花霞






 はらり… はらり…

乳白色の湯の上に、薄桃色の花びらが風に揺られて優雅に舞い降りてくる。
野趣に溢れる作りの露天風呂のそばには、樹齢を重ねた桜の大木が並び、野外灯に照らされた満開の花々は、幻想的な美しさを
誇っていた。



「こいつは、格好の花見酒だな」
 シド・ハイウインドは冷水でしぼったてぬぐいを頭に載せ、木製の頑丈な作りの盆にのせられた徳利から、ちいさな杯に中身を注い
だ。盆は船のように湯の上でゆらゆらと揺れている。

  ウータイの名物は温泉と春の桜。ユフィの実家は広大な屋敷内に、大きな露天風呂を持っている。彼は夕食前の一杯を、優雅
に露天風呂で楽しんでいた。


「おう、ヴィン。お前も来たのか。一緒に一杯やっか?」
一日の戦闘の汚れを洗い場で流したヴィンセントが、優美な長身を現した。ゆっくりとした足どりで、白く濁る湯がこんこんと湧き出
ている露天風呂へと向かう。ひきしまった肢体は脆弱とは程遠く、切れのある優雅な動作は、鍛え抜かれた筋力によるものである
ことが見て取れる。

 白い滑らかな肌には、ところどころにかすかな銃創や剣戟によるものと思われるタークス時代の傷が、うっすらと痕を残していた。
 宝条に改造され、非人間的な回復力を身につけた後のヴィンセントは、どれほど激しい闘いを繰り広げようと、その残滓を身体に
残すことはない。

「…昔の傷痕ってのは、今のと同じようには消えねえのか?」
 シドは広い露天風呂に身体を沈めた相棒の、白い肩に残る傷痕を無遠慮に指でなぞる。
「そのようだ」
わずかに身体をずらして、ヴィンセントは相手の手から距離を取る。
「そのようだ…って、おめえ、自分の身体なのにわからねえのかよ」
「説明を受けたわけでもないからな。自分でもどうなっているのかわからん」
触れられたくない話題に、ヴィンセントの口調はそっけなさを増す。ほろ酔い加減のシドはお構いなしに、手のひらでばしゃばしゃと
相手の肩を叩いた。

「案外不便なんだな。せっかくだからみんな治っちまえばよかったのによ」
「………」
 やや論点がずれているが、シドの発想は呆れるほどのプラス思考だ。ヴィンセントは小さくため息をつき、傷痕の残る肩を湯の中
に沈めた。

 陽気な酔っ払いの戯言に、一時でも反応した自分がおかしく思え、澄んだ空気と温かな湯を楽しむことに意識をむける。
彼は長い手足を伸ばし、ホテルのバスタブでは味わえない開放感を満喫した。ウータイの夜気はひんやりと心地よく、どこかで夜行
性の鳥の鳴き声がする。

 シドは、珍しく寛いだ様子を見せる相棒を見やった。長い漆黒の髪は無造作にまとめられ、湯につかないようにバレッタで留められ
ている。


「なんだ、お前そんなの持ってたのか」
「いや、ナナキが貸してくれた」
少し首をかたむけてシドを見やるヴィンセントの、濡れた髪がほつれてはらりと頬にかかる。
シドの心臓が不規則な鼓動を打った。
 鍛え上げられた筋肉のついた長身は濁り湯の中に隠れ、シドの目の前にあるのは人間離れした美貌。日ごろ怜悧な光を放って
いる瞳はおだやかに伏せられ、その睫毛がずいぶんと長いのに、彼は今更のように気付いた。

 動揺を押し隠すように、お前もやるか、と徳利を掲げて見せるが、夕日の色の瞳はそれを一瞥しただけで、興味なさそうに伏せら
れてしまう。苦笑し、シドは一人で静かな酒盛りを続けた。


 一陣の風が起こって、桜の木々は華やかにピンクの霞を舞い躍らせる。薄桃色の花びらは、はらはらと二人の上にも降り注いだ。

―――  桜の精ってのはいるのかな…   ―――

 シドは、黒髪に花びらをまとわりつかせたヴィンセントをぼんやりと見つめた。白皙の肌は、名湯にぬくもりを与えられてほんのり
と上気し、なかば伏せられた夕日色の瞳は、野外灯を受けて時おり金色にも見える。それを眼にしたシドは酔いも手伝ってか、鼓動
が妖しく高まっていく。

ひらひらひら…と風に乗る花びらが、美しい横顔にたわむれかけた。
「…おい、ほっぺたに花びらくっついてるぞ」
「…?」
声をかけられた本人は瞑想からさめたように、自分の頬に手をやる。
「ああ、そこじゃねえって。とってやるから」
 シドの大きな手が、ヴィンセントの頬に触れる。それは、花びらを注意深く取り除き、離れることを惜しむように頬を押し包んだ。
ヴィンセントの眉が怪訝そうにひそめられる。

「シド…?」
いつもの、耳に心地よい低音の声。にも拘らず、至近距離にある美貌に、シドの中で何かが飛んだ。
「シドっ!!」

 ヴィンセントの驚愕の叫びと高い湯の音はほぼ同時だった。シドはがばりとヴィンセントに抱きつき、驚いて立ち上がろうとする
彼を湯の中に押し倒した。むせこむ彼を引き上げると、喘ぐ口唇を強引に奪う。

その途端、シドの側頭部が鈍い音を立てた。
「いってえ~!!」
 抗議の声を上げる前に、蜂蜜色の頭髪が鷲?みされ湯の中に突っ込まれる。手足を振り回して湯をはね散らかし暴れるシドを、
真紅の双眸は冷ややかに眺めていた。

「悪酔いしたな。シド・ハイウインド」
たっぷりと湯を飲み、岩にはりついて咳き込むシドの上に、ヴィンセントの冷たい声が降ってきた。
「てめえ、本気で殴りやがったな! 死ぬかと思ったぞ!」
「自業自得だ。気色の悪い」

 怒りのために、彼の夕日色の瞳は濃さを増し、真紅に近くなっている。戦いの時に見せる血の色の瞳を思い出し、これは謝って
しまうに限る、とシドは肩をすくめた。

「…悪かったよ。お前が、何だかすげえキレイだったからよ…。桜の精みてえに思っちまって」
「知っているか」
相変わらず冷淡な調子でヴィンセントが言う。
「桜の木の下には、死体が埋められている。桜の美しさは、犠牲者の上に成り立っているそうだ」
「わーかったって! そんなに怒るなよ」
 頭に出来たこぶを撫でながら、シドが誠意のない謝罪をする。その彼に背をむけて、ヴィンセントはすっかりざんばらになってしま
った髪に、申し訳程度にぶらさがっているバレッタをはずし、湯から立ち上がった。

「…ちぇっ、やっぱり野郎の尻だよな」
まったく懲りていないシドの手が、無謀にも目の前の白い肌をひと撫でする。その直後、容赦のない蹴りが彼の顎を襲った。
「……このバレッタにマテリアがついていなくて幸いだったな」
 ぶくぶくと泡を出して湯の中に沈むパイロットを省みることなく、怒れる桜の精は露天風呂を出て行った。



 ウータイの領主であるキサラギ家の夕べは、盛大な宴会となった。
旅と戦闘の汚れが染み付いてしまった服は洗濯のために取り上げられ、湯上りの客人たちには「ユカタ」と呼ばれる室内着が用意
されていた。その上に、女性は「ハンテン」という短い上着、男どもには「タンゼン」という長い上着が与えられた。
どちらも綿がたっぷりと入り、日が落ちて急速に強まる寒さから彼らを護ってくれる。

 「タタミ」と呼ばれる天然素材を使ったマットが敷き詰められた大広間には、一人ひとりに小さな膳が用意され、趣向を凝らした料理
がところせましと並べられている。


「シド、遅いじゃん。先に始めちゃったよ」
「おう、すまねえな」
「あら、顎のところどうしたの?」
 やや遅れて広間に顔を出したシドは、顎にできた大きなアザをひとなでした。
「ちょいとな。桜の精を口説いたら、ケリいれられちまってよ」
 シドがちらりと視線を送った先にいるヴィンセントは、そ知らぬ顔で黙々と箸を動かしている。いい年をしてまた喧嘩したのかと、
エアリスとティファが顔を見合わせた。視線の意味に気付かなかったユフィが眦を吊り上げる。

「ちょっと、このエロオヤジ! うちの者に手出したら承知しないよ!」
「オトナの話だ。ガキは黙ってな」
シドは当然のようにヴィンセントの隣にどっかりと腰を下ろし、ユフィを鼻先で笑う。
「なんだと~」

「ユフィやめろ。シドもあんまりからかうなよ」
 クラウドが苦笑しながら仲裁する。ちょうどビールと酒が運ばれ、料理の追加も届き、二人は喧嘩相手を放り出して食欲を満たす
方を選択した。


「ちっとは良心が痛むか?」
 無表情にビールを注いでくれたヴィンセントに、関係修復の意思を見つけて、シドはニヤリと笑いかける。
「自分の撒いた種だろう。謝罪はしない」
 酒をすすめたのは社交辞令とばかりに、ヴィンセントはそっけない。シドは小さく舌打ちし、意識を目の前の豪勢な料理に向けた。
 ウータイ近海で取れる海の幸に、山の幸。独特の農法で作られる珍しい作物でできた、見たこともないような料理。
それらは健康的な食欲を持つ彼らをとりこにし、舌鼓を打たせる。始めはかしこまって正座していた一同も、箸がすすみ酒がすすむ
につれて、日ごろの戦いのストレスを発散する大宴会に発展していった。



 パーティの女性陣は揃って酒豪で、しかも酒癖が悪い。クラウドは両脇を挟まれ、交互に酒を勧められていた。 
その隣では、バレットと、彼の席の前に移動したシドが、大声で喋りながら豪快にビールをあけている。

 酔ったシドが席を転々とし始めたのを幸いに、ヴィンセントは端の席で一人行儀よく杯をかたむけていた。しかし、彼一人が被害を
免れるわけにはいかないようだ。

「ねーヴィンちゃん、飲んれる~?」
真っ赤になったユフィが、一升瓶を抱えてヴィンセントのそばにぺたりと座り込む。
「…未成年が、何故酔っ払っている?」
「いーじゃんいーじゃん。自分ちなんらしさあ~。これね~“花霞”っていうの、ウータイで一番の酒なんらよぉ」
「先ほども聞いたが」
「そ~なのよぉ。銘酒っていうんらって。おろ~、ヴィンちゃんハシ使うの上手られえ」
 酔っ払ったユフィは、箸の使い方を実演講義し始める。その話を半分に聞きながら、ヴィンセントは手酌で銘酒を楽しんだ。
異形の獣を宿すようになってからアルコールは全く効かなくなっているが、丁寧に醸された酒の香りと味は彼の好むものであった。
酔わない分品質には敏感で、粗悪な安酒には手を出さない。


 そのそばに、今度はナナキが擦り寄ってくる。
「ねえ、ヴィンセント。オイラにもちょうだい。ビールはぴりぴりして舌が痛くなっちゃうんだよ」
炎のついた尻尾をふりふり、ナナキは嬉しそうに一升瓶を見つめる。ヴィンセントは彼に合うような入れ物を探し、料理のふたに酒を
注いでやった。

「あー!ナナキはよくて~何でアタシは駄目らろさぁ」
箸の使い方講義から一転して、勝手にヴィンセントの料理をつついていたユフィが文句を言う。
「年が違うだろう。…ユフィ、自分の席に戻って食べたらどうだ」
「だって~、ヴィンちゃんこんらに食べないじゃ~ん。お酒ばっか飲んれさあ。お~髪の毛サラサラ~。三つ編みしていい?」
「その手で触るのはやめてくれ」
 魚の骨を手でとっていたユフィにおしぼりを押し付けた彼の膝を、今度はナナキの鼻先がつつく。
「おかわりちょうだい。このお酒、すっごくおいしいね」
 舌なめずりをしたナナキの瞳はとろんと潤み、尻尾の炎は不規則に明るさを変化させている。ヴィンセントはため息をついて、杯
がわりのふたに「花霞」をそそいでやる。

「あまり飲みすぎるな。かなり強い酒だ。……ユフィ、その汚れた手をなんとかしろ。」
「おしぼり、ろっかへいっちゃったんらよお。へへへ」
「あ? ユフィ、オイラの毛皮でふかないでよお!」
 酔っ払い忍者は嫌がるナナキを抱きしめてけらけら笑っている。二度目のため息をついたヴィンセントは、ユフィの手を捕まえて、
魚の脂で汚れた指をおしぼりで拭いてやった。すっかり子守り役になってしまっている。

一見無愛想だが、人から頼まれると断れない性質の彼にとって、正面切って甘えてくる子供たちは強敵であった。


「あ~らヴィンセント。ユフィには随分サービスがいいのね」

「私たちの相手もしてくれない?」
 二人分の影が、天井につけられた照明の光を遮った。内心ぎくりとしたヴィンセントが恐る恐る瞳を上げると、パーティ最強の二人
が並んでにっこりと微笑んでいる。

「手酌だなんてつれないね。私のお酌受けてよ」
 ティファが杯を取り上げ、グラスをどん!と膳に置く。彼女たちの背後には酔い潰れたクラウドが、パンツ一枚の姿にされてひっく
りかえっているのが見えた。もともと白いヴィンセントの顔から血の気がひく。ナナキも速攻で退散している。

「しかし、このグラスはビールの…」
「いいからいいから」
断ることなど当然できずに、グラスになみなみと「花霞」を注がれ、その後当然一気飲みを強いられる。
 もう少し静かに味わって飲みたいという彼の希望は無残に踏みにじられ、一杯目はティファから、二杯目はエアリスからと、立て
続けに勧められる。


「ヴィンセント、ホントに強いね。全然酔わないの?」
「つまんない。ちょっとは乱れてくれなくちゃ」
「……私が酔わないのは、知っているはずだろう」
 強引にグラス四杯も空けさせられ、ヴィンセントは気分が悪そうに口元を押さえた。無論、酔ったわけではなく、一度に大量の
液体を胃に送り込んだためである。

「ヴィンちゃん、気持ちわるいの? 寝た方がいいよ~」
少し酔いの醒めたユフィが覗き込んでくる。エアリスが素早く彼の分の膳を脇にずらした。
「そうね。少し横になったら?」
「膝枕、してあげようか?」
ぞわり、とヴィンセントの背筋に悪寒が走る。思わず周囲を見回した彼の瞳には、同じような表情を浮かべて微笑む三人が映った。
ニブルヘイムのホテルで起きた悪夢が彼の脳裏に甦る。

「……いや、いい。部屋に戻る…」
「そんなこと言わないでさあ!」
 着慣れないウータイの室内着のせいで、いつもより切れのない動作で立ち上がろうとした彼に、ユフィがタックルを食らわせる。
更にティファが絶妙のタイミングで脚をすくう。不意を突かれ、受身をとるスペースもなく、バランスを崩して倒れ込んだ彼の頭を、
柔らかい感触が迎えた。頬に暖かい手のひらが添えられる。

「ね、膝枕。いいでしょ?」
 わずかに恐怖の色を浮かべた夕日色の瞳に映ったのは、古代種の娘の笑顔だった。即座に跳ね起きようとする彼の目の前に、
マテリアをはめたロッドがかざされる。

「スリプルとフリーズ、どっちがいい? それともミニマムにする?」
「ミニマム! いいねえ。ちっちゃいヴィンちゃんと遊びたい!」
 眼を見開いて硬直する彼の耳に、ユフィの無邪気で凶悪な台詞が響く。この絶体絶命の危機に、無意識に右手がユカタの帯に
挟んであるピースメーカーに伸びたが、途中で気付いて手を戻した。いくら何でも、仲間の女性に銃は向けられない。
 シドの悪ふざけには拳や蹴りで応酬しても何ら心は痛まないが、フェミニストが仇になってしまうヴィンセントであった。


 観念したように瞳を閉じる彼の左腕を、ユフィが珍しいものでも見るかのように持ち上げる。
「ヴィンちゃんの生腕! めーずらしいよねえ。いつもきっちり着込んでるからさぁ。暑くないの?」
お前が軽装すぎるんだろう、と心の中で反論するヴィンセントであったが、無論口には出さなかった。
「やっぱり細いよね。クラウドとは筋肉のつき方が違う」
 袖口の大きいユカタは簡単にはだけて二の腕も露出させる。ティファは格闘家らしく筋肉の走行にそって指を滑らせた。
「クラウドは剣を振り回すからでしょ?」
「そうね。腕だけじゃなくて、肩とか背中、胸の筋肉も発達するの。首も太くなるしね」
 ティファはそういうとくすくす笑いながらヴィンセントのユカタの襟をくつろげた。わずかに身体をすくめる彼を無視して、完全に
教材扱いする。ヴィンセントは、この寝衣に近い服装のまま彼女たちの手の内にいることに、漠然とした不安を感じていた。
それでなくても、ウータイの室内着は帯一本でまとめられた布のあちこちがはためき、何とも心もとない。それに、ブーツを脱いで
素足でいることにも、違和感がある。


 一方エアリスは、目の前にさらされた優美な首から肩のラインと、タタミに広がる乱れ髪を見て、目を細めた。
「うふふ。やっぱりキレイよね~」
彼女の白い指が、ヴィンセントの漆黒の髪をすくいあげる。張りのあるストレートの髪は度重なる戦闘にも関わらず、美しい艶を持っ
ていた。

「あんなに激しく戦ってるのにね。髪の細胞も再生するの? 変身するたびに?」
「………」
本人は返答する知識も意欲も持ち合わせていない。ただ目を閉じて早く解放されることのみを祈っている。

「剣を振りかざしたり、振り下ろしたりする時に使うのが上腕二頭筋でしょ、戦う時に上半身の姿勢を制御するのには、脊柱起立筋
群の働きが必要なの。首のこれは胸鎖乳突筋。使う武器によって、発達する筋肉が変わるわけ。自分の使う筋肉を自覚して育てろ
って、ザンガン先生に教わったわ」

「ふーん」
 ウータイの忍としての技は極めているユフィが、興味深そうにザンガン流にわか講師のティファを見上げる。
「じゃ、ヴィンちゃんはどれが発達してるわけ?」
「ヴィンセントはね」
 ティファは無造作に彼の右腕を取り上げた。そこから肩にかけての筋肉をゆっくりとなぞる。
「銃のことはよくわからないけど、狙いをつけるためには腕を水平に保つ必要があるから、肩の三角筋とかが鍛えられるんじゃない
かな。違う?」

講師の視線を受けて、ヴィンセントは小さくため息をついた。
「……講義が終わったなら、放してくれないか」
「やだ、講義なんてそんなたいしたものじゃないわよ」
酔っ払い講師は、解放を求める彼の訴えを無視して違う方向に話をすりかえ、笑っている。
「そういえば、おなかの傷はもうすっかりいいの?」
「…ああ」
「ヴィンセントって、怪我しても傷痕残らないんだよね。あれだけひどい傷でもそうなの?」
「えー、便利だねえ。ほんとに何も残ってないの?見せて見せて!」
「断る」
見せ物ではない、と呟いて襟元をかき合わせようとした彼の腕を複数の手が押さえる。
「いいじゃない。あの時手当てしたのは私たちなんだから。シンサツしてあ・げ・る?」
「………!!」

 身の危険を感じた彼が跳ね起きて逃げようとするのと、パーティ最強の三人が襲い掛かるのがほぼ同時だった。
ユカタのすそをユフィに踏まれ、膝をついたヴィンセントの背にティファが馬乗りになり、エアリスがタンゼンの襟を掴んで背中の
方まで引き下ろす。

「全部むいちゃえ~」
「この服、脱がせやすくてよかったね」
 魔女たちの手が帯にかかるのを振り払い、襟をかき合わせて、ヴィンセントは必死で抵抗する。一人でモンスターの群れに囲ま
れたとしても、これほどの恐怖は味わうことはないかもしれない。

「そんなに暴れなくても、もうお風呂まで入れてあげた仲じゃないの」
「ホントに初心ねぇ。ま、そこがいいんだけど」
「へへーん、ヴィンセントのパンツ、みちゃお~」
「やめてくれ!!」
 半ば本気で身をもがき、ヴィンセントはタンゼンを彼女たちの手に残して脱出した。そのまま逃走を図る彼の背に、エアリスの
魔法がぶつけられる。

「ミニマム!」
 衝撃で一瞬身がすくんだヴィンセントの視界が急速に変化していく。柱が、フスマがみるみる巨大化し、急に目の粗くなったタタミ
に彼は手をついた。そばにころがっている盃が、まるでバケツのように大きく見える。
通常、ミニマムは4分の1のサイズになるのだが、エアリスの魔力恐るべし、彼は元の10分の1のサイズにされてしまっていた。


「ここまでするか…!」
 さすがに怒りがこみ上げて元凶たちをふりかえる。が、なすすべがないのは同じだ。
「きゃー、いや~ん、ちっちゃ~い?」
「このサイズなら洗面器でもお風呂できそうだね」

「一緒に露天風呂連れてっても、バレないんじゃない?」

洗面器のお船に乗せてあげる~などとのたまい、巨大な(原寸通りの)三人が迫ってくる。ヴィンセントは再び必死で逃げ出した。
捕まれば女湯に連行されてしまうことが明白だ。
足を止めようと投げつけられるザブトンをかいくぐり、膳を飛び越えて逃げ回るが、
魔女たちは更に興がのってしまい、諦めることなく追いすがってくる。その姿はバハムートよりはるかに恐ろしい。
助けを求めようにもクラウドは酔いつぶれており、その隣でバレットも大いびきをかいている。

「食後の運動はもう十分ね。終わりにしましょ」 
 やがて、鬼ごっこに飽きたエアリスがロッドを持ち直し、ヴィンセントは一瞬絶望に捕らわれた。小さくなってしまったピースメーカー
にはめられているマテリアでバリアを張っても、エアリスの魔力にはかなわない。

 その時、廊下へと続くフスマが開いたのを視界に捉え、ユカタのすそが乱れるのもかまわず疾走する。
その身体が太い指に摘み上げられて宙に浮き、夏空の色をした巨大な瞳と遭遇した。
「……いい加減にしとけよ」
目の前にぶらさげたミニマムヴィンセントと、追ってきた三人を交互に眺めて、手洗いから戻ってきたシドはやれやれと首をふった。
あまりの騒ぎに酔いも吹き飛んだらしい。
「度が過ぎるとリミットブレイクするぜ。この屋敷ごとカオスセイバーで吹き飛ばされてえなら別だがよ」
「こんなちっちゃいカオスなんて、こわくないわよ」

「ちょっと遊んだだけじゃない」
 ティファとエアリスが唇をとがらせて抗議する。肩にしがみつかせたヴィンセントが屈辱と恐怖で涙目になっているのをちらりと見て
シドは言葉を継ぐ。
「本人は『ちょっと』とは思ってねえよ。あんまり苛めると、また棺おけにもぐりこんで寝ちまうかもしれねえぜ」
 そ
んな、と女性陣がざわめく。目の保養と戦力が減るのは困るのだ。
 洗面器お風呂ができなかったのは残念だったが、楽しい鬼ごっこもできたし、涙目でシドの肩に座っている姿も可愛かったので、
今夜のところはこれで勘弁してやることにしたのだった。


「災難だったな。ヴィンよ」
「すまない。助かった」
 肩につかまったヴィンセントが小さくくしゃみをした。タンゼンを剥ぎ取られ、薄いユカタ一枚の彼の身体は寒さに震えている。
シドはその彼をぽいとふところに放り込んだ。
「部屋に戻りゃマテリアがあるからよ。ちっと我慢してな」
 多少タバコ臭かったが、ふところの中は暖かかった。シドの体温にぬくもりをわけてもらいながら、ヴィンセントは我知らず安堵の
ため息をついていた。こんな風に助けられ、護られるのは初めてだ。

「しかし、やられっぱなしで情けねえな。お前も男ならやり返せよ」
「出来るわけがない」

 シドの懐の中でヴィンセントは憮然とする。反撃できるものならしている。だが、相手は同じパーティの仲間でしかも女性だ。
何よりも、うかつに反撃しても返り討ちにあうのが目に見えている。
 にっこり微笑む三人の姿を脳裏に描き、確かにその通りだと、肩をすくめてシドも同意を表したのだった。



 大広間を出て、シドはあてがわれた客室へと向かった。廊下はガラス戸を隔てて庭に面しており、ここにも桜の木がそこここに
植えられ、月明かりの下で妖しい美しさをみせている。長い廊下を歩きながら、シドは妖艶な桜たちにひと時見惚れた。
夜桜は、昼の光の下でみる繊細な華やかさとは又違った、禍々しいとすら言える美しさを誇っている。


 彼はふと、ヴィンセントが言った言葉を思い出した。
「死の上に成り立つ美しさ、か」
風にそよぐ桜の木々の上には、大きな月が出ている。シドは足を止め、ふところからタバコを取り出して火をつけた。
寝る前の一服とばかりに、桜と月を眺めながら煙を吐き出す。


―――  なんでぇ。まんま、おめぇそのものじゃねえか  ―――

 端正な容姿を持ちながら、敵対するものには容赦がない。無駄がなく洗練された戦いぶりは、シドの目には美しいと映った。
そして、彼自身の本質とは別に、身に宿した魔獣が放つのであろう死神の殺気。

 それでも、少しも恐ろしいとは思わなかった。ヴィンセントは大切な仲間であり、信頼のおける相棒である。幾種類もの魔獣を体内
に宿し、圧倒的な戦闘力を誇りながら、仲間の女性たちにはまったく太刀打ちできずに弄られるという落差も、気の毒ながら面白か
った。

「かまわねえさ。それだって」
 彼の小さな呟きに、ふところの中で身じろぐ動きが伝わってきたが、言葉は何も発せられなかった。シドは微笑し、次いで盛大な
しゃみを3連発すると、暖かい寝床へ早足で向かった。



 20畳ほどもある部屋には布団が4組用意されていたが、酔いつぶれたクラウドとバレットは大広間で寝かされているため、結局
は今日も二人部屋であった。

「うー、さみい」
ウータイの建築物は、開放感があるのはいいが寒いのが難点だなと呟きながら、シドは布団にもぐりこんだ。
小さくなっても運動能力は失われていないヴィンセントは、自力で洗面台に飛び乗り、寝る前の準備を済ませている。
「悪かったな、戻してやれなくてよ」
「いや、あんたの責任ではない」

 エアリスの魔力はシドの抵抗を許さなかった。ミニマムが解除できなかったのだ。

意外にあっさり引き下がったのはこういうわけだったのかと、シドは歯噛みした。別れ際ににこやかな笑みを浮かべて「じゃ、また
明日の朝ね」と言ったエアリスの言葉が、毒を持って再生される。

 身長20センチメートル弱になったままのヴィンセントは、厚さ8センチほどの布団にジャンプし、分厚い毛布と掛け布団を途方に
くれて眺めた。

「圧死する夢を見そうだな…」
 ウータイの寝具は分厚い真綿入りの布団でずっしり重い。さりとて、ユカタ一枚でいれば凍えてしまう。布団の上に突っ立った
ままの彼を見て、シドが自分の掛け布団をまくってみせた。

「こっちこい。布団とオレ様の隙間で寝てりゃつぶれねえよ」
「あんたに潰されそうな気がするのだが」
「今夜は寝相よくしといてやるって。早くしろ。そんなちっこい体、すぐ冷え切っちまうぜ」
 しばらく迷った後、ヴィンセントはシドの布団に飛び乗った。彼からすると巨大な天幕のように見える布団を上げてもらい、その
隙間にもぐりこむ。

「うおっ、冷てえ!お前やっぱり冷えちまってるじゃねえか」
シドは自分の腕と脇腹の間にヴィンセントを押し込み、温めるようにそっとはさんでやる。
「夜中に便所にいくなら起こせよ」
「……大丈夫だ」
まるで保護者然としたシドの口調に、苦笑しながらヴィンセントは答えた。
 魔法により身体を小さくされてしまい、他者の助けがなければどうにもならないのは事実であったが、「護られる」という慣れない
立場は居心地が悪い。早く元に戻れることを願いながら、ヴィンセントは眠りにおちた。




 寝相をよくしておく、という約束はやはり守られなかった。
寝返りを打ったシドの下敷きになりかけ、大きな身体の下から何とか這い出たヴィンセントは、次いで頭上に落ちかかってくる腕を
かいくぐり、仕方なくシドの厚い胸板の上によじ登った。ここならば、少なくとも圧死の危険性はない。

「…………」
呼吸とともに上下に揺れる胸の上に腹這いになり、組んだ両腕の上に顎を乗せた姿勢で、彼はシドの顎を見上げた。
露天風呂で蹴り上げた後が、見事なアザになっている。

 眠るときにも手放さない銃にはめ込んだマテリアと、シドの顎をしばらく見比べ、ヴィンセントはケアルを唱えた。  
翡翠色のささやかな光が、シドの無精ひげの生えた顎に吸い込まれていく。小さくなってしまったマテリアでも、魔力を使い果たす
まで繰り返し呪文を詠唱することにより、何とかアザを消すことには成功できたのだった。
一応、借りは返しておく」
 小さく呟き、その言い訳めいた響きに自分で苦笑して、ヴィンセントは揺れる温かい寝床の上で再び目を閉じた。
重い疲労感が全身にのしかかってくる。身体の下から伝わってくる、ゆっくりと規則正しい鼓動が、彼を再び眠りへといざなっていく。

 夜毎の悪夢は、その晩彼を訪れることはなかった。



 顎を、鼻の先を長い髪がくすぐる。腕の中にあるぬくもり。シドの意識は覚醒寸前の心地よいまどろみの中にある。
見えている映像は懐かしいロケット村の風景。夢を託した、ロケット発射台跡。タイニーブロンコの格納庫。作業台や床に散らばる、
馴染みの工具たち。そして、仲間のメカニックチームの姿が、走馬灯のように次々と浮かんでは消えてゆく。

 そして浮かんできた最後の一人。見慣れた、眼鏡の奥の綺麗な瞳が優しい笑みを浮かべている。

「…シ…エラ……よぉ……」
半分眠っている意識は、意地や照れ隠しといった余分な覆いを持たない。
「すまねえ……これが終わったら………帰るからよ」
正直に、腕の中にいる大切な相手を抱きしめる。何だか、ずいぶん骨っぽく、堅くなったと思いながら。



 庭に面した紙張りの引き戸は、朝の光を幾分和らげはするものの、眠りに必要な暗さまでは保ってくれない。庭木
の葉や細枝が薄い影をちらちらと躍らせるばかりだ。

 にも関わらず、客間を使っている2名は一向に目覚める気配はない。


 遠くから軽やかな足音が近づいてくる。木製の廊下を裸足で走ってきた足音の主は、無遠慮に元気よく客室の引き戸を開け放っ
た。朝の明るい日差しとともに、庭で満開の桜たちが視界に飛び込んでくる。

「おっはよー! いつまで寝てんの? 朝メシできてるよー!!」
ユフィの視線は、使われていない布団を素通りし、二人分の盛り上がりを見せる布団に釘付けになった。
「あれ? ヴィンちゃん元に戻ったの… って、ちょっとお!! なに一緒に寝てんの?! やーらしいなあ!」
「…あ~?」
 甲高い声にシドがもそもそと起き上がる。目をこすり、大あくびに続けて伸びをし、ぼりぼりと頭をかく。
「朝っぱらからうるせえな、小娘。何をさえずってんだよ」
「黙れヘンタイオヤジ! よりによってヴィンちゃんに手を出すなんて、サイテー!!」
「何寝言言ってやがる。…お?ヴィン、元に戻ったのか?」
もう一度あくびをして、シドは一緒の布団にいるヴィンセントを揺さぶる。長い黒髪が無抵抗に揺れるだけで、相手は目を覚ます様子
がない。

「ターイヘン。シドがヴィンちゃんに何かしたから、起きないんだよ。エアリスとティファに言っちゃおー!」
「おい、余計なこと言うんじゃねえよ! 誤解するじゃねえか」
「図星かぁ~? ヘンタイオヤジ!」
 本気なのか嫌がらせなのか、ユフィは囃し立てながら廊下を走っていく。シドは追いかけようとして、舌打ちした。 
寝起きの状態で身軽な忍者娘に追いつくわけがない。その彼の隣でヴィンセントは寝返りも打たずに熟睡している。
彼自身の魔法耐性の力でミニマムを解除したらしいが、おかげで体力を消耗したようだった。


「おい、起きろや。メシだとよ」

先ほどよりも強く揺さぶってみたが、相手は反応しない。シドの眉がひそめられた。
「まさか、また数十年も眠りこける気じゃねえだろうな?」
 ユフィが開け放っていった入り口から、柔らかな風が室内に入り込んでくる。湿った土や草葉の匂いと、舞い散った桜の花びらを
のせて。それらは、眠っているヴィンセントの髪も優しく揺さぶっていく。

 花びらをまといつかせた白皙の美貌に、シドは一瞬我を忘れて見惚れた。
「……ったく、野郎のくせにキレイな顔しやがって。紛らわしいんだよ」
ぼりぼりと頭を掻いたシドの表情が悪戯を思いついた悪ガキのものに変わり、ニヤリと笑みを浮かべる。
「おい、いつまでも寝こけてやがると、襲うぞ」
 冗談のつもりで身を乗り出したシドの顎に、冷たい金属の感触が押し当てられた。目を落とすと黒光りするピースメーカーの銃身
が見え、その先には怜悧な光を宿した夕日色の瞳が自分を見据えている。

「よう、目ぇ覚めたか」
「ずいぶんと、物騒な起こし方だな」
「聞こえてんならさっさと起きやがれ」
 
 シドは自分に向けられた銃口を軽く指で除けると立ち上がり、次の間にある洗面台へと向かった。威勢よく顔を洗い、一晩で伸び
放題になってしまったヒゲを大雑把にあたる。その途中でふと手が止まった。

「お? アザが消えてら…」
昨晩強烈な蹴りを食らった顎の痛みも腫れも、きれいになくなっている。唯一の心当たりを振り返ったシドの目に映ったのは、寝返り
をうってふたたび毛布にもぐりこむ相棒の姿だった。

 普段寝起きのいい彼に似つかわしくない行動。シドは首に下げたタオルで水滴をぬぐいながら、ずかずかと側へ歩み寄った。
「…おい、ヴィン」
「……眠らせて…くれ…」

「おめぇ、ほんとにどっか悪いのかよ?」
 毛布に半分顔を埋めた相手は、目を閉じたままわずかに首を振って否定の意を表す。先刻は危険を察知して本能的に反応した
ものの、安全を確認した途端に、睡魔と闘う気がなくなったようであった。

 シドの目に、ヴィンセントの手から落ちたピースメーカーが映った。そこにはめ込まれていたマテリアは、体力と魔力を入れ替える
効果を持つ、珍しいもの。そして、その隣には回復のマテリアが朝日を受けて光っている。

彼は、無意識のうちにアザの消えている顎をなでた。
「……チビで魔力もねえ時に、無理しやがって」
シドはほろ苦い笑みを口端に刻み、大雑把な手つきで布団をかけなおしてやった。
「おい、朝メシはどうするよ?」
「……に…譲……る…」
「わかった。食っといてやるよ。ゆっくり寝てろ」

 ヴィンセントが食事をとらないことは珍しくない。それにどうせ今日は一日休みだ。リーダーも二日酔いで使い物にならないだろう。
シドはそう一人ごちると、軽い寝息を立て始めた相棒を置いて、二人分の朝食を享受するために大広間に向かった。



 本日のウータイは晴天。うっすらと霞のような雲をまとった空の下で、薄桃色の花霞が、風に揺られて華やかな舞を踊っている。
 時折部屋に舞い込んでくる花びらたちのあいさつをよそに、黒髪の桜の精は春眠を貪るのだった。






H18/1/20

H
18/2/28加筆修正
syun




ニブルヘイムの悪夢その2(笑) 何だか温泉宿での慰安旅行風になってしまいました。集団セクハラありのシドヴィン未遂ありの、これ、
18禁すれすれでしょうかね(笑) みんなにいいように弄られて、でも仲間には手をあげられない(あげてるけど)ヴィンが好きです。
彼が細いというのは「男にしては」という意味にとらえています。身長があるから、相対的になおさら細く見えるんでしょうね。
でもしっかり筋肉質というのが理想です。
これの第1稿をあげてからすぐにDCにはまりました。おかげでヴィンのキャラ把握が変わってしまい、
彼の描写のところは全面書き直しの羽目に(笑) 実際にはもう少し骨太で男っぽいヴィンにしたいのですが、私が書くとどうもヘタレになります。







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