1年ごとの約束





 ナナキは強靭な四肢を軽やかに動かして乾いた大地を疾走していた。
毎年通い続けた道は徐々に緑が増え、濃厚な生命の息吹を感じるようになって来ている。

かつて、ライフストリームが「魔晄」として浪費された結果荒れ果てた大地は、長い年月をかけて甦っていた。
星の命の確かさをその足裏に感じながらナナキは走る。

賑やかなコスタ・デル・ソルから海を渡り今は漁村に姿を変えたジュノンまで来れば、目的地は平原を突っ切った先にある。
たまに遭遇するモンスターたちも、成獣となったナナキに戦いを挑もうとはしない。


道は緩やかな登り道となり、最後には切り立った崖となった。
ナナキは楽々と跳躍して崖のわずかな足場を2,3度踏むと頂上へと達する。

視界が開けた。

高台からは、一面の緑に覆われた雄大な大地が広がっているのが見渡せる。
かつて魔晄都市としてこの星上に君臨したミッドガルは、今は緑のヴェールをまとって穏やかにまどろんでいた。

 天空を吹き抜ける強い風が高台の上をなぞっていく。
ナナキは2頭の小さな子供たちが後に付いてきていることを確かめると天を仰いで咆哮した。
彼の声に驚いた鳥たちが一斉に飛び立ち、断崖を背景にしながら一糸乱れぬみごとな群舞を見せる。
それを視界に入れながらナナキは二度、三度と吼え声を空に響かせた。
古い友人に彼の到着を教える、それは毎年繰り返された儀式だった。



「起きてたのか」
豊かな花の香を胸いっぱいに吸い込みながら、ナナキは通いなれた約束の場所に足を踏み入れた。
朽ち果てたミッドガルの隙間からこぼれる日の光が、かつて教会だった廃墟を照らしている。
一面に広がる花畑と清らかな水をたたえた小さな泉は、懐かしい人の名を思い起こさせる。

 そして、泉のほとりでは無口な友人がナナキを待っていた。
相変わらずの黒革のバトルスーツに裾の擦り切れた赤いマント。
人間の寿命の何倍もの年月が過ぎたと言うのに、まったく外見に変化を起こさない美しい容貌。
静かな空気を身にまといながら相手を圧倒する存在感は、当然生身の人間の持つものではない。


 長旅の疲れも見せずにはしゃいでいたナナキの子供たちは、見知らぬ男の姿を認めると父の陰に隠れながら興味津々で
耳とヒゲをたてている。

ヴィンセントは小さな来訪者を眺め、相手の視線の高さに合わせるように地面に片膝をついた。

「…おまえの子供たちか」
「ああ。こっちがトト。こっちがバステトだ」

父の鼻面でヴィンセントの前に押し出された二頭は小さな声で「こんにちは」と言ったきり、再びナナキの後ろに駆け戻る。
生まれて30年ほどの彼等は、人間の年齢で言えばまだ10歳程度。
初めて出会った人間を前にしてはにかむのも無理はない。
ましてや相手はただの人間ではなくこの世の理を超越した存在である。


 彼は自らに与えられた終わることのない永い時間に疲れたのか「ちょっと一眠りする」と言って、この廃墟の片隅に50年ほど
ひきこもっていた。

ナナキの子供たちとは今日が初対面だ。
 
 もっとも「毎年話をする」と約束していたナナキは1年に1度彼を起こし、話に付き合わせた。
うんざりした表情の相手に一方的に近況を話し、悩み相談を持ちかけ、勝手に満足して帰っていく。
長命のナナキと不老不死のヴィンセントは時の流れの感覚が人間と異なる。「毎年会う」のは「毎日会う」と同義語だった。
せっかく眠りについたヴィンセントにとっては、睡眠の間1時間毎に起こされるようなもので迷惑この上ない。


「父さん、この人がヴィンセント?」
「そうだよ」

ようやく子供たちがナナキのうしろからひょっこりと顔を覗かせた。
父が毎年会いに行っている友人の話は何度も聞いている。
かつて共に戦い星の危機を救った仲間たちの唯一の生き残り。
外見は若い人間だが、複数の魔獣を身に宿し不老不死という特異な存在。

『もっと怖い人かと思ったけど、見た目は人間とかわらないじゃん』

バステトの方が好奇心を抑えられなくなった様子で、そろそろとヴィンセントに近づいた。
ナナキと並んで瓦礫の上に腰を下ろしていた黒衣の男の匂いを用心深く嗅ぎ、鼻の頭にしわを寄せる。

「…大嫌いな火薬のにおいがする。でも、ライフストリームと同じ匂いもするね」
「人間がライフストリームと同じ匂いのわけないよ」

トトもようやく近づき、おっかなびっくりヴィンセントの匂いを確かめる。
嗅覚の発達した彼らにとって相手を識別するために匂いを手がかりにするのは当然のことだ。

まず鼻を突く硝煙のにおい。鉛と鉄と、銃の整備に使うオイルのにおい。寝ている間に移ったらしい草と花の芳香。
古びた革と埃と、確かに星の胎内を思わせるにおいがかすかにする。どちらにしても普通の人間とはかけ離れたにおいだ。

トトはマントの中にも鼻先を突っ込んでいたが、やがて納得したように小さく鼻を鳴らして相手を見上げた。

「うん、よくわかんないけど悪い人じゃないってことだけわかった」
「そうか」

黒い皮手袋に包まれた大きな手で頭を撫でられ、トトは目を細めてグルグルと喉を鳴らした。
耳元を相手の手にこすりつけ、次に肩と脇腹を押し付けて親愛の情を示すとその足元にごろりと身を横たえる。
長々と身体をのばしたトトはブーツの上にあごを乗せ、気持ちよさそうに目を閉じた。

 バステトはとっくに警戒を解いてヴィンセントのガントレットにじゃれつき、前肢で抱え込んでぶらさがっていた。
硬いガントレットに噛み付いてカチカチと牙を鳴らし、少々乱暴な遊びに夢中のようだ。

 子供たちにされるままになりながら、ヴィンセントは笑みを含んだ眼差しをナナキに向けた。

「ギリガンは消滅したようだな」

「もうからかうなよ。何百年前のことだい?」
「かなり笑える話だったのでな」

 ナナキは長い尾でヴィンセントの背を軽く打ったが、むろん本当に怒気を発したわけではない。
まだ若い頃、長命族ゆえにいつか必ず体験するであろう孤独に怯えていたナナキを救ったのはヴィンセントだった。
若さゆえの取り越し苦労。
それに名前までつけて大真面目に悩んでいたナナキの話を聞き、堪えきれずに笑い出した彼の姿は多少のいまいましさと
新鮮な驚きを伴ってナナキの記憶に残っている。


「ヴィンセントだって、いつかギリガンに捕まるかもしれないよ!」

古い友人と遭った時の常で、口調まで若い頃に戻ったナナキが反撃を試みる。
しかしそれは穏やかな笑みに封じ込められた。

「当分はなさそうだ。バステトやトトがいる。シドやクラウドたちの子孫を見守ることもできる」

永劫の時間を生きるということは、それに折り合いをつける智恵を身につけるということ。

「それに」

急に名前を呼ばれてきょとんとし、目の前に行儀よく並んで座った子供たちの頭を撫でてやりながら、ヴィンセントは視線を
清らかな池に向けた。


「ここに来れば古い友人とも話せるからな」

ナナキも隻眼をエアリスの泉に向ける。
古代種の末裔の笑顔を思わせるように、水面が日の光を受けてきらめいた。
彼が「ちょっと一眠り」の場所にカオスの泉がある洞窟ではなく旅の仲間の傍を選んだことに、ナナキも満足していた。
茫漠としてつかみどころのなさそうなヴィンセントの心は、まだ彼らから離れていない。


「そうだね。オイラとも話せるしね」

嬉々として叫んだナナキを見て、ヴィンセントが面倒くさそうな表情を作った。

「おまえは既に孤独ではない。子供までいる」

だから毎年会うのはもういいだろうという彼をナナキは睨んだ。

「ダメだよ。約束したじゃないか。オイラが生きている間は1年に一度会って話すって」
「アタシも1年に一度会いたい!」
「ボクも!」

深い事情は知る由もないが、父の応援をしなくてはと思ったらしい二頭が唐突に会話に参加する。

「ヴィンセントが会ってくれないと、ええと、ギリガンが父さんを捕まえに来るからダメ!」

話を聞きかじったバステトがうろ覚えの名詞を口にする。
あっけにとられたナナキとヴィンセントの視線がぶつかった。
どうやら、ヴィンセントと会わないと何だかわからない恐ろしいものが父を捕まえてしまうと思ったらしい。

だから父さんは毎年こんな遠いところまでこの人に会いに来るんだ。
この人に会っていれば、父さんは安全なんだ。

大いなる勘違いをしたバステトとトトの必死な瞳があの日のナナキと重なる。

ヴィンセントは不意に立ち上がって背を向けた。
その肩が小刻みに震えている。

憮然としたナナキの脳裏に忘らるる都の泉のほとりでの光景が浮かんだ。
日ごろ無口で無表情の仲間が笑いの発作に見舞われた、その原因は確かに自分だ。今となっては笑い事なのはよく判る。
業腹ではあるが。


「もう。笑いたきゃ笑えよ」
「すまん」

ヴィンセントは堪えきれずに吹きだした。
498年前と同じように。



 

「約束は絶対だからね!」
ヴィンセントの笑い声とナナキの怒鳴る声と、子供たちが説明を求める声を、清らかな泉が水面をきらめかせながら
聞いていた。

 







2009/4/1  初出
2010/9/22 加筆修正






びっくりするほど前に書いたものです。FF7の本が出たのが嬉しくて、それをネタに書かせていただきました。ヴィンセントの一人称が「私」から
「俺」に変わっていて一大紛糾が起こったのも懐かしい思い出です。この時の説明として「相手との親しさや距離の近さを一人称で表した」
というのがありましたが、時期的にそれは整合性がないのでは。でもこのSSでは無印本編から500年近く立っていて、生き残っているのは
ナナキとヴィンセントだけですので、それこそヴィンさんがナナキ相手には「俺」でもいいのかも。そう思って恐る恐る一人称変更の冒険をしよう
としたのですが、あら、ヴィンさんは一度も一人称を使っていなかったのでした(笑)




thanks