エンシェントマテリア


 (暴力・流血・スプラッタ警報が出ています)



「ヴィンセント! こちらへ!」
蒼きアスールが重い足音を響かせながら迫ってくる。
 
ヴィンセントはリーブの呼びかけに応じて身を翻し、倉庫に通じる通路を疾走した。先を走っていたリーブに追いつき、彼の
やや後方を追走する。非戦闘員であるリーブをアスールの襲撃から庇うつもりだった。


 その速度がアスールに幸いする。ヴィンセントだけならばとうに逃げおおせるはずであったが、リーブの速さに合わせたのが
仇となった。あっという間に追いすがられ、振り向きながら銃で牽制するが、アスールの身を覆う防壁に阻まれ、ケルベロスは
いつもの威力を発揮できない。敵の巨大な腕がリーブに伸びるのを目の当たりにし、ヴィンセントは自分の身を盾として間に
割って入った。

 
アスールは会心の笑みを浮かべ、目の前の獲物の長髪をマントごと鷲掴みにし、力任せに壁に叩きつける。
「……!」
とっさに身体を丸めて防御したものの、肺の中の空気が全て叩き出されるような強烈な打撃に、一時呼吸が出来なくなる。

「ヴィンセント!」
 
駆け戻ってきそうなリーブに目顔で来るなと合図し、彼が逃げる時間を稼ぐために、ヴィンセントはアスールの注意を自分に
ひきつけた。剛力だが俊敏さに劣るアスールの攻撃を床に身を転がして巧みにかわし、闘いに不利な狭い通路から倉庫に飛び
込む。

「ふふ、逃げおおせられるつもりか」
 
アスールは手にした戦車砲を床に叩きつけた。彼を中心に衝撃波が床を伝わって広がり、足をとられたヴィンセントは柱に
身体を預けて転倒するのを防いだ。間髪を入れず戦車砲を狙撃するが、本体同様防壁に守られているようだ。

 
舌打ちした彼は手早くマテリアを装着し、相手の砲撃をかわしながらファイアを放つ。だが、魔法攻撃も期待したほどの効果は
なく、迫ってくるアスールの足を止められない。

 
戦いは、防戦一方の苦しいものとなった。


「あの防壁を破壊するには、強力な武器が必要ですね…」

 倉庫の入り口付近に積み上げたコンテナの陰で、戦いの様子を見守っていたリーブは呟いた。
彼の指示を受けたWRO隊員が運んできたものは、対装甲車用のバズーカだった。戦いに慣れているとは言えない隊員たちの
中で、元神羅軍にいた者が、仲間の手を借りてバズーカを構える。

 
その不用意な動きがアスールの注意を引いてしまった。自分に向けられた対装甲車用の武器をせせら笑い、彼は爆発物入り
のドラム缶を隊員に向けて投げつける。それは、目標にヒットする前に空中で爆発した。

「何…だ?」
 
死を覚悟した直前に何者かによってコンテナの陰まで突き飛ばされた隊員は、目の前の状況に慄然とする。高笑いをして、
倉庫の一角に歩み寄るツヴィエート。その先には、倒れて動かない赤い影があった。


 
隊員を庇い、爆風に吹き飛ばされたヴィンセントは、身を起こそうとして右足に走った痛みに眉をひそめた。
破壊されたドラム缶の大きな破片が、大腿に深々と突き刺さっている。自分の意志ではもはや動かせない右足と、ゆっくりと
マントにひろがる暗い色のしみが、傷の深刻さを物語っていた。破片を抜き取る暇もなく、彼の上に大きな影が覆い被さる。

「よくぞここまで持ちこたえた。もう少し相手をしてやりたいが、先にもらわねばならぬものがある」
アスールはその巨躯でヴィンセントの動きを封じ、マントの襟元を掴みあげた。
「エンシェントマテリア、渡してもらおうか?」
アスールの腕をもぎ離そうとするヴィンセントの血の色をした瞳に、僅かに困惑の色が浮かぶ。

 
エンシェントマテリア…古代種のマテリアとでもいうのか。繰り返しツヴィエートたちから要求されるその存在に、当のヴィンセン
トは心当たりがない。オメガ制御の鍵…朱のロッソの言葉が脳裏に甦るが、それが自分とどう繋がるのか、見当もつかない。


その彼の沈黙を拒否と受け取ったアスールが、残忍な笑みを浮かべた。
「いいだろう。己が存在の意味も知らぬ輩が、エンシェントマテリアを知るわけもない」
 
ツヴィエートの巨きな手が、ヴィンセントの左肩を鷲?みにする。相手の意図を怪しむ間もなく、身体を引き裂こうと込められる
力に、息の止まるような激痛が彼を襲った。耐え切れずに苦痛の叫びが上がり、ヴィンセントは必死に抵抗を試みる。

だが、圧倒的な体格と膂力の差は、どうすることもできない。右脚に刺さったままの破片は、アスールの体重を受けて、ますます
深く食い込んでいた。肩の関節を外され、接近戦で有効な武器になるガントレットは、コンクリートの床に力なく投げ出される。
マントと、レザースーツのベルトが千切れ、喉から胸にかけて白い肌が露出した。

 
その心臓付近に、無骨な指が容赦なく食い込んでいく。

「ヴィンセント!」

 
リーブは思わずコンテナの陰から飛び出し、アスールの頭部めがけてマシンガンを連射した。戦闘に不慣れな局長を守ろうと、
WRO隊員たちが後に続く。しかし彼らの銃弾は防壁にことごとく阻まれ、ツヴィエートの失笑を買ったのみだ。
弾き飛ばされたケルベロスを、何とかヴィンセントに届けようと特攻したWRO隊員は、アスールの腕の一振りであっけなく吹き飛
ばされた。先刻のバズーカを構える者もいるが、組み伏せられたままのヴィンセントへの影響を考えた仲間に止められる。

「さ…がって…い…ろ」
 
苦痛のためぼやけた視界に、銃を抱えた不似合いな姿のリーブを映し出し、ヴィンセントは擦れた声で制止する。
今日のWRO局長は傀儡なのか本体なのか。もし後者であるならば、戦いの素人である彼を何とかこの場から遠ざけておきたい。
死の顎から抜け出そうと、ヴィンセントは異形の獣への変身を試みたが、生きながら身体を裂かれる激痛のために魔力を集中
できない。


「ふん、意外にもちこたえたな。だか、これまでだ」
 細身ながら強靭な抵抗を示す手の中の身体に、アスールが業を煮やした。長い黒髪を掴んで上半身を引き起こすと、その背に
片方の膝を当て、力任せに肋骨をへし折る。

 
骨の砕ける嫌な音と、ヴィンセントの絶叫が上がるのがほぼ同時だった。次いで、肉の裂ける鈍い音。鋭利な刃物によらず、
その並外れた握力で獲物を引き裂いたアスールは、吹き上がった鮮血を浴びて満足げに笑う。床に投げ出された身体は、弱々
しく痙攣したあと力尽きたように動かなくなった。


 
濃厚な血の匂いと、倉庫の床にひろがる赤い海に、WRO隊員たちからは絶望の呻きがもれた。蒼白になって駆け寄ろうとする
局長を、隊員たちが複数で必死に押し留める。彼らの心強い支援者であったはずの戦士に加えられた、残虐な処刑。

 
今までに何度も命を助けてくれた相手をむざむざ目の前で見殺しにせざるをえない状況に歯噛みし、隊員たちは拳を白くなる
ほどきつく握り締めていた。


 
ヴィンセントの左肩から胸にかけて断裂した筋肉組織からは、砕かれた肋骨や鎖骨の断端が顔をのぞかせていた。
その一部は心臓を傷つけ血管を貫通し、通常ならば即死の状態である。血の気を失ったヴィンセントの口唇は、だがまだかすか
に浅い息を吐き出していた。

 その目を覆わんばかりの傷の奥から、煙のような白い光が溢れ始めた。アスールの目が細められる。
「エンシェントマテリア。いただくとしよう」
無骨な手が光に向かって伸ばされたその時。

 失神していたヴィンセントの瞳がかっと見開かれた。
血の色をした虹彩は金色に変わり、獰猛な咆哮を上げたその口には鋭い牙。一瞬にして魔獣に姿を変えた彼は、幻影のように
ツヴィエートの腕からすりぬけると、その目の前で威嚇するように禍々しい翼を広げた。

 その左胸には、妖しい光を放つマテリアが埋め込まれている。リーブの目はそれに釘付けになった。
「…まさか、あれがエンシェントマテリア…?」

 
3年前の旅の間にヴィンセントがカオスに変身するのは、ごくまれであった。戦闘の最中で、これ以上どうにもならない状況に
まで追い詰められた時に使う、最後の切り札。当然仲間たちにも余裕がなく、カオスの姿など詳しくは見ていない。

しかし、その胸に輝く謎のマテリアと、ツヴィエートたちの捜し求めるものはぴったりと符合するように思える。

「…カオス、か?!」
 
素早く立ち上がり身構えるアスール。その驚愕した表情をみて、カオスはいかにも楽しげに凶暴な笑みを浮かべた。
異形の魔獣であるカオスに感情があるのか疑わしいが、アスールの発散する好戦的な気は明らかにカオスを触発しているようだ。


「一時撤退! 早く、この場から離れてください!」
 
突然出現した、闇と血の色をまとった魔獣の姿に、WRO隊員たちは動揺を隠し切れない。リーブは、目の前で展開される事態
を理解できずに呆然とする彼らを叱咤し、全員を身の隠せる場所まで避難させる。変身したヴィンセントが敵味方の区別がつか
なくなるのは、百も承知である。何も知らない隊員たちをカオスの餌食にするわけにはいかない。


 幸い、WRO隊員たちなどカオスの眼中にないようだった。アスールが戦車砲を構えたのを見て魔獣は再び咆哮し、腕を身体の
前で交差させ翼を水平に構えると、凄まじい破壊力をもつ衝撃波を放つ。

 蒼きアスールの巨体がひとたまりもなく吹き飛んだ。同時に、倉庫に置かれていたドラム缶が次々と誘爆し、あたりは一面火の
海に包まれる。炎と煙に閉ざされた倉庫の中で、カオスの唸り声が低く響いた。




 倉庫の天井のスプリンクラーが作動した。更に、隊員たちにより、炎の激しい場所には消火剤が投入される。
強制換気装置により煙を排除すると、まだあちこちに小さな火がくすぶっているのもかまわず、リーブは真っ先に倉庫に駆け込ん
だ。エリートソルジャーであるツヴィエートを、一撃で屠った魔獣の存在に怖気づいていた隊員たちも、勇気を奮い起こして局長
に続いた。

 
変身が解けてどこかに昏倒しているはずの戦友の姿を求めてリーブは瓦礫の中を探し回る。崩れかけた壁ぎわにはアスール
の巨躯が横倒しになっており、隊員たちが用心深く取り囲んだが、今の彼の目には入らない。


「局長!」
隊員の切羽詰った声にリーブは振り返った。
 
大量の水を使用するスプリンクラーによっても、洗い流しきれない不吉な赤い湖。その中に倒れている、長身の人影。
リーブは駆け寄ると、自らが血に汚れるのもかまわずに床に膝をつき、戦友を抱き起こした。
レザースーツやマントは大量の血液に濡れそぼっている。見慣れた端整な顔が血の気を失い、腕の中で力なくのけぞるのに
血の凍るような思いをしながら、リーブは必死で呼びかけた。

「ヴィンセント!しっかりしてください」

 
むき出しにされた胸には、出血こそ止まっていたが骨や臓器が見えるほどの巨大な傷が、生々しく口をあけている。
関節の外れた左腕は、通常ありえない向きに奇妙に捻じ曲がっていた。そして、右の大腿に突き刺さったままのドラム缶の破片。
彼を良く知る仲間以外には、とても命があるようには思えないだろう。第一発見者である隊員も、ヴィンセントのあまりの惨い姿に
そばによることもできず、怯えたように立ち尽くしている。


 
戦闘は得意ではなかったが、修羅場に臆するようなリーブではなかった。すぐに担架を持ってくるよう指示し、届けられた毛布
で消火用水と血に濡れ冷え切ったヴィンセントの身体を丁寧に包む。

「シャルアに連絡をしてください。急いでメディカルルームへ運びます」
「……い、生きているんですか?」
 
怖気づいてそばによれずにいる隊員たちが、リーブの言葉に目を見開いた。リーブは苦笑して、担架を運んできた医療班の
隊員にヴィンセントをゆだねた。戦闘の場にいなかった彼らは何の先入観もなく、急いで任務にあたってくれる。

「彼は、このくらいでは死んだりしませんよ」
 
それが、ヴィンセントにとって幸せなのかどうかは別にして。後半の言葉は胸の中で呟きながら、リーブはアスールの拘束と
倉庫の始末を指示すると、足早にメディカルルームへと向かった。





 WROのメディカルセクションは混乱を極めていた。
次々と運び込まれる傷ついた隊員たちに、医療担当者たちは汗だくになって対応している。廊下の一部でトリアージが行なわれ、
緊急の手当てが必要な者には赤、次のレベルの者には黄色のタグが取り付けられる。軽症の者たちには緑のタグと応急キットが
手渡され、ひとかたまりになって説明を受けながら、仲間同士で傷の手当を行なっていた。

 
そして、パーテーションで区切られた一角では、手の施しようのない重傷の隊員たちが、鎮痛と鎮静のための麻薬の投与を
受け、静かに横たわっている。その足首にとりつけられているのは、黒色をしたタグ。


「ヴィンセントがやられたって?」
 
医療班を手伝っていたシャルアが、リーブの姿を認めて駆け寄ってきた。 担架に乗せられたヴィンセントの蒼白な顔を見下ろ
すと、毛布をめくり上げて傷を確かめる。その表情が驚愕と失意に歪んだ。

「…局長、これは無理だ。トリアージタグ・ブラックのレベルだよ」
「大丈夫。魔晄ポッドを一日だけ使わせてください。それで回復します」
自信に満ちたリーブの言葉に、シャルアは首をかしげてしばし考え込んだ。
「…彼はカオス因子を持っていたな。体液が魔晄溶液に混入するとまずい…。わかった。研究室のポッドを使おう」
隻眼の科学者は、決断すると行動が早い。走るように自分の研究室へ向かう彼女の後を、リーブと、担架を運ぶ隊員たちは急い
で追いかけた。


 研究用の魔晄ポッドはやや小ぶりで、ヴィンセントをようやく収容できる大きさだった。
シャルアに、かさばるマントやレザースーツなどをすっかり剥ぎ取られ、刺さった破片を除去されてポッドに入れられた彼は、気の
せいか少々窮屈そうに魔晄溶液に浮かんでいる。

「ひどい傷だな。相手はツヴィエートか?」
「ええ。アスールと闘いましてね」
 
リーブとシャルアが見守る先で、ヴィンセントの胸と大腿の傷は少しずつ肉芽が上がりふさがり始めていた。全ての命の源で
あるライフストリームから造られた、淡い翡翠色の魔晄溶液。その中では少し身体も楽になるのか、たゆとう黒髪を頬にまといつ
かせた端整な貌は、穏やかに眠っているように見える。バンダナとマントに埋もれた彼しか見たことのないシャルアは、無防備な
印象を与えるヴィンセントの素顔をしげしげと眺め、男にしておくのは勿体ないなどといった場違いな感想を持った。


「…エンシェントマテリアは、どうやら、彼の体内にあるようです」
ぽつりと呟いたリーブの言葉に、シャルアが振り返る。WRO局長は腕組みをし、考え込みながら言葉を紡いだ。
 
ツヴィエートたちが入れ替わり立ち代り、ヴィンセントに接触してエンシェントマテリアを要求していること、アスールが彼の胸を
引き裂いて何かを取り出そうとしたこと、そして、顕現したカオスの左胸に埋め込まれていた、謎のマテリア。

「それが、彼らの探しているエンシェントマテリアだと考えれば、全て辻褄が合います」
「だが、そのマテリアはオメガ制御の鍵、だろう?それが何故、彼の身体に埋め込まれているんだ?」
 
もっともな問いだが、リーブも答えを持っているわけではない。沈黙が二人の間にゆっくりと積み重なっていく。
ふと、古代種のものと思しき遺跡にあった一文が、シャルアの脳裏をよぎった。

「終わり名をもつオメガへ導く、カオス…。そして、エンシェントマテリアはオメガを制御する…」
考え込む時の癖で、室内を歩き回りながらシャルアは思考をそのまま言葉にする。
「オメガに関わるこの二つが、両方とも彼に宿っているのは、偶然とは思えないな」
「まさか、本当に、ルクレツィアさんの研究のために…?」
リーブの表情が曇る。

ヴィンセントのルクレツィアへの愛情の深さは、仲間の誰もが知っている。彼が命を落としかけ、宝条の改造を受けるきっかけに
すらなった、一途で純粋な想い。もしもルクレツィアにとっての彼が単なる研究成果でしかないとしたら、それはあまりにも悲しい。

「オメガが何かわからんが、それを制御する鍵を彼に託した、という仮説も成り立つんじゃないか?」
シャルアは不器用な思いやりを見せた。
「どちらにしろ、ルクレツィア博士のデータを調べる必要があるな。推論だけでは限界がある」 
「…そうですね。まずは、彼の回復を待ってからにしましょう」

 局長の言葉に頷き、ポッドに収容されている被験体のモニタリングデータを開いたシャルアの目が丸くなった。

「すごい…! 細胞の賦活レベルが見たことのない数値だ。代謝と、造血機能と…」
リーブを振り返った彼女は、興味深い研究対象を見つけた科学者の顔になり、興奮に頬を紅潮させている。
「治療にも必要だから、データをとらせてもらってもかまわないか?この回復力はカオス生命体の因子の影響だろう?」
「……必要性が説明できれば、多分、彼は気にしないとは思いますが」
「わかった。ヴィンセントは私が責任もって預かる」
 
シャルアは既に端末の画面に釘付けになっていた。ヴィンセントの場合、医療チームよりも彼女に任せたほうが安心であること
は間違いない。彼の身体に起きていることは、一般常識をはるかに超えている。

 しかし、ツヴィエートといい科学者たちといい、様々な顔ぶれから様々な関心を向けられるヴィンセントに、リーブは同情の念を
禁じえなかった。





 ディープグラウンドソルジャーの襲撃による被害は、予測したよりも小規模だった。恐らく、目的が基地への攻撃ではなく、エン
シェントマテリアの回収にあったからなのだろう、とリーブは分析する。

 
ヴィンセントの働きで、シェルク、アスールの2名のツヴィエートが、現在WROの捕虜となっていた。このままで済むはずが
ない。敵の報復への備えと、オメガ・カオスに関する調査の二つが、局長である彼の最優先の課題であった。幹部となる職員の
育成が遅れているWROでは、どうしてもリーブの指導力を必要とする場面が多い。


 シャルアは研究室とメディカルルームを行き来して、二つの魔晄ポッドを管理していた。その彼女から、ヴィンセントの意識が
回復したとの報告が入ったが、リーブが研究室を訪れることができたのは翌日のことだった。
「気がついたのですね。よかった…!」

 研究室に入ったリーブの視界に入ったのは、魔晄溶液にたゆとう黒髪を背景に生気をとりもどした白い貌だった。
ピンク色の傷痕が斜めに胸を横切っているが、それでも通常では考えられない回復速度である。ヴィンセントはリーブを認めると
ポッドのガラス壁に手をつき、夕日色の瞳でもの言いたげに彼を見つめた。

「ああ。すごい回復力だな。意識が戻ったのが受傷後27時間。傷が完全にふさがったのが30時間後。もっとも、その時点では
まだ骨は治っていなかったが、それも38時間でほとんどが癒合した。問題だったのが極度の失血状態だ。
一時は輸血が必要かとも考えたが、通常は機能していないはずの骨髄まで…」


 シャルアは静かな興奮状態で、今までの経過を喋り続ける。ポッドの中からその様子を見やったヴィンセントはため息をつき、
再びリーブに視線を向けてガラス壁を軽く叩いた。

「…わかりました。ご苦労さまでした。それで、彼はもう出られるのですか?」
「あ、ああ。もう大丈夫だ。完全回復までのデータも取れたしな」
シャルアは我に返った様子で頷き、魔晄ポッドの操作卓へ向かう。安堵したように壁面から手を離すヴィンセント。
その様子からは、データに夢中になったシャルアが出してくれという彼の訴えにも気付かなかったことが、容易に推測できた。


 2日ぶりにポッドから解放されたヴィンセントは、リーブの持参したレザースーツを身につけ、魔晄溶液に濡れて顔にはりつく髪
をかきあげた。そのそばにシャルアが歩み寄る。

「顔色も大分いいな。データも改善しているし、魔獣の暴走による影響も、落ち着いている」
「そのようだな」
話す前から内容を知っているヴィンセントに、シャルアが首を傾げる。

「あの中は何もすることがないのでな。ディスプレイをずっと眺めていた」
「そうか。それなら説明は省略する」
 
彼が言外に込めたささやかなあてこすりが、シャルアには通じない。微妙にかみ合わない二人の会話を聞いていたリーブは、
こっそり失笑した。


「何にせよ、回復してよかったですよ。一時はどうなるかと思いましたからね」
ヴィンセントに椅子をすすめ、自分も腰掛けたリーブの口調が、やや改まる。
「今度ほど、闘う力のない自分を呪ったことはありません。目の前であなたを失うことになったかと思うと、ぞっとします」
「おおげさだ」
「…局長の話はおおげさじゃないぞ。正直、私も助かるとは思わなかった」
データを整理しながら、シャルアがリーブの援護をする。実際に彼の治療に携わっていた科学者の口添えを得て、リーブは更に
言いつのった。

「あなたの場合、自分の安全に無関心なところがあるから、余計心配なんです」
その言葉に、ヴィンセントの口唇が苦笑をきざむ。
「…私を巻き込んだのは、お前だったはずだが」
「そう…です。矛盾しているのはわかっています」
リーブは言いよどみ、うつむいた。

 
星を救うためには、仲間たちの力が是非とも必要だ。しかし、それは仲間たちを危険に追いやることでもある。
無論、彼らがそれを厭うことなどなく、むしろ自ら星を救う戦いに身を投じることはわかっている。だが、そのきっかけに自分がなる
ことに、幾ばくかの罪悪感はつきまとうのだ。特に、ヴィンセントは仲間からのアプローチがない限り、自分からは事を起こすこと
がないので、「巻き込んだ」という思いが濃厚になってしまう。


「しかし、どうやら私も当事者らしい」

 
服と共に渡された愛用の銃のチェックをしながら、リーブの葛藤を見抜いたように、ヴィンセントは呟いた。ガンベルトを装着し、
ホルスターにケルベロスを納めると、ヴィンセントは立ち上がって研究室の壁にかけられていたマントを手にとる。
「どちらへ?!」

「ニブルヘイムへ向かう」
ヴィンセントの答えに、リーブの脳裏を様々な情報がよぎった。
「神羅屋敷…ですね」
 かつて、ジェノバプロジェクトの舞台となった場所。ヴィンセントがルクレツィアと出会い、いくつもの不幸なエピソードの果てに、
その身体にカオスとエンシェントマテリアを託されたと言える、その過去の謎を解く扉。

「しかし、ツヴィエートたちはエンシェントマテリアを持ったあなたを狙っています」
「それは、どこにいても同じだ」
「単独行動は危険です。せめて隊員たちを何人か護衛につけさせてください」
椅子から立ち上がり、思いとどまらせようと必死のリーブの言葉に、ヴィンセントは失笑する。
「どちらが護衛なのかわからんな」
「………」
珍しく辛辣な指摘に、さすがのWRO局長も次の言葉がでない。確かに、ヴィンセントについていける能力の持ち主など、WRO
はいなかった。

「まだポッドから出たばかりだろう。もう少し休んで、身体を慣らしてから行ったらどうだ?」
シャルアの言葉にもヴィンセントは軽く首を振る。

 自分からは行動を起こすことはなく、どちらかといえば事態から一歩離れている傾向の強い彼であるが、一度腰を上げると人が
変わったようになる。その行動力と責任感の強さには仲間たちも一目置いていた。だが今回のような場合には逆に困りものだ。
自分の命よりも任務の達成を優先する元タークスに、別の心配をさせられることになる。
 安全策をとって地下の下水路を使うように勧めたリーブの言葉には頷き、ヴィンセントはシャルアにも目礼をすると、研究室を
出て行った。



「意外と頑固だな」
観客に回っていたシャルアが、ぽつりと感想をもらす。
「いいでしょう。それなら、ちゃんと護衛になる人を送りますよ」
リーブはため息をついて、ポケットから携帯電話を取り出した。
「…リーブです。お疲れさまです。………ええ、わかりました。それで、別件なのですが、ニブルヘイムの調査をお願いしたいの
です。……神羅屋敷で、DGソルジャーの動きがあるようですのでね。……そうですか、たすかります」

 電話を切り、リーブはやれやれと椅子に腰を下ろす。
「彼のことです。大丈夫とは思うのですが…」
「あの回復力は並じゃない。それに、戦闘力もかなりのものだ。信じていいんじゃないか?」
データの登録を済ませたシャルアが、コンピュータをログオフし、リーブを見上げる。それにようやく頷き、笑みを見せるWRO局長
であった。



 数日後に本部を襲う悲劇を、彼らはまだ知らない。






                                                                  2006/8/20
                                                     syun






そして、神羅屋敷に行ったヴィンセントは、ロッソにまんまとマテリア抜かれて帰ってくるわけですね。さすが局長、手の打ち方が適切です(笑)
男なんだし戦士なんだし、たまにはがっつり闘ってみなさいと思ったのですが、ぼこぼこにやられるヴィンセントになってしまいました。戦闘シーン
が下手な私の罪です。考察でマテリア取るのがアスールだったら三枚におろされちゃうと書いたところ、見て見たいという豪胆なご希望があった
ので、うっかり調子にのりました。どんなに酷い目に合わせても、彼なら大丈夫と思うと、ついついエスカレートしますね。気持ち悪くなっちゃった
方がいらしたらごめんなさい。いやー、楽しかったです(笑) 不謹慎ですみません。





Novels.