜まっていくのを自覚した。感謝だのお礼だのという耳ざわりのいい言葉を並べながら、
その実自分の好奇心を満足させたいだけだ。こういう人々を相手にしている長老たちの苦労が思いやられる。

「あんたたちはここに何をしにきた。浮ついた気持ちでいるのなら、さっさと帰るがいい」
不本意ながら周囲に殺気を飛ばし不機嫌なオーラを立ち上らせる。こういう手合いを相手にここでひるむと大変な目にあうこと
は経験済みだった。炎に照らされた瞳は金色の光を宿し、彼が発散する怒気と共に相手を威圧する。

 半ばリゾート気分でいたツアーの参加者は怯え、冷水を浴びせられたようにしんとなる。このせいで脱落者が出たとしても、
仕方がない。もともと星命学を学ぶ気などないということを自ら露呈しただけのことだ。

彼が一歩踏み出すと人垣は自然に割れ、ヴィンセントは早く立ち去りたい一心で石段を無視してコスモキャンドルの台座から
飛び降りた。



「あれ、ヴィ…」
ちょうどパブから出てきたナナキがかごを置いて呼びかけようとするのを、ヴィンセントは慌てて唇に指を当てて制止する。
聡い獣は、彼の不機嫌そうな顔と、コスモキャンドルから彼を見送っている人々の様子から全てを察した。

「オイラの部屋へ行こうよ。あそこなら誰もこないし」
「ああ」
ヴィンセントは酒とつまみの入ったかごを持ってやり、ナナキと並んで歩き出す。
「私に講師は向かないようだ。参加者がいなくなるぞ」
「…オイラ、それでもいいような気がするよ。酷い人もけっこういるもの」
種族が異なるため、人類に対しては醒めた視点も持っているナナキが頷いた。
「神羅は確信犯だけどさ、普通の人達の中にも、自分のことしか考えない人っているよね」
そういう人が星命学を学んでも変わるとは思えないと、ナナキは珍しく痛烈な批判をする。自分を犠牲にして星を救った人がいる
ことを考えもせず、危機が過ぎるとのうのうとしている人々は好きになれない。地域によっては今だに魔晄を大量消費するところ
もあり、それに対してもナナキは心を痛めていた。

 長老たちの努力が、果たして実を結ぶのだろうか。高齢の二人に負担をかけて、星への帰還を早めてしまわないだろうか。
酷い人たちのために、自分の大切な人が犠牲になるようなことが起こったりはしないだろうか。別離の悲しみと孤独への恐怖が
ナナキをいつになく批判的にさせていた。長老ブーガがここのところ体調を崩していることが、彼の不安に拍車をかけている。


 ヴィンセントは黙ったまま、そっとナナキの頭を撫でた。それに応えるように片方の耳を彼の手にこすりつけ、人語を解する獣
はふと立ち止まった。

「ヴィンセント、あのさ…」
「何だ?」
半ば振り返るようにして、ヴィンセントも立ち止まる。ナナキは耳をたれ、訴えるような目を相手に向けた。
「何百年か先、オイラが星に還る時はそばにいて見送ってくれないかな…」
「……」
ヴィンセントの表情が、いたわりを含んだ優しいものに変わる。
 自分の種族が絶滅し、最後の一匹になってしまった孤独。それを支えてくれていたブーゲンハーゲンは既に故人であり、長老
たちも高齢である。新しい仲間を作り信頼関係を深めることは出来ても、次々と親しい人々に置き去りにされる悲しみは、長い時
を生きるものにしか理解できない。

 ヴィンセントはゆっくりとナナキのそばに歩み寄り、その目の前に片膝をついた。涙をこらえているような瞳を見つめ、静かに
語りかける。

「わかった。約束する」
「うん。ありがと…」
 ナナキは顔を伏せ、安心できる相手の胸に自分の頭を強く押し付けた。全身でもたれかかってくる重みを受け止めながら、
ヴィンセントはなだめるように両手でナナキの肩をはさみ軽く叩いてやる。


 しばらく仲間に頭をあずけていたナナキは、やがて元気を取り戻したように顔を上げた。
「ヴィンセントの匂い、昔と少し変わったね」
「そうか」
「うん、皮と硝煙の匂いは元からだけど、ルクレツィアさんの香水の匂いも少しするよ」
照れ隠しにからかったつもりのナナキだったが、相手が悪かった。ヴィンセントは顔色も変えずに、いつも一緒だからなと言って
のけたのだ。呆れたように笑い出したナナキは、自分の部屋に続く洞窟へと歩き出した。

「ヴィンセントの寝床も作ってもらってあるんだよ。今夜は旅の頃みたいに、一緒に寝ようね」
「ああ」
淡々とした彼の態度はむしろ包容力のある温かいものに映った。子供のように甘えてしまって照れくさい今は、それがかえって
救いになる。

―――  オイラが旅立つ時は、悲しまないで見送ってよね。ルクレツィアさんと一緒にね   ―――
自分が去る時に、ヴィンセントは独りではないということが、ナナキを安心させていた。大切な人に置いていかれるのは
辛いが、大切に思う人を置いていくのも切ない。


 周囲のものとは異なる時の流れを生きる二人は、ある意味同類と言えるのかもしれない。
夜が更けて銀色の月が、賑わいが増すコスモキャンドルを後にする二人を静かに照らしていた。








                                                                     syun
                                                                  2006/11/8







らー予想以上に長くなってしまいました。「お誕生カードありがとう訪問」なだけの話ですのに。FF7本編はインスピレーションを
刺激しますねえ。「コスモキャニオンのツアーにご参加の際は、歯磨き粉と歯ブラシ、蓄電器もご持参ください。なお、風のない日には
発電機をこいでいただきますので、動きやすい服装でご参加ください」って感じでしょうか(笑)ヴィンが講師なんかになっちゃったら
「講師は時折魔獣に変身しますので、生命保険、傷害保険には各自お入りください」と付け加えなくっちゃ。
こういうくだらない妄想は楽しいです(笑)。長老ブーガとハーゴを出した途端に、話が予想外の展開になりました。頑固なヴィンに
説教できるとしたら、じっちゃん以外にはこのお二方しかいないでしょう。久しぶりに書いたナナキ、とっても書きやすかったです。
動物の前ではヴィンも素直になるのでこちらも書きやすい。スキンシップたっぷりでもちっともエロくないところがいいですね。




Novels.