母親の手






  アイシクルエリアから寒冷前線が南下し、春を前にしてカームではどか雪が降った。

雪の重みで建物に被害が出る前に、街をあげての雪かきが盛大に行われる。
「各世帯から1名は働き手を出すこと」という回覧板が回り、ゲインズブール家からは居候が派遣されることとなった。
東の教会広場に集まった住人とWROの隊員たちは、細かく分かれたエリアごとに担当を割り振り作業を始めた。

慣れない作業に苦労しながらも、スコップを手にした街の人々はどことなく活気付いている。


 教会の屋根や時計塔など常人の手の届かない部分の雪下ろしを任されたヴィンセントは、始めのうちこそ真面目に作業を
していたがそのうち面倒になったらしい。スコップを放り出し、マテリアを装着した銃をおもむろにホルスターから引き抜いた。

 火の属性を持たせた銃弾で積もった雪を溶かし、人為的な雪崩を起こして屋根の雪を地面に落とすというのは、彼にしか
できない手抜き作業だ。

屋根瓦を傷つけないように擦れ擦れの所を狙って雪の中に銃弾を貫通させるのは神業に近いが、人間離れした視力と感覚
を持った彼は無造作にやってのける。カームの空には銃声とそれに続いて屋根の雪が雪崩れ落ちる音が交互に響いた。

 ひとつの屋根が終わると地面に降りるなどという手間はかけず、空中でリロードしながら次の目的地へ軽々と跳躍して
自分の担当エリアの雪を次々と叩き落していく。
周囲の屋根で四苦八苦しているカームの住人を尻目に、ヴィンセントはあっという間に作業を終了させた。


 だが、ここに誤算があった。

思わぬ光景に喜んだ子供たちからアンコールをせがまれ、高齢の世帯から「ウチの屋根もついでにやって下さらんか」と
頼まれ、ノルマを果たしてさっさと帰るつもりだった彼は結局最後まで雪かきにつきあうことになったのだった。






「おかえり。遅かったじゃないか」

 長い黒髪や上着についた雪を叩き落としながら帰宅したヴィンセントを、エルミナの温かい声が迎える。
彼は小さなくしゃみをして背筋を這い登った寒気に首をかしげた。アイシクル生まれの彼にとってカームの寒さなど取るに
足らない。
だが今は温かい室内の空気が心底ありがたい。

 燃え盛る暖炉のそばで、家の主はずり落ちる眼鏡を直しながら繕い物に精を出していた。
濡れた皮手袋を外してそばに歩み寄ったヴィンセントの眼に、見覚えのある赤い布が止まる。

「ああこれ、あんたのだよ。随分みごとに綻びてたから繕っといた」

 修理のすんだ服の折り重なるかごの中から自分のマントを取り上げ、ヴィンセントはくすぐったそうな表情をした。
銃弾や剣戟、爆風などでぼろぼろになっていたマントのすそが、細かい針目で丁寧に繕われている。

「こっちは大して傷んでないようだけど新調したのかい?」
「いや、これは…」

 黒革の服を渡されながらヴィンセントは返答に窮した。
カオスの姿を模したような服の組成については、彼自身もよくわからない。
おそらくは皮膚の一部が変化したものと思われる。身につけていれば身体と同じように綻びが修復され、その気になれば
多少のモデルチェンジも可能だ。

 実際、露出した右腕の一部だけが日焼けするのに閉口した彼は、服の形を一度変えている。
あちこちで戦闘に巻き込まれる上、長旅で着たきりスズメになる彼にとっては好都合この上ない服ではある。

要領を得ない彼の説明を口をすぼめて聞いていたエルミナは、首をひねった。

「あんたの話の通りだとしたら、どうしてこっちだけボロボロなんだい?」
「面倒だったからな」

肌につけている服と異なり、マントを修復するには多少の魔力と集中力を要するらしい。
最初のうちは直していた彼も、どうせすぐに破けると放置するようになった。
その結果が、すそがすだれ状になったマントというわけだ。

「何だ。自分で直せるんだったら手間かけさせるんじゃないよ」
「…すまない」

修繕を依頼した覚えなどないのだが、反論しても無意味であることを承知しているヴィンセントは条件反射のように謝る。
口でエルミナに勝てるなどとは思いもよらない。
それに。
ヴィンセントは手にしたマントに穏やかな視線を落とした。
原型を留めないほどぼろぼろになっていたはずの裾を見ていると、ひと針ひと針に込められた彼女の慈愛が伝わってくる。

マントと共に引き裂かれた身体や心の傷の記憶までも、共に癒されていくかのようだ。



「せっかく繕ったんだからね。破けるような危ないまねはするじゃないよ」

約束が守られる可能性はゼロに近いと知りつつも、エルミナは母親の口調で言い諭す。
そして、約束を破ることになるのを百も承知しながらヴィンセントは従順に頷く。


 信憑性の薄い反応に、眉を高々と上げて鼻を鳴らしたエルミナの頭上で、ちかちかと瞬いていた電球がついに役割を放棄
した。


「あらあら、球を取り替えなくちゃ」

 夜目の利くヴィンセントを制して、家の中の構造を熟知している優秀な主婦は、暗がりの中から魔法のように換えの電球を
取り出した。





 不具合は電球ではなくケーブルの断裂だった。天井裏を運動場にしているネズミが遊びのついでに齧ったらしい。
各家庭に配給される電力を一時ストックするバッテリーまで老朽化しており、急遽WROのカーム駐屯部隊が備品を提供して
くれることになった。若い隊員が届けてくれた機材を受け取ったエルミナは、当然のように居候に作業を命じる。


「手元を照らしましょうか?」
「大丈夫だ」

脚立の上に立ち天井板を一部外して、ヴィンセントは壊れたバッテリーを引き寄せた。
くしゃみがやたらと出るのは、天井裏にうずたかく積もった埃のせいだろうか。
邪魔になったドライバーを口にくわえるのは、旅の間にシドの作業を手伝っていて覚えたやり方。廃品のバッテリーをWRO
隊員に渡し、新品を据え付けて手際よくケーブルをとりつけていく。


 隊員はハンディライトで室内を照らしながら、一般家庭の電気工事も厭わない英雄の姿を感心して眺めていた。
袖まくりをし、作業の邪魔になる長い髪をエルミナのピンクのリボンで束ねた様子は、彼の知っている戦場を馳せる姿とは
大分落差がある。

 そして、オメガ戦役の英雄を顎でこき使うエルミナに対しても畏敬の念を深めるWRO隊員なのであった。

「…終了だ」
「あ、点いた」

 作業をしていた男に促されてエルミナがスイッチを入れなおすと、今までよりも明るい光が室内に溢れた。
ヴィンセントは使っていた器材を片付け天井板をはめなおす。その身体がふらりと揺れ大きな物音とともに床に落下した。

「ヴィンセントさん!?」
「ちょっと、大丈夫かい?」

驚いたエルミナと隊員がそばへ駆け寄った。屋根から屋根へ軽々と飛び回っていた男がたかだか1メートル半ほどの脚立
から転落するとは。

一番驚いたのは床に座り込んだ本人だった。
起き上がろうとするが、身体が重く頭がくらくらする。立てないことはなさそうだが、うかつに動くとまためまいを起こしそうだ。
夕日色の瞳が潤んで常の鋭さを失い、白皙の頬にうっすらと赤みがさしているのを見て取ったエルミナが眉をひそめた。

「…あんた、熱あるんじゃないの?」
「熱?」

子育て経験のある母親の行動は早い。ヴィンセントの額にぽっちゃりとしたエルミナの手のひらが当てられる。

「ちょっと口あけて見せてごらん」

命じられるままに口を開けア〜と声を出した彼の咽喉の奥を覗き込んで、エルミナは渋い顔をする。

「うーん、赤いわねぇ」

いぶかしむ間もなく、その口に体温計が押し込まれる。
水銀柱が指し示す数値は、40.1℃。
エルミナと一緒に体温計を覗き込んだ隊員は同時に顔を見合わせた。

「カームでは確かにインフルエンザの警戒宣言が出ています」
「あらやだ。どっかで貰ってきちまったんだね」
「本部に連絡して特効薬を送ってもらいましょう」

カーム市内では品薄になってきていますから、と隊員は敬礼して走り去って行った。




「熱…」

ヴィンセントは信じられないものを見るかのように体温計を眺める。
目にする数値と身体のだるさは確かに矛盾しない。少しでも頭を動かすとくらくらと眩暈がする。
この自分が、インフルエンザとは。
ヴィンセントは気だるげな仕草で額に落ちかかる髪をかき上げ小さく笑った。

「何かおかしいことでもあったかね」

蜂蜜入りの薬草茶を運んできたエルミナに笑みを含んだ視線を投げる。

「いや。私も人間だったのだなと思っただけだ」
「当たり前だろ」

インフルエンザに罹って喜ぶ人も珍しいねと肩をすくめて、エルミナはヴィンセントに湯気の立つカップを押し付けた。

「いつまでもそんなとこに座り込んでないで。これ飲んだらベッドへ行きなさいよ」

一口飲んだヴィンセントが甘さに顔をしかめるのを無視し、エルミナは湯たんぽを二つ腕に抱えて階段を上がっていく。
 自分でも流行り病にかかることがあるのか。彼にとってはその事実が妙におかしい。
心配してあれこれ世話を焼くエルミナの存在もあいまって、「普通の人間」として扱われることが何だかくすぐったい。
ヴィンセントは目を閉じて甘い薬草茶を飲み下すと、くしゃみを連発しながら宛がわれた部屋へと上がっていった。

部屋ではいつも以上に温められたベッドが彼を待っているはずだった。







 熱に浮かされた寝苦しい一夜が明けると、翌日は快晴だった。雪に反射された日の光がきらきらと輝きながら病人の部屋
の窓にも差し込んでくる。


 食欲は皆無だったがエルミナに叱られてしぶしぶ朝食をとり、ヴィンセントは体温計の数値をながめた。
水銀柱は42℃を指している。
頭が重く節々が痛み、だるくて起き上がる気にもなれない。高熱が続くと脳が溶けると聞いたことがあるが本当だろうか。
怪我ならケアルで治せるが、感染症は自分の回復力が頼りというのは意外な落とし穴だった。これが旅の途中ではなく、
暖かなベッドと世話焼きの『保護者』がいる場所というのがせめてもの救いだ。


 もっとも、その気の緩みが彼にしては珍しいこんな失態を招いた可能性もあるのだが。



 うとうとしていたヴィンセントの耳に聞き覚えのある大型バイクのエンジン音が届いた。
近づいてきたバイクは家の前で停まり、客を迎えるエルミナの賑やかな声がする。
どうやらWROから薬を届けに来たのは、
ストライフ・デリバリー・サービスらしい。


 はたして、寝室のドアをノックして入ってきたのは80%の好奇心と15%の同情、5%の心配を取り混ぜた表情のクラウド
だった。


「鬼の霍乱、ってヤツか」

金髪の戦士はふところから薬の入った袋を取り出して、ベッドサイドに置かれたテーブルにのせた。

VIPが病気になったと聞いたからてっきりエルミナさんかと思ったら、あんただったとはな」
「…悪かったな」

 熱のためにかすれた声でヴィンセントは応じる。
クラウドは手近にあった椅子を引き寄せて腰を下ろし、珍しくしおらしい様子の戦友を眺めた。上気した頬に潤んでぼんやり
とした瞳。ベッドから起き上がろうともしない様子を見ると、エルミナが心配してあれこれ世話を焼くのも分かる気がする。


 周囲を見回した魔晄の瞳に、母親らしい細やかな手のあとがいくつも映った。
テーブルに載っている氷の入った水差しと薬草茶のポット。その脇に積み上げられている乾いたタオル。
届けられた薬を飲み下した病人は与えられた氷枕にこめかみを押し付けて、重い頭痛を何とかやりすごそうとしている。


「ずいぶん大事にされているじゃないか」

 インフルエンザごときでヴィンセントが命を落とすわけでもない。その割に手厚い世話を受けているのを見てクラウドは
からかった。
 大体、住所不定のヴィンセントがこんなに長期間カームに滞在していること自体が珍しい。

最初はエアリスを失ったエルミナの慰問かと思っていたが、カームに駐屯しているWROの部隊から伝わってくるのは肝っ玉
母さんに猫可愛がりされているヴィンセントの話だった。
エルミナが彼を「息子」と呼ぶこともあって、ヴィンセントが彼女の養子になったなどというデマもまことしやかに流れている。


「あんたがエルミナさんに甘やかされているという噂を聞いたが、まんざら嘘でもなさそうだな」
「何だと」

汗で額にはりついた長い前髪ごしに、憮然とした視線がクラウドを見返す。

「病気は女性の母性本能をくすぐるんだそうだ」

 うまくやったな、俺もあやかりたいぐらいだとニヤリと笑う相手にヴィンセントは唇をへの字に曲げた。
自分の知らない所で不本意な中傷が流布されるのはよくあることだが、これは全くもって赦しがたい。
それなりに辛い症状に耐えているというのに、妙に羨ましがられるのも不愉快だ。


「う…わっ!」

電光石火の勢いで伸びた腕に襟首をつかまれ、クラウドはベッドの上に突っ伏した。

「ならば、おまえも私と同じ立場にしてやろう」

 熱のために頭のネジがすっとんだヴィンセントは据わった目をして微笑んだ。
病気になればティファに手厚く看病してもらえるぞと、逃れようとするクラウドを羽交い絞めにしてベッドに押さえ付ける。

「私の体内で強化したウイルス、たっぷりと受け取るがいい…!」
「やーめーろーっ!!」

クラウドの必死の叫びに笑い出したヴィンセントは、その刺激でひとしきり咳き込む。

「咳するなら口押さえろよ!」
「それではおまえに伝染せない」
「伝染さなくていい!」

 相手の腕から抜け出そうともがきながら、クラウドはその身体の熱さに心配にもなる。
ヴィンセントらしくないこの行動。本当に熱で頭がやられたんじゃないだろうか? 
寝乱れた長い髪に焦点の合っていない瞳で意味不明の笑みを浮かべる美貌は、どこかヴァンパイアを想像させて心臓
に悪い。


「落ち着けヴィンセント。暴れると身体によくないぞ」
「風邪は他人に伝染せば治ると聞く…」
「あんたのは風邪じゃないだろう!」

クラウドは腕を振りほどくと背中に乗っている身体を振り落とした。
意外にあっけなくずり落ちた相手の腕を後ろ手に回し、背中に膝を当てて体重をかける。


「病人はおとなしく寝てろ!」

手強い抵抗を予測して渾身の力を込めて押さえつけたクラウドは、拍子抜けした表情になった。

ヴィンセントはまるで電池が切れたかのように寝息を立て始めている。




「…いったい何の騒ぎだい? 天井が抜けるかと思ったよ」

 物音に驚いて入ってきたエルミナは、ベッドの上を見て目を丸くした。
クラウドは相手が目を覚まさないのを確認してそろりそろりと手を離す。


「何故だかわからないが、暴れ出したから抑えただけだ」
「久しぶりに友達に会えて嬉しかったのかねえ」
「…いや、そうじゃないと思うが」

 女主人の呑気で焦点のズレた返答に、クラウドは心持ちトーンの落ちた声で応じる。
熱のせいなのか薬が合わなかったのか、勢いで変身しなかったのは不幸中の幸いかもしれない。
自分だったからよかったもののエルミナがいたら危なかったと心配するクラウドを見上げて、本人は軽く肩をすくめる。

「まあ、高熱が続けばちょっとぐらいおかしくなることもあるさ」
「はぁ…」

 豪胆なエルミナは気にする様子もなくヴィンセントに寝具をかけ、乱れた髪に手櫛を入れ、ぬるくなった氷枕を取り替えて
やる。熟練の主婦の動きはてきぱきとしてよどみがない。

テーブルに置かれたガラスの器に入っているのは、よく冷えた缶詰のモモを一口大に切ったもの。

『何だ。やっぱり噂通りじゃないか』

 熱いおしぼりで汗までぬぐってもらっている戦友の姿を見て、クラウドは全身の力が抜ける気がした。
エルミナは手厚く面倒を見ており、まるで親猫が子猫を舐め回すかのようだ。
5%でも心配して損した。何だか馬鹿馬鹿しくて、さっさと帰りたい気分になってくる。


「俺の用は済んだ。ここにサインをもらえるか?」

 WROからの依頼伝票にエルミナのサインをもらい、じゃあなと背を向けた途端、クラウドはくしゃみを連発した。
背筋をぞぞぞと悪寒が這い登る。

強化したウイルスをたっぷり受け取れというヴィンセントの呪いが脳裏によみがえった。
風邪のウイルスはヒトからヒトへとうつるに連れてタチが悪くなると聞くが、ヴィンセントの体内で培養されたインフルエンザなど、
いったいどれほどになってしまうのか想像もつかない。




『うそだろ、おい…!』

 クラウドは眠りこけているベッドの上の病人を恨めしげに振り返ったのだった。






 後日。

 最凶インフルエンザをお持ち帰りしたクラウドは、ティファの手厚い看病をうけるどころか「マリンとデンゼルにうつるから出て
こないで!」と部屋に閉じ込められたそうだ。







syun
初出     2009/3/
加筆修正   2009/6/12






最初にアップした日がいつだったか忘れちゃいました(笑)多分3月のホワイトデー話と同じくらいの時期だったかと思うのですが。
けっこうお気に入りのエルミナ&ヴィンセントで、自分が罹ったインフルエンザをネタに書いたら、その後世界は大変なことになってしまいました。
WROならぬWHOはパンデミック宣言しちゃいましたよ?! この時期に不謹慎かしらと思いつつ、ちょっと加筆修正してみました。熱を出した時の
最高のご馳走はモモ缶だと強く主張したいと思います。薬を届けるのはSDSですよね、というご意見を頂きましたので、クラウドに登場していただき
ました。そして、ヴィンセントが体内で培養したウイルスは、FF7の世界で新型インフルエンザとして蔓延するのでありました。ひょえー。







thanks