秋の夜長
上海亭での賑々しい誕生パーティの後、双子は揃って仲間たちと二次会に繰り出していった。
「よぉし。俺たちも河岸を変えて飲みなおすぜ!」
「好きにするがいい」
「何だよ。今度はおめぇのための席だろうが」
「気持ちだけはありがたく受け取ろう」
いつもなら負けずに大人たちの二次会を企画するシドだが、シエラと共にさっさと帰ろうとするヴィンセントを見て渋々予定を
変更する。
人混みが苦手なヴィンセントが上海亭の喧騒に付き合ったのは、ひとえに双子たちのため。その彼らがいなくなった後の
二次会に参加する気は更々ない。
そして自分の誕生日のための乾杯などには、あまり興味を示さない。
今の彼の関心は、上海亭の主人がバースディプレゼントに贈ってくれたアイシクル産の最高級ワインに向けられていた。
限られた地域でのみ育つ葡萄で作られ、製造数が極端に少ないために滅多に手に入れることができない逸品だ。
このワインを様々なコネを使って仕入れた主人は、ヴィンセントが珍しく見せた嬉しそうな笑顔で苦労が報われた気がしたの
だった。
シドの家のリビングで二人は再び酒盛りを始めた。
気を利かしたシエラは簡単な酒のつまみを用意すると、後はごゆっくりと席をはずした。どうせ二人は放っておけば酔いつぶ
れるまで飲むつもりだろう。若いころは朝まで飲み明かしたものだが、ヴィンセントはともかく最近のシドは途中で高鼾をかき始める。そこまで付き合うのは大変だ。
ソファの隅にそっと置かれたブランケットは彼女の細やかな愛情を表していた。
「まったく、おめぇは人に貢がせるのが巧いよな」
「人聞きの悪いことを言うな」
ヴィンセントは冷えたワインのコルクを手際良く抜き、芳醇な香りに口元を緩める。
グラスに注がれた液体は白ワインにも拘らず琥珀色をしていた。アイシクルで良質の葡萄を育て、霜が降りる頃まで収穫を
遅らせると、果実の水分は凍って糖度と風味の強いワインの原料となる。
収穫量が少ないのと熟成に手間がかかるので、滅多にお目にかかれない幻のワインと言われていた。
濃厚な液体を舌の上で十分に転がしてから喉に送り込んだヴィンセントは満足そうな笑みを浮かべる。
「さすがは上海亭だ。よく手に入れたな」
日頃無口な彼が手放しで褒めるのは珍しい。
シドも相伴に与って琥珀色のワインの味と香りを愉しむ。それは酒にうるさいヴィンセントを満足させる逸品だった。
「ここにいりゃ、色々といい目がみられるのによ」
「良いとばかりは言えないこともあるが」
ヴィンセントはかすかなため息を洩らす。
代替わりしてもパワフルさは変わっていない「ロケット村婦人会」は、星を救った英雄であるヴィンセントの後援会と自負して
いる。シドの家に滞在している間はその活気と押しの強さに引きずられ巻き込まれ、酷い目に会ったことが何度もあった。
ハイキングの護衛を言い付かったのはまだマシな方で、ハロウィンの魔女の扮装までさせられたこともある。
吹き出したシドを夕日色の瞳が睨み付けた。
「あれも、元はといえばあんたのせいだったな」
「そんな大昔のこと言われても覚えちゃいねえなぁ」
「覚えていないなら何故笑う」
もう分けてやらんと自分のグラスだけにワインを注ぐ彼を猛然と拝み倒して、シドは二杯目をせしめる。
「仕方ねえだろ。おめぇのその外見が悪い。身から出た錆だ」
「…………」
憮然とした表情でも十分に鑑賞に堪える相手を見ながらシドはグラスを干した。
酔った彼の目に、ワインを飲み下すヴィンセントの白い喉の動きや、酒に濡れた唇を小さくなぞる舌先が妙に生々しく映る。
若い姿のままの戦友の美しさが殊更に感じられるのは、自らが年を重ねてきたからだろうか。
頭を一振りして、シドは話題を変えた。
「今年はズーがやたら繁殖しやがってよ、最近は飛空艇の航路まで邪魔しやがる」
ズーはニブル山に生息する飛行型のモンスターだ。大型で肉食と来れば、当然性質は獰猛。空からの急襲にはかつてクラ
ウド一行も手を焼いた経験がある。数が増えたせいでニブル山だけで餌が賄いきれず、周辺の平地にまで出没するように
なったという。
空路の邪魔だけならまだしも、ロケット村まで紛れ込んできて子供を襲うのは許せねえ、とシドは唸る。ロケット村では近々
大がかりな駆除を計画しているところだ。
ヴィンセントはグラスを傾けながら黙って聞いていた。
「パイロットはいるがスナイパーはちと足りねえ。手を貸せ」
「WROに言え」
「二度手間だ。リーブのヤツが何て言うと思う?『優秀なスナイパーの手が空いているじゃありませんか』だろうが」
おめぇは給料が出るだけマシと言うが、WROに飼われりゃズー退治だけじゃすまねえぜ、とシドは脅迫する。老獪なWRO
局長は一騎当千の人材を確保するチャンスを見逃すはずがない。口には出さないものの、できればヴィンセントを自分の
後継者として迎えたいというリーブの望みは周知の事実だった。
「大体おめぇは給料貰っても大してうれしくねえはずだろ。使うあてなんかねえじゃねえか」
「そんなことはない。武器弾薬の補充には金がかかる」
「だったらここにいりゃ必要経費で落とせるぜ」
「無駄な戦いを避ければ消耗しない」
「屁理屈こねるな。一歩町を出りゃどこもモンスターがうようよしてるだろうが」
シドは勝手にボトルを取り上げて自分のグラスになみなみと注ぐ。
「それにこの村ならメシも酒も美味い。おめぇの好きな銘柄が揃ってるのはここだけだ」
放浪している間は口にできない美味い酒をここで『飲み溜め』してやがるのは知ってるぜ、とシドはニヤリと笑う。
本気で口説きに掛かった相手の執拗な追求に音を上げて、ヴィンセントは条件を出した。
「ならば、報酬はそれにしてもらおうか」
「それ?」
「労働の代価は上海亭で飲み放題、というのはどうだ」
酔ったシドの頭は一瞬しらふに戻り、電卓を叩き始めた。
「…時間制限はなしか?」
「あたりまえだ」
「酒代だけだよな?」
「ああ」
「リミブレしたあとの大食いの分はなしだよな?」
「それでもいい」
払えないというなら、この話はなかったことにしよう、という相手にシドは唸った。
たかが酒代、とは到底言えない。ヴィンセントの酒量は底なしで、しかも上等な酒を好むときているからタチが悪い。
上海亭の銘酒を何本も空けられたら、ただごとではない金額となる。
「…てめぇ、そんなのを理由に、まだオレたちから逃げやがるか」
「もう逃げはしない。ただ働きが嫌だと言っているだけだ」
上海亭の裏庭での言い合いのせいか、ヴィンセントは微妙に開き直っている。
舌打ちしてシドは酔っぱらった頭で策を練り始めた。このとんでもなく高額なアルバイトを雇うには月契約は危険すぎる。
日雇いの出来高払いが妥当だろう。本当はズー1頭に酒1本と値切りたいところだが、相手が納得しそうにない。
『仕方ねえ。ここは上海亭のオヤジにも手ぇ回しとくか。』
嫌がらせに“料金”を吊り上げたヴィンセントは、黙ったままのシドを見て交渉決裂と受け取った。それならそれで結構と、
ワインボトルを取り上げて最後の一杯分をグラスにゆっくりと注ぐ。
実のところ、滞在中にズーが村を襲うならその時は手を貸すつもりだった。言葉とは裏腹に、村人たちがモンスターに襲われ
ているのを看過する気はない。ロケット村を離れる時にニブル山へ寄って、ズーの巣をいくつか叩くというのも良い手だ。
彼にとってそれはさほど手のかからない狩りのようなものだった。もちろん、いちいちシドに説明するつもりもない。
「よし、わかった。それでいいぜ」
「…本気か?」
断らせることを想定して条件を吹っかけたヴィンセントは、シドの返答に驚いた。
「ただし出来高払いだからな。さっそくズー退治のプランを練ってもらおうか」
「………ああ」
いつものことながら相手の熱さと勢いに押されてヴィンセントはうなづいた。まったく、この男には勝てたためしがない。
じゃ、契約成立の乾杯、とシドはヴィンセントのグラスを取り上げようとする。その手はみごとに空を切った。
「あんたのグラスはそっちだ」
「いいじゃねえか。もう一口ぐらい飲ませろよ」
「言っておくが、あんたは半分以上呑んでいるぞ」
せっかく貰ったワインの大半をシドに横取りされたヴィンセントは、最後の1杯を譲る気はない。取られる前にさっさとグラスを
干しにかかる。
シドの目の前で、琥珀色の液体がグラスから形のよい唇に流れ込んでいった。
「…てめぇ、俺さまの前でいい度胸だ」
シドはグラスを奪い取ろうと襲いかかる。身をひねり辛うじてグラスを守ったヴィンセントはソファに押し倒された。
「シド、やめろ!」
「だったらおとなしく酒を渡せ!」
「嫌だ」
シドの下敷きになりながら、グラスに延ばされた手を振り払いヴィンセントは抵抗する。逃げようとする相手の襟首をつかんで
引きずり戻すシド。
グラスに半分ほど残っているワインを本気で争っているのか、単なる意地の張り合いなのか、もはや区別がつかない。
これだけ揉みあいになりながらグラスを手放さず、中身もこぼさないヴィンセントのバランス感覚を称えるべきなのか、呆れる
べきなのかも微妙なところだ。
「おめぇ、これから、上海亭で飲み放題だろっ!この一杯くらい、ゆずれ!」
「それとこれとは、話が、別だ!」
「いいから、よ、こ、せ!」
諸共にソファから転げ落ち、下敷きになったヴィンセントからシドはグラスを奪い取った。
連敗したヴィンセントは勝利の美酒を味わうシドを睨みながら憮然とする。
「へへ、口移しで分けてやろうか?」
「いらん」
「そう遠慮するなって」
顔を寄せて嫌がらせをする酔っ払いを、しまいには撃つぞと威嚇してヴィンセントはため息をついた。
酔っぱらった勢いということだけでなく、言い出したらきかないこの男には本当にかなわない。いくら争っても最後には負ける
ことを、彼は心のどこかで微苦笑とともに受け入れている。
勝利を収めて上機嫌のシドは懲りずに相手の頭を抱き寄せ、無精ひげの伸びた顎で頬ずりをする。
「シド、よせ。ヒゲが痛い」
「そう怒るんじゃねえよ。単なるジョークだろ」
「怒ってなどいない」
呆れているだけだ、と押しのけようとするヴィンセントをシドは捕まえるように抱きしめた。
「おいコラ。また、逃げる気か…」
「逃げはしないが重い。どいてくれ」
「…ここにいろよ…どこにも…行くな…」
「しばらくいると言っているだろう」
酒精と眠気に襲われつつあるシドは、そうかと笑ってヴィンセントの頭をポンポンと撫でた。そのままことりと首を落とし、盛大
なイビキをかき始める。
抱きしめられたままのヴィンセントは抜け出すことができず、長いため息をついた。
シドのタバコ臭い息遣いとぬくもりが直に伝わってくる。
眠りが深くなったら抜け出して、シエラが用意してくれたブランケットをシドにかけてやろうと思いながら、ヴィンセントは手持
無沙汰の指先をシドの蜂蜜色の髪に埋めた。
静けさを取り戻した室内には、外で鳴く秋の虫の声が忍び入って来ていた。
syun
初出 2011/9/26
加筆修正 2012/10/13
昨年度のお礼SS改訂版です。元はしっかりシドヴィンだったのですが、見直してみたら恥ずかしくなったので「ほのかにシドヴィン」に変え
ました。でも二人の関係性というか絆は大事にしたいと思ってあれこれひねくっていたら、やっぱりなんだか恥ずかしい(笑)でも無印本編
でのヴィンさんのせりふのあれやこれやを見ていると、シドヴィンはデフォだとも思えてしまうわけです。ハイ。