膝まくら






「昼間からワイン?午後の仕事はいいのか?」
 渡されたバスケットに、フルボトルが鎮座しているのを見て、ヴィンセントが首を傾げる。午前中に出張から帰ってきた彼は、リーブ
への報告を済ませると、その足でルクレツィアのラボへ直行していた。WROの職員用レストランにランチを特注していた彼女は、白衣
をロッカーにしまいながら微笑んだ。

「今日はもうお昼で終了。実は昨日、切りのいいとこまでと思っていたら、明け方近くになっちゃって」
「……」
眉をひそめるヴィンセントが口を開く前に、ルクレツィアは軽く指を振ってみせる。
「身体に悪いだの早く寝ろだの言う誰かさんがいないから、けっこうはかどったわよ」

 神羅ビルから回収した科学部門の膨大なデータの整理が、現在彼女を忙殺していた。
単純なファイル整理はWRO職員も関わることができたが、内容を分析しカテゴライズするのは専門知識が必要となる。

「戻ったら手伝うと言っておいたのに」
 ルクレツィアの力になりたい気持ちは人一倍なのだがあまり実践力の伴わない男が、それでも生真面目に申告する。
ルクレツィアは笑いながら彼を促して本部の裏手にある庭園へ向かった。


 以前、専門性の高い論文の整理を手伝っていて内容の区別が付かなかった彼は、ファイル名に「ルクレツィアからの依頼1」「ルク
レツィアからの依頼2」とつけたことがある。その結果タイトルから内容が推察できなくなり彼女に叱られた前科があるのだった。

 彼もタークスとして諜報活動に従事していたことがあり、情報収集や分析の能力は群を抜いている。しかし元神羅科学部門の、それ
もトップシークレットに属する研究論文には流石に歯が立たない。

そもそも門外漢が関わること自体が無理な作業であったが、彼女の負担を軽くしたい一心で結局仕事を増やしてしまったヴィンセント
であった。


「…今は、大分内容も判るようになったつもりなんだが」
「そうね。明日からまたお願いするわ」
 彼らは、職員の息抜きのために造られたささやかな庭園の一角で足を止めた。一日中研究室に篭って作業に没頭して
いるルクレツィアが、天気の良い日には好んで昼休みを過ごす「指定席」である。



「覚えてる?」
いたずらっぽい笑みを浮かべてランチバスケットを掲げて見せたルクレツィアに、ヴィンセントも柔らかな笑みで応じる。
「今日は、切ってあるんだな」
「そう。あの時は大変だったもの」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。

「ブレッドナイフもなくて、バケット1本どうするのかと思った」
「だって、初めてランチに誘うんだもの。緊張してたのよ、それなりにね」
 ルクレツィアは刈り込まれた芝生に大きめのナプキンを広げ、その上にバスケットの中身を並べ始めた。
ブルスケッタ用にスライスされたバケット。トッピングに用意されたのはラタトゥユと、エビとアボカドのサラダ。生ハムとチーズはワイン
のお供用。それは、二人が初めて共にしたランチメニューの再現だった。


「ちょっと、見てないでワインくらい開けてちょうだい」
銘柄こそ違え、ワインもあの日と同じ赤。ヴィンセントはおとなしくボトルを手にした。
「ワインオープナーは忘れなかったんだな」
「それ皮肉?サバイバルナイフでバケット切ろうとした人に言われたくないわね」
「やはりダメか?」
「あたりまえでしょ。タークスの持ってるナイフなんて、何切ったかわからないもの」
 あの日、ルクレツィアに命じられて、ヴィンセントはブレッドナイフを取りに神羅屋敷まで走る羽目になったのだった。
ワインをかたむけランチを楽しみながら、遠い昔の思い出話に花を咲かせ、二人は笑いあう。


 外見だけを見れば、あの日と二人は殆ど変わってはいない。ルクレツィアが胸につけているネームプレートの所属名がWROになり、
ヴィンセントがタークスの制服から黒いバトルスーツに衣替えしているだけだ。

 しかし、今までに流れた長い年月と、お互いを想いあいながらすれ違い紆余曲折を経た道のりが確かに存在する。
そしてだからこそ、やっと掴んだ相手の手を離すまいという強い思いが二人の裡にあった。



「ウータイはどうだった?ユフィは元気?」
「ああ。ユフィも、ゴド―も迷惑なほど元気だった」
「…どういう意味?」
 リーブに依頼され、ウータイにWRO支部を設置する許可を取り付けるために領主であるゴド―と交渉するというのが、今回のヴィン
セントの出張目的だった。彼ほどネゴシエーションに不向きな人物もいないのだが、先方のご指名とあってはいたしかたない。

 神羅カンパニーなき後、ウータイは単なる観光地ではなく武道の国として復興を始めていた。WROとしては是非とも協力体制を作っ
ておきたいところである。次期領主がユフィであることから連携は容易と考えられたが、現領主をないがしろにするわけにはいかない。


 総本山を訪れた彼とWRO一向を歓迎してくれたゴドーだったが、支部建設の条件としてヴィンセントに一対一の勝負を挑んできた。
困惑したもののユフィに目配せで促された彼は礼儀正しく勝負を受け、礼儀正しく手を抜かなかったので、激闘の末勝利をおさめて
しまった。


「呆れた。普通は相手に花を持たせるものじゃない?」
「武人相手にかえって失礼だろう」
「もう、融通が利かないんだから。それで交渉決裂したらどうするの?」
「それは大丈夫だ」
 折りしも、ウータイは年に一度の星祭の時期であった。多分、祭りの余興のつもりもあったのだろう、と彼は説明する。

「ずいぶん、物騒な余興もあったものね」
肩をすくめて、食後のコーヒーをポットからカップに注ぎ分けたルクレツィアに、ヴィンセントは小さな包みを渡した。
「何? ウータイのお土産?」
「星祭の夜だけに売られるものだそうだ」
 包みを開けると出てきたのは小さなブローチ。翡翠でできた細長い草の葉を土台に、銀河をはさんで光る二つの星が宝石で表さ
れている。ウータイに伝わる二つの星の恋物語は、他の地域にも広く知られていた。


「…以前は、この話が羨ましかった。年に一度会えるのならばまだいい、と」
ルクレツィアの手のひらの上の美しいブローチを見つめて、ヴィンセントは呟いた。罪の意識と孤独に苛まれていた過去を思い出した
かのように、しばし俯いたまま沈黙する。

伏せられていた夕日色の瞳が、気遣わしげにのぞきこんだルクレツィアの顔を映すと、はにかんだ笑みを浮かべた。
「だが、今は星たちの方が気の毒に思えるな」
「………」
ルクレツィアは一瞬泣き笑いのような表情を浮かべた。
 自分のために犠牲になりずいぶんと苦しんだはずの彼が、それでも変わることなく自分に向け続けてくれる愛情に胸をつかれる思
いがする。絶望の縁を歩みながらそれでも自暴自棄にならずに今に至っている彼こそ、本当の意味の強さをもっているのだろう。


「ありがと。大切にするわ」
 彼女は両手をヴィンセントの頬にあて、その額に自分のそれをそっとすり寄せるのだった。



 風が、庭園の花々や木の枝をやさしく揺らしていく。
ルクレツィアは、隣で長身を芝生の上に投げ出してまどろむヴィンセントを見つめて微笑んだ。
片時も彼女の側を離れたがらない彼のことだ。今回の出張も強行軍だったに違いない。彼に同行したWRO職員たちは、本部に到着と
同時に解散し休養を取ることを許されている。
自分の直属の特殊スタッフの傾向を良く知る局長のはからいであった。



「あぁ〜、やっぱりここでしたか」
 黒と白の小さな影が、花壇のそばから現れた。
「携帯電話の電源切れてましたんで、ボクが探しに来たんです」
「お疲れさまですね。本体は局長室?」
「ええ、まだ会議やってますわ」
小さな冠を被ったぬいぐるみのネコは、腰に手を当ててヴィンセントを見やる。
「ちょっぴりお疲れのようですね。ウータイではゴドーはん相手にやりあったようですし」
「ふふ。元々昼寝が趣味なんじゃないかしら」
ルクレツィアは側によってきたケット・シーを覗き込み、ひょいと膝に抱き上げる。
「わわわ、ルクレツィアはん、何を…」
「ほんとに不思議ね。インスパイア…でしたよね、局長の能力」
ケットを見つめるルクレツィアの瞳が、真実を探求する科学者のものになっている。
「無機物に生命を与えるだけでなく自分と異なる人格まで与えられる…このぬいぐるみ以外でも命を与えることが可能なんですか?」
「え、いやそのあの…」

ルクレツィアにじっと見つめられ、何故かしどろもどろになるケット。
 その時、ヴィンセントが軽くのびをして目を覚ました。夕日色の瞳がルクレツィアの膝に抱かれている小さなネコを映し出す。

「………」
 彼は寝返りを打つと、片手でケット・シーのマントをつまみあげて無造作に彼女の膝から追放する。
小さなネコのぬいぐるみは、放物線を描いて芝生の上に転がった。

「ヴィンセント!」
「うわっ、いきなり何ですかいな」
二人の抗議を聞き流し、ルクレツィアの膝になかば頭をもたせかけるような姿勢のまま、ヴィンセントは無愛想に口を開いた。
「用件は何だ」
い、いや、ウータイからのお土産、ヴィンセントはんの分も混ざってたんですわ。あとで取りに来てください」
「わかった。それだけか?」
「え、ええ。それじゃ…」
 言外に含まれたヴィンセントの意図を明確に察してケット・シーは早々に退散する。
ため息をついてその後姿を見送ったルクレツィアが、自分の膝のそばまで転がってきた男の漆黒の髪に触れる。

「ヴィンセント、まさかとは思うけど…やきもち?」
「………」
「こら、寝たふりしないで」
「………」
「もう。大人げないんだから」
 沈黙を守りながらも、そばから離れようとしない男の頭を膝に抱き上げ、ルクレツィアは優しく髪を撫でた。
仲間たちが見たら仰天するだろうな、と思いながら、自分の前では時折手のかかる大きな子供に変貌する彼が可愛くて、ついつい
甘やかしてしまう彼女であった。




 その頃局長室では、会議の途中でいきなり笑い出した局長をWRO幹部たちが不思議そうに見つめていた。








                                                      2006/7/9
                                                       syun






ケットにやきもちを焼くヴィンの話です(笑)多分彼は誰が相手だろうと、ルクレツィアと自分の間に他人を入れることは二度としないんじゃないかと
思って。七夕のエピソードを入れてしまったので、大急ぎでアップしなくちゃと巻きました。それでもちょっぴり乗り遅れ(笑)ほのぼのルクヴィンは書い
ていて楽しいです。リンクさせていただいているサイトさまの素敵イラストに大分影響を受けました。うちのヴィンはすっかりルクさんのペットですね(笑)
おかしいな、ダークヒーローのはずなのに。

Novels.