左腕の見た悪夢







車をWROのパーキングに停め、ヴィンセントは風になぶられ放題になっていた長髪を、無造作にかきあげた。
時を刻まなくなった肉体の代償のように、髪の伸びる早さだけは異常に早い。特に最近は魔獣に変身すると、その後一気に
肩を超える長さになっていることがある。

 その都度切ってはいるが、今回のように出張途中でモンスターと遭遇した場合は、帰ってくるまで長髪のままだ。慣れたもの
で、WRO職員たちは会うたびに髪の長さが違う彼を見ても、もはや何も言わない。


 コスモキャニオンから託された資料をリアシートから降ろそうとして、ヴィンセントは動きを止めた。複数の気配が彼をとりま
いている。林の中に3人、建物や輸送用のシャドウフォックスのかげに、2人ずつ。

 明らかな害意を持った者の数と位置を読み取り、彼は荷物を降ろす風を装って指をハンドガンのグリップにかけた。振り向き
ざまに、銃を引き抜きトリガーを引く。間合いをつめていた一人が吹き飛ぶのと同時に、左右から新手が襲いかかってきた。

 共通の防弾プロテクターを身につけてはいるが、その他の装備や服装はまちまちな集団が、無言でヴィンセントを包囲する。
フルフェイスのマスクで顔を隠した襲撃者たちを、彼は無感動な瞳で眺め渡した。

 ソルジャーやツヴィエートというよりは、ウータイの忍に似た曲線を描くすばやい動きで、常に3名ずつが組になって仕かけて
くる。得物は刃渡り40センチ足らずの小ぶりな半月刀。殺傷力は小さいが、その分攻撃にスピードが出る。

 前後左右からの攻撃をかわしながら、ヴィンセントは相手の奇妙な動きに首を傾げた。急所ではなく腕や大腿を狙い、刃の
使い方もまるで肉体を削ぎ取ろうとするかに見える。複数で至近距離にもぐりこむのは、こちらの照準を合わせにくくする作戦
か。


 彼は斜め後方に高く跳躍し、追っては来るものの速度も高さも劣る相手を次々と狙撃する。愛用のリボルバー拳銃は持ち主
の意志に忠実に、襲撃者たちの腕や大腿を撃ち抜いた。彼らのプロテクターは防弾性が高く、45口径のピースメーカーでも、
殺傷まで至らない。動きを止められた敵は、銃でヴィンセントの行動を制限しようとする。銃弾をかわして走る彼を、新手の集団
が取り囲む。

 足止め、か?
 明らかな殺意があるとも思えず、大人数で彼の動きを封じようとしてくる。銃のグリップで敵の顔面を殴り、同時に横から迫る
相手の喉に肘を叩き込みながら、ヴィンセントは視線をWRO本部に投げた。もしや、本体は本部に既に侵入しているのか。

 停車してある2台の間に滑り込んで弾丸をリロードし、ボンネットを蹴って彼は再び跳躍した。一瞬前まで彼が占めていた
空間に群がる敵を確実に仕留めていく。散開し、着地点を先読みして襲い掛かった敵の刃が、ヴィンセントの顔面に迫った。

 素早くかわした頭部の後に流れる、長い黒髪。半月刀はその一部をざくりと切り取った。刀の持ち主は空中に舞う髪を手早く
掴み取る。

 そのころになって、敷地内での異変に気づいたWROの警備兵が、ばらばらと駆けつけてきた。
「…サンプル採取、成功」
「撤収!」
 マスク越しのくぐもった声で、襲撃者たちが言葉を交わす。隊員たちの掃射を受けて後退した彼らは、地面に倒れた仲間を
回収して鮮やかに撤退していった。



「ヴィンセントさん、ご無事ですか!」
「ああ」
 正面玄関付近を担当している警備長が、ヴィンセントに敬礼した後、緊張した面持ちで話しかけてきた。アスファルトの地面
には、空になった薬莢や血しぶきが点々と散っている。

「いったい、何者だったんでしょう」
「さあな」
 警戒しながら周囲を探索する隊員たちをよそに、ヴィンセントは落ちていたひとふりの半月刀を拾い上げた。その周囲に散っ
ているのは、切り取られた彼の髪の一部。

「……サンプル」
苦い記憶を呼び起こす単語を、彼は呟いた。どうやらターゲットは自分だったようだ。
だが、何のために?
 ヴィンセントは無意識に左胸に手を当てた。今だに埋め込まれたままのエンシェントマテリア。5年前の悪夢のように、再び
オメガやカオスを利用しようとする者が現れたのか。

それとも…。
彼の思索をあざ笑うかのように、半月刀は夕日を受けてぎらりと光った。




『あの人数を投入して、結果がこれだけかね』
 電気的な音声が、放棄されて久しいオフィスに響く。室内の一角を占める広い窓の外には大海原が広がり、静かに月明かり
を受けている。端末と連動しているマニピュレーターが掴んだカプセルの中には、一束の黒髪が収められていた。

「彼の髪は尋常じゃない速さで再生する。サンプルとしては妥当じゃないか」
『言い訳だな』
半月刀を腰に佩いた男は、頬に不快さを表した。
「なら、あんたがサンプル採取すればいいだろう」
『よかろう。役割交代か。そして、お前が奴の細胞を分析し、魔獣の因子を培養するんだな?』
嘲笑するような音声に、男は唇を曲げて黙り込む。たかが、コンピュータに取り込まれた人格のくせに、こいつはどこまで横柄
なのか。


 ウータイで、ネット上に生息するこの擬似人格に接触したのは、ほんの偶然。その頃、修行に励んでいた彼は、これ以上の
上達は見込めないと師のチェホフから言い渡されたばかりだった。

 魔力は生来の素質がものをいう。修行によりそれを引き出すが、生まれつき魔力の低い者は早期に限界を迎える。マスター
クラスのマテリアを持っても、それを使いこなす魔力がなければ意味がない。資質のない者は、下級の忍に甘んじる以外に
道はなかった。

 強くなりたい。
 彼の強い願いを、ネット上の擬似人格はかなえてやろうと申し出た。半信半疑の彼に、ソルジャー誕生の技術を応用すれば
可能だと説明する。ただし、使用するのはジェノバではなく、ヴィンセント・ヴァレンタインの細胞。エンシェントマテリアの制御を
受け、安定している魔獣の因子を取り込めば、魔力の増幅と不老不死性が手に入るはずだと言うのだ。


『サンプルという言葉は、腕の一本、内臓の一部でも持って来てから言え』
仲間内で「風」の通り名で知られていた男は、さすがに鼻白む。
「我々は、彼に敵意を抱いているわけじゃない。そこまでする必要があるのか?」
『ある程度の量がなければ、分析はできんよ』
電気処理された声は、冷淡に告げる。
『それに、奴の体内にあるエンシェントマテリア。それも抜き取って来い』
「無理を言うな!」
さすがに風は反論する。相手は星を救った英雄。4人のツヴィエートを倒した者にかなうはずがない。今日手合わせをしただけ
で、力の差は痛いほどに感じられた。

「我々は、強くなりたいだけだ。強いウータイの復興に貢献したい!」
『だから、魔獣の因子を植えつけた唯一の成功例、その細胞が必要だと言っている』
「………」
黙り込んでしまった風に、音声はやや口調を変えた。
『奴を神聖視するな。今の時代に必要なのは強い集団、だろう?』
お前たちのような、というわざとらしい言葉に、風は唇を噛んで不快さに耐える。
『特定の強い個人に頼るのは感心せんな。セフィロスを覚えているだろう。圧倒的な力を持った者が正気を失ったらどうする?
 誰が止める?』

「それは…」
『クラウドか? WROか? あの馴れ合い連中は、暴走した魔獣を止められはせんよ。それとも、ウータイのユフィか?』
「その名は口にするな!」
 風は激昂した。

 魔のチェホフから見放されたとはいえ、コンピュータを扱い剣技にもすぐれた彼に、ユフィはWROへの移籍を提案した。ウー
タイに居場所を失っていた彼に対する配慮であったのだが、風は我慢のならない侮辱と受け取った。彼にとっては、武道の国、
強いウータイの復興こそが命で、それ以外の選択肢はない。

 ちょうどその時期、ネット上で遭遇した「博士」の甘言に乗り、彼は出奔した。同じように修行に行き詰っていた者たちが同行し
廃墟となっている神羅ジュノン支社を根城としている。WROからドロップアウトした者や、ミッドガルのスラム上がりの若者など、
安易に力を求めようとする者たちも加わって、今では結構な人数になっていた。それを束ねているのが、ウータイの忍くずれ、
風である。


『魔獣の因子を身に宿せば、あのウータイの小娘にとってかわることも可能だ』

ウータイの次期領主、ユフィ・キサラギは24歳になっていた。父ゴドーより統率者としての教育を受け、反発しながらも自分の
使命を受け入れ始めている。ユフィの修行を軽んじる奔放な性格と、それとは裏腹な豊かな資質を妬む風の本心を、「博士」は
さりげなく刺激する。


「わかった。死体でも、サンプルとしては役立つんだな」
『その通り』
「博士」の口調が満足そうなものに変わる。
『だが、確かにお前たちでは荷が重かろう。WROの科学部門に内通者を送り込んである』
「内通者?」
『そう。その者と接触しろ。人質に見せかけて、奴をここにおびき寄せる』
「わかった」
瞳に暗い光を宿して、風は退室した。

『……クックックッ…強いウータイ、か』
低い笑い声は、やがて哄笑に変わる。
『上は見えても足元の見えぬ、おめでたい理想主義者が。せいぜい役立ってもらおう』
マニピュレーターが、黒髪の入ったカプセルを高く持ち上げ、床に投げつけた。
『ヴィンセント・ヴァレンタイン。生きながら切り刻み、最後の血の一滴まで実験に使ってやろう』
姿の見えぬ「博士」の哄笑が、明滅するコンピュータの画面とともにオフィスの中に広がっていった。




「サンプル採取成功、彼らはそう言ったのですね」
「ああ」
 中途半端に切られた髪をそのままに局長室へ戻ったヴィンセントを、リーブとルーイ姉妹が迎えた。ソファに腰を下ろした
彼に、局長みずからがコーヒーを淹れ労をねぎらう。


 オメガ災害より5年たち、WROは大きな発展を遂げていた。世界の再生のための都市計画や物資流通のコントロール、子供
の教育や職員育成のための機関などが新たにおかれ、それぞれに責任者をおいて活動している。

そして、軍隊の設置と武器開発も重要な仕事だ。更に、モンスターの分析や医療に役立てるための、生体科学研究も行なわ
れていた。


「確かに、キミの不老不死性と変身能力に興味を持つものは少なくないだろう」
その生体科学部門の責任者であるシャルアが、右手で眼鏡を直しながらヴィンセントを見やる。今年29歳になる彼女は、外見
年齢が変わらないヴィンセントよりも年長に見えた

「モンスターの因子を後天的に宿した、唯一の成功例だからな、キミは」
「お姉ちゃん、その言い方、デリカシーがなさすぎます」
 局長室の端末に向かいながら、シェルクがたしなめる。シャルアの悪意のない失言を気にする様子もなく、ヴィンセントは
ディスプレイを覗き込んだ。彼が持ち帰った唯一の手がかりをネットで検索していたシェルクが、ひとつの画面を示す。

「やはり、ウータイの武器か」
「ええ。しかし、模造品も多く出回っています。輸出もされていますし、これだけでは特定が難しいでしょう」
「確かに、プロテクターもディープグラウンドの廃品利用のようだったな」
シェルクの報告にヴィンセントは腕を組んで考え込む。
「今のところ、都市が襲撃を受けたという報告は入ってきていません。念のため、派遣しているWROを通じて、各都市に警戒を
 呼びかけておきましょう」

 軍事・情報部門から報告を受けたリーブが言った。最高責任者として多くの困難を乗り越えてきた彼には、年齢以上の落ち
着きと威厳が備わってきている。

「ヴィンセント、まずは休んでください。長旅の後に襲撃を受けて大変でしたね」
「だが、目的が私ならここを離れた方がいい」
WROを巻き込むわけにはいかない、ヴィンセントの主張を聞いてリーブが片頬で笑う。
「そう言い出すだろうと思っていました。あなたの背中を守ることぐらい、させてください」
「戦うなら、武器や弾薬の補充の利くところにいるほうがいいぞ」
シャルアがすかさず援護射撃をする。それにうなづき、リーブは言葉を続けた。
「相手が何者かわかりませんが、あなたへの襲撃は何か大きなことの前触れだと思います。敵の分断作戦かもしれません。
 それにわざわざ乗ってやることはないのでは?」

「…なるほどな」
納得した様子の彼にリーブとシャルアも安堵する。短い会議は終了となり、一同は解散した。

 ヴィンセントとシャルアが退室し、リーブが自分のデスクに戻る中、シェルクはディスプレイを見つめていた。

「何…なんでしょう…これは」
コンピュータが何者かの干渉を受けている。確たる証拠はないが、確かに感じる違和感。セキュリティシステムは作動している
はずだが、それすらくぐりぬける何か。まるでSNDのような。

 彼女はしばらく考え込んでいたが、やがて席を立つと、自分専用のコンピュータ室へと向かった。



 自分のラボへ戻る途中、シャルアはまだ照明のついている研究室に気づいた。
「まだ残ってたのか」
「あ、ルーイ博士」
女性研究員が端末に向かったまま頭を下げた。
「もう明日にしたらどうだ?」
「ええ、でももう少しですから」
「またドーピングの研究か」
やや渋い表情をしながら、シャルアは彼女の画面を覗き込む。
 各種の薬物や魔法による、人体の強化の可能性について、さまざまなデータが表示されていた。WRO隊員だった弟をDG
ソルジャーとの戦いで亡くした彼女は、それ以降仕事の合間に強い戦士を作るための研究を続けている。

「普通の人間がいくら訓練しても限界があります。兵士として軍に入る以上、死なないぐらい強くならないと」
 モンスターやDGソルジャーのような相手がいるかぎり、生身の人間で軍隊を作っても無駄というのが彼女の持論だった。
兵士はみな、誰かにとって大切な家族だ。本人が戦いを仕事として選んだとはいえ、家族にしてみれば決して失いたくはない。
ならば、軍に所属した時点で強化すればいい。

「気持ちは判るんだがな。それは人体実験と紙一重だ」
「十分に説明して、本人の合意が得られれば問題ないはずです」
「神羅のソルジャーもそうだった。だが、セフィロスにコントロールされ正気を失った者もいたぞ」
「それは、ジェノバ細胞という危険なものを使ったからです。もっと安全性の高いものを見つけられれば…」
「たとえば、ヴィンセント・ヴァレンタインの細胞、か?」
かまをかけたシャルアの言葉に、研究員は小さく息を呑んだ。
「…私が考えているのは、細胞や遺伝子の移植ではありません」
「それならいいが。彼には手を出すなよ。撃たれても知らんぞ」
 黙り込んでしまった研究員に警告を残し、シャルアは部屋をあとにした。残された彼女は、きつく手を握り締めて画面を見つ
める。

「…でも、彼のような強さがあれば、あの子は死なずに済んだ…」
 思いつめた光を宿す彼女の目の前で、何の操作もしていないコンピュータの画面が変わった。そこに次々と打ち出される
文章。驚きもせずにそれを読み取った研究員は、静かに頷いた。





「罠だと思うな」
「だが、捨て置くわけにもいくまい」
 黒革のバトルスーツの上に、同じ革のジャケットをひっかけながら、ヴィンセントはシャルアに応えた。戦闘の邪魔になる
長髪は、短く切り整えられている。

 彼がパーキングで襲撃を受けてから数日後。シャルアの部下である生体科学部門の研究員が、姿を消した。彼女の研究室
にあったディスクやファイルも持ち出され、室内には血痕も確認されている。そして、リーブのもとには「サンプルの引渡し」を
要求するメールが届いていた。

「あなたを狙った人質、ともとれますが、狂言の可能性もありますね」
 警備の厳重なWRO研究室に外から侵入した形跡はない。
「少々エキセントリックなところもあったからな。自分からついていったとしても不思議じゃない」
「ならば、敵には科学者の味方が増えたということになる」
「ヴィンセント、首謀者の心当たりがあるのですか?」
いつになく好戦的な気配を漂わせる彼に、リーブが静かにたずねた。通常使用している銃よりも口径の大きいアウトサイダーを
ホルスターに収め、マガジン容量の大きいマシンガンを肩にかけた、ヴィンセントが振り返る。

「確信はない。だが、これ以上追い回されるのはごめんだ」
 元々他人からの干渉を嫌う彼は、それなりに不愉快だったらしい。ここでケリをつけるという言葉に、リーブは苦笑した。
敵の所在地が掴めている今なら、陸上と空から一気に殲滅することも可能だ。しかし、いなくなった研究員が誘拐されたのだと
すると、職員の救出は最優先になる。


「わかりました。WROの部隊も後方に展開して待機します。ジュノン、でしたね」
「ああ」
「ただし、これをつけていってください」
リーブが細い銀鎖に厚みのあるプレートをぶら下げたものを、ヴィンセントに手渡した。
「小型の発信機になっています。もし彼らに捕まったとしても、これで救出できますから」
 一定時間以上移動がない場合にも、進攻を開始するというリーブに頷き、ヴィンセントは銀鎖を首にかけた。局長室を出て
行こうとした彼を、シャルアが呼び止める。

「その、すまない。私の部下が迷惑をかけた」
隻眼の科学者の表情には、部下への怒りと心配、そして仲間への陳謝の気持ちが混在していた。
「だが、状況によっては好きにしてくれていい。何より、私はキミの安全を願っている」
「………」
苦渋の決断を伝えたシャルアに目礼を返し、ヴィンセントは部屋を後にした。



 キャノンの無くなったジュノンは、どこか間が抜けて見える。
小型飛空艇で上空から見下ろしながら、ヴィンセントは辛辣な感想を持った。もっとも、そう思うのは彼を煩わせている一党が、
ここを根城にしているからなのかもしれない。

 アルジュノンのエアポートは、がらんとしていた。旋回して様子を伺うが、敵のいる様子はない。ヴィンセントはゆっくりと高度
を下げ、着陸態勢に入った。
その時。

滑走路の両脇から対空砲に似た形のものがせりあがった。飛空艇を挟むようにしたその銃口からは、モンスター捕獲用の
投網が発射される。

「やはりな」
ブースターが再度火を吹き、飛空艇は見事なタッチアンドゴーを見せる。垂直尾翼に引っかかった網は相手を止められず、
逆に引きずられて機械同士が衝突する羽目になった。二対の対空砲はそのまま滑走路上を引きずり回され、次々とせりあが
ってきた砲台と激突する。重い荷物を引きずっている飛空艇のエンジンもオーバーヒートし、ついに炎を吹き上げた。

 潮時とみたヴィンセントは、機首をアルジュノンの建造物へ向ける。ここには神羅軍の兵舎や武器を扱う店があったはずだ。
網が千切れ加速した飛空艇を、そのまま建物へ突っ込ませる。

轟音と黒煙とともに、艇は建物の中へ消えた。次いで、爆発的な炎が窓から噴出してくる。
衝突の寸前、神羅支社へ通じるリフトの上に飛び降りたヴィンセントは、破壊された建物から走り出てくる者たちを冷ややかな
瞳で眺めていた。完全武装の上、手にしているのは対戦車用にもなるバズーカや殺傷率の高いショットガン。

どうやら、死体でもサンプルとして使えるという指示が出たらしい。
「遠慮はいらないようだな」
 彼は薄い笑みを浮かべ、ゆっくりと肩からマシンガンを外した。



「おい、大丈夫か」
 神羅支社の1階にある報道室。その奥の元ガス室に、研究員は捕らわれていた。
周囲を警戒しながら、ヴィンセントはリクライニングシートに横たわる彼女に声をかける。白いシーツを被せられた相手からは
反応がない。右手に銃を構えたままヴィンセントは彼女に近づき、片手で軽く揺さぶった。

次の瞬間、左腕に異様な衝撃を受けて、彼は一歩後退った。女の叫び声と肉の焦げる臭いが狭いガス室に広がる。
「やった!やったわ! 左腕一本、これなら立派なサンプルになる」
気を失っていると見せかけていた女の手に握られていたのは、電磁ブレード。切り落としたヴィンセントの腕を、彼女は思い切り
室外に投げた。身を潜めていた風が、すばやく受け取って走り去る。


 追おうとするヴィンセントに、更に電磁ブレードが振り下ろされるが、一発の銃声の後それはあっけなく床に転がった。上司の
忠告を無視した研究員の身体が、シートからずるりと床に転げ落ちる。救出するはずだった女の骸に一瞥も与えず、ヴィンセン
トはガス室から飛び出した。

 途端にマシンガンの洗礼を受け、彼は会見用の重いテーブルを蹴り倒して一時しのぎの盾にする。激しい銃撃で次々むしり
とられていく机の端を見ながら、ヴィンセントは片手で装弾し、垂直に跳躍した。その速度で相手が視認できないうちに、天井の
シャンデリアを足がかりに空中から次々と狙撃する。報道室に展開していた敵は正確に頭部を撃ち抜かれ、全滅した。


 身軽く床に降り立ったヴィンセントは、ドアのかげに潜んでいた男に気づくとその襟首を掴んで、室内にひきずりこむ。
「うわ、うわああ、降参だ!降参する!」
意気地なく床に腹這う男の背に片足をかけ、ヴィンセントは男の鼻先にアウトサイダーをぶらさげた。
「悪いな。リロードしてくれないか」
 片手ではやりにくい、という呟きと共に目の前にばらまかれた弾丸を、男はかき集めて装填した。今時リボルバー式の銃など
使う者は珍しい。大勢の敵を相手にする場合オートマチック銃か、マシンガンの方が適している。
しかし、戦いの合間のこまめなリロードが趣味とも言えるヴィンセントは、大口径のリボルバー式を愛用していた。

「ご苦労」
 銃を頭の上に持ち上げた男を殴って昏倒させ、ヴィンセントは用心深く外の様子を伺う。電磁ブレードで灼かれた傷口からは
あまり出血しないのが救いだった。集中力を削ぐ痛みを抑えるためにケアルをかけ、鎮痛剤代わりにする。

「とりあえずは、上か」
 ジュノンの神羅支社は、彼にとって未知の場所だ。かつて、ここに捕らわれたことのある仲間たちの話を思い出しながら、倒
した男のオートマチック銃を取り上げ、ヴィンセントは走り出した。




 片腕というのは案外バランスの悪いものだな、と戦いながら彼は考える。全て右腕一本で行なわなくてはならない上、左腕
がない分重心が右に傾く。左に回りこまれないよう壁や障害物を使うので、居場所を敵に読まれやすい。

 弾を撃ちつくした銃を投げ捨て、倒れた敵のホルスターから新たなものを抜き取って、ヴィンセントは階段の踊り場に身を潜
めた。上のフロアに、まとまった数の敵の気配。このまま階段を上がっていけば、最初に頭部を狙われる。

陽動でファイアを放ってみるか、と考えた途端、爆発音と叫び声が上がった。続いて激しい斬戟の音。
 風を切るその独特な音に、ヴィンセントは意外な応援が現れたことを知った。銃をベルトに挟み、わざと靴音を立てて階段を
上る。


「ヴィンセント?」
「ああ。ユフィか」
 累々と敵の横たわる通路に立っていたのは、巨大な手裏剣を手にした若い女性だった。
ホットパンツとノースリーブの上に武装した姿は相変わらずだったが、5年の歳月は彼女を大人びさせていた。肩につく長さの
髪は毛先にシャギーを入れ、小さなピアスと薄化粧が彼女をより華やかに見せている。大きな瞳が、更に大きく身開かれた

「ちょっとアンタ、片腕どうしたの?!」
「奴らに取られた」
「ははあ、アイツらが言ってた“サンプルを守れ”って、アンタの腕のことだったんだね」
ユフィはヴィンセントの左肩付近をしげしげと眺め、うわ痛そう、ともっともな感想を述べる。外見は成長したが、仲間に対する
口調はかつての跳ね返り娘の頃のままだ。

「でもさ、アンタのことだから、また生えてくるんじゃない?」
「さあな。腕では試したことはない」
「腕では…って、じゃあ何で試したのさ?」
戦場での緊張感はどこへやら、ユフィは興味津々と言った様子だ。ヴィンセントは小さくため息をついた。
「アスールと戦った時、歯を何本か折られたが、元に戻った」
「…………」
「詳しく聞きたいか?」
「いーや、結構!」
ユフィは首を振り、一歩飛び退る。歯医者を想像するような話はごめんだ。

「ところで、お前は何故?」
彼の問いに、ユフィの表情が一瞬強張る。
「うん…ここのところ“抜け忍”が続いてて、あ、勝手にウータイを離れたり、修行を途中でやめて逃げちゃう連中のことなんだ
 けどね」

視線を足元に落としながら、珍しく歯切れの悪い口調で彼女は話した。
「ソルジャーとか、セフィロス・コピー、覚えてる?」
「ああ」
「あんな感じで、修行以外に生体改造で強くなりたいっていう奴が増えてるんだ」
「…どこかで聞いたような話だな」
ユフィの蹴りがヴィンセントの向う脛にヒットし、逃げそびれた彼は低く唸る。
「まぜっかえさないでよ!マテリア使うには、ちゃんと修行して魔力上げないとダメなんだから」
「誰もお前だとは言っていない」
「言ってるじゃん!」
頬を膨らませて抗議した後、やや肩を落としてユフィは続けた。
「その抜け忍の動向を探ってたところに、リーブのおっちゃんから情報もらってさ。そこでピーンときたわけ」
 廃墟となったはずのジュノンで、大量のエネルギーが消費されていた。ウータイの忍くずれ以外にも、安易に力や不老不死
性を求める者が集まっていることを突き止めた彼女のところに、リーブから連絡が入ったのだった。人体強化の材料として、
ヴィンセントが狙われている、と。


「…ごめん。うちの不始末で、アンタに迷惑かけちゃったね」

「いや、彼らだけでは無理だろう」
「え?」
 意味を図りかねてユフィが背の高い相手を見上げると、リボルバー式の銃を引き抜いたヴィンセントが前方を見据えていた。
そこにあるのは、オフィスに続く扉。

「片腕では不便だ。切り刻まれないうちに取り返すとしよう」
「…そうだね」
 戦士がいくら集まっても、生体改造を行なえるわけではない。背後で糸を操っている何者かがいるはずだ。それに心当たりの
ありそうな相手を見上げてユフィも武器を握りなおし、さりげなく彼の左側へ立つ。その彼女をちらりと見やって、ヴィンセントは
歩き始めた。




 オフィスの電子錠は50口径のマグナム弾を食らって沈黙した。制御を失った扉は簡単に手で開くことが出来る。
間合いを計って引きあけた扉の中は、拍子抜けするほどに静かだった。所詮、統率のとれていない寄せ集めの集団。
ウータイの元忍たちは全滅し、僅かな残党も既に逃走を図っている。

 ただ独り、ひきつった表情の風が、次の部屋に続く扉を背に立ちはだかっていた。
「ユフィ…!」
「やっぱりあんただったんだね、風」
「ここから先は行かせん!」
風が火遁を投げ、ヴィンセントとユフィの目の前に炎の壁が起ちあがった。
「やっと手に入れたサンプルだ! あんたの因子を移植すれば、俺だって強くなれる!」
「どうかな」
 風の叫びに、ヴィンセントは冷淡に応えた。
「宝条の研究は人まねばかりだ。それに失敗が多い」
彼の口から出た固有名詞に、風とユフィが凍りつく。
「おそらく、どこかに残っていた宝条の断片に踊らされたのだろうが、そろそろやめたらどうだ」
「黙れ!」
激昂した風が叫ぶ。
「あんたに何がわかる!永遠の命と力を持って、英雄と謳われるあんたに、俺の気持ちがわかるものか!」
 いくら修行を重ねても、生まれつきの資質の限界を超えられぬ悔しさ。そして、自分よりも志の低いものが、高い地位と力を
得る理不尽さを、風は激しく糾弾する。

「そんなの、ここでガタガタ言うな! あんたのやってるのはただのウータイの面汚しだ」
「うるさい、おまえの指図は受けん!」
 風は血走った目をユフィに向け、雷迅を投げつける。炎の収まりかけた室内に電撃が走り、ユフィはすばやくマバリアを張っ
た。はるかに風を凌駕する資質の彼女にとって、この程度の攻撃は子供だましでしかない。その気になれば、一瞬で闇に葬る
ことができる。
 だが、風の中の何かが、ユフィに攻撃をためらわせた。その間に風は刀をかざし、技を放つために気を溜める。

「力を得たら、おまえに取って代わりウータイを再生する! おまえなどよりずっと…」
 一発の銃声が風の叫びを遮った。胸を撃ち抜かれたその身体が、後方に吹き飛ぶ。
「悪いが、おまえの愚痴を聞きに来たわけではない」
つかの間言葉を失ったユフィをよそに、物言わぬ物体となった彼の横を抜けて、ヴィンセントは奥の部屋へと足を踏み入れる。

 そこは、医務室を改造した研究室になっていた。海に面した広い窓から夕日が差し込み、室内は毒々しい朱色に染まって見
える。中央の台にはヴィンセントの左腕が置かれ、一部を切り開いて組織を取り出している最中であった。

「うげ、気持ち悪い」
「同感だ」
 ユフィの手裏剣とヴィンセントのアウトサイダーが、同時にマニュピュレーターと、それを操作していると思しきコンピュータを
破壊する。ついでに、培養液の入ったガラス管や、細胞移植後の人間を収容すると思しき魔晄ポッドも、遠慮なく撃ち砕いてい
く。一見冷静に見える彼だったが、実はけっこう腹を立てていたらしい。


 珍しく無駄弾を使うヴィンセントを、なかば呆れて眺めていたユフィの携帯が鳴った。
『ユフィ?』
「うん、シェルクだね?」
『ヴィンセントの携帯が繋がらなくて。彼は一緒ですか?』
「あいつ、今ブチ切れてるから気付かないんじゃないかな。何か音ヘンだけど、WROから?」
『…宝条の断片を、神羅支社オフィスに封じ込めました。あとは電源を切れば消滅するはずです』
「え?どういうこと?」
「ユフィ、代われ」
気の済むまで設備を破壊しつくしたヴィンセントが、ユフィの携帯電話を取り上げる。
SNDか」
『ヴィンセント…。ええ、久しぶりなので少々てこずりましたが。相手はただの情報の断片です。危険はありません』
「………」
 深いため息をつくヴィンセントの後ろで、ユフィはこっそり笑いをかみ殺す。シェルクに対しては、時折保護者のようにふるまう
この男を見ていると、むしょうに可笑しい。

『保安回路が生きているとやっかいです。ジュノンにエネルギーを供給している魔晄炉を止めるのが、確実と思います』
「わかった。おまえはもう退却しろ」
『はい。…念のため、ジュノンの見取り図を送っておきます』
笑いを含んだ声でシェルクは伝え、通信を切った。二度目のため息をついたヴィンセントが、携帯電話をユフィに投げ返す。
「ところで、腕、どうすんの?」
受け取った電話をポケットに押し込みながら、ユフィは首をかしげた。台に近づいた彼はコードや端子を振り払い、腕を無造作
に掴んで自分の傷口へあてがう。

「持っていてくれないか」
あからさまなしかめ面をしながら、ユフィは手伝った。切り落とされた腕は意外に重く、ひんやりとした感触が伝わってくる。
「で、繋がるの?」
「おそらく」
おそらくかよ、と毒づいた彼女の前で、ヴィンセントは右腕を額の前にかざし魔力を集めた。金色の閃光が室内にあふれ、圧倒
的なエネルギー波に吹き飛ばされて、ユフィは後方に大きく跳び退る。


 目の前に現れたのは、銀色のたてがみに長い角を持った魔獣。鋭い爪の生えた左前肢は、きちんと繋がったようだ。
「相変わらず、便利だよねえ」
腰に手を当ててガリアンビーストの前に歩み寄ったユフィは、その左肢をぽんぽんと叩いた。
「ちゃんと動くかチェックするよ。はい、お手!」
「………」
金色の瞳が、憮然とした表情をたたえて彼女を見下ろす。
「何だよ。動かなかったら困るじゃん。お手は?」
大きな左肢がゆっくりと持ち上がり、途中で止まった。低い唸り声が魔獣の口から洩れる。
「そんなに怒らなくたって、…ヴィンセント?」
 唸り声が大きくなり、ガリアンは苦しげに咆哮した。鋭い牙の生えた口からは、血の泡を吹き出している。思わず息を呑んだ
ユフィの前で魔獣は首を何度も振り、前肢で口を掻きむしった。その爪が、何か銀色に光るものをひっかけて床に飛ばす。

?!
繋げた腕に何か薬物が仕込んであったようだ。変身を解くこともできないままに、ガリアンビーストは床に横倒しになった。
強大な四肢で空を掻き、もがき苦しんでいる。


 おそらく、宝条がサンプルとして欲しかったのは彼そのもの。腕を取り返した彼が、自力で繋げるのを見越して強力な毒を
盛ったのだろう。もしシェルクが宝条を封印しておかなかったら、このまま実験体として捕獲されるところだった。

 ユフィはポシェットを探ってマテリアをつかみ出すと、魔獣にリジェネをかけた。ポイゾナが欲しいところだが、あいにくマテリア
の持ち合わせがない。
ガリアンの荒い呼吸が少しおさまったのを見計らって、ウータイの次期領主は無情に魔獣の頭を蹴り飛ばす。

「体力は補充してやるから、苦しいのは我慢しなよ。それとも、ミニマムかけてポシェットにつっこんでもいい?」
さすがにそれは矜持が許さないらしい。よろよろと起き上がったガリアンが唸り声を漏らす。
「とにかく、魔晄炉止めるからね。行くよ!」
魔法により補充される分と、毒により削られる分で、体力の消耗は拮抗している。毒による苦しさは助けようがないが、けっこう
強情張りの彼のことだ。なんとか我慢するだろう。


 シェルクから送られた添付資料で方向を確認し、ユフィは走り出した。後に続いた魔獣は、周囲を破壊することで毒の苦しさ
を紛らわせているらしい。医務室を出て、オフィスを通り抜けるついでに室内を瓦礫の山へと変えていく。

行きがけの駄賃だ。それもいいか。
 階段を駆け下り、一度アルジュノンに出ると、あたりはすっかり夜の闇に閉ざされている。頭上をWROの飛空艇部隊が飛び
過ぎるのを、ユフィは驚いて見上げた。彼女の瞳に、爆撃を始めた友軍の姿が映る。

「うっそ! どうして?」
 ガリアンビーストの首から千切れた発信機が医務室に置き去りにされたため、ヴィンセントが拉致されたと判断した部隊が
救援に来たのだ。
しかし、ユフィがそれを知るすべはない。業火に包まれていくジュノンを見ながら、彼女は地下通路へと飛び込んでいった。




「そんなに苦しいなら、ポシェットに入る?」
海底魔晄炉へ続くエレベータの中で、身体を丸めてうずくまるガリアンビーストを見かねたユフィは声をかけた。先刻エリクサー
を要求されて一本与えてみたものの、さして良くなっているようには見えない。

「ミニマムかければ、抱いて行ってやれるよ」
彼女の親切な申し出に、魔獣は上目使いにちらりと見ただけでそっぽを向いてしまう。よほどお気に召さないようだ。
本当は一度エアポートに出てシドに魔獣を回収してもらい、魔晄炉の停止はユフィ独りで行なうはずだった。しかし、当の本人
が頑として言うことを聞かない。何としても自分で魔晄炉を止め、宝条を消滅させたいらしい。


「さて、行きますか」
エレベータが停止し、ユフィは開いたドアから外へ出た。ガリアンものっそりと身体を起こしてついてくる。
 海底基地は静まり返っていた。無人の空間を照明が無駄に照らし出している。
古びた潜水艇が浮かんでいる港を過ぎると、そこは海底魔晄炉だ。ここを止めればジュノンのエネルギー源は全て絶たれる。
まずはバルブをコントロールしている操作盤を探し出せばいい。

 そう考えていたユフィの背後で、魔獣が苦しげな唸り声を発した。背を丸め、まるで体内から沸き起こってくる何かに耐えよう
としているかのようだ。

「ヴィンちゃん、気持ち悪いの?」
 毒とエリクサーって、食い合わせが悪かったのだろうか。彼女の頭にそんな考えが浮かんだ次の瞬間、腹にずしりとひびくよ
うな咆哮と共に、ガリアンビーストは炎を吐いた。

 いつものビーストフレアとは全く違った、紫色の粘着質な炎。何度も吐き出されるそれは、巨大な魔晄炉のあちこちを爆破し
燃やし尽くす。まるで毒のように施設の壁やパイプを奥深くまで侵食し、そこでさらに爆発を起こさせ、瞬く間に魔晄炉はその
機能を停止した。


「…すご…い…」
 目を丸くして振り返ったユフィの視界に、床に片膝をついた男の姿が飛び込んできた。黒革のジャケットは左袖がなく、腕が
剥き出しになっている。その肩に流れる長い黒髪。

「ヴィンセント!戻ったんだね!」
「ああ、吐いたら大分よくなった」
「…吐いたら、って…」
思わずげんなりした顔になって、ユフィは壊滅した魔晄炉を振り返った。この驚異的は破壊力を持った炎が、ガリアンにとって
のアレだとすると…。いや、考えるのはよそう。

「とにかく、魔晄炉は止めたんだし。戻ろうよ」
「ああ」
ユフィの言葉にヴィンセントが立ち上がった、その時。

 ぴしりと音を立てて、爆破された魔晄炉の壁に亀裂が走った。見る間に広がり、海水が噴出してくる。それをきっかけに、壁
のあちこちに割れ目が出来、小さな滝がいくつも形成される。

「ユフィ、走れ」
ヴィンセントの叫びと共に壁の一部が崩れ、大量の海水がなだれ落ちてきた。ユフィも身を翻して男の後を追う。
「早く、エレベータへ!」
「間に合わん。あれを使う」
海底ドックを横切る連絡通路を走りながら、ヴィンセントが顎で潜水艇を示す。ユフィは目を剥いた。
「却下!ぜーったいイヤだ!」
 ごねる彼女の後ろには、海水の壁が迫っている。ヴィンセントは問答無用でユフィを肩に担ぎ上げ、潜水艇に跳躍した。
艇内に飛び込みハッチを閉めたところで、海水が渦を巻いてドック内に侵入する。専用の鎖で繋留されてはいたが、圧倒的な
水の力の前に、潜水艇はもみくちゃにされた。水の力で破壊され、基地内を乱舞する備品や建材で破損を受けなかったのは、
不幸中の幸いだ。


 ユフィを抱え込んで振動から庇ったヴィンセントは、揺れがおさまるのを待って身を起こした。
「大丈夫か」
「…んなわけ…ない…」
相変わらず乗り物酔いを克服できていない彼女は、ヴィンセントの膝の上にくったりと突っ伏している。
「うえ〜っぷ」
「私の膝の上で吐くな」
「………」
 言い返す元気もないユフィを見て、ヴィンセントは軽く肩をすくめると彼女を抱き上げた。夜目がきく彼は、暗闇に近い潜水艇
の中をさほど迷いもせず、ブリッジへ到着する。

「…操縦…できんの…?」
シートに下ろされて丸くなりながら、ユフィが力のない声でたずねる。
「おそらく」
この期に及んで、またおそらくかよとユフィは胸のうちで悪態をついた。
「…だったら…救援呼ぼうよ…」
「空気がもたない」
ヴィンセントは操縦席に着き、いくつかのスイッチやレバーを操作した。パネルが点灯し潜水艇のエンジンが始動する。
その細かな振動に、ユフィは更に丸くなって吐き気に耐えた。

「ゲートを爆破して脱出する。つかまっていろ」
「げろー。今以上に揺れるの!?
ユフィの抗議が終わらないうちに魚雷が発射され、海底ドックのゲートが吹き飛んだ。周囲の壁が崩壊を始めた中、潜水艇は
強引に海中へ脱出する。


ヴィンセントはソナーで海底の様子を探り、岩棚や海底基地の施設をよけながら潜水艇を上昇させた。海中に棲むモンスター
たちがちょっかいを出してくるのに、容赦なく魚雷を叩き込んで追い散らし、海面を目指す。

「…ジュノン港だったら…すぐだよね」
「あいにく、燃料不足だ」
 放棄された潜水艇には、ほんのわずかな燃料しか積まれていなかった。海面に出るのが精一杯で、それ以上の航行能力は
期待できそうにない。

「それに、潮の流れが速い。かなり流されていると見るべきだろう」
 ユフィはため息をついて、操縦席の男を見上げた。ヴィンセントは長い黒髪をうるさそうにかきあげながら、操縦桿を操作し、
いくつも並んだスイッチやレバーを調節している。

「アンタ…機械に弱いって…言ってなかったっけ」
「ああ。面倒なものは嫌いだ」
シドかクラウドがいればもちろん代わってもらう、という相手をユフィは呆れてながめた。できないわけでもないくせに、どうして
この男はこうも能力の出し惜しみが激しいのか。
 再度ため息をつこうとして、ユフィは艇内の空気が悪くなってきているのに気づいた。

「…ねえ、何だか息苦しくない?」
「酸素の予備はない」
「燃料も、酸素もなし! なんだよ、このボロ船」
「しかたあるまい。廃物利用だからな」
 彼は、燃料と酸素の残量を読んで航行速度を調整している。酸素濃度が、人間が生存できる下限を超えるタイムリミットと、
限られた燃料で航行できる時間は殆ど同じ。何かアクシデントがあれば、窒息死はまぬがれない。

「無駄に呼吸するな。少し静かにしていろ」
状況を飲み込んだユフィも、口をつぐんだ。メインパネルに映し出される海中の像は、少しずつ明るさを増してきている。
海面まで、あと少し。ヴィンセントは付近を航行する船舶のないことを確認して、潜水艇を一気に浮上させた。

「やったぁ。酸素、酸素!」
ユフィが跳ね起きてブリッジを飛び出し、タラップを駆け上ってハッチを開け放った。
久しぶりに見上げる空には満天の星がきらめき、潮の匂いに満ちた新鮮な空気が艇内に流れ込んでくる。ヴィンセントは動力
を切り、海難信号を発信させたままにして操縦席を立った。

「…場所なんかわかんないよ。ジュノンのそばってだけ。ヴィンちゃんも一緒。とにかく、早く迎えに来てよ!」
 電波が通じるようになったらしく、ユフィがさっそく救助要請をしている。相手はおおかた、リーブかシドだろう。
ヴィンセントはふと、喉元を探って銀鎖のないことに気付いた。どこかに落としてきたようだが、ユフィの連絡で無事であること
は伝わっただろう。彼は携帯電話を取り出そうとして止め、ハッチの縁に両腕をもたせかけて空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
潮風が彼の長髪をはためかせる。
 ジュノンの方角と思しき方は赤い光がちらちらと揺れ、大規模な火災が起きているようだ。その上空には、飛行艇のものと思し
き光がいくつも飛んでいる。


 電話を切ったユフィは、いつもなら衣服に覆われているヴィンセントの左腕に目を落とした。ひきしまったその腕には傷ひとつ
残っておらず、一度切断されたとは思えない。実験動物扱いされそうになった男は、至って平静に白みゆく空を眺めている。

彼女は目の前の腕をポンポンと軽く叩いた。
「またサンプルにされそうになったら、アタシが守ってやるからね」
「…いきなり、何だ?」
ヴィンセントが怪訝そうな表情をする。
「少なくとも、ウータイからはそんな不心得者は出さない。アタシがきっちり仕切るから」

 それは、次期領主という大役を彼女が本当に受け入れた瞬間だった。
自分がしっかりしなくては、ウータイや仲間を守ることなどできない。徐々に明るくなる空が照らし出すユフィの横顔は、今まで
とは何かが変わっている。それは、統率者としての顔だった。

年若い仲間の決意を聞いたヴィンセントは、口唇の端をわずかに綻ばせる。

 朝焼けに染まった空には、明けの明星と並んで、飛空艇の影が少しずつ大きくなりつつあった。






                                                       2007/2/2
                                                          syun





異様に長くなってしまいました。森村水産さまのリクエスト、「ハードボイルド」をお題に頑張ってみたのですが、いかがでしょうか…? 最初は「ひええ」と思いましたが、
書いているうちに乗ってきました(笑)おかげで、うちのヘタレヴィンが何だか別人です。これじゃただの無神経な男です。オマケに凶暴だし。カオスの性格が伝染したかしら
(笑)手前ミソですが、こんなヴィンもけっこう好きです。
気に入っていただけるものか、甚だ心もとないのですが、森村水産さまに謹呈いたします。どうぞご笑納くださいましね。

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present.